No.0252
10月1日に公開されたばかりの「世界一キライなあなたに」を早速観てきました。
世界的なベストセラー小説の映画化ですが、「安楽死」をテーマとしており、映画館の暗闇の中で「生」と「死」について考えさせられました。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「世界中で読まれているジョジョ・モイーズの恋愛小説『ミー・ビフォア・ユー きみと選んだ明日』を映画化。バイク事故で車いすの生活となり生きる気力をなくした青年実業家と、彼の介護に雇われた女性の切ない恋の行方を描く。主人公の女性をテレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』などのエミリア・クラーク、実業家を『ハンガー・ゲーム』シリーズなどのサム・クラフリンが演じる。そのほか『アルバート氏の人生』などのジャネット・マクティア、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』などのチャールズ・ダンスらが脇を固める」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「イギリスの田舎町で、ルーことルイーザ・クラーク(エミリア・クラーク)は失職を機に、交通事故で車いすの状態になってしまった青年実業家ウィル・トレイナー(サム・クラフリン)の介護と話し相手をする期間限定の職に就く。活力を失っていた当初は冷たい態度を取るウィルだったが、彼女の明るさに徐々に心を開き、二人は惹かれ合う。そんなある日、ルーはウィルの秘密を知ってしまい・・・・・・」
「安楽死」という重いテーマをハートフルに描いたこの作品に、わたしは大変感動しました。主演のエミリア・クラークもちょっと太目ながら可愛かったです。彼女が演じるルイーザの家族も貧しいながらに思いやりに溢れていて、好感が持てました。サム・クラフリン演じるウィルも最初は心を閉ざしていますが、ルイーザの真心に触れるうちに、だんだん心を開いていきます。彼の両親や介護士の青年も良い人たちでした。
この映画には基本的に善人しか登場しません。ウィルの事故後の結婚することになったウィルの元カノと親友も、まあ善人の類でしょう。唯一、悪人というほどではないのですが、ルイーザの彼氏である若手起業家が嫌な感じでした。2年連続「起業家アワード」を受賞している自信満々の男なのですが、トライアスロンにハマっているのです。わたしの知り合いにもトライアスリートがいるのであまり書きにくいのですが、どうして起業家というのはトライアスロンが好きなのでしょうか?
わたしは、経営者に必要なものは筋肉よりも教養であると考えます。なぜなら、教養が「思いやり」「使命感」「志」といったものを育てるからです。そして、「死生観は究極の教養である」だと思います。くだんの彼氏もいわゆる「脳味噌まで筋肉でできている男」で教養の欠片もありませんでした。そして、他者への思いやりにも欠けていました。当然ながら、使命感や志などはなく、「生」を謳歌するばかりで「死生観」を持っていません。まあ、あまり運動不足で不健康なのも経営者失格かもしれませんが・・・・・・。
さて、この映画を観て、わたしは以下の3つのことを心に刻みました。
(1)注意深く生きる
(2)死ぬまでにやっておきたいことを決めておく
(3)お金は必要である
(1)の「注意深く生きる」ですが、映画の冒頭、ケータイで電話中のウィルが突進してくるバイクに気づかず、撥ねられるシーンが登場します。電話どころか、最近ではスマホのゲームに夢中になって事故に遭う人が後を絶ちません。ポケモンGOが原因で死者も出たといいますが、くれぐれも注意深く生きなければいけません。事故に遭えば、被害者の自分だけでなく加害者をも不幸にするのです。わたしが子どもの頃、何かでふて腐れて、わざと車の前に飛び出したことがありました。幸い、車が急停止して撥ねられはしなかったのですが、母から叩かれました。そのとき、鬼の形相になった母の「あんたが死ぬのは自由だけど、あんたのおかげで、車を運転していた人の人生がメチャクチャになるんよ!」という言葉が今も胸に残っています。
(2)の「死ぬまでにやっておきたいことを決めておく」は、6カ月後の安楽死を控えたウィルのために、ルイーザはさまざまなプランを立てます。
競馬に行ったり、モーツァルトのクラシック・コンサートに行ったり、リゾート地にバカンスに行ったり・・・・・・それらは、ルイーズにとっては、ウィルの決意を翻させるためでした。しかし、ウィルにとっては「死ぬまでにやっておきたいこと」だったように思えました。特に、リゾート地で素晴らしい自然を前にしたとき、ウィルは死の不安を和らげたように見えました。
拙著『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)に、わたしは「圧倒的な自然の絶景に触れる」という項目を入れました。
どこまでも青い海、巨大な滝、深紅の夕日、月の砂漠、氷河、オーロラ、ダイヤモンドダスト・・・・・・人間は圧倒的な大自然の絶景に触れると、視野が極大化し、自らの存在が小さく見えてきます。そして、「死とは自然に還ることにすぎない」と実感できます。さらには、大宇宙の摂理のようなものを悟り、死ぬことが怖くなくなるように思えます。
そして、(3)の「お金は必要である」です。これは「ハートフル作家」などと一部で呼ばれている(苦笑)わたしらしからぬ言葉のように思われるかもしれません。でも、人が幸せに生きる上でお金はやっぱり必要です。ルイーザの父親は失業中で、家は貧乏でした。そのため、彼女は夢であった大学進学をあきらめ、家族のために働き続けたのです。トライアスロンが趣味の起業家とやらは、口で彼女を励ますばかりで、少しのお金を援助しようともしません。一緒に行くバカンスの旅行代を払おうとするのが関の山です。しかし、車椅子に乗ったウィルは彼女の父親に高収入の仕事を与えたばかりか、最後は彼女の人生を大きく拓く金銭的な援助をするのです。わたしは「愛を示すには口だけではダメだ。もちろん、お金で幸せは買えないが、人を幸せにするためにはある程度のお金が必要だ」と思った次第です。
さて、この映画では、ウィルが元カノと親友との結婚式に出席する場面があり、なかなか切ないのですが、車椅子に乗ったままのウィルとルイーザがダンスを踊るシーンが素敵でした。わたしは「もしかしたら、映画史に残る名シーンかもしれない」と思いました。ちょっと、「白い犬とワルツを」で主人公の老人と犬がダンスを踊る名シーンを思い出しました。
「白い犬とワルツを」はアメリカの作家テリー・ケイが書いた大人の寓話で、2002年に日本で映画化されました。主演は仲代達矢と藤村志保でした。愛する妻を亡くして悲しみにくれる夫の前に白い犬が現われる不思議な物語ですが、素晴らしいグリーフケアの物語で、最後のダンスシーンは涙なくしては観れなかったです。主人公と同じく40年近くも連れ添った愛妻を亡くした経験を持つ仲代達矢の迫真の演技が忘れられません。
また、主人公が車椅子に乗っていることから、わたしはブログ「博士と彼女のセオリー」で紹介した映画も連想しました。車椅子の物理学者スティーヴン・ホーキング博士の半生を描いた人間ドラマです。将来を嘱望されながらも若くして難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症したホーキングが、妻ジェーンの献身的な支えを得て、一緒に数々の困難に立ち向かっていくさまが描かれています。「世界一キライなあなたに」の冒頭で、ルイーザとウィルが初めて会ったとき、ウィルは「ウー、ウー」と叫び声を上げながら体をひねるのですが、あれはホーキング博士の真似をしていたように見えました。
この映画、じつは第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部の主任研究員である小谷みどりさんから推薦された作品です。「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の仲間である小谷さんに最新刊『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)をお送りしたところ、以下のような返信メールが届きました。
「本日、わくわくするような本をお届けいただき、ありがとうございます! こんな本、待ってましたという感じです。10月1日封切の『世界一キライなあなたに』、ご覧になりましたか? 原題は me before you というもので、ベストセラーを映画化したものです。安楽死をテーマにしていますが、一人称の死を尊重する欧米の視点が描かれていて、でも、二人称の視点との葛藤も描写され、なかなか興味深かったです。私自身、舞台となっているスイスの安楽死団体へ行ったので、余計に思いいれがあるのかもしれませんが、いろいろ考えさせる映画です。おすすめです」
わたしは、小谷さんが訪れたというスイスの安楽死団体というものに強い興味を抱きました。スイスには、安楽死団体が2つあります。
「エグジット(EXIT)」と「ディグニタス(DIGNITAS)」です。
ともに「自殺幇助組織」などと呼ばれていますが、両団体には大きな違いがあります。エグジットはサービスがスイス国民限定なのに対して、ディグニタスではスイス国民以外にもサービスを提供しているという点です。そのため医師の厳正な審査を受けた上で、毎年100ほどの人々がこのサービスを受けて自らの命を絶っているそうです。
Wikipedia「ディグニタス」の「概要」には、以下のように書かれています。
「同団体の書類審査に通れば医師やカウンセラーと複数回以上の面談を行い決定する。 クールダウンの時間を十分に取るように面接の間隔があいている。スイスの法律に認められた書類に署名する。致死薬投与の直前には最終の意思確認が行われ、考え直す時間が必要かどうか尋ねられ、最後まで自由意志で撤回も選択できるようにされている 」
ディグニタスでの安楽死で「用いられるもの」は「制吐剤・ネンブタール・マグカップ・水・電子レンジ・ 濃縮果汁タイプのシロップ・オレンジピールのチョコレート」であり、さらに詳しい様子が以下のように書かれています。
「居心地の良い高級ホテルのような部屋で、リラックスできる環境と安心感を与える幇助者のもとで行われる。致死量を超える粉末状のネンブタールを1杯の水に溶かし、レンジで加熱したものにオレンジ系の濃縮果汁シロップを加えて飲み易く味を整える。果汁の中でもオレンジ系がもっとも飲み易い。加工したネンブタール液を服用する分前に強力な制吐剤を服用させる。 制吐剤の座薬を併用するのも可である。また、ネンブタールは苦味があって飲みにくいため、オレンジピールの入ったチョコレートを用意しておき、薬を飲んだ後素早く口の中に入れて齧る。ネンブタール過剰摂取は、生体反応により嘔吐を起こすが、電子レンジで薬の濃度を濃縮し、加工することで、嘔吐や拒絶反応を起こすことなく、確実に中枢神経系を停止させることを可能にしている。濃度や電子レンジの加工時間は企業秘密で、非公開とされている。致死量を摂取したクライアントは、5分以内に次第に呼吸が浅くなり昏睡状態へと移行し、30分以内に呼吸が停止し死に至る。ディグニタスで、ネンブタール濃縮を使用する以前にヘリウムガスを使用して失敗し安楽死とは呼べない事故を引き起こしている」
「世界一キライなあなたに」には、安楽死の具体的な描写は登場しません。しかし、ディグニタスの名前は実名で登場します。同団体についての知識をネットで得たわたしは、ブログ「ハッピーエンドの選び方」で紹介したイスラエル映画を思い出しました。第71回ベネチア国際映画祭ベニス・デイズBNL観客賞などを受賞した、人生の終盤に差し掛かった老人たちの最期の選択に迫るヒューマンドラマです。監督の実体験をベースに、命尽きる瞬間まで自分らしく生きようとする人々の姿を描いています。
「ハッピーエンドの選び方」のメインテーマは、「世界一キライなあなたに」と同じく「安楽死」です。わたしはどうも「死」や「葬」の専門家として見られているらしく、よく「一条さんは安楽死や尊厳死についてどう思われますか?」などと質問されることが多いです。じつは尊厳死については肯定しているのですが、安楽死については今ひとつ割り切れない思いを抱いています。というのは、そこには人間をモノとみなし、死を操作の対象ととらえる思想が見え隠れするからです。現代の医療テクノロジーの背景には、臓器移植に代表されるように人間を操作可能なモノとみなす生命観があるわけですが、そうした生命観は患者の側も共有しているといるのではないでしょうか。現代の安楽死は、自らの命や身体は自分の意志で左右できる道具であるかのような価値観に根ざしており、わたしには違和感があります。
「世界一キライなあなたに」にも、安楽死に否定的な意見を持つ人々が登場します。まずは、ウィルの母親。息子の安楽死=尊厳死を認めてやろうとする父親に対して、母親は断固反対します。両親の苦悩は測り知れないでしょうが、その態度の違いには男親と女親の根本的な差があると思いました。理性的に考えられる父と、自らのお腹を痛めて産んだ子だけに理性では割り切れない母の差です。
また、ウィルを想うルイーザも安楽死には最後まで反対します。
ウィルが最期の瞬間に立ち会ってほしいという願いを告げたとき、ルイーザは「そんな悲しい目に遭わせるなんて、ひどいわ」と泣いて拒否します。彼女の母親も安楽死には絶対反対で、「そんなものに関わっては絶対にダメよ。殺人の援助なのよ!」と言います。その母親の胸元には十字架がかかっていました。そう、キリスト教、それもカトリックは自らの命を絶つ「自死」に対して認めないという立場を貫いているのです。
ブログ『自死』で紹介した本では、「『自死』に冷淡な宗教」として、カトリックが取り上げられます。著者の瀬川正仁氏は、「693年のトレドの宗教会議で、『自死者はカトリック教会から破門する』という宣言がなされ、『自死』が公式に否定されたのだ。さらに名教皇といわれた聖トマス・アクィナスが、『自死は生と死を司る神の権限を侵す罪である』と規定したことで、『自死=悪』という解釈が定まったといわれている。その結果、自死者は教会の墓地に埋葬してもらえないという時代が長く続いた」と述べています。
ブログ「上智大グリーフケア講義」で紹介したように、7月20日、わたしは上智大学グリーフケア研究所で特別講義を行いましたが、そこでカトリックが自死者を否定していることを取り上げました。しかし、自死はけっして「自ら選んだ」わけではなく、魔や薬のせいという要素も強いと言えます。ただでさえ、自ら命を絶つという過酷な運命をたどった人間に対して「地獄に堕ちる」と蔑んだり、差別戒名をつけたりするのは、わたしには理解できません。それでは遺族はさらに絶望するというセカンド・レイプのような目に遭いますし、なによりも宗教とは人間を救済するものではないでしょうか。
「世界一キライなあなたに」は、「終活」をテーマとした作品でもあります。
わたしは、『決定版 終活入門』(実業之日本社)という本を書きました。
日本人の寿命はついに男女とも80歳代を迎えました。仏教は「生老病死」をいかに考えるかを説いたものです。そして今、人生80年代を迎え、「老」と「死」の間が長くなっているといえます。長くなった「老」の時間をいかに過ごすか、自分らしい時間を送るか――そのための活動が「終活」です。
いま、世の中は大変な「終活ブーム」です。多くの犠牲者を出した東日本大震災の後、老若男女を問わず、「生が永遠ではないこと」を悟り、「人生の終わり」を考える機会が増えたようですね。高まるブームの中で、気になることもあります。「終活」という言葉に違和感を抱いている方が多いことです。特に「終」の字が気に入らないという方に何人もお会いしました。
もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。そこで、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しています。
「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。
考えてみれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」ではないかと思います。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活なのです。そして、人生の集大成としての「修生活動」があるのではないでしょうか。老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」なのです。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める・・・・・・この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。
「修活」といえば、わたしは「世界一キライなあなたに」の上映前に「人生を修める」ことをテーマにした日本映画の予告編を観ました。
10月29日より全国ロードショーされる「湯を沸かすほどの熱い愛」です。 「チチを撮りに」の中野量太が監督を務めた感動のヒューマンドラマです。
余命2カ月と宣告された、宮沢りえ扮する"お母ちゃん"こと幸野双葉が、残される家族のために"絶対にやっておくべきこと"を実行していく姿を描きます。双葉の夫をオダギリジョー、娘の安澄を杉咲花が演じているほか、松坂桃李、篠原ゆき子、駿河太郎、伊東蒼が脇を固めています。
また10月25日には「バースデーカード」が公開されます。
誕生日に毎年届く、亡き母からの「バースデーカード」は、最愛の娘の成長を見守ることが出来ないことを悟った母が、ありったけの愛を込めて綴った未来の娘への「手紙」でした。バースデーカードを通して成長していく娘・紀子を演じるのは若手実力派女優の橋本愛です。紀子が10歳の時に若くして病死し、バースデーカードを書き残す母・芳恵に宮﨑あおい。家族を温かく見守る紀子の父・宗一郎にはユースケ・サンタマリア。わたしは家族・友人・社員の誕生日には必ずバースデーカードを渡していますので、この映画を観るのが楽しみです。
そして10月15日には、待望の「永い言い訳」が公開されます。
「ディア・ドクター」などの西川美和が、直木賞候補となった自らの小説を映画化。本木雅弘を主演に迎え、交通事故で妻が他界したものの悲しみを表せない小説家が、同じ事故で命を落とした妻の親友の遺族と交流を深める様子を描きます。亡くなる妻には深津絵里。さらにはミュージシャン兼俳優の竹原ピストルが出演します。繊細で鋭い心理描写に定評のある西川監督によるストーリー展開に注目したいところです。
そして、なんといってもブログ「おくりびと」で紹介したアカデミー外国語賞受賞作で葬儀の納棺師を演じた本木雅弘が、今度は遺族の役を演じるところが最大の見所です。もうすぐ公開ですので、本当に楽しみです!
これらの映画も「修活」映画と言えるかもしれません。
そして、いずれも「死を乗り越える映画」でもあります。
わたしは『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)という本を書きました。
「おくりびと」も、「博士と彼女のセオリー」も、「ハッピーエンドの選び方」も同書で取り上げましたが、「世界一キライなあなたに」を観た直後、「ぜひ続編を書いて、この映画も取り上げよう!」と思いました。
素敵な映画を紹介していただいた小谷みどりさんに感謝いたします。