29日土曜日の夜、ブログ「大人のハロウィン」で紹介したイベントに参加、女優の秋吉久美子さんにお会いして著書を直接お渡ししました。それから、オールナイト上映会のオープニングトークを飾った秋吉さんのお話を聴いた後、秋吉さんの代表作の1つである「異人たちとの夏」を観ました。わたしはこの映画が大好きで、これまでに何度観たかわからないぐらいです。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「妻とも別れ、孤独な毎日を送っていた風間杜夫扮する主人公が、死んだ両親(現在の自分とほぼ同年輩の姿)と再会する。同時にある女性と親しくなるが、両親との邂逅を繰り返すたび、主人公の身体はなぜか衰弱していく。人間と幽霊の間の愛と情念とを情感豊かに描き込んだ佳作。派手な特撮ではないが、幽霊のシーンに効果的に合成が使用されている」

 原作は、山田太一氏の小説です。妻子と別れた人気シナリオライターが体験した、既に亡くなったはずの彼の家族、そして妖しげな年若い恋人との奇妙なふれあいが描かれた幻想小説の傑作です。新潮社によって設立された山本周五郎賞の第1回受賞作品となりました。「小説新潮」1987年1月号に発表され、同年12月に新潮社より上梓。翌1988年には映画化され、松竹系で公開されています。この映画化の早さを見ると、最初から新潮社と松竹が連動したプロジェクトだったようにも思えます。1991年11月に新潮文庫に収録され、解説を田辺聖子氏が担当しました。

 原作者の山田氏も人気シナリオライターであることから、風間杜夫扮する主人公のモデルは山田氏自身ではないかと思われますが、映画版の脚本は市川森一氏が担当しました。Wikipedia「異人たちとの夏」の「あらすじ(映画)」には、以下のように書かれています。

「壮年の人気シナリオライターの原田は妻子と別れ、マンションに一人暮らし。ある晩、若いケイという女性が飲みかけのシャンパンを手に部屋を訪ねてきた。「飲みきれないから」という同じマンションの住人である彼女を冷たく追い返す。数日後、原田は幼い頃に住んでいた浅草で、彼が12歳のときに交通事故死した両親に出会う。原田は早くに死に別れた両親が懐かしく、少年だった頃のように両親の元へ通い出す。『ランニングになりな』とか『言ってる先からこぼして』などという言葉に甘える。
 ケイにも原田は出会う。チーズ占いで木炭の灰をまぶしたヤギのチーズを選ぶと、『傲慢な性格』だといわれる。不思議な女性だと感じながら彼女と愛し合うようになる。父とキャッチボールをしたり、母手作りのアイスクリームを食べたり、徐々に素直さを取り戻して行く。両親を失ってから一度も泣いたことはなく、強がって生きてきたのだった。
 しかし二つの出会いと共に、原田の身体はみるみる衰弱していく。ケイもまたあの日にチーズナイフで自殺していたのだった。『たとえ妖怪、バケモノでもかまわない。あの楽しさ、嬉しさは忘れられない』というが、別れの時がくる。最後は浅草の今半別館ですき焼きを食べることになるが、『たくさん食べてよ』というのに両親は微笑むだけ」

 小倉昭和館の1号館のスクリーンで久々に鑑賞しましたが、何度観ても幻想的な世界に引き込まれてしまいます。主人公が地下鉄新橋駅の工事現場からミステリーゾーンに入ってゆき、世にも奇妙な物語が展開されます。地下鉄の駅というのは人間の身心を変容させる洞窟的空間であり、死者の世界へ通じる黄泉比良坂(よもつひらさか)なのだと改めて思いました。 主人公は、地下鉄銀座線で新橋から浅草に向かいます。

 この浅草の描き方がなんとも幻想的で、素晴らしいのです。
  仲見世、浅草寺、花やしき・・・すべて、いい感じです。
 そして、ぶらりと入った寄席の魔術の出し物のとき、主人公は28年前に死別した父親を見つけるのです。寄席という非日常的空間、さらに魔術という異界の扉を開く芸が登場すると、まるで次元が歪んだようで、これならいくら死者が蘇えったって不思議ではないという気がしてきます。

 主人公の父親は、江戸前寿司の職人でした。
 片岡鶴太郎の江戸弁を大林宣彦監督が気に入り抜擢したそうですが、原作者の山田氏が「あんな太ったヤツの寿司は食えない」と反対したとか。それを聞いた片岡は必死のトレーニングをして減量し撮影に間に合わせたというエピソードが残っています。大林監督は父親役にエノケンをイメージし、主題曲はエノケンの浅草オペラから「リオ・リタ」を起用しています。

 「異人たちとの夏」の中の音楽といえば、プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」の中のアリア「私のお父様」も効果的に使われていました。名取裕子が演じるケイの謎めいたイメージとよく合っていました。大林映画には珍しく、このケイと主人公の大胆なベッドシーンも登場します。じつは、最初はケイの役は秋吉久美子さんが演じる予定だったそうです。秋吉さんもオープニングトークでこのことを話されていました。

 公開からもう30年近く経過している作品なので、もうネタバレしても怒られないと思いますが、ケイはこの世の者ではありませんでした。つまり幽霊だったのです。主人公は幽霊の女と恋に落ち、セックスをしたのでした。これは、「牡丹灯籠」と同じです。「怪談牡丹灯籠」は、三遊亭圓朝による落語の怪談噺です。江戸時代末期の浅井了意による怪奇物語集『御伽婢子』、深川の米問屋に伝わる怪談、牛込の旗本家で聞いた実話などに着想を得て、圓朝が創作したのです。その速記本が1884年(明治17年)に刊行されています。圓朝没後は、四代目橘家圓喬・五代目三遊亭圓生・六代目三遊亭圓生・五代目古今亭志ん生・初代林家彦六など歴代の大真打が得意としました。明治24年(1892年)7月には、三代目河竹新七により「怪異談牡丹灯籠」として歌舞伎化され、五代目尾上菊五郎主演で歌舞伎座で上演されて大盛況でした。

 「異人たちとの夏」でのケイはひたすら哀しい存在でしたが、最後は怨霊そのもののホラー的な描き方をされました。ケイが宙に浮き形相が変わるシーンでは、500万円を費やしてハイビジョンが使用されたそうですが、果たして、そんなことをする必要があったでしょうか?
 わたしは、「異人たちとの夏」を初めて観たときから、ケイの正体が暴かれるシーンには強い違和感をおぼえました。「過剰演出」は大林監督の悪い癖ですね。もっとケイの最期ははかなく、哀しく描いてほしかった。

 「異人たちとの夏」では、鏡が効果的に使われていました。
  鏡の起源は人類と同じほど古いとされています。最古の鑑は、水面に姿が映る「水鏡」に遡ります。鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩です。鏡によって、人類は自分自身を客観的に見る手段を初めて得たわけですが、「異人たちとの夏」の主人公が鏡に映した自分の姿は、悪霊にとり憑かれた異形の姿でした。

 古代から日本人は鏡を神聖なものとしていました。それは、天孫降臨で天照大神が「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」(この鏡を私だと思って大切にしなさい)との神勅を出していることからもわかります。神道や皇室では、三種の神器のひとつが「八咫鏡」であり、神社では神体として鏡を奉っているものが多数存在します。また、キリスト教を禁止した江戸時代では、「隠れ切支丹鏡という魔鏡が作られました。

 鏡には霊力があると考えられていたわけですが、それゆえに事物の真の姿を映し出すとされました。地獄の支配者である閻魔大王は「浄玻璃鏡」という鏡を持っており、彼の前に引き出された人間の罪業を暴き出すといいます。しかし、「異人たちとの夏」で鏡に映った異形の主人公の隣りには、美しいケイの姿が映っていましたが、あれはどうしてでしょうか?  わたしは、今更ながらに不思議に思いました。

 主人公が両親の幽霊との別れる名シーンは何度観ても泣けます。
とくに、秋吉久美子さん演じる母親が、主人公に向かって「おまえのことを大事に思っているよ」「おまえのことを自慢に思っているよ」と優しく語りかけるシーンはたまりませんね。消えゆく両親に向かって、最後に主人公が「ありがとうございました!」と頭を下げるシーンに感動しない人はいないのではないでしょうか。

 さて、幽霊が登場する映画といえば、一般的に「ホラー映画」とされます。 秋吉さんにもプレゼントした拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)の中には「ホラー映画について」というコラムが収録されています。何を隠そう、わたしは三度の飯よりも、ホラー映画が好きです。あらゆるジャンルのホラー映画のDVDやVHSをコレクションしていますが、特に心霊系のホラーを好みます。冠婚葬祭業の経営者が心霊ホラー好きなどというと、あらぬ誤解を受けるのではないかと心配した時期もありました。今では、「死者との交流」というフレームの中で葬儀と同根のテーマだと思っています。

 「葬儀」と「幽霊」といえば、わたしは『唯葬論』(三五館)の「幽霊論」において、「葬儀」と「幽霊」は基本的に相容れないと述べました。葬儀とは故人の霊魂を成仏させるために行う儀式です。葬儀によって、故人は一人前の「死者」となるのです。幽霊は死者ではありません。死者になり損ねた境界的存在です。つまり、葬儀の失敗から幽霊は誕生するわけです。

 ならば、「葬儀」と「幽霊」という二つのテーマは永遠に平行線をたどり、絶対に相容れないのでしょうか。ヘーゲルの弁証法ではありませんが、わたしは「葬儀」という正、「幽霊」という反をアウフヘーベンして合を生み出す方法を思いつきました。それは、葬儀において人為的に幽霊を出現させるのです。 わたしは、「幽霊は実在するのか、しないのか」といった二元的な議論よりも、「なぜ、人間は幽霊を見るのか」とか「幽霊とは何か」といったテーマに関心があります。そして、あえて誤解を怖れずに言うならば、今後の葬儀演出を考えた場合、「幽霊づくり」というテーマが立ち上がります。

 もっとも、その「幽霊」とは恐怖の対象ではありません。あくまでも、それは愛慕の対象でなければなりません。生者にとって優しく、愛しく、なつかしい幽霊、いわば「優霊」です。
 ブログ『怪談文芸ハンドブック』で紹介した本で、著者の東雅夫氏は欧米の怪奇小説における「gentle ghost」というコンセプトを紹介しています。
「『gentle ghost』とは、生者に祟ったり、むやみに脅かしたりする怨霊の類とは異なり、絶ちがたい未練や執着のあまり現世に留まっている心優しい幽霊といった意味合いの言葉で、日本とならぶ幽霊譚の本場英国では、古くから『ジェントル・ゴースト・ストーリー』と呼ばれる一分野を成しています。私はこれに『優霊物語』という訳語を充ててみたことがありますが、あまり流行らなかったようです・・・・・」

 このジェントル・ゴースト・ストーリーは、英米だけでなく、日本にも見られる文芸ジャンルである。古くは『雨月物語』の「浅茅が宿」から、近くはや浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』『あやし うらめし あな かなし』『降霊会の夜』、さらには荻原浩の『押入れのちよ』、映画化された岡田貴也の『想いのこし』、加納朋子の『ささら さや』(映画名は「トワイライト ささらさや」)なども典型的なジェントル・ゴースト・ストーリーであると言えるでしょう。そして、日本を代表するジェントル・ゴースト・ストーリーこそ、山田太一が書いた小説『異人たちとの夏』であり、大林宣彦が監督した「異人たちとの夏」であることは言うまでもありません。

 「異人たちとの夏」は8月の物語でした。
 8月というのは、日本人が死者を思い出す季節です。というのも、6日の広島原爆記念日、9日の長崎原爆記念日、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、そして15日の終戦記念日というふうに、3日置きに日本人にとって意味のある日が訪れるからです。そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期と重なります。

 一年に一度だけ、亡くなった先祖たちの霊が子孫の家に戻ってくるのが「お盆」です。日本人は、古来、先祖の霊に守られることによって初めて幸福な生活を送ることができると考えていました。その先祖に対する感謝の気持ちが供養という形で表わされたものが「お盆」なのです。
 一年に一度帰ってくるという先祖を迎えるために「迎え火」を燃やし、各家庭にある仏壇でおもてなしをしてから、再び「送り火」によってあの世に帰っていただこうという風習は、現在でも盛んです。
 「異人たちの夏」のラストシーンで、主人公が両親が使った箸を燃やして合掌したのは、まさに彼にとっての「送り火」でした。

  • 販売元:SHOCHIKU Co.,Ltd.(SH)(D)
  • 発売日:2012/01/25
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