No.0292
日本映画「八重子のハミング」を観ました。
自身のガンと闘いながら、アルツハイマーの妻を介護した夫の実話です。闘病、介護、そして夫婦愛について考えさせられました。
「ヤフー映画」の「解説」には以下のように書かれています。
「『半落ち』などの佐々部清が監督を務め、ガンと闘いながら若年性アルツハイマー病の妻を介護した陽信孝の原作を基に描くドラマ。山口県萩市を舞台に、4度のガンの手術に耐えた夫が、次第に記憶を失っていく妻と過ごした約12年の日々をつづる。数多くの作品に出演してきた升毅を主演に迎え、妻を『パイレーツによろしく』などの高橋洋子が好演。夫婦の強い絆と深い愛情に涙する」
また、「ヤフー映画」の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「山口県のホールで開かれた講演会で、白髪の石崎誠吾(升毅)は、およそ12年にわたる最愛の妻八重子(高橋洋子)の介護体験について口を開く。最初はどんどんいろいろなことを忘れていく彼女に戸惑い、つらい思いもしたが、彼は妻がゆっくりと時間をかけて別れを言おうとしているのだと悟る。元音楽教師の八重子は、好きな歌を歌うと笑うときもあり・・・・・・」
この映画の舞台は山口県の萩市です。結婚式や葬儀のシーンも登場するのですが、山口県に本社を置く愛グループさんの結婚式場「サン・マルコ」、葬祭会館「萩典礼会館」などが出てきました。同じ全互連の仲間として嬉しく感じました。やはり家族愛を描くには冠婚葬祭のシーンが欠かせないのは小津安二郎以来の日本映画の伝統ですね。
映画の最初に、地元の神社の神主で教師でもあった石崎誠吾(升毅)が胃ガンであることは判明します。それを知った妻の八重子(高橋洋子)は泣き暮すのですが、献身的に夫の看病に努めます。しかし、彼女は若年性アルツハイマーという病に蝕まれつつありました。その後、誠吾はガンに冒され続け、なんと4度も手術を受けることになります。
八重子の病気は進行する一方でした。徘徊はもちろん、トイレの介護や大便を漏らすシーンまで、こんなにリアルに描写した映画を知りません。
当然ながら、観賞しているわたしは暗澹たる気分になりました。
でも、いくら厳しくても、これが現実なのです。自らも病魔と闘いながら、最愛の妻の介護を最後まで続けた誠吾は本当に立派でした。
いま、小林麻央さんが34歳の若さで亡くなった悲しみが日本中を覆っています。麻央さんを愛し抜き、その最後を看取った市川海老蔵さんしかり、本当の夫婦愛とは相手が絶望の淵にあるときにこそ必要なものであると、この映画からも教えられました。でも、悲しいことに、八重子は自分の世話をしてくれる人が夫であることさえ理解できなかったのです。
若年性アルツハイマーを扱った映画といえば、渡辺謙が主演した「明日の記憶」(2006年)が思い出されます。やり手の広告代理店の営業部長が突然、病に襲われ、記憶をなくしてゆく物語でした。わたしも公開時に観て考えされられました。「明日の記憶」では、記憶をなくし続ける夫を支える妻を樋口可南子が好演していました。
また、若年性アルツハイマーをテーマとした映画では、ブログ「アリスのままで」で紹介した作品(2015年)を忘れることはできません。50歳にして若年性アルツハイマー病患者となった女性をジュリアン・ムーアが熱演しました。この映画の演技で、彼女は第87回アカデミー賞で主演女優賞を受賞。じつに5度目のノミネートにしてキャリア初のオスカーを手にしたのです。
自分が若年性アルツハイマーになることは怖ろしいことです。
これまでの記憶、さまざまな思い出がなくなってゆくことは耐えられません。
でも、記憶を失うことはけっして不幸なことではないという見方もあります。
ブログ『解放老人』で紹介した本には「認知症の豊かな体験世界」というサブタイトルがつけられていますが、同書は認知症を"救い"の視点から見直した内容になっています。著者の野村進氏は次のように書いています。
「重度認知症のお年寄りたちには、いわゆる"悪知恵"がまるでない。相手を出し抜いたり陥れたりは、決してしないのである。単に病気のせいでそうできないのだと言う向きもあろうが、私は違うと思う。魂の無垢さが、そんなまねをさせないのである。言い換えれば、俗世の汚れやら体面やらしがらみやらを削ぎ落として純化されつつある魂が、悪知恵を寄せ付けないのだ。こうしたありようにおいては、われらのいわば"成れの果て"が彼らではなく、逆に、われらの本来あるべき姿こそ彼らではないか。
人生を魂の長い旅とするなら、彼らはわれらが将来『ああはなりたくない』とか『あんなふうになったらおしまい』と忌避する者たちでは決してなく、実はその対極にいる旅の案内役、そう、まさしく人生の先達たちなのである」
こういった一般に良くない現状を「陽にとらえる」発想は大切だと思います。
それにしても、ひたすら妻の介護を続ける誠吾の姿勢には胸を打たれました。そして、「ケア」というものについて考えさせられました。ブログ『ケアの本質』で紹介した名著では、著者のミルトン・メイヤロフは、「ケアする」ことの意味を次のように述べています。
「1人の人間の生涯の中で考えた場合、ケアすることは、ケアすることを中心として彼の他の諸価値と諸活動を位置づける働きをしている。彼のケアがあらゆるものと関連するがゆえに、その位置づけが総合的な意味を持つとき、彼の生涯には基本的な安定性が生まれる。すなわち、彼は場所を得ないでいたり、自分の場所を絶え間なく求めてたださすらっているのではなく、世界の中にあって"自分の落ち着き場所にいる"のである。他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の生の真の意味を生きているのである。この世界の中で私たちが心を安んじていられるという意味において、この人は心を安んじて生きているのである。それは支配したり、説明したり、評価したりしているからではなく、ケアし、かつケアされているからなのである」(田村真・向野宣之訳)
『隣人の時代』(三五館)
誠吾が過酷な介護生活をまっとうすることができたのは、彼の老母や長女夫妻や孫たちといった家族の理解と援助もありました。
そして、それとともに、梅沢富美男が演じる親友の医師や、日曜日に喫茶店に集う仲間たち、いわば隣人たちの協力もありました。
誠吾は家族という「血縁」、隣人という「地縁」によって支えられたのです。
いま、日本では血縁および地縁の希薄化が進み、「無縁社会」などと呼ばれています。しかし、拙著『隣人の時代』(三五館)にも書いたように、この世にあるすべての物事や現象は、みなそれぞれ孤立したり、単独であるものは1つもありません。他と無関係では何も存在できないのです。
すべてはバラバラであるのではなく、緻密な関わり合いがあります。
この緻密な関わり合いを、わたしたちは「縁」と呼ぶのです。
縁ある者の集まりを「社会」といいます。ですから、「無縁社会」という言葉は本当はおかしいのであり、明らかな形容矛盾なのです。
「社会」とは最初から「有縁社会」でしかないのです。最初から「無縁社会」などというのは、ありえないのです。人間には、家族や親族の「血縁」をはじめ、地域の縁である「地縁」、学校や同窓生の縁である「学縁」、職場の縁である「職縁」、業界の縁である「業縁」、趣味の縁である「好縁」、信仰やボランティアなどの縁である「道縁」といったさまざまな縁があります。
いま言った「縁」を結んだ人々は、いずれも自分の葬儀に参列してくれる人々です。つまりは、「おくりびと」になってくれる人たちです。
そう、「縁」を確認する場こそ葬儀なのですが、八重子の葬儀には大勢の人が集まってくれました。人間は誰でも一人では生きていくことはできません。周囲の人々のおかげ、地域のおかげで生きています。
そのことを「八重子のハミング」は示してくれました。
誠吾の隣人たちは、彼にストレス発散のためのパチンコに行く時間を作ってくれます。どれほど彼は嬉しかったでしょうか!
しかし、彼にはもう1つ、ストレス発散の方法がありました。
短歌作りです。彼は、悲しかったとき、嬉しかったとき、感動したとき、自らの心を短歌に詠んできました。この映画の原作は、誠吾のモデルである陽信孝氏の『八重子のハミング』(小学館文庫)です。現代の『智恵子抄』とも評された同書には、陽氏が詠んだ約80首の短歌が掲載されています。
歌とは何でしょうか。それは、命そのものです。
このことを最も端的に表現しているのが『古今和歌集』の「仮名序」の冒頭の部分だです。紀貫之によるものですが、以下の通りです。
「やまとうたは、人の心を種として、
万の言の葉とぞなれりける
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、
生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、
猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
この言葉について、宗教哲学者の鎌田東二氏はブログ『歌と宗教』で紹介した著書で、「歌とは何なのか。紀貫之は、仮名序のこの冒頭の部分で和歌の本質を解き明かし、『森羅万象は歌を歌っている』と言っている。歌が生まれ、誰かがそれを歌うということは、つまり森羅万象がこの世界に歌いつつ存在しているということなのだ」と述べています。この紀貫之による和歌の本質論には、「庸軒」の号でへっぽこ道歌を詠み続けているわたしも深い感銘を受けました。わたしが歌詠みとなった理由については、「わたしは、なぜ歌を詠むのか? 詩とは志を語るものである!」をお読み下さい。
歌の持つ力は短歌にとどまりません。八重子が好きだった「ふるさと」などの唱歌、「いい日旅立ち」などの歌謡曲にもそのパワーは宿っています。
そもそも、この宇宙自体が歌っているという考え方があります。
鎌田氏は、「宇宙は和音を奏でている」として。次のように述べます。
「わたしも、生きとし生けるものは個々にあって、すべて歌を歌っているのだと思う。これは宗教学的に言うと、すべてのものにたましいやこころやちからが宿っているというアニミズムである。たしかに、存在というものは、たとえ無機物のように見えても、またはすでに死んでいるように見えても、生きていて歌を歌っているとわたしは思っている。ピタゴラスの言うように、宇宙は歌あるいは音楽であって、わたしたちは、宇宙全体が鳴り響く交響曲のような世界の中に存在しているのである」
アルツハイマーによってどんどん精神が純粋化していった八重子は、この宇宙が歌であることを体で感じていたのかもしれません。だからこそ、いつもハミングをしていたのかもしれませんね。
最後に、主演の高橋洋子の迫真の演技には感動を覚えました。
わたしは彼女のデビュー作である「旅の重さ」という映画が大好きで、もう何度も観ました。素九鬼子の小説が原作で、「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落着いてね。そう、わたしは旅に出たの。ただの家出じやないの、旅に出たのよ」の書き出しで始まる物語です。
「旅の重さ」は、16歳の少女が家を飛び出して、お遍路さんのように四国を巡り、さまざまな出会いを経て成長していく青春映画です。1972年(昭和47年)10月28日に公開されましたが、映画化にあたっては主役オーデションが行われ、1位が高橋洋子、2位が秋吉久美子(小野寺久美子名義)で、この映画が2人の記念すべきデビュー作となりました。
あのとき、あどけない可憐な少女だった高橋洋子がアルツハイマーの八重子を熱演する姿を観て、しみじみと感慨深かったです。
一筋縄ではいかない「人生」という旅の重さを感じました。