No.0262
12日に公開されたばかりの日本映画「ミュージアム」を観ました。
史上最悪の殺人アーティストとしての"カエル男"が登場する「衝撃のノンストップ・スリラーエンターテインメント」という触れ込みです。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『ヤングマガジン』連載の巴亮介のサイコスリラー漫画を実写映画化。現場に謎めいたメモを残し雨の日にだけ残忍な猟奇殺人を繰り返すカエル男と、妻子をカエル男に狙われた刑事の攻防をスリリングに描き出す。原作の持つ迫りくるような恐怖と絶望感を表現するのは、『ハゲタカ』や『るろうに剣心』シリーズなどの大友啓史。犯人を追ううちに極限状態に追い込まれていく主人公を、『信長協奏曲』シリーズなどの小栗旬が熱演する」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「現場に謎のメモが残される猟奇殺人事件が矢継ぎ早に発生するが、その事件は雨が降る日のみ起こっていた。一連の事件の関連性を察知した沢村久志刑事(小栗旬)は、自分の妻子が狙われていることを知る。やがて、カエルのマスクをかぶったカエル男の存在が浮かび上がり、犯人に近づいていく沢村だったが、カエル男の仕組んだわなにはめられ窮地に陥り・・・」
この映画、コミックが原作ということで、正直言ってあまり興味がありませんでした。しかし、公開前からネットでの評価が異常に高いので、「これは観なければ!」と思ったのです。Tジョイリバーウォーク北九州で鑑賞しましたが、観客は中高生が多かったです。それも男の2人組が多かったですね。こういう映画を親友と観るのが流行っているのでしょうか? それとも?
「ミュージアム」は、後味の悪い映画でした。観終わったときの感想は、「やっぱり、コミック原作という感じだな」です。ストーリーに厚みがないというか、どこかで見たようなシーンの連続でした。
カエル男が繰り返す一連の殺人は想像を裏切らない残虐さで、1995年のアメリカ映画「セブン」を連想しました。デヴィッド・フィンチャーが監督し、ブラッド・ピットが主演したサイコ・スリラーです。
カエル男に扮しているのが妻夫木聡ということは公開されています。 それにしても、いつもながらに彼の演技力には唸ります。
ブログ「怒り」で紹介した映画で彼の名演技を堪能した記憶も新しいですが、カエル男のマスクを脱いだ殺人犯の演技も絶品でした。「寓居」ならぬ豪邸の書斎でクラッシック音楽を楽しむシーンなどはゾッとしました。泣く演技をさせれば日本一だし、本当に才能ゆたかな俳優さんですね。
主役の沢村刑事を演じた小栗旬も良かったです。
じつは、彼が出演する映画を初めて観たのですが、演技力がありますね。特にブチ切れるシーンなどは最高でした。ただ、「仕事だけの人生で、家庭をおざなり」という刑事像は古い気がしました。
ブログ「そして父になる」で紹介した映画でも感じたことですが、仕事熱心な男性を「夫失格」「父親失格」のようなステレオタイプな描き方をすることには違和感をおぼえます。沢村は別にダメ親父ではなく、ただ自分の仕事に責任を持って情熱を注ぎ込んでいるだけです。その結果、家族と過ごす時間が少なくなっている事実もありますが、映画を観るかぎり、彼は精一杯に時間を作って家族とのコミュニケーションに努力しているように思えました。
わたしもどちらかというと沢村のように仕事人間で家族サービスには不器用なほうなので言い訳に聞こえるかもしれませんが、沢村は沢村なりに家族を愛しているのだと思います。ただ、いつも家にいて、子どもと遊んでやるだけが理想の父親ではありません。家族の幸せのために仕事を頑張るという愛し方だってあるはずです。ちなみに「そして父になる」も、「ミュージアム」も、尾野真千子が耐える妻を演じていましたね。
カエル男が、自分が犯した犯罪に「ドッグフードの刑」とか「母の愛を知りましょうの刑」とか「均等の愛の刑」とか「ずっと美しくの刑」、「針千本飲ますの刑」、「お仕事見学の刑」といった刑名をつけるのですが、このへんは、おそらく「セブン」の影響が大きいのではないでしょうか?
いや、それとも横溝正史の「金田一耕助」シリーズかな?
しかし、カエル男が自身のことを「アーティスト」と自称していることには嫌悪感しか残りません。わたしは、ブログ「多摩美文化祭での『葬式ごっこ』に思う」で言及した、多摩美術大学の複数の学生が白紙撤回となった2020年東京五輪・パラリンピック公式エンブレムのデザイナー、佐野研二郎教授の「葬式ごっご」を行っていたことを連想しました。あれも「アート」などではありませんでした。わが経験上、自称アーティストに碌な奴はいません。
それにしても、カエル男がある病気の患者であるという設定は「いかがなものか」と思いました。その病気が殺人モンスターのイメージと結びつけられることは差別感情につながるのではないでしょうか。この病気で苦しんでいる人々も現実にいるわけですから、いたずらに負のイメージを与える設定は避けるべきではないでしょうか。
それから、この映画を観て、裁判員制度への疑問を感じました。導入からすでに7年が経過した同制度ですが、わたしは当初から反対でした。
裁判は法律のプロフェッショナルが担うもので、アマチュアにやらせるべきではないと考えているからです。欧米でやっているといっても、本来おかしなことだと思います。北九州では「声かけ」事件もありましたが、裁判員には危険がつきまといます。1957年のアメリカ映画「12人の怒れる男」のように、いつもハッピーエンドとは行きません。裁判員制度は世界中で廃止すべきではないでしょうか。
Wikipedia「裁判員制度」によれば、裁判員制度導入によって国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方で、「国民に参加が強制される(拒否権がない)」、「志願制ではないため、有権者全員に参加する機会が得られない」、「国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する」、「公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなる」といった問題点が指摘されているそうです。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もあるとか。
これ以上書くと、ネタバレになるので、控えておきます。
それにしても、妻夫木聡の怪演、小栗旬の熱演は見所でしたが、映画そのものはそれほど「怖い」とも「すごい」とも思えませんでしたね。
まあ、カエル男のマスクの造形は完成度が高かったですけれど・・・。
「仮面ライダー」のショッカー怪人のレベルを超えていましたね。
それにしても、この映画がどうして、こんなにネットで好評価なのか?
なによりも、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」よりも好評価なのか?
「誰か理由を教えてほしい!」と思っていたら、公開後は評価が下がり始めたようです。この映画、宣伝が秀逸だったのかもしれませんね。