No.0265


 第29回「東京国際映画祭」の特別招待作品でオープニング作品となったイギリス映画「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」を観ました。オスカーに3度輝いたメリル・ストリープと、イギリス・ロマンチック・コメディの帝王ヒュー・ グラント主演の笑いと感動の実話です。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「ニューヨーク社交界の顔にしてソプラノ歌手でもあった実在の女性、フローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルにしたドラマ。絶望的な音痴であるにもかかわらずソプラノ歌手になる夢を追う彼女と、それをかなえようと奮闘する夫の姿を描く。監督は、『クィーン』などのスティーヴン・フリアーズ。アカデミー賞の常連メリル・ストリープと、『アバウト・ア・ボーイ』などのヒュー・グラントが妻と夫を快演する。インパクトのある歌唱シーンや、夢を持つことの尊さを訴えた物語に魅せられる」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「ニューヨーク社交界のトップとして華やかな毎日を送る一方、ソプラノ歌手を目指して活動しているフローレンス・フォスター・ジェンキンス(メリル・ストリープ)。しかし、その歌唱力は音痴というしかないレベルであった。夫シンクレア(ヒュー・グラント)は、マスコミを買収したり、理解者だけを集めた小規模なリサイタルを開いたりと、病を抱えながらも夢を追う彼女を支えていた。そんな中、フローレンスがカーネギーホールで歌いたいと言い始め・・・・・・」

 この映画は実話です。フローレンス・フォスター・ジェンキンス(1868年~1944年)は、米国のソプラノ歌手で、音痴だったことで有名です。
 Wikipedia「フローレンス・フォスター・ジェンキンス」によれば、彼女の生涯が以下のように紹介されています。

 「ペンシルベニア州で生まれたフローレンス・フォスターは、幼い頃から音楽教育を受け、音楽留学を希望していた。しかし父親が費用の支出を拒んだので、彼女は医師で後に夫となったフランク・ソーントン・ジェンキンスとフィラデルフィアに駆け落ちした(のち1902年に離婚した)。そこでピアノ教師をして生活していたが、1909年に父親が亡くなると、両親と前夫から反対されていた歌手の道へ歩むのに十分な遺産を相続し、フィラデルフィアで音楽生活を始めた。自らヴェルディ・クラブを創立して基金を積み立て、歌唱のレッスンを受け、初めてのリサイタルを1912年に開いた」

 続いて、彼女の生涯が以下のように紹介されています。

「彼女の演奏したレコードを聴くと、ジェンキンスは音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないこと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随しているのがわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみであった。音楽批評家たちは、しばしば彼女の歌唱を皮肉まじりに説明し、それがかえって大衆の好奇心を煽る結果となった」

 続いて、彼女の生涯が以下のように紹介されています。

「音楽的才能が全くなかったにもかかわらず、フローレンスは自分が偉大な音楽家だと固く信じていた。彼女は自分を名高いソプラノ歌手フリーダ・ヘンペルやルイーザ・テトラツィーニに比肩しうると考え、自分の演奏中にしばしば聴衆が笑い出すのを、ライバルが職業的な競争心からやらせているのだと思い込んだ。しかし、彼女は批判に気付いており、『皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ』などと述べた」

 さらに、彼女の生涯が以下のように紹介されています。

「フローレンスがリサイタルで立ち向かった音楽はモーツァルトやヴェルディ、R.シュトラウスなどの一般的なオペラのレパートリー(そのどれもが彼女の歌唱技術を大きく上回る)、ブラームスの作品やホアキン・バルベルデの『カーネーション』(お気に入りのアンコール曲)などの歌曲に加え、彼女と伴奏者(Cosme McMoon)が自ら作詞作曲した歌曲などを交えたものであった。彼女はしばしば衣装にも凝り、時には翼のついた金ぴか衣装をまとって現れた。そして『カーネーション』を歌うときには扇をはためかせ、髪に挿した大量の花を見せびらかしながら聴衆に花を投げたものである」

 そして、彼女の生涯が以下のように紹介されるのでした。

 「聴衆はもっと多く出演を望んだが、フローレンスは少数の気に入った会場でたまにしか出演しないようにしていた。そして、ニューヨーク市のリッツ・カールトンホテルの舞踏会場で年ごとのリサイタルを開いた。彼女のリサイタルに出席できたのは、彼女の忠実なファンクラブの婦人とその他特に選ばれた人々だけであった。彼女は羨望の種であった切符を自ら配布していたのである。1944年10月25日、76歳の彼女はついに公衆の希望に応じてカーネギー・ホールの舞台に立った。期待が高かったため、切符は公演の何週間も前に売り切れた。フローレンスはその1ヵ月後、マンハッタンのセイモアホテルで亡くなった」

 わたしは、この映画を観て、いろいろなことを考えました。
 特に、わたしが失ってしまった、さまざまなものを思い起こしました。
 主演のメリル・ストリープとヒュー・グラントはずいぶんトシを取りました。 わたしにとってメリル・ストリープという女優は「マディソン郡の橋」(1995年)が一番輝いていましたし、ヒュー・グラントという男優は「ノッティングヒルの恋人」(1999年)が最も輝いていました。
 もっとも、わたしも両作品を初めて観た当時からはずいぶん年齢を重ねたわけですから、過ぎ去った時間の膨大さを思い、センチメンタルになりました。わたしだって、こういう映画の見方をするときもあるのです。

 ヒュー・グラントが演じるシンクレア・ベイフィールドは英国紳士だけあって、とてもオシャレです。特にスーツの着こなしが素晴らしく、いつもセンスの良いネクタイとポケットチーフが上等なスーツをさらに引き立てています。じつは、この日の午前中、わたしは愛用のステファン・リッチの紫色のポケットチーフをどこかに落としてしまいました。おそらくは四谷の路上、あるいは中野の哲学堂公園ではないかと推測されます。数あるポケットチーフのコレクションの中でも一番のお気に入りだっただけにショックでした。ネクタイとセットで7万円以上もしたのですが、もう製造されていないので、購入し直すことはできません。この映画に登場する紳士は、シンクレア以外の人物もみなオシャレなポットチーフをしており、それを見るたびに、わたしは失ったばかりのポケットチーフを思い出して暗澹たる気分になったのでした。

 それから、マダム・フローレンスの歌の伴奏を務めたピアニストのコズメ・マクムーンの姿を見るたび、切ない思いがしました。というのも彼を演じたサイモン・ヘルバーグがブログ「朝本浩文よ、安らかに眠れ!」で紹介した先月26日に逝去したわたしの友人によく似ていたからです。
 故朝本浩文君は偉大な音楽プロデューサーでしたが、わたしは予備校時代、大学時代を通じて彼と親しく付き合ってきました。朝本君の笑った顔、困った表情などがサイモン・ヘルバーグ演じるコズメ・マクムーンに瓜二つで、ちょっとシンミリとしました。

 それから、もうひとつ失ったものを思い起こさせたのですが、詳しいことは秘密にしたいと思います。わたしにだって秘密はあります。何でもかんでもブログに書くわけではありません。そういうのは単なる「ブログ馬鹿」です。
 秘密といえば、シンクレアには若くて美しい愛人がいました。しかし、妻であるフローレンスの名誉を守るために、彼は愛人と訣別します。このあたりは「不倫」の話題に明け暮れた今年の日本人へのメッセージのようのようにも思えました。やはり、夫婦は固い絆で結ばれていないといけません!
 ちなみに不倫映画の最高傑作といえば、メリル・ストリープ主演の「マディソン郡の橋」だと思います。その意味でも、味わい深いシーンでした。

 この映画では、夫のシンクレアが徹底的に妻に尽くします。
 その献身的な姿を見て、わたしも大いに感ずるところがありました。
 「もっと妻に優しくしなければいけないな」と痛感した次第であります。
 映画のサブタイトルに「夢見るふたり」とあるように、この映画は夫婦愛の物語なのです。夫婦愛といえば、7日に亡くなった武藤まき子さんが連載している「夕刊フジ」の「つたえびと TVレポーターおまきが行く!」に「麻央さん支える海老蔵も"今年の顔"」の見出しがついた記事を寄稿しました。これが武藤さんの遺稿となりましたが、海老蔵さんは自身のブログで「この見出し嬉しかったよ。誰にもわからない戦いを武藤さんは感じてくれてるのだなと、嬉しかった。揚げ足取りのような記事が錯乱する中嬉しかった」と感謝の言葉を綴りました。武藤さんは数年前に全互協の新年講演会で講師を務めていただき、「芸能人の冠婚葬祭」について興味深いお話をして下さいました。心より御冥福をお祈りいたします。合掌。

  • 販売元:ギャガ
  • 発売日:2017/06/02
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