10日に公開されたばかりの日本映画「昼顔」を観ました。
 「不倫」という禁断の愛の行方を描いた話題作です。
 最後の線路のシーンには、いろいろ考えさせられました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「2014年に放映され人気を博したテレビドラマ『昼顔~平日午後3時の恋人たち』の劇場版。それぞれ妻、夫がいる身でありながらも激しく惹かれ合ってしまった男女が、一度は引き離されるものの再び禁断の愛に身を投じる。テレビ版に続いて、監督を西谷弘が担当し、上戸彩と斎藤工が主人公の二人を熱演。伊藤歩、平山浩行らが共演する」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「夫がいる身でありながら妻のいる北野裕一郎(斎藤工)と惹かれ合い、不倫関係に陥った笹本紗和(上戸彩)。その関係が公然のものとなり、彼女は北野と離れ夫とも別れることになった。それから3年後、彼女は海辺の町で杉崎尚人(平山浩行)が営むレストランで見習いとして働きながら暮らしていた。ある日、蛍に関する講演で紗和と北野は偶然の再会を果たす。まだ冷めていなかったお互いの気持ちを確かめ合う二人だったが、その前に北野の妻・乃里子(伊藤歩)が現れる」

 「昼顔」は、2014年7月にフジテレビ木曜10時枠ドラマ〈木曜劇場〉でスタートした「昼顔~平日午後3時の恋人たち」をベースにしています。ある出来事をきっかけに越えてはいけない一線を越え、"昼顔妻"へ身を落としてしまうパート主婦・笹本紗和を上戸彩が、彼女の不倫相手になってしまう高校教師・北野裕一郎を斎藤工が演じました。わたしは、このドラマをオンエアでは観ませんでしたが、後にDVD-BOXを購入して全話を観ています。

 紗和と北野それぞれに夫、妻がいるにも関わらず、不倫関係に陥り、それが本気の恋愛に発展します。クライマックスでは、紗和が夫と離婚し、独り身になりますが、一方の北野は離婚しない意志を持つ妻・乃里子(伊藤歩)とともに遠く離れた場所に引っ越すのでした。映画版は、その3年後、遠く離れた海辺の町で2人が出会ってしまうところから始まります。
 結論から言えば、「昼顔」は、もうこれ以上ないほどのドロ沼のアン・ハッピーエンドでした。本当は不倫の2人が結ばれて、一応のハッピーエンドになる可能性もあったのですが、最後に紗和が乃里子に心ない一言を放ったおかげで、すべてが最悪の方向へと走り出してしまいます。

 「昼顔」という題名は、1967年のフランス・イタリア合作映画「昼顔」(Belle de jour)に由来します。「三色朝顔」「日中の美女」「昼間に稼ぐ娼婦」という意味だとか。ルイス・ブニュエル監督作品で、原作はジョゼフ・ケッセルの同名小説です。第28回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞を受賞しました。主演は、わたしの大好きな女優の1人であるカトリーヌ・ドヌーヴですが、この映画の彼女はあまりにも美しかったです。

 ここ数年、日本列島は芸能人の不倫の話題で盛り上がっています。
 そのきっかけは、2016年の正月に「週刊文春」がスクープしたタレントのベッキーとロックバンド「ゲスの極み乙女。」のボーカル川谷絵音の不倫報道でした。「CM女王」にして「スキャンダル処女」のイメージが強かったベッキーだけに、これはビックリでした。その後、歌舞伎界や落語界なども含めて多くの有名芸能人の不倫が"文春砲"によって暴かれています。
 そこで思い知ったことは、日本の主婦たちは不倫を絶対に許さないという厳然たる事実でした。主婦たちを敵に回すことを怖れるテレビ局や広告代理店は、不倫芸能人から仕事を奪っていきます。

 「昼顔~平日午後3時の恋人たち」が一大「不倫」ブームを巻き起こしたのは2014年ですが、その2年後に実際の「不倫」ブーム(?)が日本で起ったことになりますね。週刊誌もTVのワイドショーも「不倫」だらけ!
 さて現在、ある「不倫」をテーマにしたドラマが注目されています。 「あなそれ」の略称で知られるTBSドラマ「あなたのことはそれほど」です。いくえみ綾の人気コミックが原作で、中学の同級生だった美都(波瑠)と有島(鈴木伸之)のW不倫を描いています。

 「あれ、一条真也はテレビを観ないはずでは?」と疑問に思った人がいるかもしれませんね。そう、わたしは基本的にテレビは観ない人間なのですが、ここ最近は、「TVer」とか「GYAO!」といったドラマ見放題の便利なサイトができたおかげで、けっこうPCで観ています。σ(*´∀`照)えへへ
 じつは昨年、たまたま出張先のホテルの客室でTBSの火曜10枠ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を観て以来、ドラマにハマってしまって、全話を観てしまいました。その後の同枠で放映された「カルテット」も同様です。さらにその次が「あなたのことはそれほど」というわけです。はい。

 このドラマは現在も放映中ですが、毎回が修羅場というすごい展開になっています。不倫劇がもうリアルすぎて、多くの視聴者が嫌悪しているようで、その模様はネットで窺えます。「昼顔~平日午後3時の恋人たち」が不倫の「こころ」の部分に焦点を当てているのに対し、「あなたのことはそれほど」では不倫の「からだ」の部分が強調されているところ、美都(波瑠)は紗和(上戸彩)のように不倫に罪悪感を抱いていないところも、視聴者からの不評を買っているようです。「尻軽すぎる」というわけですね。

 日本という国に、不倫はあってはならない愚行なのでしょう。
 しかしながら、書店に行くと、不倫関係の本の多さに驚きます。
 『不倫のルール』や『愛人の掟』などのマニュアル本から、硬派なルポルタージュまで・・・こんなに多くの不倫本が出版されるということは、実際に不倫をしている人も多いのでしょう。わたしは、日本社会の晩婚化・非婚化について考える上で、一通りこれらの本を読みました。

 その中で、亀山早苗氏の『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『不倫の恋に苦しむ女たち』の不倫三部作(いずれも新潮文庫)が特に読み応えがありました。不倫という窓を通して「結婚」「夫婦」「恋愛」の本質を考えるすぐれた思想書になっています。わたしは、約15年前に亀山氏の著書を読んで「不倫とは何か」「夫婦とは何か」について考え、そして「なぜ人は結婚するのか」について考えました。その結果、生まれた本が拙著『結魂論~なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)です。不倫あるいは結婚について悩んでいる方は、よろしければ御一読下さい。

 それにしても、仕事を失う危険を冒してまで、辛い思いをしてまで、そして人を傷つけてまで、なぜ人は不倫をするのでしょうか。
 その問いに正面から答えた本に、『人はなぜ不倫をするのか』(SB新書)があります。くだんの亀山氏が生物学的社会学的見地から、第一線で活躍する8名の学者陣に「不倫」についてインタビューした内容となっています。婚姻関係の外での恋愛やセックスは、個人の倫理観や道徳感にゆだねられてきました。しかし生物として、動物として、人はどのような心、体のしくみで不倫をするのか。さまざまなジャンルの専門家が、それぞれの学問をベースに不倫を解説するという興味深い本です。

 たとえば、社会学者の上野千鶴子氏がジェンダー研究から不倫を考えるのをはじめ、昆虫学者の丸山宗利氏、動物行動学者の竹内久美子氏、宗教学者の島田裕巳氏、心理学者の福島哲夫氏、性科学者の宋美玄氏、行動遺伝学者の山元大輔氏、脳科学者の池谷裕二氏が、それぞれの学問の立場から「人はなぜ不倫をするのか」について考えます。 その結果、ほとんどの学者が「人間は不倫をして当然の生き物だ」と発言しています。配偶者以外の相手と不倫したいという欲望が生まれるのは当然であり、むしろ、「ひとりを愛し続ける」という状態のほうが生物として異常なのであるというのです。そこから、「生物として、不倫は理にかなっている」という結論が導き出されるのでした。

 世の中には何千年と続いてきた「結婚」という社会制度がありますが、その制度は完璧ではありません。どうしても補いきれないズレが生じ、そのズレを補うために、やはり古くから不倫が存在しました。
 ブログ『十年不倫』で紹介した本では、著者の衿野未矢氏が「社会のほころびを、不倫が縫い合わす」と述べていますが、まさに言い得て妙ですね。
 しかし、結婚という社会制度が完璧でないのと同じく、不倫という社会行動もまた、完璧ではありません。ですから、さまざまなトラブルを起こし、社会を混乱させ、多くの人々の人生を壊していくのでしょう。

 先ほど、「生物として、不倫は理にかなっている」という意見を紹介しました。昆虫学者、生物学者、動物行動学者などもそう言っているから、おそらくはそうなのでしょう。そういえば、「昼顔」で斎藤工が演じる北野は昆虫の研究家であるという設定でした。なんだか意味深ですね。
 しかし、ヒトは生物ですが、人間は社会的存在です。社会的存在として生きていくためには、規範というものが求められます。孔子は、人が生きていくための規範、すなわち「人の道」を「礼」と呼びました。

 上戸彩演じる紗和が乃里子に心ない一言を放ったおかげで、すべてが最悪の方向へと走り出してしまうと書きました。じつは、乃里子は紗和と北野の仲を認める心境になっており、最後に「離婚しても、彼を裕一郎と呼んでいい?」と訊きます。しかし、紗和の答えは「それは嫌です」でした。この答えを乃里子が聞いたときから、物語は悲劇に向かって突き進むのでした。このとき、紗和の態度は自身の本心に忠実過ぎて、傷心の乃里子に対する思いやりに欠けていました。さらに言えば、紗和は乃里子への最低限の「礼」を欠いたのです。そして、そのツケはあまりにも大きなものでした。

 また、「結婚式を挙げよう」という北野の提案に対して、紗和はそれを拒否し、「2人でホタルを見れば、それでいい」などと言います。これは一見、これからの新生活を考えて余計な出費を慎んだとか、傷つけた周囲の人々へ配慮したとかにも思えますが、まったく愚かな発想であると言えるでしょう。
 ここでも紗和は「礼」を欠いています。結婚相手である北野に対する「礼」を欠き、これから生きていく社会に対する「礼」を欠いています。

 ブログ『実践・快老生活』で紹介した本で、著者の渡部昇一氏は、「結婚式をやらずに籍を入れるだけの夫婦や、家族を呼ばないで友達で集まって会をする夫婦もいる。しかし、できるならば、少なくとも両家の家族親類が集まった披露宴はするべきである。ささやかな披露宴もできないような結婚をしてはいけないと思う」と述べておられます。
 わたしは、この「礼」の本質を説く言葉に、深い感動をおぼえました。わたしの座右の銘の1つとし、わが社の冠婚部門のスタッフにも伝えました。

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結魂論~なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)


 『結魂論』でも述べましたが、結婚したら、必ず結婚式を挙げなければなりません。これは、国家や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。
 結婚式は何のために行うのかと考えたら、それは簡単に言えば、神や人の前で離婚しないように約束するためです。ですから、神前式でも教会式でも人前式でも、二人が夫婦として仲良く添い遂げることを誓う「宣誓の言葉」を述べるのです。結婚するだけなら役所に婚姻届を出せばいいし、結婚式をしたことを周囲の人々に知らせ祝福してもらいたいのなら、レストランでの披露パーティーで充分です。わざわざ結婚式をやる意味とは、離婚を防止するため、これに尽きると思います。

 最初から離婚するつもりで結婚する人が、この世にいるでしょうか? もし、そんな人がいたら、まず「慰謝料目当て」という言葉を連想し、さらには「保険金殺人」といった犯罪の匂いさえします。まあ、それほどパートナーのことが好きでもなく、成り行きで結婚することになったので、「離婚することになっても別にいいや」と考えている人はいるでしょう。そういう人こそ婚姻届の提出だけにして、挙式や披露宴は行なわないでいただきたい。そんないいかげんな気持ちで式や披露宴を行なったら、大事なお金と時間とエネルギーを使う参列者に失礼です。

 だいたい、「自分たちは結婚するけど、離婚するかもしれない」などと考えている人には、覚悟というものがない。覚悟とは、赤の他人であるパートナーと夫婦になって一緒に暮らすのだから、性根を据えて相手を思いやり、結婚生活を快適に続けていく努力を怠らないという覚悟です。そんな覚悟のないままに何となくムードで結婚する人の将来は目に見えています。そういう人は子育ての覚悟のないままに子どもをつくって児童虐待に走ったり、生き物を飼う覚悟もなく、ただかわいいからと思いつきでペットを買ってきて、飽きたら捨てるといった人だと私は思います。何事も「覚悟」を持って行動をはじめなければならず、結婚というのはその最たるものではないでしょうか。

 わたしは、結婚式場とは何かと考えたときに、夫婦をつくる工場のようなものではないかと気づいたことがあります。ハリウッドの映画スタジオが「夢工場」なら、結婚式場は「夫婦工場」です。さらに言えば、カップルの純粋な愛情を封じ込める缶詰め工場であり、真空パックの工場です。二人の魂を接合する溶接工場でもあります。そしてその製品である夫婦が離婚するということは、真空パックが破れたり、接合部分が離れるということで、不良品や粗悪品を製造していることにほかなりません。
 つまり、良い工場が不良品の少ない工場であるように、良い結婚式場とは離婚発生率の低い結婚式場なのです。

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儀式論』(弘文堂)


 さらに「礼」について考えてみたいと思います。
 拙著『儀式論』(弘文堂)の第十三章「家族と儀式」に詳しく紹介したように、一般に儒教では「葬礼」を重視することが知られていますが、五経の1つである『礼記』では「葬礼」ではなく「婚礼」が礼の最も重要なる根本であると述べられています。これは、わたしが考えるに、優先順位の問題ではないでしょうか。葬儀を行うためには家族の存在が必要です。死者は自分の葬儀を行うことはできませんから、葬儀を挙げてくれる家族をつくるためには子どもを授からなければならず、そのためにはまず結婚しなければならないわけです。「卵が先か鶏が先か」ではありませんが、結婚しなければ祖霊になることさえおぼつきません。

 礼の精神というものは、天地に基づきます。
 そして、具体的な制度としての礼は男女の婚礼から出発します。
 しかし、婚礼における日本の現状は厳しいと言わざるをえません。
 というのも、2010年の統計によると、50歳で1度も結婚したことのない生涯未婚率が男性20%、女性でも10%となっています。1965年の統計では男性は1.5%、女性は2.5%のみでした。晩婚化、非婚化に加え、雇用環境の悪化により出生率も減少も止まりません。

 この結果は、当然ながら日本人の臨終にも影響を与えます。孤独死、直葬、果ては遺骨の引き取り手を必要としない「〇葬」まで登場した現代日本では、ブログ『日本人は死んだらどこへ行くのか』で紹介した本に書かれているような日本人の死生観に基づく「魂の循環」も「生まれ変わり」も期待できそうにありません。というわけで、「昼顔」を観て、これからの日本人の行く末に思いを馳せたわたしは次第に暗澹たる気分になったのでした。