No.0285
26日公開の映画「光をくれた人」を観ました。
ブログ「スプリット」で紹介したM・ナイト・シャマランの作品があまりにも最悪だったので、この映画が「わが人生で最も最近観た映画」なのが嫌でたまりませんでした。それで口直しとして、この「光をくれた人」を観たわけですが、これが大当たり!素晴らしい感動作で、新作なのにすでに映画史上に残る名作といった印象でした。ブログ「LION/ライオン~25年目のただいま~」で紹介した映画と並んで、今年の「一条賞」の最有力候補です。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『スティーブ・ジョブズ』などのマイケル・ファスベンダーと、『リリーのすべて』などのアリシア・ヴィキャンデル共演のドラマ。M・L・ステッドマンの小説「海を照らす光」を原作に、他人の子供を自分の娘として育てようとする灯台守とその妻の愛と葛藤の日々を描く。メガホンを取るのは『ブルーバレンタイン』などのデレク・シアンフランス監督。彼らがたどる数奇な運命と深い愛の物語に胸が熱くなる」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「1918年、トム(マイケル・ファスベンダー)は戦争から帰還するものの、心は深く傷ついていた。その後彼は、灯台守の仕事に就く。彼はオーストラリア西部の岬からおよそ160キロメートルも先の孤島ヤヌス島に渡り、3か月の間一人で生活する。そして正式に採用されたトムは契約のために町に戻り、土地の名士の娘イザベル(アリシア・ヴィキャンデル)と出会う」
この映画、終盤になって多くの観客が号泣し始めたので驚きました。 周囲の観客が声をあげて泣いていたのは、「マディソン郡の橋」とか、「男たちの大和/YAMATO」とか、ブログ「永遠の0」で紹介した映画の鑑賞時にも体験したことですが、今回の「光をくれた人」の場合が一番すごかったです。特に年配の御婦人で泣かれている方が多かったです。母子の情愛を描いた作品だけに、母親である方々の心の琴線に触れたのでしょうか。
「光をくれた人」の冒頭、第一次世界大戦のフランス戦線から帰還した元軍人のトム・シェアボーン(マイケル・ファスベンダー)が登場しますが、彼の表情にはまったく生気がなく、孤独な灯台守の仕事を選びます。その言動から、第一次世界大戦がいかに悲惨で過酷な戦争であったかが窺えます。この戦争の後には、死者と交信する降霊会が各地で流行し、スピリチュアリズム(心霊主義)が大いに普及しました。
第一次世界大戦といえば、反戦映画の名作として知られる「西部戦線異状なし」(1930)でその惨状が詳しく描かれています。
1914年の6月28日、バルカン半島のサラエボで、オーストリア帝国皇帝の甥に当たる皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公夫妻が、セルビア人に暗殺されました。この「サラエボの悲劇」が第一次世界大戦の発端です。しかし、当事者であるオーストリアやサラエボはどこかに行ってしまって、いつの間にか「ドイツ対フランス・イギリスの戦い」がメインになります。ドイツの潜水艦Uボートは無差別攻撃を開始し、それをきっかけとしてアメリカが参戦します。そして、第一次世界大戦は潜水艦や毒ガスや飛行機や戦車といったニュー・テクノロジーが総登場する「近代戦」となっていきます。
また、第一次世界大戦を舞台とした名作では、「ロング・エンゲージメント」(2004)も忘れられません。1919年、オドレイ・トトゥ演じる19歳のマチルドの元に一通の封書が届きます。それは第一次世界大戦の戦火の中、2年前に戦場に旅立っていった婚約者マネクが戦死したという悲報でした。しかし、マチルドは希望を捨てませんでした。「マネクに何かあれば、自分にはわかるはず」という直観だけを信じ、マチルドはマネクの消息を辿る、途方もなく遠い旅に出るのです。この作品の中には第一次世界大戦の実際の映像も多く使用され、リアルな映像美で戦火の中の愛を描いています。
しかし、「光をくれた人」の場合は、第一次世界大戦の場面がまったく登場しないのにもかかわらず、その悲惨さを表現しているところが秀逸です。ファスベンダー演じるトムの表情やセリフだけで、戦争の怖ろしさを饒舌に語っているのです。映画の観客は「それほどまでに地獄のような戦争だったのか」と想像力を刺激され、大いなる恐怖を抱きます。ある意味で、「光をくれた人」は究極の反戦映画かもしれません。
トムは土地の名士の娘であるイサベル(アリシア・ヴィキャンデル)と結婚しますが、手紙でプロポーズをしたり、新妻が夫のヒゲを剃ってあげる場面は幸福感いっぱいで、観ているほうも幸せな気分になれました。しかし、夫婦以外には人が住んでいない島では、過酷な運命が二人を待っていたのです。イサベルは二度にわたって妊娠しますが、産婦人科医もいない孤島ゆえ、死産や流産を繰り返します。いくらなんでも、医者がいない島で出産するのは無理です。わたしは「妊娠した時点で、トムはイサベルを実家に帰すべきだった」と思いました。
それにしても、灯台守という仕事は孤独です。
「灯台守の恋」(2004)というフランス映画があります。
鬼才フィリップ・リオレ監督による、ひっそりとした大人のロマンスを描いた恋愛映画ですが、舞台は「世界の果て」と呼ばれるブルターニュ海岸の辺境です。主人公は新任の灯台守の男なのですが、1963年(わたしが生まれた年です!)当時の辺境の灯台の内部や灯台守の具体的な仕事内容というのが、わたしにはたいへん興味深いものでした。かつて夜の海を航海する船は、夜空の星と羅針盤と灯台の灯だけを頼りにしていました。現在ではコンピューターが全面的に導入され、星や羅針盤の代りを務めていますが、手動から全自動に変わったとはいえ、灯台の存在はいまだに重要です。なぜなら、灯台の灯がなければ、船は海岸に衝突して座礁してしまうからです。
灯台のかすかな光だけを頼りに、船が暗い夜の海を航海する場面を観て、わたしはふと、「月とは魂の灯台ではないか」と思いました。人間の肉体が死に、離脱した魂は宇宙空間を漂う。そのとき、何も光がなく、目的地がなければ永遠に暗黒の空間をさまようことになってしまう。灼熱の光を放つ太陽のもとに近づけば焼かれて消滅してしまう。ただ太陽の光を反射して柔らかな光を放つ月のみが、魂の灯台として、その行方を導くことができる。無事に航海を終え、目的地である月に到着した魂は、そこでしばらく時を過ごした後、再び地球に向かって飛び立ち、新たな人間として再生するのではないでしょうか。
子を亡くした人は、未来を失う
「光をくれた人」では、ある日、トムとイサベラの夫婦は漂流してきた手漕ぎボートに乗っていた男性と女の子の赤ん坊を発見します。父親と思われる男性は死亡。夫婦は、生き残った赤ん坊を「ルーシー」と名付け、自らの子供として育て始めます。ここから本当の悲劇が始まるわけですが、立て続けに主産に失敗し、わが子を亡くしてきたイサベラの心中を思うとわりきれません。わたしは、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で「子を亡くした人は、未来を失う」という言葉を紹介しましたが、幼いわが子を亡くした母親の心の傷が癒えるのは10年以上かかるとされています。絶望の淵にあったイサベルが海中から出現した赤ん坊を「神様からの贈り物」だと信じたとしても、責めることはできないでしょう。
ルーシーは4歳のときに本当の両親の元に戻されます。
当然ながら、彼女はイサベラと離れるとき泣き叫んで拒絶します。 その後も、新しい母親になつこうとはしません。この場面を観て、わたしは日本映画「そして父になる」(2013)を連想せずにはおれませんでした。この映画の主人公・野々宮良多は、順調な人生を送るエリート・ビジネスマンです。彼は、自身の力で誰もがうらやむような学歴や仕事、良き家庭を勝ち取ってきました。そんな「勝ち組」の彼に、ある日、思いもよらない出来事が起こります。6年間大切に育ててきた息子が、出産のときの病院内で他人の子どもと取り違えられていたことが判明したのです。これまで過ごしてきた時間を重視して、現在の息子をそのまま育てるか。それとも血のつながりを尊重して、本当の息子を取り戻すか。究極ともいえる葛藤の中で、それぞれの家族が苦悩していく姿をリアルに描きます。
「そして父になる」も、「光をくれた人」も、ともに「家族とは何か」「親子とは何か」をわたしたちに問いかける作品です。無縁社会などと呼ばれる現代日本では、「血縁」の重みがどんどん軽くなっているように感じます。
もしも親子関係に悩んでいる方がいたら、ぜひ、「光をくれた人」を観ていただきたいと思います。観て後悔することは絶対にないと保証します。