No.0284
映画「スプリット」をレイトショーで観ました。
いやあ、久々に胸糞が悪くなる映画を観てしまいましたね。
とにかく、鑑賞中はずっとイライラしっぱなしでした。アカデミー賞にストレス賞があれば、受賞できるのではないでしょうか。シャマランの監督作品には傑作と駄作が混合していますが、残念ながら「スプリット」は後者でした。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『シックス・センス』などの鬼才M・ナイト・シャマランが監督、製作、脚本をこなして放つスリラー。女子高校生たちを連れ去った男が、23もの人格を持つ解離性同一性障害者だったという衝撃的な物語を紡ぐ。複雑なキャラクターを見事に演じ分けたのは、『X-MEN』シリーズなどのジェームズ・マカヴォイ。高校生対23の人格による激しい攻防戦に息詰まる」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「高校生のケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)は、クラスメートのクレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の誕生パーティーに招待される。帰りは、彼女とクレアの親友マルシア(ジェシカ・スーラ)をクレアが車で送ってくれるが、途中で見ず知らずの男性(ジェームズ・マカヴォイ)が車に乗り込んでくる。彼に拉致された三人は、密室で目を覚まし・・・・・・」
わたしは「あらゆる映画を面白く観る」主義で、基本的に観た映画はけなさないのですが、この映画はひどかったです。正直、「時間のムダだった」とも珍しく思ってしまいました。「全米3週連続No.1大ヒット!」と謳っていますが、信じられません。アメリカの観客は日本人とは感性が違うのでしょうか。
もともと、わたしはシャマランの「シックス・センス」(1999)が大好きで、映画館での鑑賞のみならず、DVDでも何度も観ました。ブルース・ウィリス演じる精神科医のマルコムは、かつて担当していた患者の凶弾に倒れます。リハビリを果たした彼は、複雑な症状を抱えたコールという少年の治療に取り掛かるのですが、コールには死者を見る能力としての「シックス・センス(第六感)が備わっているのでした。マルコムはコールを治療しながら、自身の心も癒されていくのを感じますが、最後には予想もつかない真実が待ち受けていました。スペンス・スリラー映画の最高傑作であるのみならず、コールの死者への接し方にはオカルトを超えた仏教的な世界観さえ感じました。この映画を観たとき、わたしは「シャマランは天才だ!」と思いました。
シャマランが脚本・監督を務めた「シックス・センス」が商業的にも大成功で、アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされました。その後、「アンブレイカブル」(2000)、「サイン」(2002)も興行的には成功し、「シックス・センス」ほどではないにしろ、それなりに面白かったです。
しかし、「ヴィレッジ」(2004)あたりから様子がおかしくなってきて、「レディ・イン・ザ・ウォーター」(2006)では最悪の事態が待っていました。この映画は興行的にも大失敗で、製作費も回収できませんでした。また評論家にも酷評され、さらにシャマランは第27回ゴールデンラズベリー賞で最低監督賞と最低助演男優賞を受賞したのです。
「ハプニング」(2008)は興行的に成功しましたが、批評家には不評。
テレビアニメ「アバター 伝説の少年アン」を原作とした「エアベンダー」(2010)では、シャマランはこれまでのオリジナル脚本ではなく脚色を担当しました。その結果、興行収入は全世界で3億ドルを超えましたが、批評家支持率は過去最低の6%を記録し、第31回ゴールデンラズベリー賞では最低作品賞、最低監督賞、最低脚本賞を含む5部門を受賞しています。
そして、ジェイデン・スミスとウィル・スミス主演の「アフター・アース」(2013)では初めてデジタルでの映画撮影を行いました。人類が放棄して1000年が経過した地球を舞台に、屈強な兵士とその息子が決死のサバイバルを展開する物語です。さらに「ヴィジット」(2016)を発表します。休暇を利用して祖父母の待つペンシルバニア州メイソンビルへと出発した姉弟の恐怖体験を描きました。ホラー映画として、なかなか好評でした。
シャマランの作品には、必ず「どんでん返し」が用意されています。 「シックス・センス」のときはそれが大成功し、映画史に残る印象的なラストシーンが生まれました。しかし、その後のシャマランは「シックス・センス」の成功体験の呪縛にかかったようで、どうも「ドンデン返しを用意しなければ!」という強迫観念にとらわれているような気がします。それがまた、スベることが多いのです。「サイン」や「ビレッジ」のどんでん返しも賛否両論でしたが、わたしにはギリギリ許せるレベルでした。
しかし、「スプリット」のドンデン返しはいただけません。
「それが、どうした?」という感じで、まったく驚きもしませんでした。
「スプリット」の主人公は、解離性同一性障害の患者です。
Wikipedia「解離性同一性障害」には、以下のように書かれています。
「解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、英: Dissociative Identity Disorder ; DID)は、解離性障害のひとつである。かつては多重人格障害(英: Multiple Personality Disorde; MPD)と呼ばれていた。解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである」
解離性同一性障害といえば、アメリカの作家ダニエル・キースのノンフィクションである『24人のビリー・ミリガン』が有名です。1977年、実在の解離性同一性障害者であるビリー・ミリガンがオハイオ州で連続レイプ犯として逮捕されました。本人には犯行の記憶がまったくありませんでしたが、精神鑑定の結果、彼の中に複数の別人格が存在するという驚愕の事実が明らかになりました。犯行はそのうちの1人によるものだったのです。『24人のビリー・ミリガン』で、キースはビリー本人へのインタビューや関係者の証言をもとに彼の内面を克明に描き出し、「多重人格」を一躍世に知らしめました。
「スプリット」の主人公のモデルが、このビリー・ミリガンであることは明白ですが、「24人」というところまで同じではちょっと引いてしまいますね。
それと、多重人格というのは演じるのが非常に難しいのです。ジェームズ・マカヴォイも下手な役者ではないのでしょうが、誰の人格を演じているのか、よくわかりませんでした。自ら名前を名乗らないとその人格がわからないというのでは、多重人格映画として完全に失敗でしょう。
あと、女子高生たちを拉致する手段とか、監禁する方法などにリアリティが感じられませんでした。何よりも、この監禁はまったく怖くない。監禁といえば、巨匠ウイリアム・ワイラーの「コレクター」(1965)が思い出されます。蝶を採集している内気な青年フレディ(テレンス・スタンプ)が人里離れた地下室のある売家を購入し、前から気に入っていた美大生のミランダをクロロホルムをかがせて誘拐し、地下室に監禁します。部屋には若い女の子が好みそうな衣服や美術作品集などが揃っていました。
監禁映画の金字塔ともいえる「コレクター」には怖さだけでなく、美しさ、切なさも漂っていましたが、「スプリット」の監禁シーンはただただ胸糞が悪くなるだけでした。しつこいくらいにフラッシュバックするケイシーの過去も、まったく伏線として生かすことができませんでした。唯一の救いはケイシーを演じたアニャ・テイラー=ジョイの存在感が際立っていたことでしょうか。彼女はこれからが楽しみな女優さんですね。