アニメ映画「君の名は。」を観ました。
 もう非常に感動しました。ブログ「新世紀エヴェンゲリオン」に書いたように、20年前に作られた「エヴァ」に衝撃を受けたばかりですが、「君の名は。」にはさらなる衝撃を受けました。いやあ、日本のアニメ、すごすぎる!

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「『星を追う子ども』『言の葉の庭』などの新海誠が監督と脚本を務めたアニメーション。見知らぬ者同士であった田舎町で生活している少女と東京に住む少年が、奇妙な夢を通じて導かれていく姿を追う。キャラクターデザインに『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』シリーズなどの田中将賀、作画監督に『もののけ姫』などの安藤雅司、ボイスキャストに『バクマン。』などの神木隆之介、『舞妓はレディ』などの上白石萌音が名を連ねる。ファンタスティックでスケール感に満ちあふれた物語や、緻密で繊細なビジュアルにも圧倒される」

 ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「1000年に1度のすい星来訪が、1か月後に迫る日本。山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の三葉は、町長である父の選挙運動や、家系の神社の風習などに鬱屈していた。それゆえに都会への憧れを強く持っていたが、ある日彼女は自分が都会に暮らしている少年になった夢を見る。夢では東京での生活を楽しみながらも、その不思議な感覚に困惑する三葉。一方、東京在住の男子高校生・瀧も自分が田舎町に生活する少女になった夢を見る。やがて、その奇妙な夢を通じて彼らは引き合うようになっていくが・・・・・・」

 「君の名は。」は、引退した宮崎駿監督に代わって、今や日本アニメ界を代表する存在となった新海誠監督の最新作です。新海作品としては史上最大規模の301スクリーンで公開され、26日金曜日の初日を入れた最初の3日間では、動員95万9834人、興収12億7800万円と早くも大ヒットスタートを切りました。これまでも、少年と少女の恋愛をテーマにした名作を発表してきましたが、ついに「新海誠の時代が来た!」といった感じです。

 じつは、わたしが新海誠の名を知ったのは、ほんの数日前です。
 偶然、GYAO!で「星を追う子ども」を観たのです。最初の数分だけ観ようと思ったのですが、映像の美しさと物語の面白さに引き込まれて、ついつい最後まで観てしまいました。最初はてっきり、ジブリ作品かと思いました。
 おそらくは、ジブリの「天空の城ラピュタ」や「もののけ姫」などから強い影響を受けているのでしょう。『古事記』の黄泉の国神話、アガルタ地下世界伝説なども登場し、物語も興味深かったです。エンディングに流れる「ハロー・グッバイ・アンド・ハロー」という歌の中に「君のいないこの世界にハロー」という歌詞が出てきますが、まさにグリーフケアの核心だと思いました。「そうか、もう君はいないのか」から「君のいないこの世界にハロー」へ・・・まさに、グリーフケア・アニメというべき内容の素晴らしい作品でした。

 新海誠監督は1973年、長野県南佐久郡小海町生まれ。長野県野沢北高等学校を経て、中央大学文学部在籍中にアルバイトとして日本ファルコムで働き、大学卒業後の1995年に正式に入社。同社のパソコンゲームのオープニングムービーを制作しながら、自主制作アニメーション作りに励みました。1998年に「遠い世界」でeAT'98で特別賞を、2000年に「彼女と彼女の猫」でプロジェクトチームDoGA主催の第12回CGアニメコンテストでグランプリを獲得しました。現在は日本ファルコムを退社し、コミックス・ウェーブ・フィルムに所属しています。
 2002年、監督・脚本・演出・作画・美術・編集などほとんどの作業を1人で行った約25分のフルデジタルアニメーション「ほしのこえ」を発表。2004年、初の劇場長編作品となる「雲のむこう、約束の場所」を発表。2007年、連続短編アニメーション「秒速5センチメートル」を発表。
 この3作品は、いずれも主人公である少年少女の2人の心の距離と、その近づく・遠ざかる速さをテーマとしています。
 2011年、随所に宮崎駿作品へのオマージュが散りばめられた「星を追う子ども」を発表。これ以前の作品とはかなり異なる作風で、ファンタジー要素が強くアクションシーンも多いと賛否両論でした。
 そして、2013年に「言の葉の庭」を発表しました。
 わたしは「星を追う子ども」と「君の名は。」以外は未見ですが、全作品のDVDをアマゾンで注文しましたので、数日後には1人前の「新海誠ファン」になっていると思います。彼の全作品を通して、風景描写の緻密さ・美しさが特筆されていますが、これについて本人は、「雲のむこう、約束の場所」のDVD特典インタビュー映像で、「思春期の困難な時期に、風景の美しさに自分自身を救われ、励まされてきたので、そういう感覚を映画に込められたら、という気持ちはずっと一貫して持っている」と語っています。

 さて、「言の葉の庭」の3年後に公開された「君の名は。」ですが、わたしはあまり観たいとは思っていませんでした。「星を追う子ども」に感動した直後にもかかわらず、です。理由は2つあって、1つはタイトルが往年のメロドラマと一緒で、「ダサい」(この言葉は死語ですかね?)印象があったからです。もう1つは、少年と少女の心と体が入れ替わる話だと知って、大林宣彦監督の名作「転校生」そのものではないかと思ったからです。しかし、実際に観た「君の名は。」は、単なる男女入れ替え話ではありませんでした。もっともっと壮大なテーマのSF感動巨編だったのです。

 大林宣彦作品でいえば、「転校生」と「時をかける少女」をミックスしたような感じでしょうか。「時をかける少女」も主人公の芳山和子が大切な「君」の名を求める物語でした。その名前は未来人「ケン・ソゴル」でしたが、「君の名は。」の主人公である三葉にとって、その名前は「瀧」でした。
 また、大林映画は一貫して「誰そ彼」つまり「黄昏」どきに異界の住人と会うことが大きなテーマになっていますが、これも「君の名は。」に通じます。
 「転校生」の舞台は尾道で、ブログ「御袖天満宮」で紹介した神社の長い石段を一夫(尾美としのり)と一美(小林聡美)の2人が抱き合ったまま転げ落ち、そのショックで2人の中身が入れ替わってしまったのでした。ちなみに、わたしも尾道で転んで骨折したことがあります。
 「君の名は。」に登場する瀧と三葉は神社の石段で抱き合ったまま転げ落ちはしませんでしたが、この映画でも神社は重要な役割を果たしています。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、神社が異世界に通じるパワースポットであることをよく表現していると思いました。

 そもそも三葉の実家は「宮水神社」という神社であり、彼女は巫女なのです。亡くなった母は「二葉」で、祖母は「一葉」という名です。妹は「四葉」です。三葉と四葉の姉妹に対して、祖母の一葉が「むすび」について語る場面があります。一葉おばあちゃんは、「『むすび』は、神と人を結び、人と人を結び、時と時を結ぶ」と言います。宮水神社の女たちは組紐を作りますが、一葉は「組紐はつながったり、ねじれたりして、時間と同じ」とも言います。わたしは、「むすび」というキーワードが登場して、たいへん感激しました。 わが社の社名である「サンレー」には「産霊(むすび)」という意味があります。神道の言葉ですが、結婚におけるコンセプトと言ってもよいでしょう。新郎新婦という2つの「いのち」の結びつきによって、子どもという新しい「いのち」を産むということですね。「むすび」によって生まれるものこそ、「むすこ」であり、「むすめ」です。

 「むすび」という語の初出は日本最古の文献『古事記』においてです。
 冒頭の天地開闢神話には二柱の「むすび」の神々が登場します。
 八百万の神々の中でも、まず最初に天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神が登場しますが、そのうちの二柱が「むすび」の神です。『古事記』は「むすび」の神をきわめて重要視しているのです。
 大著『古事記伝』を著わした国学者の本居宣長は、「むすび」を「物の成出る」さまを言うと考えていました。

 「産霊」は「物を生成することの霊異なる神霊」を指します。
 息子や娘の「むす」も苔むす「むす」も同じ語源であり、その「むす」力を持つ「ひ」とは、「万物を生みなす不思議な霊力」、すなわち「物の成出る」はたらきをする「物を生成することの霊異なる神霊」を意味します。
 つまるところ、「産霊」とは自然の生成力をいうのです。本居宣長こそは「むすび」神学の提唱者といえますが、続いてその「むすび」思想を展開したのは、彼の没後の門人・平田篤胤でした。平田篤胤の国学は幕末の尊皇攘夷の志士たちの精神的支柱となります。さらには、民俗学者の折口信夫や、生長の家教祖の谷口雅春、世界救世教教祖の岡田茂吉などの神道系新宗教の人々が「むすび」に注目しました。

 その中でも、折口信夫が大変興味深いことを言っています。産霊の「むすび」と、結合の「むすび」と、水を掬ぶ「むすび」の関わりについてです。産霊と結合の「むすび」は、起源も信仰内容も違うが、いつしか2つは結びついた。そして、水を掬ぶ「むすび」は、元来「身体の内へ霊魂を容れる」「霊魂を結合させる」ことであり、それこそが「産霊の作法」だったというのです。霊魂を結合させること、つまり「結魂」こそ産霊の本質といってもよいでしょう。あいかわらずチャペル・ウエディングが人気ですが、やはり日本人の結婚式は、「産霊」を最上のものとする神前結婚式が望ましいと思います。神前式において、新郎の魂と新婦の魂は結びつけられ、それによって、子どもという新しい生命も誕生する。まさに命を生み出す力です。

 現在の国際情勢を見ると、戦争やテロの大きな背景には、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の一神教同士の対立があります。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道のよさは、他の宗教を認め、共存していけるところにあります。自分だけを絶対視しない。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容である。他者に対する畏敬の念を持っている。神道のこういった平和的側面は、そのまま結婚生活に最も必要なものなのです。
 結婚という人間界最高の平和と、神道という平和宗教とは基本的に相性がいいのです。いずれにしても、「むすび」とは、本来、生成力つまり、自然の万物を生み出すクリエイティブな力を表わしました。やがてその言葉が、折口信夫が言うように、結合という概念と結びつき、異質なもの同士を結び合わせる力の表現にもなっていったのです。

 「君の名は。」は、1組の男女がめぐりあうまでの壮大な、あまりにも壮大な物語です。瀧と三葉の出逢いは「奇跡」という他はありません。しかし、わたしは思うのです。結婚相手と出逢うということそのものが奇跡にほかならないと・・・・・・。そもそも縁があって結婚するわけですが、「浜の真砂」という言葉があるように、数十万、数百万人を超える結婚可能な異性のなかからたった一人と結ばれるとは、何たる縁でしょうか!

 かつて古代ギリシャの哲学者プラトンは『饗宴』において、元来が1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだという「人間球体説」を唱えました。元が1つの球であったがゆえに湧き起こる、溶け合いたい、1つになりたいという気持ちこそ、世界中の恋人たちが昔から経験してきた感情です。プラトンはこれを病気とは見なさず、正しい結婚の障害になるとも考えませんでした。
 
 人間が本当に自分にふさわしい相手をさがし、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだととらえていたのです。そういう相手がさがせないなら、あるいは間違った相手と一緒になってしまったのなら、それは私たちが何か義務を怠っているからだとプラトンはほのめかしました。そして、精力的に自分の片割れをさがし、幸運にも恵まれ、そういう相手とめぐり合えたならば、言うに言われぬ喜びが得られることをプラトンは教えてくれたのです。そして、彼のいう球体とは「魂」のメタファーであったと思います。

 また、17世紀のスウェーデンに生まれた神秘思想家スウェデンボルグは、「真の結婚は神的なものであり、聖なるものであり、純潔なものである」と述べました。天国においては、夫は心の「知性」と呼ばれる部分を代表し、妻は「意思」と呼ばれる部分を代表している。この和合はもともと人の内心に起こるもので、それが身体の低い部分に下ってくるときに知覚され、愛として感じられるのです。そして、この愛は「婚姻の愛」と呼ばれます。両性は身体的にも結ばれて1つになり、そこに1人の天使が誕生する。
 つまり、天国にあっては、夫婦は2人ではなくて1人の天使となるのです。 プラトンとスウェデンボルグをこよなく敬愛するわたしは、結婚とは男女の魂の結びつき、つまり「結魂」であると信じています。

 さらに言えば、瀧と三葉は「ソウルメイト」だったのかもしれません。
 ブライアン・L・ワイスというアメリカの精神科医がいます。彼は退行催眠によって心に傷を受けた前世の記憶を思い出すと、さまざまな病気が癒されるという「前世療法」を開発しました。ワイスは、前世の記憶をもつ患者と接するうちに、誰にでも生まれ変わるたびにめぐり会う「ソウルメイト」がいることを知ります。ソウルメイトとは、愛によって永遠に結ばれている人たち、つまり「魂の伴侶」のことです。彼らはいくつもの人生で何回もの得あいを繰り返しているとされています。

 ワイスによれば、どのようにして自分のソウルメイトを見つけ、それを認識するのか、いつ、自分の人生を根本から変えてしまう決定をするのか、ということは、わたしたちの人生において最も感動的で、重要な瞬間です。ソウルメイトである2人が互いに気づいたとき、計り知れないほどのエネルギーによって、2人の情熱はどんな火山よりも激しく噴出します。自分のソウルメイトが現れていることに、顔の表情や夢、記憶、感覚などで気づくこともあるそうです。手が触れ合ったとき、くちびるにキスした瞬間に、あなたは目覚め、あなたの魂は』躍動しはじめるかもしれません。愛する人にキスした瞬間、それは何百年前の前世の恋人のキスであり、2人は時間を超越して、ずっと一緒だということを思い出すこともあるのです。

 最後に、「君の名は。」は映画の本質というものを見事に表現した作品であると思いました。もうすぐ「一条本」の最新刊『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)が刊行されますが、その「まえがき」に映画の本質についての私見を書きました。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。

 一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。
 かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。そのことは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。

 「君の名は。」は、「時間を超える」映画です。
 そして、「死を乗り越える」映画でもあります。
 公開がもっと早ければ、わたしは『死を乗り越える映画ガイド』でぜひ取り上げたかったです。それにしても、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」の大ヒットで、日本映画が活気づいています。両作品を配給したのは東宝ですが、映画界全体に追い風が吹き始めたように感じます。映画は人類が生んだ最高の「総合芸術」です。みなさん、もっともっと映画を観ようではありませんか!

  • 出版社:KADOKAWA/メディアファクトリー
  • 発売日:2016/06/18
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