No.0221
20世紀フォックスが2013年に製作した「やさしい本泥棒」という作品をDVDで観ました。日本では当初2014年に劇場公開される予定でしたが、なぜか中止となっています。その後、2015年1月7日にソフトレンタルが開始され、同年6月3日にソフト発売がなされました。
「やさしい本泥棒」は、ブログ「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」で紹介した映画のスタジオが世界的ベストセラー小説を映画化したものです。ちょっとファンタジー的な要素もあり、ナチス政権下のドイツという戦争の時代が舞台であるにもかかわらず、あまり暗さを感じさせません。わたしはヒトラーやナチスへの関心が深く、関連映画はほとんど観ているのですが、日本未公開ということもあって、この作品は未見でした。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「マークース・ズーサック原作のベストセラー小説『本泥棒』を基に、テレビドラマ『ダウントン・アビー』などのブライアン・パーシヴァル監督がメガホンを取った感動作。ナチス政権下のドイツを舞台に、孤独な少女が書物を糧に厳しい時代を乗り越えようとする姿を描く。新星ソフィー・ネリッセがヒロインを演じ、彼女の里親を『英国王のスピーチ』などのジェフリー・ラッシュと『奇跡の海』などのエミリー・ワトソンが好演。絶望的な状況から生まれる思いがけない奇跡に息をのむ」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「第2次世界大戦前夜の1938年、リーゼル(ソフィー・ネリッセ)は弟に先立たれ、母親とも別々に生活することに。リーゼルは、ミュンヘン近郊で暮らすハンス(ジェフリー・ラッシュ)とローザ(エミリー・ワトソン)夫妻のもとに里子に出される。リーゼルは『墓掘り人の手引き』という本を大事にしていたが、その内容が少女向けでなかったため、ハンスは彼女が字を読めないとわかり・・・・・・」
冒頭、いきなり雪のシーンからはじまって、ちょうど大雪に見舞われているわたしの心に響きました。第二次世界大戦前夜の1938年、弟に先立たれた少女リーゼルは、母と別れて、ミュンヘン近郊の田舎町へ里子に出されます。里親のハンスはリーゼルが『墓掘り人の手引き』という奇妙な本を肌身離さず持っていることから、彼女が字を読めないことに気がつきます。それで彼女に朗読してやって字を教えるわけですが、それにしても少女が大事に持っていた本のタイトルが『墓掘り人の手引き』とは!
『墓じまい・墓じたくの作法』の著者であるわたしとしては、その本を読んでみたいものです!(苦笑)いや、ほんとに。
リーゼルは、ハンスの朗読によって知識だけでなく、勇気と希望を与えられます。この文盲の相手に本を朗読してあげるという行為は、2008年の映画「愛を読むひと」を連想させます。ベルンハルト・シュリンクのベストセラー『朗読者』を原案に、「めぐりあう時間たち」の名匠スティーヴン・ダルドリーが映像化した作品です。1958年のドイツ、年上の女性ハンナ(ケイト・ウィスレット)に恋をした少年マイケル(デヴィッド・クロス)が、彼女のために本を朗読するようになり、愛を深めていきます。ある日、ハンナは突然マイケルの前から姿を消しますが、数年後に法廷で劇的な再会を果たします。
わたしは、マークース・ズーサックの『本泥棒』という小説は、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』を明らかに意識して書かれた作品であると思います。もっとも、ズーサックはアメリカ人で、シュリンクはドイツ人です。この違いが両作品にも反映されていて、『朗読者』よりも『本泥棒』のほうが明るくて、エンターテイメント性に富んでいます。『朗読者』のほうは「文盲の悲しみ」を描いていましたが、『本泥棒』のほうは「文盲の楽しみ」といっては語弊があるかもしれませんが、言葉を知らない少女が新しい言葉をどんどん学んで、どんどん知識を増やしていく喜びを描いていたように思います。
読み書きを覚えたリーゼルは、さまざまな本を通じて知識や勇気、希望を手に入れていきます。しかし、ドイツはナチスによって自由を奪われ、本を読むことすら禁じられます。ヒトラー総統の誕生日の日、リーゼルは反ユダヤ主義の暴動が激化する広場で数多くの本が焼かれているのを目にします。彼女は、焚書された大量の本の中から、焼け残った1冊の本をこっそりと盗み取ります。その様子を町長夫人が見ていました。リーゼルの養母ローザに洗濯物を頼んでいた町長夫人は、お使いのリーゼルを自宅の書斎に招き入れます。見たこともないような立派な書斎に初めて足を踏み入れたリーゼルは驚き、感動します。その場面を観ながら、わたしはブログ「渡部昇一先生」で紹介したように、心から尊敬する方の「世界一」と呼ばれる書斎と書庫を拝見したときの感動を思い出し、胸が熱くなりました。
ところで、国家によって書物が焼かれる社会といえば、映画「華氏451度」を思い出します。レイ・ブラッドベリの原作SFをフランソワ・トリュフォーが映画化した名作で、わたしの大好きな作品です。「華氏451度」には、さまざまな本の内容を丸ごと暗記している「人間書物」が登場します。たとえば、プラトンの『国家』を暗記している人間は「『国家』さん」、バリーの『ピーター・パン』を暗記している人間は「『ピーター・パン』さん」と呼ばれます。たとえ世界中の本が焼かれてしまったとしても、彼らが生き延びれば「本の内容は残る」というわけです。わたしならば、「『論語』さん」あるいは「『星の王子さま』さん」などと呼ばれたいですね。
物語の途中、収容所送りを逃れてユダヤ人青年マックスがハンス一家を訪ねてきます。 先の大戦でマックスの父親に命を救われたハンスは、自らの信念の下、彼を匿います。 アンネ・フランクは屋根裏部屋でしたが、マックスは地下室で秘密の生活を送ります。その場面を観ながら、わたしはナチス政権下のユダヤ人の過酷さを改めて痛感しました。
そして、2011年の映画「サラの鍵」の内容を連想しました。この作品は、1942年、ナチス占領下のフランスで起きたヴェルディヴ事件(フランス政府が率先してユダヤ人をアウシュビッツへと送った事件)を軸に、現代に生きる女性ジャーナリストが、迫害を受けたユダヤ人少女サラの悲劇を解き明かしていく人間ドラマです。ナチスに迫害されたユダヤ人の悲劇を描いた映画は非常に多いですが、わたしが最も心を痛めた作品が「サラの鍵」で、次が「ソフィーの選択」です。
「やさしい本泥棒」では、主人公のリーゼルは弟にはじまって多くの愛する人を失います。最後には、愛する家族やボーイフレンドも亡くします。ラストシーンで、彼女の部屋に置かれたさまざまな写真が、彼女が長生きして幸福な人生を歩んだことを示してくれました。同様のシーンは映画「タイタニック」にも登場していましたが、人生の一部を切り取る写真というメディアによって、その人生の全貌を窺い知ることができることを再認識しました。
それから、この映画では語り部として死神を登場させています。声だけの存在で姿は見えないのですが、死神の立場からすれば、人間が死ぬのは当たり前なわけで、死は不幸でも何でもありません。その意味で、この映画も「死が怖くなくなる映画」なのかもしれませんね。
最後に、リーゼルを演じたソフィー・ネリッセが可愛かったです!
彼女が「ポスト・クロエ・モレッツ」と呼ばれているのも納得です。それにしても、これほどの名作が日本で公開されなかったのが不思議で仕方がありません。世界的ベストセラーが原作で、シナリオもいいし、役者もいい。
何よりもアカデミー作品賞候補にまでなった「やさしい本泥棒」がなぜ日本未公開だったのかを知っている方がいれば、教えていただきたいですね。