No.0256


 丸の内TOEIで日本映画「バースデーカード」を観ました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「他界した母から娘に毎年届くバースデーカードを通して母娘の深い絆を描く人間ドラマ。カードに託された母のメッセージを受け止め、人生を切り拓いていく主人公に、『リトル・フォレスト』シリーズなどの橋本愛がふんし、少女から大人の女性へと成長していく心の機微を表現する。成長を見届けることができない子供たちへ手紙を書き残す母を宮崎あおいが演じるほか、父役でユースケ・サンタマリア、弟役で須賀健太が共演。『旅立ちの島唄 ~十五の春~』などの吉田康弘がメガホンを取る」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「紀子が10歳のとき、自身の余命を悟った母・芳恵(宮崎あおい)は子供たちが20歳になるまで毎年手紙を送る約束をして亡くなる。生前の約束通り彼女のもとに届く母からのバースデーカードには、人生を輝かせるヒントなど内気な娘を思う母の愛情があふれていた。やがて紀子(橋本愛)が20歳を迎えた最後の手紙には、10年前に彼女が投げかけた質問への返事が記されており・・・・・・」

 「バースデーカード」を観て、わたしはブログ「ポプラの秋」やブログ「はなちゃんのみそ汁」で紹介した日本映画を連想しました。「ポプラの秋」は、湯本香樹実の小説を実写化したヒューマンドラマで、父を亡くした少女が、天国に手紙を送り届けるという老人と織り成す交流をつづっていきます。いわば「天国への手紙」をテーマとした映画ですが、「バースデーカード」は反対に「天国からの手紙」をテーマとしています。大いなる死の文明を誇った古代エジプトでは、死者との文通という習慣があったそうですが、異なる世界に属する者同士のコミュニケーションは深い感動を呼びます。

 それから、「はなちゃんのみそ汁」は、末期がんの女性が家族との日々をつづったブログを基にしたエッセイの映画化で、33歳の若さでこの世を去った母が5歳の娘に味噌汁のレシピを残していく実話です。「この世」と「あの世」に隔てられた母と娘の心の交流を描いている点が「バースデーカード」と共通しています。「はなちゃんのみそ汁」に描かれた味噌汁作りの伝授のシーンを観て、わたしは「これは孝だ!」と思いました。そして、そこに儒教の真髄を見ました。「孝」の精神は「バースデーカード」にも流れています。

 孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行氏によれば、祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することであり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。つまり、人は死ななくなるわけです!

 加地氏によれば、「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなくて、文字通り「遺した体」であるといいます。
 つまり本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子なのです。親から子へ、先祖から子孫へ・・・・・・孝というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な生命の連続ということなのです。
  また、陽明学者の安岡正篤は、連続や統一を表わす文字こそ「孝」であると明言しました。老、すなわち先輩・長者と、子、すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続して1つに結ぶのです。そこから孝という字ができ上がりました。そうして先輩・長者の一番代表的なものは親ですから、親子の連続・統一を表わすことに主として用いられるようになったのです。「はなちゃんのみそ汁」で、死にゆく母がわが子に味噌汁作りを伝授したり、「バースデーカード」でやはり死にゆく母がわが子に手紙を書き遺すという行為の背景にはこのような思想があるのですはないでしょうか。

 「バースデーカード」で、宮崎あおい演じる母・芳恵は、自身の余命を悟り、娘の「お母さんの人生は希望通りだったの?」という問いに対して、「思い通りの人生ではなかったけど、あなたという子どもを得られて幸せだったよ」と10年後の手紙(バースデーカード)で答えます。
 観客の涙を誘う切ないシーンですが、「孝」という思想を知れば、「子」という遺体があれば、人は「死」を乗り越えられるのです。「太陽と死は直視できない」と述べたのはフランスの箴言家ラ・ロシュフーコーですが、サングラスをかければ太陽を直視できます。そして、「子」という生命のサングラスによって人は「死」をも直視できるように思います。

 「ならば、子どものいない人は死を乗り越えられないのか」という声が聞こえてきそうですが、必ずしもそうではありません。人は、その事業や仕事によっても死を乗り越えることができるでしょう。芸術家ならば作品によって、ボランティア活動家ならば奉仕によって、それが可能になると思います。しかし、やはり、子どもを持つことが「死」を超える最大の方法であることは間違いありません。なにしろ、遺体があれば「人は死なない」のですから!

 そして、子を持つためには、結婚をするという大前提があります。
 「バースデーカード」のラストに登場する結婚式のシーンは非常に感動的で、2人の娘を持つわたしもハンカチを濡らしました。
 ユースケ・サンタマリア演じる父と腕を組んで教会のバージンロードを歩く橋本愛演じる紀子は多くの人々から祝福され、その中には紀子の弟が抱いた亡き母の遺影もありました。わたしはこのシーンを観て、「結婚は祝福されなければならない」と今更ながらに思いました。
 そういえば、渡部昇一先生が最新刊『実践・快老生活』(PHP新書)で「ささやかな披露宴もできないような結婚をしてはいけない」とした上で、かつて、そのような男女の結びつきを「野合」と呼ばれていたと述べておられます。

 死にゆく母が未来の娘を想像したとき、思い浮かんだ姿は花嫁姿でした。
 それは、彼女の脳が未来にタイムトラベルしたに等しいと思いました。この映画には、タイムカプセルが出てきますが、じつは手紙だってタイムカプセルです。そして、イギリスの作家コリン・ウィルソンが「大脳タイムマシン」という説を唱えましたが、人間の脳はまさにタイムマシンです。
 日本が世界に誇るSFコミック『ドラえもん』には、ドラえもんとのび太がタイムマシンに乗って時間の流れの中を行く場面がよく登場します。 彼らはどこか特定の時点を目的地とし、その時代にタイムトラベルするわけですが、自分ならどの時間を目指すか?
 例えば、わたしが車を運転していて人身事故を起こしたような場合は、確実に事故が起こる前の時点に帰りたいと思うでしょう。つまり、流れゆく時間の中でタイムトラベルの目的地とされるのは「事故」の直前といったケースが多いように思います。

 「事故」というのは出来事です。それもマイナスの出来事です。
 そして、流ゆく時間の中には、プラスの出来事もあります。
 その最大のものが結婚式ではないでしょうか?
 考えてみれば、多くの人が動画として残したいと願う人生の場面の最たるものは結婚式および結婚披露宴ではないかと思います。
 なぜなら、それが「人生最高の良き日」だからです。結婚式以外にも、初宮参り、七五三、成人式などは動画に残されます。
 それらの人生儀礼も、結婚式と同じくプラスの出来事だからです。
 わたしがタイムトラベラーだとしたら、プラスの出来事かマイナスの出来事か、どちからを必ず目指すのではないかと思います。

 それはあくまでも「過去」の話ですが、「未来」も同じです。自分の死後にわが子のどんな姿を見たいかと想像した場合、やはり結婚式でみんなから祝福されている場面ではないでしょうか。わが子の結婚式には親の願いや希望が込められています。紀子が嫁ぐ日に渡された最後のカードには、「周囲のみなさんに感謝の心を忘れないでね」という亡き母からのメッセージが綴られていました。そう、結婚とは若い二人だけの愛情だけでなく、これまでお世話になった多くの人々への感謝の気持ちを思い起こし、それを「かたち」として示す最大の機会なのです。渡部先生の述べられた「ささやかな披露宴もできないような結婚をしてはいけない」という名言は「周囲の人々への感謝を忘れてはならない」ということでもあるのです。

 そして、この映画は、なんといってもバースデー、誕生日の物語でした。
 わたしは、他人のお祝いをするのは仕事柄もあって得意というか大好きですが、自分が祝われることは正直いって苦手です。
 でも、誕生日というものには深い意味があると思っています。
 まず、「祝う」という営みには人類の良き秘密が隠されています。
 わたしは、「祝う」という営み、特に他人に関することを祝うということが人類にとって非常に重要なものであると考えているのです。なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからです。それは、他人の「悲しみ」や「苦しみ」に対して共感するボランティアと対極に位置します。しかし、じつは両者とも他人の心に共感するという点では同じです。

 「他人の不幸は蜜の味」などと言われます。たしかに、そういった部分が人間の心に潜んでいることは否定できません。でも、だからといって居直り、それを露骨に表現しはじめたら、人間終わりです。
 他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きではないでしょうか。わたしは思うのですが、人生とは一本の鉄道線路のようなもので、山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅があるのではないでしょうか。
 「ステーション」という英語の語源は「シーズン」から来ていると聞いたことがあります。季節というのは流れゆく時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路にたとえれば、まさに駅はさまざまな季節ということになります。そして、儀式を意味する「セレモニー」も「シーズン」に通じます。

 初宮参り、七五三、成人式、長寿祝いといった通過儀礼とは人生の季節であり、人生の駅なのです。それも、20歳の成人式や60歳の還暦などは、セントラル・ステーションのような大きな駅だと言えるでしょう。各種の通過儀礼は、特急や急行の停車する駅です。
 では、各駅停車で停まるような駅とは何か。わたしは、誕生日がそれに当たると思います。老若男女を問わず、誰にでも毎年訪れる誕生日。この誕生日を祝うことは、その人の存在そのものを肯定すること、存在価値を認めることにほかなりません。それは、まさに「人間尊重」そのものの行為です。

 わが社では、毎月の社内報に全社員の誕生日情報を掲載し、「おめでとう」の声をかけ合うように呼びかけています。誕生日当日には、わたしが社員のみなさんにバースデーカードを書いて、プレゼントを添えてお渡ししています。今後とも、冠婚葬祭とあわせて誕生日という文化を盛り上げていきたいと思っています。そして古代の日本では「祝」も「葬」も同じく「ハブリ」と呼ばれたように、人生の卒業祝い、あの世への引越し祝いとしての、めでたい葬儀を提案していきたいと思います。

 葬儀といえば、「バースデーカード」には葬儀のシーンが登場しませんでした。宮崎あおい演じる芳恵の入院生活は描かれましたが、それから、彼女の死後から数年が経過した家族の光景に一転しました。まるで何事もなかったかのように彼女がこの世を去ったようで、このあたりはちょっと不満でした。彼女の葬儀の場面をしっかり描いていれば、結婚式のシーンと併せて、素晴らしい冠婚葬祭映画となったと思います。この点は残念でしたね。でも、クイズ番組の「アタック25」を舞台に使ったのはヒットでした。なつかしい児玉清の姿も感涙モノでしたが、わたしが大好きな谷原章介が登場したのは嬉しかったです!

 22日に公開された「バースデーカード」は「死」をテーマとした映画です。 ブログ「永い言い訳」で紹介した映画が14日に公開されましたが、これも「死」がテーマでした。29日に公開される「湯を沸かすほどの熱い愛」も、11月5日公開の「ボクの妻と結婚してください。」も同様で、この2本の予告編を見ると、「バースデーカード」との共通点が多そうですね。

 それにしても、なんと「死」を扱った映画の多いことでしょうか!
 ブログ「映画本に反響続々!」で紹介した「未来医師イナバ」こと東大病院の稲葉俊郎先生も、ご自身のブログで「よく考えてみると人は、ほぼ例外なく『死』のシーンでは感動します。『死』というのは、生命を支える場所と深い関係があるのだと思います」「『死を乗り越える映画ガイド』を読んでいて、こんなにも映画で『死』や『葬』を取り上げたものが多いのか! ということにも改めて驚きましたし、冠婚葬祭という実務をされている人だからこその視点から読み解かれる文章にうんうんとうなりました」と書かれていました。 『死を乗り越える映画ガイド』といえば、素晴らしいレビューがネットに公開されました。「踊る猫」さん、ありがとうございます!

 「バースデーカード」のエンドロールには、木村カエラの「向日葵」が流れました。心に沁みるハートフル・ソングでした。
 最後に、本日10月25日は次女の誕生日です。17歳、おめでとう! 今年は、東京からバースデーカードを送るからね!

  • 販売元:KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日:2017/03/24
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