映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」を観ました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「『英国王のスピーチ』などのコリン・ファースと、『コールド マウンテン』などのジュード・ロウが共演を果たした人間ドラマ。A・スコット・バーグの原作を基に、実在の名編集者と若くして生涯を終えた天才作家の短期間だが濃密な友情を映す。作家を支える愛人を、『めぐりあう時間たち』などのニコール・キッドマンが好演。親子のような深い絆で結ばれた、編集者と作家の魂の交流によって生み出された数々の傑作の存在に圧倒される」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「1920年代のニューヨーク。敏腕編集者パーキンズ(コリン・ファース)は、F・スコット・フィッツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイらの名著を世に送り出してきた。あるとき、彼は偶然手にした無名の作家トマス・ウルフ(ジュード・ロウ)の原稿を読んでいち早くその才能に気付く。パーキンズはウルフの陰になり日向になり支え続け・・・・・・」

 「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」は、出版をテーマにしているだけあって、文学的な香りのする素晴らしい作品でした。少なくとも、わたしにとっては大きな示唆を与えてくれる作品でした。コリン・ファース、ジュード・ロウ、ニコール・キッドマンの演技力も光っており、「英国王のスピーチ」、「コールド マウンテン」、「めぐあう時間たち」といった彼らの代表作の名シーンも思い出しました。そういえば、「めぐあう時間たち」はトマス・ウルフならぬヴァージニア・ウルフについての物語でしたね。

 「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」は、タイトルの通り、マックスウェル(マックス)・パーキンズという編集者が主人公です。
 Wikipedia「Maxwell Perkins」の「Career」を参考にしながら、その経歴を辿ります。彼は「ニューヨークタイムズ」の記者として働いた後、1910年にC・スクリブナーのソンスの出版社に入社します。当時、スクリブナー社は、ジョン・ゴールズワージー、ヘンリー・ジェームス、イーディス・ウォートンといった著名な作家の本を出版することで知られていました。しかし、パーキンズはこれらの巨匠たちよりもより若い作家を発見したいと思いました。

 多くの編集者とは異なり、パーキンズは有望な新しい作家を積極的に発掘しました。F・スコット・フィッツジェラルドもその1人です。2人が出会ったのは1919年でしたが、パーキンズ以外のスクリブナー社の誰もフィッツジェラルドを認めませんでした。フィッツジェラルドの最初の小説の仮題は『ロマンチックな自己中心主義者』といいましたが、パーキンズはフィッツジェラルドとともに原稿を修正し、1920年に『楽園の向こう側』として出版しました。

 『楽園の向こう側』は新しい文学を求めていた人々に熱狂的に受け入れられ、フィッツジェラルドは一躍、時代の寵児となります。しかし、フィッツジェラルドの浪費癖とアルコール中毒が、パーキンズにとって重圧となります。それでも、パーキンズはフィッツジェラルドに傑作『華麗なるギャツビー』を書かせ、1925年に出版しました。パーキンズは、フィッツジェラルドにとって単なる編集者ではなく、彼の短い人生の最後まで良き友人でした。

 パーキンズは、アメリカを代表する文豪アーネスト・ヘミングウェイの編集者でもありました。1926年、ヘミングウェイの最初の主要な小説『陽はまた昇る』を発表。スクリブナー社内ではヘミングウェイに対して批判的な見方の者も多かったようですが、パーキンズは29年にヘミングウェイに『武器よさらば』を書かせ、ベストセラーの1位に輝きました。次々と商業的成功を収め続けるパーキンズの編集方針に文句をつける者はいなくなりました。

 そして、パーキンズが取り組んだ最も大きな難問が、トマス・ウルフでした。
 多くの作家と違い、ウルフの身体からは言葉が溢れるように出てきました。彼は、いくらでも書くことができたのです。しかし、彼の小説はあまりにも長すぎたのです。パーキンズは「もっと作品を短くしなければならない」と言い、1929年に出版されたウルフの処女作『天使よ、故郷を見よ』から90000語を削除するように指示します。続く『時と川』(1935年)も大ヒットし、ウルフは押しも押されぬ売れっ子作家となりました。

 ウルフは自分の才能を見出してくれたパーキンズに感謝しますが、つねに削除を要求することには不満を抱き、「この世には大作だってあるじゃないか」「君はトルストイの『戦争と平和』も削除するのか」と言い放ちます。結局、ウルフはパーキンズのもとを去り、他の出版社から著書を出そうとしますが、脳腫瘍のために1938年に37歳の若さで世を去ります。死の直前に、ウルフはパーキンズに手紙を書き、「最も親しい友人」と呼びました。そして、パーキンズは若死にしたウルフの遺著管理者となったのです。

 「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」では、パーキンズを演じるコリン・ファースはずっと帽子をかぶったままでした。レストランでもバーでもオフィスでも自宅でも、けっして帽子を取ろうとしません。わたしは、「もしかして、彼はハゲか?」と思いましたが、そうではありませんでした。映画の最後、死の直前のウルフから送られた手紙を読んでいるとき、思わず彼は帽子を取ります。そして、涙を拭います。このラストシーンにはジーンときました。

 パーキンズの編集ぶりも興味深かったです。彼はとにかくウルフの文章を削除するのですが、これはわたしにも思い当たるところが多々あり、身につまされました。日々の両ブログを読んでいただいている方なら、おわかりかと思いますが、わたしは時間さえあればいくらでも文章が書ける人間です。自分でも書き過ぎだということはよくわかっているのですが、書き始めたらもう止まりません。大袈裟でなく、言葉がどんどん溢れてくるのです。

 その文章を編集者から削除されたら、正直あまり良い気はしません。
 「せっかく書いたのに勿体ない!」と思います。でも、本というのは作家が書いたものをそのまま使用しては絶対に傑作など生まれません。庭木や盆栽のように剪定が必要であり、その作業をする人こそが「編集者」なのです。 わたしの著書の中では長めの作品である合計344ページの『唯葬論~なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)は、担当編集者である中野長武さんから100ページ以上削られたのではないでしょうか。

 次回作である『儀式論』(弘文堂)は合計600ページもあります。
 わたしの著作の中は、これまでで最大のページ数です。それを知った人たちから「一条さん、ついにリミッターを外して書いたのですね」などと言われますが、そんなことはありません。同書の編集者である外山千尋さんから、かなりの文章を削除されました。削除なしのオリジナル版なら800ページ近くになったかもしれません。でも、600ページに圧縮された『儀式論』は格段に内容が良くなったと思います。そして、わたしの著書から、次第に外山さんとの合作に近づいていったのです。

 「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」では、とにかく大量の文章を書きまくるウルフの文章を、パーキンズが編集の過程で大幅に削除します。その結果、『天使よ、故郷を見よ』も『時と川』もベストセラーになったのでした。そんなパーキンズにウルフは感謝の言葉を述べますが、それをパーキンズは素直に喜びません。パーキンズは「いつだって、これで良いのか、間違っていないかという葛藤がある」とカミングアウトします。また、「作品の改良ではなく、まったく別の作品に作り変えているのではないかという不安がつきまとうんだ」と言うのです。これは、あらゆる編集者が思っていることかもしれないと思いました。その意味でも、パーキンズこそは「編集」という営みをアートにまで高めた最初の人物だったのかもしれません。

 また、パーキンズは、礼儀正しさと心遣いの人でした。
  妻のゼルダが精神を患い、自身もまったく書けなくなって作家としての自信を失っていたフィッツジェラルドがパーキンズの自宅を訪れていたとき、酔っ払ったウルフが乱入します。売れっ子になって天狗となっていたウルフはフィッツジェラルドとゼルダに失礼な言葉を次々に投げかけます。
 パーキンズは傍若無人なウルフを家の外につまみ出し、「君ほど残酷な人間はいない」「他人の気持ちを想像できないのか」と叱ります。最後は「ベストセラーを書く人間だけが偉いと思ったら大間違いだ。世の中には、家族を大切にし、それを守るために一生懸命に生きている偉大な人々がたくさんいるんだ!」と言うのでした。

 ウルフは社会性がなく、非常識な人間でしたが、彼をずっと支えてきた愛人も同様でした。ニコール・キッドマンが演じた彼女は、夫も2人の子どももいますが、舞台衣装の仕事をしながらウルフと交際しています。演劇界の人間である彼女は独占欲が強く、エキセントリックです。ウルフに殴りかかったり、薬を飲んで自死を図ったり、果ては自分とウルフの恋路を邪魔していると邪推してパーキンズに銃を向けたりします。

 そんな彼女に対して、パーキンズの妻は「大人になりなさい」「家庭にお帰りなさい」と諭します。このウルフの愛人、わたしの一番嫌いなタイプの女でした。トランプがヒラリーに対して言った「嫌な女」という感じです。わたしはニコール・キッドマンの大ファンなのですが、この映画のニコールを美しいとはまったく思いませんでしたね。はい。

 一般的に、演劇人や作家には非常識な人間が多いのは事実です。そのことを、わたしも経験上知っています。彼らは「感受性」とやらは豊富に持っているのかもしれませんが、結局は「教養」というものがないのでしょう。
 真の教養とは、他者への思いやりや礼儀正しさですから・・・・・・。
 教養といえば、わたしは「死生観は究極の教養である」と考えています。 その意味では、ウルフは死生観を持っていたように思います。というのも、フィッツジェラルドの自宅をウルフが訪ねるシーンが出てきます。パーキンズ宅での非礼を詫びに訪れたのです。

 フィッツジェラルドは、家の中にウルフを招き入れます。そこで作家同士の会話が展開されるのですが、ウルフは「死後の評価が気にならないか」とフィッツジェラルドに問います。それに対して、フィッツジェラルドは「そんなことを考えたことはない。今どうやって書くか、それだけを考えている」と答えます。それを聞いたウルフは、「それはいけない。作家は死後の評価を考えるべきだ」と言うのでした。このシーン、物書きの端くれであるわたしは非常に感動しました。もちろん、わたしはウルフと同意見です。

 この映画は「編集者」の物語ですが、わたしの周囲にも優秀な編集者たちがたくさんいます。20日は2人の編集者と会いました。じつは最近、ネットでわたしのことを「量産作家」と書いてある記事を見つけました。自分では量産しているつもりなどまったくなく、「天下布礼」をめざして、書く必要のあるものを書いているだけですので、ちょっと驚きました。そんなふうに思われるのは心外なので、著書の刊行ペースを落とそうかなとも思いました。
 それで、そのことを2人の編集者に相談したところ、それぞれから大変貴重なアドバイスを頂戴しました。2人の意見は正反対だったのですが、ともに一条真也のことを心から大切に考えてくれているメッセージをいただき、感激しました。わたしは、「この人たちは、わたしの本を編集してくれているだけでなく、わたしの人生をも編集してくれているのかもしれない」と思いました。わたしを支えてくれている編集者のみなさまに感謝いたします!

  • 販売元:KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日:2017/03/03
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