No.0240


 東京の日比谷でドイツ映画「帰ってきたヒトラー」を観ました。かなり話題の映画ですが、残念ながら北九州では公開されておりません。それで、東京滞在中に時間を見つけて観賞しようと決めていたのです。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

ティムール・ヴェルメシュのベストセラー小説を実写化したコメディードラマ。独裁者アドルフ・ヒトラーが突如として現代に出現し、奇想天外かつ恐ろしい騒動を引き起こす。舞台を中心に活躍するオリヴァー・マスッチがヒトラーを演じ、『トレジャー・ハンターズ アインシュタインの秘宝を追え!』などのファビアン・ブッシュや『ビッケと神々の秘宝』などのクリストフ・マリア・ヘルプストらが脇を固める。21世紀の民衆が、知らず知らずのうちにヒトラーに扇動されていくさまに注目」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「ナチス・ドイツを率いて世界を震撼させた独裁者アドルフ・ヒトラー(オリヴァー・マスッチ)が、現代によみがえる。非常識なものまね芸人かコスプレ男だと人々に勘違いされる中、クビになった局への復帰をもくろむテレビマンにスカウトされてテレビに出演する。何かに取りつかれたような気迫に満ちた演説を繰り出す彼を、視聴者はヒトラー芸人としてもてはやす。戦争を体験した一人の老女が本物のヒトラーだと気付くが・・・・・・」

 この映画を観ながら、わたしは驚きを覚えずにはいられませんでした。
 というのも、ヒトラーに扮した男が実際にベルリン市内を歩きまわっているからです。それまで、わたしは現代のドイツにおいてヒトラーという存在は絶対的なタブーであり、彼に扮して外に出たりすればリンチには遭わないまでも、猛烈なブーイングを群集から浴びるのではないかと思っていました。ところが、そうではないのです。中には中指を突き立てたり、暴言を吐く者もいますが、多くの人々は笑顔で彼を眺め、一緒にスマホで記念撮影する者も少なくありません。これは、ちょっとショックでした。

 とにかく人類史全体を俯瞰しても、ヒトラーほどの「完全なる悪人」は珍しいと言えるでしょう。ヒトラーを肯定する発言は絶対に許されないというのは欧米だけでなく、この日本でも同じです。これほどの絶対悪のレッテルを1人の人間が貼られていること自体が驚異的ですが、それゆえに彼が20世紀に実在した生身の人間であるということをイメージしにくいとも言えます。
 まるで、神話に登場する太古の邪神のような印象があるのです。

 そんなヒトラーが映画の冒頭で、現代のドイツにタイムスリップしてきます。
 なぜ、彼がタイムスリップしたのか、どのような方法で時を超えたのか。
 それらの疑問については一切説明されていません。とにかく、何の説明もなく、いきなり地面に倒れたヒトラーが目を覚ます場面から物語は始まります。これまで大量のタイムトラベル映画が作られてきましたが、ここまで説明なしの時間SF映画は前代未聞と言えるでしょう。おそらく、タイムトラベルの手段とか理論などは重要な問題ではなく、「現代にヒトラーが現れたらどうなるか」というテーマのみが大切なのでしょう。

 現在にタイムスリップしてきたヒトラーは、非常に適応能力が高く、すぐに環境に順応してテレビやユーチューブのスーパースターになります。彼は、現代が第二次世界大戦前のドイツに似ていることを理解し、あらゆるメディアを利用して、自説を展開するのですが、これが非常に説得力があるのです。最初は怪訝そうな顔で彼を馬鹿にしたり、嘲笑していた民衆も次第に彼の言葉に納得し、受け容れるようになります。

 特に、移民やイスラム教徒への排斥を訴える民衆は、かつてユダヤ人を迫害したナチスの姿に重なってゾクリとします。アメリカの大統領候補であるトランプの移民排斥発言、あるいは移民流入に対する高齢層の不満が大きな原因とされるイギリスのEU離脱といった現実の出来事とも重なって怖くなります。コメディ映画でありながら、これほどレベルの高い社会派映画は初めて観ました。「これは凄い映画だ!」と心の底から思いました。

 映画の中で、ヒトラーは以下のような印象深いセリフを吐きます。

「私はモンスターか? でもそのモンスターを選んだのは国民だ」
「民衆を扇動したのではない、民衆が計画を提示した私を選んだのだ」
「わたしは何度でも蘇る。みなの心の中にあるからだ」

 そう、ドイツ国民は戦争責任の全部をヒトラー1人に押し付けていますが、もともとドイツ国民自身がヒトラーを選んだことを忘れてはなりません。彼はアレクサンダーやナポレオンのように武力によって権力者の地位に就いたわけではなく、選挙によって正々堂々と選ばれたのです。
 ですから、不況や移民流入への不満が高まれば、第二のヒトラーが登場する可能性は高いと言えるでしょう。参院選や都知事選の最中にある日本でこの映画が公開されたことの意味は大きいですね。

 さて、この「帰ってきたヒトラー」は、名作「ヒトラー ~最期の12日間~」を非常に意識して作られており、同作品のパロディ的な要素も見られます。「ヒトラー ~最期の12日間~」は、ブログ「ヒトラー暗殺、13分の誤算」と同じオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の作品で、ドイツ、オーストリア、イタリア共同制作、2004年の公開でした。この作品では、ヒトラーを怪物としてではなく人間として描き、ほぼ史実をそのまま誇張もなく歴史に忠実に描いていました。

 「ヒトラー ~最期の12日間~」を初めて観たとき、わたしは心の底から哀しくなりました。戦後最大のタブーであった「人間ヒトラー」を描いた問題作を観て、悪魔の象徴のように思われているヒトラーやナチスの人々にも他人への愛情が存在したことを知り、たまらない気持ちになったのです。なぜ、家族や同胞を愛する心を持っている者が敵に対しては冷酷になれるのか。なぜ、「思いやり」ではなくて「憎しみ」なのか。なぜ、同じ地球に住む同じ人間同士なのに、殺し合わねばならないのか・・・・・・。
 「ヒトラー ~最期の12日間~」と「帰ってきたヒトラー」を併せて観れば、絶対悪の権化といったヒトラーのイメージが変わるかもしれません。そう、この「帰ってきたヒトラー」という映画は一見ヒトラーの恐ろしさを描いているようでいて、じつはヒトラーの魅力を描いているように思えました。

 ヒトラーがネオナチや現代ドイツの右翼政党を叱り飛ばすシーンも登場し、非常に新鮮でした。チンケな小者では持ちえない覚悟や矜持のようなものをヒトラーは持っていたのでしょうか。この映画を観て、ヒトラーが好きになる者も少なくないと思います。いや、いくらハリウッドのユダヤ資本によるプロパガンダ映画も多いとはいえ、過去にこれだけ膨大な数のヒトラーに関する映画が作られてきたということは、世界中の人々は基本的にヒトラーに大きな関心を寄せている、さらにはヒトラーが好きなのかもしれません。

 わたし自身、これまでヒトラーには多大な関心を寄せてきました。というのも、彼は儀式や式典や祭典をプロデュースする天才だったからです。次回作『儀式論』(弘文堂)の「世界と儀式」という章でも大きく取り上げました。
 ヒトラーは1936年の第11回ベルリン・オリンピック大会をはじめ、ドイツ第三帝国において数多くの祝祭をプロデュースしましたが、いずれも宗教的祭儀の特質をうまく取り込んだものでした。また、祝日、民衆の合唱劇、青年運動なども政治活動に利用し、劇、音楽、通過儀礼を中心とする民俗行事、郷土芸能なども広く取り入れました。さらには、壮大な建築やマス集会を作って、次々に大規模なイベントを催したのです。

 ヒトラーはまさに大衆を動かす一流の実践心理学者であり、儀式で人心を操る天才でした。ナチスの式典や祭典が荘厳な演出に満ちていたことはよく知られていますが、それらはカトリックの儀式を徹底的に模倣したものでした。そして、その最大のハイライトはヒトラー自身の演説でした。神がかり的といわれたヒトラーの演説には、巧みに計算されたローテクとハイテクによる演出が織り込まれていました。演説はたいてい夕暮れから夜にかけて行われ、当時の最新テクノロジーであったマイクやサーチライトも使われました。

 満天の星空の下、無数の松明が燃えさかり、サーチライトが交錯する。ファンタスティツクな光景に加え、大楽隊の奏でる楽器の音が異様な雰囲気をかもし出し、マイクで増幅されたヒトラーの声が民衆の中の憎悪と夢を呼び起こす。熱気と興奮。恍惚と陶酔。すでに催眠状態に陥った民衆の心は、ヒトラーの発する霊的なパワーに完全に支配されてしまう。このような呪術的ともいうべき儀式の力をナチスは利用したのです。

 最後にこの映画を観終わった後、「日本人で現代にタイムスリップしてほしい人物はいないか」と考えてみました。聖徳太子、空海、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、吉田松陰、坂本龍馬・・・・・・いろいろと考えてみましたが、どうも今ひとつピンときません。あまり古い時代ではなく、数十年前ぐらいの人物のほうがリアリティがあることに気づきました。そして、わたしは「そうだ、三島由紀夫だ!」と思い至ったのです。

 そういえば、ブログ『不可能』で紹介した「三島由紀夫が、もし生きていれば」という設定の松浦寿輝氏の小説がありましたが、わたしは「ぜひ、三島由紀夫に現代日本にタイムスリップしてほしい」と切に願います。
 あれほど戦後の日本について深く憂いた彼は、現在の原発や安保や憲法改正などの問題について、一体どのように語るでしょうか。
 何よりも、今秋上梓予定の拙著『儀式論』を読んでほしいと思います。じつは、わたしは三島由紀夫に読んでもらうことをイメージしながら『儀式論』を書いたのかもしれません。ふと、そんなことを思ってしまいました。

  • 販売元:ギャガ
  • 発売日:2016/12/23
PREV
HOME
NEXT