No.0282
話題のディズニー映画「美女と野獣」を観ました。久々に長女と銀座で待ち合わせ、有楽町マリオン内の「TOHOシネマズ日劇」で鑑賞したのです。彼女が幼い頃には、よくディズニー・アニメ「美女と野獣」のビデオを一緒に観ていました。また、4歳のときには劇団四季のミュージカル「美女と野獣」に連れて行ったりしたことを思い出し、非常になつかしかったです。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「ディズニーが製作した大ヒットアニメ『美女と野獣』を実写化した、ファンタジーロマンス。美しい心を持った女性ベルと野獣の恋の行方を見つめる。メガホンを取るのは、『ドリームガールズ』や『トワイライト』シリーズなどのビル・コンドン。『コロニア』などのエマ・ワトソン、『クリミナル・ミッション』などのダン・スティーヴンス、『ドラキュラZERO』などのルーク・エヴァンスらが顔をそろえる。幻想的なビジュアルに期待が高まる」
ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「進歩的な考え方が原因で、閉鎖的な村人たちとなじめないことに悩む美女ベル(エマ・ワトソン)。ある日、彼女は野獣(ダン・スティーヴンス)と遭遇する。彼は魔女の呪いによって変身させられた王子で、魔女が置いていったバラの花びらが散ってしまう前に誰かを愛し、愛されなければ元の姿に戻ることができない身であった。その恐ろしい外見にたじろぎながらも、野獣に心惹(ひ)かれていくベル。一方の野獣は・・・・・・」
「美女と野獣」は、もともとフランスの異類婚姻譚です。1740年にガブリエル=スザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ(ヴィルヌーヴ夫人)によって最初に書かれました。現在では、ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン(ボーモン夫人)が1756年に出版した短縮版が広く知られています。
1946年にはジャン・コクトーが映画化し、幻想的で耽美的な世界を見事に表現しました。また1991年にはディズニーがアニメーション化し、大ヒットしました。今回の「美女と野獣」は、アニメを忠実に実写化したようでありながら、コクトー映画の幻想性もうまく表現することに成功しています。
この「美女と野獣」、本当に面白かったです。とにかく、ダン・スティーヴンスが演じる野獣の表情が素晴らしいです。あまりにも哀しげな彼の表情を見ているだけで泣けてきます。今や世界を代表する美女となったエマ・ワトソンの演技も最高でした。彼女がハリー・ポッターシリーズでハーマイオニー・グレンジャーを演じたことは有名ですが、その高い演技力と愛くるしさは25歳になった現在も健在でした。
エマは自身のFacebookに「私がディズニーの新しい実写映画『美女と野獣』でベルを演じることを...やっとみんなに伝えられるわ! あの作品は子どもの頃から私の中で大きな部分を占めていて、『Be Our Guest』でダンスしたり、『Something There』を歌ったりできるなんて、もう夢のよう」と書き込んでいますが、それほど大好きなキャラクターを演じることができた喜びが画面にも溢れています。彼女のベル役は年齢的にも最高のタイミングであったと言えるでしょう。
エマがハーマイオニーを演じた「ハリー・ポッター」も「美女と野獣」には大きな共通点があります。それは、ともに魔法の映画であるということです。前者はイギリスの魔法映画で、後者はフランスの魔法映画ですが、ともに「魔法」をメインテーマとした作品であることに変わりはありません。そしてわたしは、映画そのものの本質も魔法であると思います。初期の映画でトリック撮影を駆使したジョルジュ・メリエスの作品は、現実にはあり得ないファンタスティックな映像が多く、観客は異界に迷い込みました。映画とは魔法として誕生したのです。
「ハリー・ポッター」には多くの魔法使いが登場しますが、「美女と野獣」にも女の魔法使い、つまり魔女が登場して、非常に重要な役割を果たします。
魔法使いなどというものは、はたしてこの世に実在するのでしょうか。
わたしは、実在すると思っています。それどころか、わたしは、なんと魔法使いになるための本も書いています!
『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)という本です。
魔法使いになるための本
その本では、さまざまな人間関係を良くする魔法を紹介しているのですが、その基本を小笠原流礼法に置いています。
そもそも礼法とは何でしょうか。原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。自分を守るために、弓や刀剣などの武器を携帯していたのですが、突然、見知らぬ人に会ったとき、相手が自分に敵意がないとわかれば、武器を持たないときは右手を高く上げたり、武器を捨てて両手をさし上げたりしてこちらも敵意のないことを示しました。相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。
このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。
身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化し、発展して、今日の礼法として確立されてきたのです。ですから、礼法とはある意味で護身術なのです。剣道、柔道、空手、合気道などなど、護身術にはさまざまなものがあります。しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。まさしく、礼法こそは最強の護身術なのです。
さらに、礼法というものの正体とは魔法にほかなりません。
フランスの作家サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』は人類の「こころの世界遺産」ともいえる名作ですが、その中には「本当に大切なものは、目には見えない」という有名な言葉が出てきます。本当に大切なものとは、人間の「こころ」にほかなりません。その目には見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるものこそが、立ち居振る舞いであり、挨拶であり、お辞儀であり、笑いであり、愛語などではないでしょうか。それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。
「魔法」とは、正確にいうと「魔術」のことです。西洋の神秘学などによれば、魔術は人間の意識、つまり心のエネルギーを活用して、現実の世界に変化を及ぼすものとされています。ならば、相手のことを思いやる「こころ」のエネルギーを「かたち」にして、現実の人間関係に変化を及ぼす礼法とは魔法そのものなのです。わが社では、社員教育に小笠原流礼法を取り入れています。わたしは、かつて「見えぬもの見えるかたちにする人は まこと不思議な魔法使いよ」という短歌を詠み、わが社の社員に披露しました。
冠婚葬祭やホテルといったホスピタリティ・サービスの現場において、目には見えない「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」といった、この世で本当に大切なものを目に見える形にしてほしいという願いを込めました。
冠婚スタッフの"むすびびと"や葬祭スタッフの"おくりびと"たちが、サン=テグジュぺリが「見えない」といった大切なものを「見える」形にできるとしたら、それは魔法使いそのものだと思いませんか? 「美女と野獣」には「Be Our Guest」という有名な歌が流れますが、あの名曲こそはホスピタリティ・サービスに従事する魔法使いたちのテーマソングだと思います。
それから、「美女と野獣」を観て、意外なメッセージが隠されていることを発見しました。それは、ずばり「教養」の大切さです。
サン=テグジュペリが言った「目には見えないもの」とは「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」であると述べましたが、じつはその総体は「教養」という言葉に集約できることに気づいたのです。この場合の教養とは、単なる「知識の豊かさ」ではありません。そうではなくて、「心の豊かさ」です。わたしの言葉を使うなら、「ハートフル」であります。
映画に登場するベルは本が大好きな女性です。しかし、彼女が住む田舎の連中には読書の習慣などなく、ベルは変わり者として扱われます。一方の野獣は、昔は乱痴気騒ぎに明け暮れる馬鹿王子でしたが、魔女から野獣に変えられてからは城に引きこもって読書三昧の生活を送ります。その醜い姿ゆえに外出できず、城の中で本を読むぐらいしかすることがなかったのです。当然ながら、野獣は知らない間に教養を備えていきます。
「外見に惑わされない者になりなさい」というのが魔女のメッセージならば、それは「教養のある者になりなさい」という言葉と同義語です。
読書の最大の効用とは、心を豊かにすること
拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)にも書きましたが、読書の最大の効用とは、心を豊かにすることです。読書によって「教養」が身につくのです。インテリジェンスには、いろいろな種類があります。学者のインテリジェンスもあれば、政治家や経営者のインテリジェンスもある。冒険家のインテリジェンスもあれば、お笑い芸人のインテリジェンスもある。けっして、インテリジェンスというものは画一的なものではありません。しかし、すべての人々に必要とされるものこそ、「心のインテリジェンス」であり、より具体的に言えば、「人間関係のインテリジェンス」ではないでしょうか。つまり、他人に対して気持ち良く挨拶やお辞儀ができる。相手に思いやりのある言葉をかけ、楽しい会話を持つことができる。これは、「マネジメントとは、つまるところ一般教養のことである」というドラッカーの言葉にも通じます。
ベルと野獣が心を通わせたのには、読書という共通の趣味が大きな役割を果たしていました。彼らはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』や『アーサー王と円卓の騎士』の話題で盛り上がります。また、野獣は城の中の立派な書斎にベルを案内しますが、彼女は感激のあまり立ちすくんでしまいます。本好きの彼女にとって、そこはまさに天国のような場所だったのです。二階建ての素晴らしい書斎がスクリーンに登場したとき、わたしはブログ「渡部昇一先生」で紹介した「世界一」と呼ばれた渡部先生の書斎と書庫を連想しました。革装の洋書がズラリと並ぶ渡部先生の書斎は、野獣の書斎によく似ていたのです。わたしは、先月逝去された「知の巨人」を想い、思わず涙が出てきました。
教養は大きな人間的魅力となる
また、ベルが野獣に心を寄せていったのは、野獣の優しさだけが原因ではありません。野獣の教養にベルは惹かれていったのです。そう、教養は大きな人間的魅力となるのです。拙著『龍馬とカエサル』(三五館)に書きましたが、わたしは、人類史上で最もモテた男性はユリウス・カエサルではないかと思います。カエサルは古代ローマの借金王でしたが、その原因の1つは、自身の書籍代だったそうです。彼は大変な読書家だったのです。
当時の知識人ナンバーワンは哲学者のキケロと衆目一致していましたが、その彼もカエサルの読書量には一目置きました。当時の書物は、高価なパピルス紙に筆写した巻物でした。当然ながら高価であり、それを経済力のない若い頃から大量に手に入れたため、借金の額も大きくなっていったのです。カエサルは貪欲に知識を求めたのであり、当然、豊かな教養を身につけていたに違いありません。人類史上最高の人気者の1人である彼の魅力の一端に、その豊かな教養があったことは疑いもないでしょう。
「美女と野獣」に登場する野獣も豊かな教養の持ち主でした。
彼の姿は醜くとも、彼の内面は美しかったのです。その一方で、ベルに結婚を迫り続けるガストンは、無教養この上ない野卑なゲス男でした。
世の女性は結婚相手を選ぶとき、くれぐれも外見に惑わされてはいけません。この場合の外見とは容姿だけでなく、肩書や収入なども含みます。
最近、わたしが贔屓にしていた某女性タレントが入籍しました。39歳にして彼女が選んだ相手はイケメンで、IT企業の会長を務める資産200億円の男性でした。世は「玉の輿婚だ!」と言って騒ぎましたが、その後、男性は女性関係にだらしなく、離婚歴があるだけでなく、複数の女性と並行して交際しており、なんと3人の婚外子がいることが判明しました。わたしは大きなショックを受けました。金と女ばかりを追い回しているゲス男には教養の欠片もありません。「美女と野獣」を観終わった後、わたしは娘に「金などなくてもいいから、教養のある人と結婚しなさい」と言ったのでした。
教養は儀式にきわまる!
このブログ記事を読んだ弘文堂の外山千尋さんからメールが届きました。拙著『儀式論』の担当編集者である外山さんは、ディズニーアニメのヒロインの中でも思慮深いベルがいちばんお好きだとか。白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫・・・ディズニーのプリンセスたちは「王子様を待っているだけ」の夢子さんではなく、自主的に考え、行動するのでこれほど支持が集まるのだと思いますが、ベルはその嚆矢だというのです。そして、実写版「美女と野獣」の大ヒットを承けて、そこにさらに「読書して教養を身につけ」が加わることを願っておられます。そう、次世代のヒロインは「読書して教養を身につけ、考え、行動し、自ら幸せをつかむ」のです。
折しも、その形容にぴったりな秋篠宮眞子さまのご婚約が報道されました。外山さんはメールの最後に「ベルと眞子さまにあやかって読書と教養へのリスペクトが復権することを祈っております」と書かれていました。