No.0291


 大ヒット中の日本映画「22年目の告白―私が殺人犯です―」を観ました。韓国映画のリメイクと聞いて、「どうせ、よくある残虐な殺人モノだろう」と甘く見ていたのですが、予想に反してムチャクチャ面白かったです。とにかくテンポが非常に良くて、わたしは夢中になってラストまで一気に観ました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「未解決のまま時効を迎えた連続殺人事件の犯人が殺人に関する手記を出版したことから、新たな事件が巻き起こるサスペンス。韓国映画『殺人の告白』をベースに、『SR サイタマノラッパー』シリーズなどの入江悠監督がメガホンを取り、日本ならではの時事性を加えてアレンジ。共同脚本を『ボクは坊さん。』などの平田研也が担当。日本中を震撼させる殺人手記を出版する殺人犯を藤原竜也、事件発生時から犯人を追ってきた刑事を伊藤英明が演じる」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した1995年、三つのルールに基づく5件の連続殺人事件が起こる。担当刑事の牧村航(伊藤英明)はもう少しで犯人を捕まえられそうだったものの、尊敬する上司を亡き者にされた上に犯人を取り逃してしまう。その後事件は解決することなく時効を迎えるが、ある日、曾根崎雅人(藤原竜也)と名乗る男が事件の内容をつづった手記『私が殺人犯です』を発表し・・・・・・」

 「22年目の告白―私が殺人犯です―」は、2012年の映画「殺人の告白」のリメイク作品です。テレビドラマ「検事プリンセス」「王女の男」などで人気の俳優パク・シフが、初の映画主演をこなしたサスペンスです。わたしは韓国映画をあまり観ないのですが、昨日お会いした映画通の先輩経営者から「いま韓国映画が一番面白いよ」と聞かされました。たしかにコミック原作・イケメン主演だらけの日本映画よりも、しっかりとシナリオが書き込まれた韓国映画のほうが完成度が高いかもしれません。ぜひ、DVDを入手して「殺人の告白」も観てみたいと思います。

 「殺人の告白」は、15年前の連続殺人事件が時効を迎えた日に、美貌の男が「自分が犯人だ」と名乗りを上げます。「22年目の告白―私が殺人犯です―」は22年です。その差は7年もあるわけで、ちょっと22年という時間は長過ぎると思いました。そこには日本における時効の法律の歴史が絡んでいるのでしょうが、22年というのはあまりにも長い。たとえば、20歳のときに殺人を犯したとしても、22年後に犯人はすでに42歳の中年です。
 でも、藤原竜也が演じる曾根崎雅人はどう見ても30歳代です。
 実際の藤原竜也は35歳なわけですから、ここはやはり「殺人の告白」と同じく15年で良かったのではないかと思いました。だって、40歳代の「美貌の殺人者」というのも何かねえ・・・・・・。それとも、彼は未成年で殺人を犯したという設定でしょうか。それならば、単独犯で複数の人間を縛り上げるという犯行にリアリティがなさすぎます。いずれにせよ、「22年目」には無理があるように思えてなりません。

 それにしても、藤原竜也の圧倒的な演技力には唸りました。さすがは蜷川幸雄がその才能に惚れ込んだだけのことはあります。彼には「クズ役をやらせたら日本一」などの声もあるようですが、記者会見での立ち居振る舞いなども見事でした。曾根崎雅人にはある意味でカリスマ性を感じましたが、サイン会で大歓声が起こるなどというのは、リアリティがなさすぎると感じました。だって相手は仮にも連続殺人犯ですからね。社会に恨みを抱いている人間などがネットで匿名で応援するとかならともかく、公共の場で堂々と殺人犯を讃美するほど日本人は馬鹿ではないでしょう。

 この映画、とにかくネタバレ厳禁ですので、内容には触れにくいのですが、わたしは「本を出版するとは、どういうことか」という問題について考えさせられました。この映画には2冊の本が重要な役割で登場します。ラストでもう1冊登場しますが、いずれも出版動機が不純なものでした。わたしも本を書く人間なのでこれは自戒を込めているのですが、はっきり言って、本を書く人間には自己顕示欲が異常に強かったり、あるいは非常に自己中心的な人物が多いです。本当に、「何でもいいから売れる本を出したい」と思っている物書きの何と多いことか!

 もちろん、「世の中を良くしたい」という志をもって素晴らしい本を書かれる方もたくさんいらっしゃいます。故渡部昇一先生、経済人では稲盛和夫氏などが代表でしょうか。もともと、本を書いて出版するという行為は志がなくてはできない行為だと思います。なぜなら、本ほど、すごいものはないからです。自分でも本を書くたびに思い知るのは、本というメディアが人間の「こころ」に与える影響力の大きさです。

 子ども時代に読んだ偉人伝の影響で、冒険家や発明家になる人がいます。1冊の本から勇気を与えられ、新しい人生にチャレンジする人がいます。1冊の本を読んで、自殺を思いとどまる人もいます。不治の病に苦しみながら、1冊の本で心安らかになる人もいます。そして、愛する人を亡くした悲しみを1冊の本が癒してくれることもあるでしょう。本ほど、「こころ」に影響を与え、人間を幸福にしてきたメディアは存在しません。

 この映画に登場する曾根崎雅人は『私が殺人犯です』という告白本を出版します。ブログ『絶歌』で紹介した1997年の神戸連続児童殺傷事件の当時14歳だった加害者男性「元少年A」による手記が出版されたときもそうでしたが、殺人犯が告白本を出版すると猛烈なバッシングを受けます。
 『絶歌』が出版されたときは、「サムの息子法」と呼ばれる米ニューヨーク州の法律が注目されました。加害者が犯罪行為をもとに手記を出版するなどして収入を得た場合、被害者側の申し立てにより収益を取り上げることができるという法律です。1970年代のニューヨーク州の連続殺人事件を機に制定されました。その後に改正が施されながらも、同様の法律が米国約40州に広がっています。ある意識調査によれば、日本では9割以上の人が「サムの息子法」を導入すべきであると考えているそうです。
 たしかに、人を残虐な方法で殺して、出所後にその手記を出して印税を稼ぐというのは「殺人ビジネス」と言われても仕方ないでしょう。ネットでは、「未成年のときに社会現象になる事件を起こせば出所後に本にすれば不自由なく暮らせるのか」「これで人殺して本書いて儲けるっていう一連の流れが出来るね」といった意見が多かったです。

 まあ、このような手記を書く殺人犯もクズですが、それを出版して金を儲けようとする出版社もクズであり、同罪です。金儲けだけのために社会に有害な本を出す者は必ず罰を受けます。曾根崎の『私が殺人犯です』を刊行した出版社はその後、想像を絶するダメージを受けたことでしょう。担当した女性編集者も、もう出版業界にはいられなくなったでしょうね。
 ところで、最近、小栗旬主演のTVドラマ「BORDER」を全話観ました。その第三話「連鎖」にも、殺人を犯した元少年が告白本を出版したがゆえに殺されるというエピソードがありました。ちなみに、「BORDER」は死者と会話ができる刑事の物語で、100%わたし好みのドラマでした。今度、スペシャル特番で続編が放送されるそうで、とても楽しみです。

 わたしは基本的にテレビを観ない人間でした。
 しかし、ここ最近は、「TVer」とか「GYAO!」といったドラマ見放題の便利なサイトができたおかげで、けっこうPCで観ています。
 そんなわたしが生まれて初めて全話を観たドラマは、1998年にフジテレビの「木曜劇場」で放送された「眠れる森」でした。中山美穂と木村拓哉が主演したミステリーでしたが、最終回まで殺人事件の犯人がわからず、見応えのあるドラマでした。初回の冒頭には1995年に発生した地下鉄サリン事件のニュース画面が流されました。「22年目の告白―私が殺人犯です―」の冒頭にも、同じ1995年の阪神・淡路大震災のニュース画面が流されたので、わたしは「眠れる森」を思い出しました。そういえば、両作品には仲村トオルが出演しています。彼の演技にも鬼気迫るものがありましたが、これ以上書くとネタバレになるので、このへんで・・・・・・。