5日に日本公開されたアメリカ映画「カフェ・ソサエティ」を観ました。わたしの大好きなウディ・アレン監督の最新作です。ブログ「マジック・イン・ムーンライト」で紹介した映画以来のアレン作品を観賞したわけですが、ゴールデンウィーク上映作品がどれもコミック原作の実写映画ばかりなので、食傷気味でした。そこで、王道を行く本格的なハリウッド映画がたまらなく観たくなったのです。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「第69回カンヌ国際映画祭のオープニングを飾ったロマンチックコメディー。1930年代のハリウッドを舞台に、華やかな上流階級社会に飛び込んだ青年の恋を追う。メガホンを取るのは、数多くの名作を世に送り出してきたウディ・アレン。『グランド・イリュージョン』シリーズなどのジェシー・アイゼンバーグ、『アクトレス ~女たちの舞台~』などのクリステン・スチュワートのほか、ブレイク・ライヴリー、スティーヴ・カレルらが顔をそろえる。黄金期のハリウッドを再現した美術や衣装に魅せられる」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「1930年代。ニューヨークに暮らす青年ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)は、刺激にあふれた人生を送りたいと願いハリウッドに向かう。そして彼は、映画業界のエージェントとして大成功を収めた叔父フィルのもとで働く。やがてボビーは、叔父の秘書を務める美女ヴォニー(クリステン・スチュワート)のとりこになる。ひょんなことから彼女と距離を縮められて有頂天になり、結婚まで考えるようになるボビー。しかし、彼女にはひそかに付き合っている男性がいて・・・・・・」

 「カフェ・ソサエティ」を観終わったわたしは、「相変わらず、アレンの映画はオシャレだなあ」と思いました。オープニングは、ビバリーヒルズのセレブの邸宅でのパーティーの場面です。タキシードにドレスで着飾った紳士淑女がプールサイドでシャンパングラスを持っている光景は、それだけで絵になります。現在工事中の松柏園ホテルの新館にはプールを作りますが、わたしは近い将来、プールサイドで開くパーティーのことを考えました。

 プールサイド・パーティーの場面以外にも、30年代のファッションとかインテリアとか、オシャレなアイテムが満載で、ホテルやブライダルといったビジネスにおいても大いに参考になりました。ハリウッドが舞台ということで、往年の名優や名監督の実名が次々に登場するのも、映画ファンにはこたえられません。あと、アレンの映画はなんといっても音楽が素晴らしいです。「カフェ・ソサエティ」にも全篇、スタイリッシュなジャズが流れていました。

 ハリウッドが舞台でジャズが流れるといえば、映画「ラ・ラ・ランド」もそうでした。じつは「ラ・ラ・ランド」と「カフェ・ソサエティ」の両作品は内容的にも通じる部分があります。ともに、主人公が自分とは結ばれなかった元恋人との、可能性としてあった「もう1つの人生」に想いを馳せるところです。ウディ・アレンの分身である「カフェ・ソサエティ」の主人公ボビーは、1人目のヴェロニカ(クリステン・スチュワート)とは結ばれませんでしたが、2人目のヴェロニカ(ブレイク・ライブリー)とは結婚し、子どもも授かります。2人とも大変な美女なので、ボビーが羨ましい限りです。

 しかし、幸福の絶頂にあるはずのボビーは、かつての恋人であるヴォニーとの「もう1つの人生」を想像するのでした。このあたりは、アレンの不朽の名作である「アニー・ホール」(1977年)の物語を連想させます。「カフェ・ソサエティ」の後半は、舞台がハリウッドからニューヨークに移るのですが、40年前と変わらないニューヨークに対する愛情を感じました。

 アレンがハリウッドを「俗物的」な街、ニューヨークを「知的」な街としてとらえていることは明らかです。ニューヨークで再会して一緒に馬車に乗り込んだボビーとヴォニーがワイングラスを片手にセントラルパークの夜明けを迎えるシーンは最高にロマンティックでした。
 今では互いにパートナーのいる2人ですが、熱いキスを交わします。いわば不倫ですが、「不倫もここまでオシャレなら許せる」と思う方も多いのではないでしょうか。現在、TBSで放映されている「あなたのことはそれほど」のような貧乏臭いゲス不倫とは大違いです!

 「カフェ・ソサエティ」には、ボビーの姉一家の隣人トラブルが描かれています。隣家に住む男が凶暴な性格で、いつもラジオを大音量で流すので、姉がノイローゼ気味になっているのです。姉の夫は争いを好まない弱腰の男で「ラジオの音を小さくしてくれませんか?」と低姿勢に頼みますが、ラチがあきません。この隣人とのラジオの音量トラブルは、アレンの名作「ラジオ・デイズ」(1987年)を彷彿とさせます。こういう遊び心がアレン映画の魅力の1つと言えるでしょう。

 さて、ラジオの音量を下げない隣人に困り切った姉は、ギャングの兄に相談します。兄は果敢な行動力で隣人をこの世から消し去ってくれたのでした。この場面、あまりにもスカッと明るく描かれているので、わたしは「ギャングの兄ちゃん、行動力があってカッコいいなあ!」と思ってしまいました。ところが、その後、この兄は殺人罪などにより電気椅子で処刑されてしまいます。それを観てわたしは「ありゃりゃ!」と思いました。 やはり、暴力で問題を解決するのはいけませんね。はい。

 ボビーの一家はユダヤ人でしたが、兄は処刑の直前にキリスト教に改宗します。その理由は「ユダヤ教には来世がないから」というものでした。兄は「死後も、自分の一部が何かの形で残ってほしい」と願ったのです。これを知ったボビーの母は、「ユダヤ教も来世を認めれば、もっと信者を増やしたのに」と言うのですが、わたしもまったく同感です。
 拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に詳しく書いたように、ユダヤ教と根を同じくするキリスト教やイスラム教は来世を説きますが、ともに世界宗教に発展しました。わたしは、「死」と「死後」の説明をすることこそ宗教の最大の役割であると考えています。

 よく知られているように、ウディ・アレン自身がユダヤ人であり、ユダヤ教徒です。彼の作品では、生まれ育ったニューヨークの文化や暮らし、人々のメンタリティをテーマにすることが多いですが、そこに住むユダヤ人のそれを主題としています。ユダヤ人であることの差別とそこから来るコンプレックスや、自己意識などを織り込んだコメディが、アレン映画の最大の特徴です。

 それにしても、アレンは現代映画界最高のカリスマの1人です。
 彼は、アカデミー賞に史上最多の24回もノミネートされ、監督賞を1度、脚本賞を3度受賞しています。「監督、脚本、主演の三役をこなして成功することが出来た映画人は、北野武とチャールズ・チャップリンとオーソン・ウェルズとこのアレンの4人だけだ」などと言われているそうです。自身の映画で演じる際には自らをカリカチュアライズしたようなユダヤ系の神経質なインテリを演じることが多いアレンですが、ボビーを演じたジェシー・アイゼンバーグという素晴らしい分身を得たわけです。アレンの映画を観ると、いつも「映画の本質は夢である」ことを再確認させられます。すでに80代となったアレンですが、これからもオシャレな名画を発表し続けてほしいです。