No.0271
チャチャタウン内の「シネプレックス小倉」で映画「マリアンヌ」を観ました。
ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。
「俳優だけでなくプロデューサーとしても活躍するブラッド・ピットと、アカデミー賞受賞監督ロバート・ゼメキスがタッグを組んだラブストーリー。第2次世界大戦下を舞台に、ある極秘任務を通じて出会った男女が愛し合うものの、過酷な運命に翻弄されるさまを描く。ブラピふんする諜報員と惹かれ合うヒロインをオスカー女優マリオン・コティヤールが演じるほか、『127時間』などのリジー・キャプラン、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』などのマシュー・グードらが共演する」
ヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「1942年、極秘諜報員のマックス(ブラッド・ピット)とフランス軍レジスタンスのマリアンヌ(マリオン・コティヤール)は、ドイツ大使暗殺という重大な任務のためカサブランカで出会う。二人は、敵の裏をかくため夫婦を装い任務の機会をうかがっていた。その後、ロンドンで再会し次第に惹かれ合った二人は愛を育んでいくが、マリアンヌは愛するマックスにも打ち明けられない秘密を持っており・・・・・・」
この映画、いきなりモロッコの砂漠から物語が始まります。
ブラッド・ピット扮するマックスが砂漠に降り立つのです。
当然ながら、映画史上に残る名作「モロッコ」(1930年)を連想します。ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督のアメリカ映画ですが、音声のないトーキーでした。ベノ・ヴィグニーの舞台劇「Amy Jolly」が原作です。日本では、初めて日本語字幕が付されたトーキー作品としても有名です。ラストシーンでは、マックスが降り立ったモロッコの砂漠が重要な舞台となりました。
そして、砂漠に降り立ったマックスは差し向けられた車に乗って、カサブランカの都へ・・・。当然ながら、これまた映画史上に残る名作である「カサブランカ」(1942年)を連想してしまいます。ちょうど、この42年は「マリアンヌ」の物語の始まりの年でした。「カサブランカ」は第二次世界大戦にアメリカが参戦した42年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画です。監督はマイケル・カーティスです。
「マリアンヌ」が、「モロッコ」と「カサブランカ」という二大名作へのオマージュ的な作品であることは明白だと思います。なぜなら、ともに悲惨な戦争と恋愛の悲劇を絡めた作品であり、人々に悲しみを超えた生きる勇気を与えてくれる名作だからです。そして、「モロッコ」はゲイリー・クーパーとマレーネ・ディートリッヒ、「カサブランカ」はハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンという、当時の世界の映画界を代表する美男美女が主演を務めました。「マリアンヌ」で主演したブラッド・ピットとマリオン・コティヤールも現代の映画界を代表する美男美女であると言えます。
わたしと同い年のブラピがハリウッドを代表するイケメン俳優であることは周知の事実ですが、一方のマリオン・コティヤールもブログ「世界最高の美女」で紹介したように、アメリカの映画サイト「TC Candler」が発表する「世界で最も美しい顔100人」の2013年版で堂々の1位に輝きました。
わたしが彼女の存在を初めて知ったのは、映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」で主演したときでした。わたしは、彼女のことを美女というより演技力の優れた実力派女優であると思いました。歌姫ピアフが乗り移ったような鬼気迫る演技に「憑依」という言葉さえ連想したことを記憶しています。実在の人物を演じる俳優とは一種の「霊媒」であるということを知りました。
ブログ「エヴァの告白」で紹介した映画でも素晴らしい演技でした。
「マリアンヌ」を観て、わたしが感じたのは、「往年のハリウッド映画みたいだな」ということでした。もちろん、「モロッコ」や「カサブランカ」のイメージが重なっていたこともあるでしょうが、最近作られた映画のように思えないような「なつかしさ」が漂っているのです。じつは昨夜、トッド・へインズ監督、ジュリアン・ムーア主演の「エデンより彼方に」(2003年)をDVDで鑑賞したのですが、この作品はまさにハリウッド黄金時代を見事に甦らせた傑作でした。トッド・へインズと同様に、ロバート・ゼメキスもまた、ハリウッド黄金時代を意識して、「マリアンヌ」を作ったのではないでしょうか。
さて、「マリアンヌ」に登場する夫婦には、途方もない秘密があります。夫婦間の秘密を描いた映画といえば、ブラピとアンジェリーナ・ジョリーが主演した「Mr.&Mrs.スミス」(2005年)を思い出してしまいます。残念ながら離婚してしまいましたが、実際に夫婦だったブラピとアンジーが夫婦役で競演するアクション・エンターテインメントです。監督は「ボーン・アイデンティティ」のダグ・リーマンで、お互いの正体を暗殺者と知らず、すれ違いの生活を送る夫婦をコメディタッチに描きました。「マリアンヌ」における夫婦間の秘密はとてつもなく重く、最後も悲惨な結果に終わりましたが・・・・・・。
しかし、こんな「夫婦の秘密」をテーマにした映画を観ると、観客はなんだか得体の知れない不安が心に湧いてくるのではないでしょうか。こんな超弩級の秘密でなくとも、大抵の夫婦は何らかの秘密を抱えているもの。世の中には、相手をお互いに「人生の重要関係人」と認識している仲の良い夫婦もいるようです。それは素晴らしいことですが、犯罪・会社での不正・不倫・風俗通い・衝動買い・カード地獄・ヘソクリ・・・大なり小なり、すべての夫婦は秘密を抱えているように思います。そして、それが表沙汰になって夫婦間に亀裂が入るかどうかは、ひとえに「愛情」と「信用」にかかっています。
「信用」といえば、唐突ですが、わたしは『論語』に出てくる「託孤寄命章(たっこきめいのしょう)」を思い浮かべます。孔子は、君子とは何よりも他人から信用される人であると述べました。信用とは全人格的なものです。『論語』「泰伯」篇には、以下のような一文があります。
「曾子曰く、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからざるや、君子人か、君子人なり」 意味は、「曾子が言った。孤児を託すことのできる者、百里四方ぐらいの一国の運命を任せうる人、危急存亡のときに心を動かさず節を失わない人、そういう人が君子人であろうか、君子人である」
有名な「託孤寄命章」と呼ばれる一章です。確かに、幼い子どもを誰かに託して世を去っていかねばならないとき、これを託すことができるのは最も信頼できる人物だというのは事実です。ということは、自分はそのとき誰を選ぶだろうと考えてみれば、真に信頼できる人が誰かがわかります。この人は、自分が一人子を置いてこの世を去っていくとき、その子を託せる人だろうか。常にこれを念頭に置けば、いずれの社会であれ、人に裏切られることはない。これが、孔子のメッセージであると思います。
「マリアンヌ」には、まさに「託孤寄命章」を連想させる場面が登場します。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、たとえ自分の命が失われるとしても、愛する我が子を託することのできる相手を得たことは、やはり「幸福な人生」であったと言えるのではないでしょうか。ハリウッドの黄金時代を彷彿とさせるこの映画を観て、そんなことを考えました。