銀座の丸の内TOEIで日本映画「この国の空」を観ました。

 ブログ「日本のいちばん長い日」で紹介した超大作は松竹の「終戦70周年記念作品」でした。一方、「この国の空」は東映の記念作品です。松竹に比べて東映はずいぶん地味な作品を記念作品として選んだと思われますが、そういえば東宝の記念作品とは何なのでしょうか?

 映画公式HPの「イントロダクション」には以下のように書かれています。

「芥川賞作家・高井有一による同名小説は、1983年に出版され谷崎潤一郎賞を受賞。終戦間近、当時の東京の庶民の生活を細やかな感性と格調高い文章で丁寧に描写され、戦争という時代を戦場ではなく、庶民の暮らしを繊細に、そしてリアルかつ大胆に描く物語を、『ヴァイブレータ』『共喰い』など数々の作品で男と女のえぐ味とロマンチシズムを見事に表現した、日本を代表する脚本家・荒井晴彦が18年ぶりに監督に挑んだ渾身の一作」

 続いて、「イントロダクション」には以下のように書かれています。

「主演の里子役に二階堂ふみ。戦争という極限状態のなか『結婚もできないまま、死んでいくのだろうか』という不安な想いと同時に覚悟を決め、傍にいた妻子ある男・市毛との許されぬ恋に突き進む心の葛藤を見事に体現し、圧倒的な存在感を放つ。市毛役には長谷川博己。妻子がいながら里子に惹かれ渇望する男を情熱的に演じきった。そして工藤夕貴、富田靖子、石橋蓮司、奥田瑛二ら豪華実力派俳優が脇をかため、戦時下の激しい空襲と飢餓が迫る恐怖のなかを生きる人々を丹念に描いた人間ドラマ。さらに里子が朗読するのは、戦後を代表する女流詩人茨木のり子の『わたしが一番きれいだったとき』。19歳で終戦を迎え、その時の経験を基に書かれたこの詩の世界観が、強くまっすぐな里子の心情と重なり、深い余韻を残している」

 また、映画公式HPの「ストーリー」には「私は愛も知らずに、空襲で死ぬのでしょうか―?」という一文に続いて以下のように書かれています。

「1945年、終戦間近の東京。19歳の里子(二階堂ふみ)は母親(工藤夕貴)と杉並区の住宅地に暮らしている。度重なる空襲に怯え、雨が降ると雨水が流れ込んでくる防空壕、日に日に物価は高くなり、まともな食べ物も口には出来ないが、健気に生活している。
 妻子を疎開させた銀行支店長の市毛(長谷川博己)が隣に住んでいる。 里子の周りでは日に日に戦況が悪化していく。
 田舎へ疎開していく者、東京に残ろうとする者・・・。戦争が終わると囁かれはするものの、すでに婚期を迎えた里子には、この状況下では結婚などは望めそうもない。自分は男性と結ばれることなく、死んでいくのだろうか。
その不安を抱えながら、市毛の身の回りの世話をすることがだんだんと喜びとなり、そしていつしか里子の中の『女』が目覚めていくのだが──」

 「この国の空」は、とにかく暗い映画でした。内容も暗いのですが、スクリーンの明度そのものが非常に暗いのです。まあ、物語の舞台が終戦直前の東京なので仕方ないのかもしれません。よく時代劇などで室内を暗く描いている作品は「リアリズムがある」などと言われます。昔は電気がなかったのだから当然ですが、戦時中の統制下にあった一般家庭でも夜は照明を制限されており、やはり相当に暗かったのでしょう。
  その意味では、なかなかリアリズムのある作品でした。
わたしは何の予備知識もなく映画館に飛び込んだのですが、ポスターに書かれていた「わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた」というコピーが心に響きました。映画のエンドロールで知ったのですが、その言葉は女流詩人・茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」の一節でした。エンドロールで二階堂ふみが朗読するのですが、良い詩だと思いました。なんでも国語の教科書にも採用されているそうです。「わたしが一番きれいだったとき」の全文を読むには、こちらをクリックして下さい。

 「この国の空」は、率直に言って「日本のいちばん長い日」と相互補完するような内容でした。「日本のいちばん長い日」がポツダム宣言を受諾すべきかどうかと閣議で議論していた頃の東京の庶民の話なのです。「ちょっと長谷川博己や奥田瑛二の服装がオシャレすぎるのでは?」などとも思いましたが、全体的によく時代考証がされていたのではないかと思います。 特に庶民の本音の部分がリアルで、焼き出された親類縁者を自宅に引き取る際の本音など、大いに考えさせられました。二階堂ふみ演じる里子の叔母も横浜の家を焼かれ、里子の母である実の妹を頼ってきます。 なんと、この叔母が富田靖子で、母が工藤夕貴ではありませんか!  わたしの同年代のアイドルだった2人の登場に、「おおっ!」と思いました。 2人だとわかるまでにかなりの時間がかかりましたが・・・・・・(苦笑)。

 それでも、好き嫌いにかかわらず、当時の人々は困っている親類縁者の面倒を見ていました。また、近所の人々とも仲良く暮らしていました。まさに柳田國男が悲壮感をもって『先祖の話』を書いていた頃の東京には血縁、地縁がまだ生きていたことを知り、感慨深いものがありました。
 しかし、これから約50年後には血縁も地縁も希薄化して、「無縁社会」と呼ばれるような状況になっていきます。
 映画の中には、里子の親戚の女性が結婚式を挙げる場面が登場します。
 戦時中は新婦はモンペ、新郎は国民服が原則だったといいますが、実際はそれなりの立派な姿で結婚式を挙げたようです。「日本のいちばん長い日」にも、阿南陸相の娘が結婚式を挙げ、それに対して昭和天皇が気遣われるシーンが出てきますが、当時の人々にとって「人の道」としての冠婚葬祭がどれほど重要なものであったかを再確認しました。戦況が緊迫し、空襲警報が鳴り響く時節であっても、人々は結婚式を堂々と行っていたのです!

 また、庶民の将来に対する不安もよく描けていました。
 里子の父親は亡くなっており、女しかいない家庭でした。
 隣家の妻子を疎開させた市毛は、銀行の支店長職にあり、それなりに豊かな生活をしています。空襲の心配をしながら、自宅ではワインを飲んでいるような人物なのですが、戦争に駆り出されることがとにかく怖くて、毎日、赤紙が来るのではないかと怯えています。
 終戦の情報を掴んだ彼が里子一家にそれを知らせてやると、里子の叔母が「それで、戦争が終わったら、わたしたちはどうなるんですか?」と質問します。それに対して市毛は、「巷で言われているように、敵が上陸してきたら、男は去勢され、女は暴行されるでしょう。それでも、新型爆弾で焼け死ぬのよりマシです」と答えます。このへんのやり取りが非常にリアルで、一般庶民がどれほど本土決戦を怖れていたのかがわかります。でも、終戦決定を知って「もう赤紙を怖がらなくていい!」と狂喜し、浮かれて里子を口説く市毛の姿は醜悪そのもので、虫唾が走りました。

 いくら陸軍が「一億玉砕」とか「二千万の特攻」などと意気込んでも、実際の庶民の本音はこのようなものだったのかもしれません。また、広島と長崎に落ちた新型爆弾(原爆)の恐怖はわたしの想像をはるかに超えて大きく、8月13日に東京に投下されると多くの人々が信じていたようです。
 それにしても、「男は去勢され、女は暴行される」ことを庶民が覚悟していたにもかかわらず、戦後そのような事態にはなりませんでした。それどころか、戦後の日本は短期間に奇跡の復興を遂げます。このことを考えると、ブログ「戦後70年談義」にも書いたように、一昨日の14日に発表された「安倍首相戦後70年談話」において安倍晋三首相が「戦後、日本が国際社会に復帰できたのは諸外国の『寛容の心』によるものだとして、『心からの感謝を表したい』」と述べられたことを思い出しました。

 この作品のメインテーマでもある戦時下の禁じられた恋ですが、わたしには、ピンときませんでした。というか、「どうでもいいな」と思いました。
大人の女になろうとしている里子の近くにいる男が市毛だけだった・・・・・・そういうことに尽きるのではないでしょうか。市毛にしても、妻子を疎開させて独身時代に戻っていたわけですし。あと、わたし個人の趣味かもしれませんが、どうも二階堂ふみには女性の色気を感じることができません。里子の声もダミ声でしたし、口調はなんだか美空ひばりみたいでした。
 そんな里子よりも、工藤夕貴が演じた里子の母、あるいは富田靖子が演じた叔母のほうに色気を感じてしまうのですから困ったものです(苦笑)。
 でも実際、田舎の川で身体を洗う工藤夕貴などは非常にセクシーでしたね。

 二階堂ふみが女優として体当たりの演技を見せたといえば、ブログ「私の男」で紹介した映画が思い出されます。浅野忠信と濃厚な濡れ場を演じましたが、浅野は第36回モスクワ国際映画祭のコンペティション部門で「最優秀男優賞」を受賞し、1983年(第13回)の「ふるさと」の加藤嘉、以来31年ぶりの快挙となりました。また、「私の男」そのものも1999年(第21回)の「生きたい」(新藤兼人監督)以来15年ぶりに「最優秀作品賞」を受賞し、モスクワ映画祭でのW受賞を成し遂げました。

 その浅野忠信ですが、「この国の空」の上映される前の予告編で流れた「岸辺の旅」という映画で主演しています。わたしが大ファンである黒沢清監督の最新作で、第68回カンヌ国際映画祭の「ある視点部門」で日本人初の監督賞を受賞しています。原作は湯本香樹実の小説で、3年間行方をくらましていた夫がふいに帰宅し、離れ離れだった夫婦が空白の時間を取り戻すように旅に出るさまを描いた作品とか。

 予告編といえば、一昨日観た「日本のいちばん長い日」の上映前には「母と暮らせば」という映画の予告編が流れていました。山田洋次監督の最新作で、女優の吉永小百合と、嵐の二宮和也が親子役で主演する話題作です。1945年8月9日、長崎に落ちた原爆をテー­マにした作品で、山田監督は「若い世代に戦争の記憶を伝えなくてはいけない」と語っています。

 重要なのは、「岸辺の旅」も「母と暮らせば」も、ともに幽霊が登場する映画であるということです。そう、2作品とも、いわゆる「ジェントル・ゴースト・ストーリー」なのです。拙著『唯葬論』(三五館)の「幽霊論」に詳しく書きましたが、「ジェントル・ゴースト・ストーリー」とは日本語に直せば「優霊物語」とでも呼ぶべき怪談文芸のサブジャンルです。これまで多くのジェントル・ゴースト・ストーリーが映画化されてきました。
 ブログ「天国映画」で紹介したように、ハリウッドでは「オールウェイズ」、「ゴースト~ニューヨークの幻」、「奇跡の輝き」などが有名です。また、ブログ「ラブリー・ボーン」で紹介した映画などが代表です。日本でも、山田太一原作「異人たちとの夏」、浅田次郎原作「鉄道員(ぽっぽや)」などをはじめ、「黄泉がえり」、「いま、会いにゆきます」、「ツナグ」、さらにブログ「ステキな金縛り」、ブログ「トワイライト ささらさや」、ブログ「想いのこし」、ブログ「夫婦フーフー日記」などで紹介した映画などが代表です。

 それにしても、「死者との再会」をテーマにした映画が多いことに改めて気づきます。というか、これこそ映画の最大のテーマではないでしょうか。わたしは、そもそも映画とは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するグリーフケア・メディアであるように思っています。これまで、多くの映画に優しい幽霊たちが登場してきました。また、実際、映画を観れば、今は亡き名優たちに会えます。わたしが好きなヴィヴィアン・リーにだって、グレース・ケリーにだって、高倉健や菅原文太にだって再会できるのです。

 ですから、幽霊映画というのは、ある意味で映画の本質であると思います。 Jホラーの第一人者である黒沢清監督の「岸辺の旅」は8月10日、日本映画界の巨匠である山田洋次監督の「母と暮らせば」は12月12日に公開されます。わたしは必ずこの2作品を観るつもりです。そして、次回作である『死が怖くなくなる映画』で取り上げたいと思っています。

 最後に、「この国の空」に話を戻します。タイトルのようにラストでは日本の空、それも戦後の希望を象徴するような青空が登場するかと思っていましたが、その期待は見事に裏切られました。結局、映画の中に何度か出てきたB29が飛び交う不気味な空しかスクリーンには映し出されませんでした。まったくもって暗さを貫いた映画であると思います。
 観終わって映画館を出ると、銀座の空には雲が多くかかっていました。 歩行者天国には中国語のアナウンスが流れていました。
 入店した百貨店も中国人買い物客だらけでした。
 これから、この国はどうなっていくのでしょうか?

  • 販売元:よしもとアール・アンド・シー
  • 発売日:2016/01/20
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