No.0258


 日本映画「湯を沸かすほどの熱い愛」を観ました。
 出張続きで疲れていて、正直「観なくてもいいかな」とも思いました。
 しかし、鑑賞して大正解でした。予想を上回る感動作だったのです。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「『紙の月』などの宮沢りえと、『愛を積むひと』などの杉咲花が母娘を演じ、余命宣告を受けた主人公の奮闘に迫る家族ドラマ。行方不明の夫を連れ戻すことをはじめ、最後の四つの願い事をかなえようと奔走するヒロインの姿を捉える。『チチを撮りに』などの中野量太が監督と脚本を担当し、物語を紡ぎ出す。母親と娘の強い絆はもとより、人生の喜怒哀楽を詰め込んだストーリーに夢中になる」

 また、「あらすじ」には以下のように書かれています。

「1年前、あるじの一浩(オダギリジョー)が家を出て行って以来銭湯・幸の湯は閉まったままだったが、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)母娘は二人で頑張ってきた。だがある日、いつも元気な双葉がパート先で急に倒れ、精密検査の結果末期ガンを告知される。気丈な彼女は残された時間を使い、生きているうちにやるべきことを着実にやり遂げようとする」

 この映画、わたしは何度も何度もハンカチを濡らしました。
もう、「人間が涙を流す感情の研究をしている心理学プロジェクトから作られた作品ではないか」と思えるぐらい、数分ことに泣かせる場面が来るのです。こんな作品は「ALWAYS 三丁目の夕日」以来ではないでしょうか。とにかく、近来稀に見る「泣き」のツボを押さえた映画でした。

 なんといっても、双葉役の宮沢りえの力強い演技に圧倒されました。 あの美少女だった彼女が、こんなに強い母親役を演じるようになるとは! また、死期が近づくにつれて、死相の浮かんだ患者役も見事でした。

 安澄役の杉崎花も良かったです。味の素の「Cook Do」のCMで回鍋肉を食べる少女の印象が強かった彼女ですが、こんなに素晴らしい女優になっていたのですね。学校でいじめに遭うシーンは観ていて辛かったですが、毎日いじめられて「学校に行きたくない」と泣き叫ぶ安澄は、双葉に背中を押されて彼女は学校に行きます。
 朝、母は「行ってらっしゃい」と娘を送り出します。そして夕方、学校で逃げずに立ち向かい、帰宅した娘に「おかえりなさい」と声をかけ、娘も「ただいま」と答える。この場面を観て、わたしは涙が止まらなくなりました。

 わたしは、人間が社会の中で生きていくうえで挨拶ほど大切なものはないと思っています。特に、家庭においては、「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」の4つが大切です。
 「行ってきます」は、当人にとっては「今日も元気にがんばろう」という決意と「今日も無事でありますように」と祈る気持ちで我が家を出発する言葉です。「行ってらっしゃい」という送り出す側の言葉は「今日も元気で」で応援する気持ちと、「車や事故に気をつけて」と安全を祈る心の表現です。
 ですから、送り出した人が元気で帰宅することが家で待つ者にとっては一番気がかりなのです。交通事故の他にも、災害、犯罪、学校でのいじめなど、日常的に心身の危険にさらされている今日では、元気な「ただいま」の一言で、家族は安心するのです。そして、「お帰りなさい」の一言で、帰ってきた者もまたホッとし、外での苦しいこと、辛いことも癒されるのです。

 この映画の大きなテーマに「母と娘」がありました。
 実の母、育ての母・・・・・・5組もの母娘のドラマが交差します。
 ブログ「そして父になる」ブログ「海よりもまだ深く」で紹介した是枝裕和監督の映画はどれも「父親とは何か」を問う内容でしたが、「湯を沸かすほどの熱い愛」は「母親とは何か」を問う作品でした。

 父親といえば、オダギリジョー扮する一浩はとんでもない「ダメ親父」でした。ブログ「海よりもまだ深く」で紹介した映画での阿部寛といい、ブログ「永い言い訳」で紹介した映画での本木雅弘といい、日本を代表するような中年イケメン男優が「ダメ男」を演じるのがトレンドなのでしょうか?
  でも、一浩はダメ男ではあるのですが、人間は悪くなくて、お人良しのところもあり、女性には大変モテるのでした。困ったものですね。

 ブログ「バースデーカード」で紹介した映画のように、「湯を沸かすほどの熱い愛」は死期の迫った女性が「死ぬまでにやるべきことは何か」を真剣に考え、行動に移すという終活映画、いや人生を修める「修活映画」です。最近の日本映画は、主要な登場人物がじつは死期が迫っていたというものが非常に多くなってきました。予告編を見ると、「彼には秘密があった」「彼女には秘密があった」というナレーションが頻出します。もちろん、秘密とは末期がんであり、不治の病です。

 11月5日からは「ボクの妻と結婚してください。」が公開されますが、この映画で織田裕二が演じる主人公にも「秘密」がありました。 こんなに次から次に末期がん患者が登場するのは、やはり時代を反映しているのでしょう。でも、あまりにも「死」をテーマにした映画ばかり作られてしまうと、インフレーションを起こしてしまい、このジャンルの作品がすべて安手のメロドラマと化す危険もあると思います。

 「湯を沸かすほどの熱い愛」は、安手のメロドラマなどではなく、生きる人々を励ますエールのような作品でした。最後に葬儀のシーンが登場するのですが、興信所を営む父親が幼い娘に「人が死んだら、お葬式をするんだよ。そして、お別れをするんだ」と語りかけ、「死んだ人とはもう会えないんだよ」と言います。わたしは、この場面を観て、子どもに「命」や「死」の意味を教える機会として、葬儀は最適であると思いました。ただ、わたしなら「もう会えないんだよ」ではなく、「また会えるから」と言いますが・・・・・・。

 この映画、突っ込みどころはたくさんありました。 無粋を承知で言えば、末期がんの患者が長距離ドライブで運転するのはありえないですし、ラストシーンの葬法も法的には完全にアウトです。しかし、そんな些細な(?)ことには目をつぶって、大いに感動できて、思い切り泣ける名作です。おススメです。もちろん、死を乗り越える映画です。『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)の続編では、ぜひ紹介したいです!

  • 販売元:TCエンタテインメント
  • 発売日:2017/04/26
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