映画「ハドソン川の奇跡」を観ました。
 映画「アメリカン・スナイパー」から2年、今やハリウッドの至高の存在となったクリント・イーストウッド監督の最新作です。2009年に実際に起こった「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の真相を追ったドキュメンタリータッチの映画です。全編緊迫の96分間でした。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「俳優としても監督としても著名なクリント・イーストウッド監督と、名優トム・ハンクスがタッグを組んだ人間ドラマ。2009年1月15日、突然の全エンジン停止という危機に見舞われながらも、ハドソン川に不時着して乗客全員が生還した航空機事故のてん末に迫る。『サンキュー・スモーキング』などのアーロン・エッカートらが共演。機長の手記を基に描かれる、奇跡の脱出劇の背後に隠された真実に言葉を失う」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「2009年1月15日、真冬のニューヨークで、安全第一がモットーのベテラン操縦士サレンバーガー機長(トム・ハンクス)は、いつものように操縦席へ向かう。飛行機は無事に離陸したものの、マンハッタンの上空わずかメートルという低空地点で急にエンジンが停止してしまう。このまま墜落すれば、乗客はおろか、ニューヨーク市民にも甚大な被害が及ぶ状況で彼が下した決断は、ハドソン川への着水だった」

 乗員・乗客全員が無事に生還したことから、ニューヨーク州知事のデビッド・パターソンは、この件を「ハドソン川の奇跡」(Miracle on the Hudson)と呼び称賛しました。ニューヨーク市民たちもサレンバーガー機長を「英雄」として称えました。みんな、あの「9・11」の悪夢を忘れさせてくれるヒーローの出現を待っていたのでしょう。

 しかし、ヒーローであるはずのサレンバーガー機長を意外な運命が待っていました。事故調査で「判断ミスで乗客の生命を危険にさらした」という容疑をかけられ、副操縦士とともに公聴会にかけられたのです。155人の命を救った「英雄」が一転して「容疑者」となったのでした。

 実際の出来事について、Wikipedia「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の「事故調査」には以下のように書かれています。

「事故の原因はエンジンに複数のカナダガンが飛び込んだことである。飛び込んだカナダガンは成長した大型(最低でも4kg)のもので、それが複数飛び込んでいた。これによりエンジン内部のコンプレッサー部分が致命的なダメージを受けたため、エンジンを再起動できなかった。ただし、回収されたフライト・データ・レコーダーの解析では、右エンジンはフレーム・アウトしたが左エンジンは完全には失火せず、このため飛行速度が低かったもののウィンドミル状態に近く、付随するオルタネーターが操縦等に必要な電力を賄う程度の回転数は保たれていた事が確認された」

 続けて、Wikipedia「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の「事故調査」には以下のように書かれています。

「エンジン停止後、機長が操縦を交代し、副操縦士は即座にQRH(クイック・リファレンス・ハンドブック)を開き、エンジン停止時の対処を始めたが、このチェックリストは機体が高度2万フィート以上にいる場合の想定で作られていたため、とても長く、全項目を完了させるには時間が足りなかった(付け加えて言えば、パイロット達は、エンジンが再始動不可能なまでに致命的な故障を起こしていたことを把握できてなかった)。また緊急着水の項目は最後のページに書かれていたため、同機に搭載されていた浸水を防ぐための与圧用リリーフバルブを強制的に閉じるスイッチが押されることはなかった。しかし、機長はエンジン停止後、即座にAPUを起動する処置を取った(ちなみに、これは当時のチェックリストの優先項目にはなかった行動である)。そのため飛行制御コンピューターがパイロットの操作を補助することにより失速を回避し、搭乗者の生存率を上げていた」

 さらにWikipedia「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の「事故調査」には以下のように書かれています。

「事故調査の過程でシミュレーションの上では、『エンジン停止後、すぐに空港へ引き返していた場合、ギリギリではあったが緊急着陸は可能だった』ことが判明している。しかし、これは『エンジン停止後、QRHなどをせずに空港へ引き返す』という条件付きであり、事故機のパイロットたちは訓練通りにQRHを実施したため、引き返す時間がなくなった。そのため、『QRHなどをした上で空港へ引き返す』というシミュレーションを実施した結果、空港到着前に機体が墜落する結果となった(その場合、市街地などに墜落し、より大惨事になっていた可能性もあった)。そのため、不時着水の決断は結果的に正しかったことが立証された」

 わたしは、「ハドソン川の奇跡」を観て、コンピューターによるシミュレーションや各種の数値データを盲信することがいかに危険であるかを痛感しました。じつは先日、ある雑誌の取材を受けました。「人工知能」を特集した企画での取材でしたが、なんでも最近、「人工知能があれば企業は経営できる。人間の経営者は不要である」という説を唱えている学者がいるそうです。それに対しての意見を求められたのでした。わたしは「なんという馬鹿げた妄言でしょうか! 人工知能はデータによって作動します。データというのは、あくまでも数字の記録であり、経営にはプラスアルファの人的要素が多大に求められる」と反論しました。「ハドソン川の奇跡」は、まさにこの問題を描いた映画でした。

 わたしは、「ハドソン川の奇跡」を観ながら、飛行機の操縦とは企業の経営とよく似ていると思いました。各種の数値データを参考にしながらも、最後はリーダーの人間力が物を言うという点においてです。航空業界のリーダーといえば、経営破綻した日本航空を見事に立直した稲盛和夫元会長の名前が思い浮かびます。ブログ『稲盛和夫の実学』で紹介した本で、稲盛氏は「会計がわからなければ真の経営者になれない」と喝破しました。稲盛氏は、同書で会計の重要性を力説しています。わたしたちを取り巻く世界は一見複雑に見えますが、本来は原理原則にもとづいたシンプルなものが投影されて複雑に映し出されているものでしかありません。これは企業経営においても、まったく同じです。会計の分野では、複雑そうに見える会社経営の実態を数字によってきわめて単純に表現することによって、その本当の姿を映し出そうとしているのです。

 もし、経営を飛行機の操縦に例えるならば、会計データは経営のコックピットにある計器盤に表示される数字に相当します。計器は経営者たる機長に、刻々と変わる機体の高度、速度、姿勢、方向を正確かつ即時に示すことができなくてはなりません。そのような計器盤がなければ、今どこを飛んでいるかわからないわけですから、まともな操縦などできるはずがありません。ですから、会計というものは、経営の結果を後から追いかけるだけのものであってはならないと稲盛氏は言います。いかに正確な決算処理がなされたとしても、遅すぎては何の手も打てなくなります。会計データは現在の経営状態をシンプルにまたリアルタイムで伝えるものでなければ、経営者にとって何の意味もないのです。

 しかし、言うまでもなく、稲盛和夫氏は会計データだけで企業経営をしてきたわけではありません。ブログ『稲盛流コンパ』などで紹介した本にも書かれているように、きわめて人間臭い手法で経営されてきた「人間通」です。 わたしは、稲盛氏の経営手法は、「マネジメント」の王道であると思います。ブログ『孔子とドラッカー 新装版』で紹介した拙著のサブタイトルは「ハートフル・マネジメント」ですが、それを実践された方こそ稲盛氏だと思います。

 「マネジメント」の発明者は、経営学者のピーター・ドラッカーです。
 ドラッカーが発明したマネジメントとは、いったい何でしょうか。
 まず、マネジメントとは、人に関わるものです。その機能は、人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることです。これが組織の目的です。また、マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものです。組織はすべて学習と教育の機関です。あらゆる階層において、自己啓発と訓練と啓発の仕組みを確立しなければなりません。

 このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのです。にもかかわらず、わが国のビジネス・シーンには、ナレッジ・マネジメントからデータ・マネジメントまで、ありとあらゆるマネジメント手法がこれまで百花繚乱のごとく登場してきました。その多くは、ハーヴァード・ビジネス・スクールに代表されるアメリカ発のグローバルな手法です。
 もちろん、そういった手法には一定の効果はあるのですが、日本の組織では、いわゆるハーヴァード・システムやシステム・アナリシス式の人間管理は、なかなか根付かないのもまた事実です。情緒的部分が多分に残っているために、露骨に「おまえを管理しているぞ」ということを技術化されれば、される方には大きな抵抗があるのです。

 日本では、まだまだ「人生意気に感ずるビジネスマン」が多い。仕事と同時に「あの人の下で仕事をしてみたい」と思うビジネスマンが多く存在します。そして、そう思わせるのは、やはり経営者や上司の人徳であり、人望であり、人間的魅力です。会社にしろ、学校にしろ、病院にしろ、NPOにしろ、すべての組織とは、結局、人間の集まりにほかなりません。人を動かすことが、経営の本質なのです。つまり、「経営通」になるためには、大いなる「人間通」にならなければなりません。

 わたしは、人類史上最大の「人間通」は孔子であると思います。
 孔子の言行録が『論語』ですが、「ハドソン川の奇跡」を観て、わたしは即座に『論語』に登場するある言葉を思い出しました。
 それは郷党篇の「厩焚、子退朝曰、傷人乎、不問馬。」という一文です。
 書き下すと、「厩(うまや)焚けたり(やけたり)、子、朝(ちょう)より退きて曰く、人を傷なえり(そこなえり)やと。馬を問わずと。」となり、意味は「馬小屋が火事になって焼け落ちた。朝廷から退出して急いで戻ってきた先生が言われた。『火傷や怪我をしたものはいなかったか?』と。馬の損失についてはお聞きにならなかった」

 当時、家畜としての馬は非常に高価な財産でした。その馬が火事の被害にあっても、孔子は自分の弟子や使用人の身の安全を心配して、まずは「誰も怪我した者はいなかったか?」と質問したのです。財産の損失よりも人間の安否のほうを先に心配する「人道主義者」としての孔子の人柄を明らかにした章として知られます。

 「ハドソン川の奇跡」では、着水した旅客機の機内に水がどんどん入り込むシーンが登場しましたが、同機はおそらく壊滅的な被害を受けたものと思われます。実際、川に浮かぶ飛行機の姿はかなりショッキングでした。 あれを見て、航空会社の経営者は「乗客が無事で良かった」とだけ思ったでしょうか。もしかして、「飛行機がもったいないな」などと思わなかったでしょうか。わたしは、そんなことを考えました。

 映画の最後に、実際のサレンバーガー機長と乗客たちが登場します。
 機長は「155人というのは単なる数字ではない。そこには、155人の顔があり、人生があるんだ」といったニュアンスの発言をしました。それを聞いたわたしは、ブログ『星の王子さま』で紹介した本の内容を連想しました。奇しくも自身が飛行機乗りであったサン=テグジュペリが書いた「こころの世界遺産」と呼ぶべき名作童話に登場する王子さまの星には、1本の美しいバラがありました。王子さまはそのバラを、この世界で1本しかない珍しい花だと信じていました。しかし、地球で同じバラの花が5000本も咲いているのを見て、ショックを受けます。王子さまが珍しいと思っていたバラは、地球ではありふれた花だったのです。

 王子さまは、最初は自分の星のバラをつまらない花と思い、そんなつまらないものを大切にしていた自分に自己嫌悪さえ抱きます。でも、その考えが間違っていたことにやがて気づきます。王子さまのバラは、やはりたった1本のかけがえのない花だったのです。なぜなら、それは王子さまが面倒を見たバラだったからです。唯一、王子さまだけが面倒を見て、心を寄せた花だったからです。そして、そのバラの存在によって、王子さまもこの世で「唯一の存在」であり「かけがえのない存在」になれるのです。王子さまも、バラも、両者の絆によって互いに、この上なく価値を帯びてくるのです。

 重要なのは数の多さではありません。5000本のバラより、王子さまにとって大切なのは絆のある1本のバラです。会社の経営者も同じです。
 たとえ数万人単位で従業員の数が増えたとしても、その1人ひとりとは絆がなければならない。そして、できれば、その1人ひとりの名前、顔、人格を心に刻んでいなければならない。青臭い意見だといわれることを承知で、わたしはそう思います。

 もちろん人数にもよるでしょうが、できうるかぎり経営者は自分の従業員、上司は自分の部下の名前と顔をおぼえているべきだと思います。わが社には1500名近い社員がいますが、わたしは今のところ、彼らの名前と顔をおぼえています。そして、その全員の誕生日にバースデーカードとプレゼントを贈っています。この地球上に何十億人の人々がいようとも、やはり社員のみなさんはかけがえのないバラの花なのです。
 「ハドソン川の奇跡」を観て、わたしはそんなことを考えました。
 サレンバーガー機長はもちろん、クリント・イーストウッド監督も、きっと「ハートフル・マネジメント」を体得した人物ではないかと思います。

  • 販売元:ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
  • 発売日:2017/01/25
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