No.0268


 映画「沈黙-サイレンス-」を観ました。
 遠藤周作の小説『沈黙』を、巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマです。17世紀、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代初期の日本を舞台に、来日した宣教師の衝撃の体験を描き出しています。
 映画公式HPの「イントロダクション」には、「アカデミー賞最有力の歴史的大作がついに日本上陸」、「原作 遠藤周作 × 監督 マーティン・スコセッシ」、「戦後日本文学の金字塔が、アカデミー賞監督の手で完全映画化」として、以下のように書かれています。
 「刊行から50年、遠藤周作没後20年の2016年。世界の映画人たちに最も尊敬され、アカデミー賞にも輝く巨匠マーティン・スコセッシ監督が、戦後日本文学の金字塔にして、世界20カ国以上で翻訳され、今も読み継がれている遠藤周作『沈黙』をついに映画化した」

 また、「イントロダクション」には以下のように書かれています。

「1988年、スコセッシが原作と出会ってから28年、いくつもの困難を乗り越えて実現した一大プロジェクトだ。キャストは主演のアンドリュー・ガーフィールドを筆頭に、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソン、日本からは窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシら、各世代の実力派が名を連ねる。さらに、全員でアカデミー賞受賞6回、アカデミー賞ノミネート23回のスコセッシゆかりの最高のスタッフと、時代考証や美術で日本人チームが参加し、舞台となる江戸初期の長崎を再現した」
 
 さらに、「イントロダクション」には以下のように書かれています。

「人間の強さ、弱さとは?信じることとは?そして、生きることの意味とは? 貧困や格差、異文化の衝突など、この混迷を極める現代において、人類の永遠のテーマをあまりに深く、あまりに尊く描いた、マーティン・スコセッシの最高傑作にして本年度 アカデミー賞最有力作品がいよいよ上陸する」

 映画公式HPの「ストーリー」には以下のように書かれています。

「17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する」

 また、「ストーリー」には以下のように書かれています。

「日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた"隠れキリシタン"と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の 井上筑後守は『お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ』と棄教を迫るそして、「ストーリー」には以下のように書かれています。

「守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―」。

 ブログ『深い河』で紹介した小説と同じく、『沈黙』の作者は遠藤周作です。1923年(大正12年)生まれの人気作家でした。父親の仕事の都合で幼少時代を満洲で過ごしますが、帰国後の12歳の時に伯母の影響でカトリックの洗礼を受けました。41年上智大学予科入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表しています。翌42年に上智を中退しています。その後、慶應義塾大学文学部仏文科を卒業し、50年にフランスへ留学。帰国後は批評家として活動しますが、55年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、文学界の「第三の新人」の1人として脚光を浴びました。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作には本書をはじめ、『海と毒薬』『沈黙』『侍』などがあります。60年代初頭に大病を患い、その療養のため町田市玉川学園に転居してからは「狐狸庵山人」の雅号を名乗り、「ぐうたら」をテーマにしたユーモアに富むエッセイも多く手掛けました。わたしも小中学生の頃に愛読したものです。

 著者は数々の大病の体験を基にした「心あたたかな病院を願う」キャンペーンや日本キリスト教芸術センターを立ち上げるなどの社会的な活動も数多く行いましたが、96年に昼食を喉に詰まらせ、肺に誤嚥し呼吸停止に陥りました。結果、肺炎による心不全で亡くなっています。享年78歳でした。葬儀は麹町の聖イグナチオ教会で行われました。教会は人で溢れ、行列は麹町通りにまで達したといいます。生前の本人の遺志で『沈黙』と『深い河』の2冊が棺の中に入れられました。

 美輪明宏氏は、生前の遠藤周作と親交がありました。
 遠藤周作が小説『沈黙』を書いたのは、人の過去生を見る霊能力があるという美輪氏から「あなたの前世は、信仰を捨てたキリスト教の司祭ですよ」と言われたことからだそうです。じつは、このわたしも美輪氏から自分の前世に関する情報をお聞きしたのですが、その内容はここには書きません。いずれにせよ、遠藤周作は美輪氏の言葉から大きな影響を受けて、キリスト教の神についての物語である『沈黙』を書き上げたわけです。

 「沈黙-サイレンス-」ですが、予想していたよりも感動することはできませんでした。それよりも、内容についての違和感、いや、キリスト教を信仰することについての違和感を強く覚えました。ロドリゴは、「ザビエルたちの功績を忘れてはならない」といったような言葉を吐きますが、フランシスコ・ザビエルらのイエズス会の目的が単にキリスト教の布教だけでなく、ヨーロッパの植民地拡大にあったことは歴史上の事実です。

 拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に詳しく書きましたが、ヨーロッパ人が領域的に拡大することにより、多くの民族にキリスト教が伝道されました。教皇とスペイン王、ポルトガル王との条約によって、コルテスはメキシコを、ピサロはペルーを征服しました。その後、キリスト教は南アメリカに着実に根づいていきます。イエズス会は、ドミニコ会やフランシスコ会と同じく、伝道活動に最大限の労力を注ぎました。
 
 1767年にスペイン国王によって、イエズス会はラテン・アメリカから追放されます。少し後の1808年に植民地がヨーロッパによる支配から解放されると、植民地教会それ自体の歴史も幕を閉じることになるのでした。カトリックもプロテスタントも、アフリカへの伝道が進むのは19世紀前半からですが、かなりの成功を納めています。
 しかし、アジアへのキリスト教の浸透はきわめて困難でした。中国には宣教師が何度も渡ってきていていますが、典礼問題などの文化衝突もあり、キリスト教が定着するのは1840年のアヘン戦争以降のことです。

 フランシスコ・ザビエルの日本への伝道は1549年のことで、より大きな成果を生み、16世紀末頃にはすでに30万人のキリスト教徒がいました。この時期以降1858年まで迫害が続きましたが、後に秘かにキリスト教を信仰してきた隠れキリシタンの存在が明らかになりました。日本ではその後、思ったほどの信者数が伸ばせず、現在では人口の0.9%の100万人程度となっています。

 拙著『儀式論』(弘文堂)の第10章「日本人と儀式」に詳しく書きましたが、キリスト教は日本人の結婚式に大きな影響を与えてきました。神社での神前結婚式の歴史はたかだか100年にすぎず、それもキリスト教式の導入がきっかけで生まれています。しかも、この動きは仏教にも影響を与え、明治時代末期には曹洞宗を皮切りに各宗派が仏前結婚式を始めたのです。増上寺や築地本願寺でも婚礼が行われました。

 ところが、結婚式にはこれほど大きな影響を及ぼしたキリスト教が、日本での布教という点ではまったく不振でした。鎖国時代は致し方ないとしても、明治6年の切支丹禁制高札撤去から140年以上経った現在も、いまだに信徒数は100万人ほどで、人口比は1%にも満たない。宗教界の世界シェア30%の看板が泣くというものです。
 一方、隣の韓国を見ると、キリスト教徒のシェアは25%です。この30年間で大幅に信徒が増えたそうですが、ほぼ同じ文化圏に属しながら1%と25%、この違いはどこから来たのでしょうか。

 いろいろな理由が考えられますが、1つには「入りやすさ」の違いがあったのではないかと言われます。韓国は伝統的な宗教風土として儒教の影響が強いことが知られています。儒教は15~16世紀に朝鮮政権と結びついて強い影響力を持ちましたが、逆に17世紀以降は王朝とともに衰退します。それと入れ代わりに、近代化とともにキリスト教が入ってきました。儒教とキリスト教はいずれも「天」という共通のコンセプトを持っていたがゆえに、スムースに交代が行われたのではないかというのです。

 一方、日本には何があったかというと、基本として古神道に代表されるアニミズムです。自然界のあらゆる事物を霊的存在とみなす「やおよろず」的な宗教観で、キリスト教とは到底かみ合いません。
  アニミズムに「天」は存在せず、「天」の文字は古代から天皇という最高権力者のものだったのです。そのため日本ではキリスト教伝来の当初から「天」あるいは「天にいます神」という概念を受け取るのに苦労したのでしょう。キリスト教側から見れば、非常に教義を伝えにくい、受け入れられにくい土地であったと推察されます。そのように布教が奮わなかった日本のキリスト教が、なぜか教育界とブライダル業界では大成功を収めました。ともに女性のニーズをつかんだことが大きいとされます。

 キリシタンの追放を決めた幕府は「キリスト教禁止令」を出しましたが、人々がキリシタンでないことを証明するためにはいずれかの寺の檀家になるしか方法がありませんでした。これが寺請制度です。住民がキリシタンでないことを証明するためには「宗門人別帳」を作成し、それが戸籍の役目も果たしました。その延長で、寺院が墓地を管理し、「過去帳」という死者の戸籍も管理することになったのです。こうして死者との接点という役割が与えられたことで、死者を送る葬儀も仏式が定着していくのでした。

 誤解を恐れずに言えば、わたしは日本人にはキリスト教は合わないと思います。では、何の宗教が合うかというと、神道・仏教・儒教が混ざり合ったハイブリッドな「日本教」です。かの聖徳太子は、神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描きました。聖徳太子は、まさに宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う。3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。

 この太子が行った宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日まで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまな形で開花していきました。わたしの経営する会社は冠婚葬祭業ですが、そのルーツは聖徳太子にさかのぼると言っても過言ではありません。ハイブリッド宗教としての「日本教」の開祖こそ聖徳太子なのです。

 その聖徳太子の中には、さまざまな聖人の影が見えます。中でも、馬小屋で生まれたという伝説は、明らかにイエス・キリストを連想させます。
 梅原猛氏のベストセラー『隠された十字架ー法隆寺論ー』(新潮文庫)には、法隆寺の中門前に「鯛石」と呼ばれる魚の形をした敷石があり、キリスト教のシンボルである「魚」に由来するものであると書かれています。また、夢殿の救世観音とは聖徳太子の姿を模したといわれていますが、救世観音とは「メシア」を示し、観音像は磔刑されたキリストの姿を仏像で置き換えているといいます。なぜならば、救世観音は十字架にかけられたキリストのように全身に釘が打ち込まれているからです。そして、十字架から下ろされたキリストのように布に包まれ、何百年も秘仏とされてきたといいます。ということは、すでに飛鳥時代にはキリスト教が伝来しており、古代日本国家形成に影響を与えたに違いない・・・・・以上が、梅原氏の大胆な説ですが、今では『隠された十字架』は「トンデモ本」扱いされているようですね。

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平戸で求めた「踏み絵」のレプリカ


 隠れ切支丹の人々が守り続けてきたものこそ、本当の「隠された十字架」でした。わたしの書斎には、「踏み絵」のレプリカがあります。もう10年以上も前に、平戸に社員旅行をしたときに買い求めたものです。ちょうど文庫本のサイズですが、これを見るたびに、隠れ切支丹の悲劇に想いを馳せてしまいます。最後に、『沈黙』とともに作者の棺に納められた『深い河』を読むと、遠藤周作のキリスト教に対する根本的な疑問を強く感じます。死ぬ間際、彼は物言わぬ神についてどう思っていたのでしょうか?

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「踏み絵」はちょうど文庫本サイズです