No.0277


 7日に公開された映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観ました。アーノルド・シュワルツェネッガーが主演した「トータル・リコール」(1990年)の宣伝キャッチコピーは「これは、目のごちそうだ!」でしたが、久々にその言葉を思い出しました。「ゴースト・イン・ザ・シェル」はまさに、目のごちそう。
 極上の視覚体験に、わたしの脳は大いに刺激されました。

 ヤフー映画には以下のように書かれています。

「『スノーホワイト』などのルパート・サンダーズが監督を務め、士郎正宗のSF漫画『攻殻機動隊』を、スカーレット・ヨハンソンやビートたけしらを迎えて実写映画化。近未来を舞台に、脳以外は全身義体の少佐が指揮する捜査組織公安9課の活躍を描く。『イングリッシュ・ペイシェント』などのジュリエット・ビノシュや『シルク』などのマイケル・ピットらが共演。敵と対峙する公安9課を、どのように描くのかに注目」

 また、ヤフー映画には以下のように書かれています。

「近未来。少佐(スカーレット・ヨハンソン)は、かつて凄惨な事故に遭い、脳以外は全て義体となって、死のふちからよみがえった。その存在は際立っており、サイバーテロ阻止に欠かせない最強の戦士となる。少佐が指揮するエリート捜査組織公安9課は、サイバーテロ集団に果敢に立ち向かう」

 「ゴースト・イン・ザ・シェル」は、アニメ「攻殻機動隊」の実写映画化です。もともとアニメには疎いわたしですが、「攻殻機動隊」という作品はまったく知りませんでした。「新世紀エヴァンゲリオン」を全話観たときもつくづく思ったのですが、「日本のアニメはすごい!」ですね。

 まさに、あらゆる文化ジャンルの中で日本人のクリエイティヴィティが世界の最高レベルにあるのは、間違いなくマンガとアニメでしょう。「ゴースト・イン・ザ・シェル」は全篇にわたって、「THIS IS COOL JAPAN!」という雰囲気に満ちていました。荒巻大輔を怪演した北野武も良かったです。「世界のキタノ」の貫録を大いに見せてくれました。

 アニメには疎いわたしですが、SF映画は大好きで、主な名作はほとんど観ています。この「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観てまず思ったのは、「ブレードランナー」から多大な影響を受けていることでした。SF映画の金字塔として名高い「ブレードランナー」は、1982年公開のアメリカ映画で、監督はリドリー・スコットです。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作としています。

 「ブレードランナー」のストーリーですが、2019年、環境破壊により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ大都市での生活を強いられていました。宇宙開拓の前線では、レプリカントと呼ばれる人造人間が、過酷な奴隷労働に従事していた。遺伝子工学により開発されたレプリカントですが、製造から数年経つと感情が芽生え、主人たる人間に反旗を翻すような事件が多発します。

 人間社会に紛れ込む彼らを「処刑」する任務を負うのが、専任捜査官ブレードランナーでした。映画では、ハリソン・フォードが主役を演じました。彼は「スターウォーズ」と「ブレードランナー」という2つの金字塔作品に主演したことによって、「SF映画」そのもののアイコン的存在になったと言ってよいでしょう。今年11月には、「ブレードランナー」の続編である「ブレードランナー2049」が公開されますが、ハリソン・フォードは前作と同じ役で登場します。今から楽しみですね!

 「ゴースト・イン・ザ・シェル」の巨大な立体電子広告のある都市の夜景は、「ブレードランナー」そのままです。そして、その広告をはじめ、「ゴースト・イン・ザ・シェル」には芸者姿のロボットがたくさん登場します。この芸者は、いわゆる「フジヤマ・ゲイシャ」の芸者ガールのイメージで、日本人としては違和感がありました。というのも、芸者とは映画で描かれたようなキッチュな存在ではなく、もともとは教養にあふれた神聖な存在だからです。

 『芸者論』岩下尚史著(文春文庫)という本があります。第20回和辻哲郎文化賞を受賞した好著ですが、「芸者」という稀有な存在について、著者の岩下氏は以下のように述べています。

 「古代以来の天子が、多くの有能な巫女を後宮に集め、国を平らかに治めた伝統は生きているのです。その時々の状況を融通無碑な見方で計り、入り組んだ諸問題を美しく見事に取捌く能力を大和魂と呼び、この能力を備えた者でなければ、有能な巫女を引き寄せることは出来ず、したがって良き宴の祭主となることは叶わないと、王朝の紳士たちは考えたのですが、これが現代に表れるときには、接待における交渉が上手く運び、紳士としての信用と威厳が備わり、その結果、政財界で所を得ることが出来る、ということになります。このように料亭の座敷を使う接待は、大小にかかわらず、儀式にほかなりませんから、その式次第と演出を充分に心得て、相手の魂を取り込んだ者が、明治以来の日本を動かして来たのです」

 「ゴースト・イン・ザ・シェル」のヒロイン・草薙素子は日本人ですが、彼女をスカーレット・ヨハンソンが演じたことについて、アジア人の白人化との批判があるようです。確かにそうかもしれませんが、非日常的な物語のヒロインですから、無国籍的なヒロインは「あり」ではないかと個人的には思いました。でも、素子の母親を桃井かおりが演じていましたので、やはりスカーレット・ヨハンソンでは違和感があるかも。

 桃井かおりの娘ということなら、多部未華子、二階堂ふみあたりがイメージに合うかもしれませんね。あと、沢尻エリカ。沢尻エリカのハリウッド・デビューとして草薙素子役は面白かったのではないかと思います。でも、わたしはこの発言に一切の責任を負いません。あくまでも「攻殻機動隊」をまったく知らなかった人間の思いつきの戯言ですから、ガチなファンの方の気に障ったらごめんなさいね!

 それはともかく、主演のスカーレット・ヨハンソンは非常に魅力的だったと思います。彼女の名前は「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラに由来するそうですが、まさに「美しさ」と「強さ」を兼ね備えた女性という印象です。スカーレット・ヨハンソンが演じる少佐は、脳が組み込まれた全身義体という人間とかけ離れた存在です。その能力も人間のそれをはるかに超えており、まさに「超人」と呼ぶべきです。

 『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「超人化のテクノロジー」において、わたしは「超人」について書きました。超人というと、わたしには子どもの頃に夢中になった漫画家の故・石ノ森章太郎が生み出した数多くのキャラクターたち、サイボーグ007、仮面ライダー、キカイダー、イナズマン、ロボット刑事Kなどがすぐ思い浮かびます。それらはサイボーグ、アンドロイド、ミュータントなど厳密には異なる存在でしたが、人間を超えた存在としてのパワーと悲しみが十分に表現されていました。

 サイボーグとしての仮面ライダーは、自らの肉体に機械を埋め込まれ、怪物のような改造人間となったことに苦悩しました。21世紀において人間と機械の関係はさらに複雑で広範囲なものになっていますが、すでに20世紀の半ばに、人間と機械を徹底的に比較しようとした研究がありました。クロード・シャノンとノーバート・ウィーナーという2人のユダヤ系研究者による「サイバネティックス(人間機械論)」です。彼らはここで、「情報」という概念を歴史上初めて唱え、生物固有の仕組みを「情報」によって説明しようとしました。そして、シャノンの「情報理論」は、今日のコンピュータと通信技術の基礎を作ったのです。一方、ウィーナーは「人間とは何か」と問いかける学際的な「人間観」を構築していったのでした。

 また1960年代に、カナダのメディア学者マーシャル・マクルーハンは、「人間拡張の理論」を唱えました。鉛筆が手の延長で、自動車が足の延長、電話が口と耳の延長で、テレビが目の延長というように、マクルーハンは道具や機械を人間の身体の延長としてとらえました。そして、電気メディアの登場でその拡張はすでに「最終段階」に入り、外部への拡張が人間の心身の内部にまで拡張して、「内爆発」を起こしていると主張したのです。

 この「内爆発」によって、それまで外部への作用しかなかった道具の影響が、人間の内側に激しく作用してきます。その結果、内爆発の影響を受けた人間の心身は、当然、それ以前とは変わってしまいます。現在再評価を受けつつあるマクルーハンの理論が正しければ、その後にあらわれたパソコンや携帯電話は、人間の感覚を確実に変容させているはずです。

 テクノロジーの力を借りて、身体能力を拡張し続ける人類は、限りなくサイボーグ化しているのです。そもそもサイボーグ化などというと、すぐ人工臓器などを考えがちですが、そこまでいかなくとも、健康な人も近眼ならコンタクトレンズをつけるでしょう。さらに多くの人が年をとると老眼になって眼鏡をかけます。人工臓器と、コンタクトレンズや眼鏡は「拡張」の度合いに差はあっても、「身体の延長」という本質は異なるものではありません。サイボーグとはサイバネティック・オーガズムであり、機械と有機体のハイブリッドであり、フィクションであると同時に社会的現実が創造したものでもあります。

 私のブログ「『古事記』アフタートーク」で紹介したトークショーで共演した「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生、コーディネーターを務めた「出版寅さん」こと内海準二さんと一緒に、イベントの翌朝、松柏園ホテルで朝食を取りました。そのとき、パラリンピックの話題になりました。身体障害者のためのスポーツの祭典であるパラリンピックでは、足に障害のある選手は、義足を用いて走ったり、跳んだりするわけです。

 しかし、技術の向上によって、義足が生身の足よりも性能を超えてしまっているという問題があります。つまり、義足は不利ではなく有利になるということです。国際陸上連盟は義足に関する規定などを定めていますが、そのような規定をとっぱらってしまえば、義足を含めた義体によるサイボーグ選手の登場が予想されます。すると、オリンピック選手よりもパラリンピック選手のほうが優秀な記録を残すのが当然という時代が来る可能性があります。わたしたちは、そのような問題を語り合ったのですが、まさに「ゴースト・イン・ザ・シェル」に深く関連する問題であると言えるでしょう。