17日に公開されたばかりの日本映画「こどもつかい」を観ました。
 「タッキー」こと滝沢秀明が怪人"こどもつかい"に扮したダーク・ファンタジー的ホラーですが、その怪人ぶりはなかなか堂に入っていました。この路線で何本が映画に主演すれば、彼は和製ジョニー・デップになれるのではないでしょうか。タッキーなら、シザーハンズやジャック・スパロウやマッドハッターの役なども似合うと思います。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「『呪怨』シリーズなどの清水崇監督がメガホンを取った、オリジナルストーリーによるホラー。謎めいた男"こどもつかい"によって子供がさらわれ、やがて帰ってきた子供と会った大人が3日後に亡くなるという怪事件を描く。子供の霊を操り大人に呪いをかけるこどもつかいを、映画初主演の滝沢秀明が熱演。連続不審死事件を追う新聞記者に Hey!Say!JUMP の有岡大貴、その恋人を『愛の渦』『二重生活』などの門脇麦が演じる」

 ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「郊外の街で子供たちが姿を消し、さらに帰ってきた子供に遭遇した大人は、3日後に謎の死を遂げるという事件が発生。新聞記者の江崎駿也(有岡大貴)は事件について調査し始める。一方、彼の恋人で保育所勤務の原田尚美(門脇麦)は、ある日母親が迎えに来なかった男の子を預かるが、そこへこどもつかい(滝沢秀明)が近づき・・・・・・」

 「こどもつかい」には、タッキー&翼の滝沢秀明の他にも、Hey!Say!JUMP の有岡大貴が出演しています。ともにジャニーズ・ジュニアの出身ですが、考えてみれば、彼らが所属するジャニーズ事務所は、日本中から美少年を集めてダンスや歌のレッスンを行い、次々に芸能界デビューさせて日本中の少女たちの心を虜にしています。いわば、ジャニーズ事務所の社長であるジャニ―喜多川氏こそ本当の"こどもつかい"かもしれませんね。

 「こどもつかい」はホラーというよりは、ファンタジーの要素が加わった、いわば「ダーク・ファンタジー」とでも呼ぶべき内容でした。タッキーの怪人ぶりとともに、ヒロインの尚美を演じた門脇麦も存在感がありました。
 こう言っては失礼かもしれませんが、門脇麦の顔は「不幸顔」というか、苦悩したり、泣き叫んだりするのが似合っているように思いました。ホラー映画向きの女優さんですね。

 Jホラーを代表する清水崇監督がメガホンを取っただけあって、子どもたちの霊の描写は怖かったです。ホラー映画には目がないわたしですが、その怖さのポイントは目に眼球がないことだと思いました。
 清水監督といえば、なんといっても「呪怨」シリーズで有名ですが、同シリーズには、佐伯伽椰子という女性の霊やその子どもである佐伯俊雄の霊が登場しますが、その姿は見るものに強烈なインパクトを残します。特に、俊雄は日本映画史上最も怖い「子どもの霊」とされています。

 「呪怨」は、もともと1999年に発売された清水崇監督・脚本によるホラーのビデオ作品です。それを原作とする劇場版「呪怨」が2003年1月に単館系で公開され、ホラー映画ファンたちから絶大な支持を得ました。同年8月には続編の「呪怨2」も公開されています。
 タイトルの「呪怨」とは何か。「"強い恨みを抱いて死んだモノの呪い。 それは、死んだモノが生前に接していた場所に蓄積され、『業』となる。 その呪いに触れたモノは命を失い、新たな呪いが生まれる。"」という意味であることが映画の冒頭で紹介されます。今や佐伯家は、日本映画を代表する幽霊屋敷となった観があります。

 「こどもつかい」に登場する謎めいた男"こどもつかい"は、笛を吹いて子どもたちを操ります。有名な「ハーメルンの笛吹き男」をモデルとしているわけですが、映画の中には尚子が『ハーメルンの笛ふき男』の絵本を読むシーンもありました。ハーメルンの笛吹き男は、ドイツの街ハーメルンで、1284年6月26日に起きたとされる出来事についての伝承です。グリム兄弟などによって記録に残され、現代まで伝わっています。

 Wikipedia「ハーメルンの笛吹き男」の「伝説の概要」には、以下のように紹介されています。

「1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、町に笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男が現れ、報酬をくれるなら街を荒らしまわるネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった」

 続けて、「伝説の概要」には、以下のように書かれています。

「笛吹き男はいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び現れた。住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にあるほら穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩でふさがれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた2人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える」

 この不思議な事件については、じつにさまざまな仮説が述べられています。
 笛吹き男は精神異常の小児性愛者だったという説。
 笛吹き男の正体はマグス(魔法使い)であったという説。
 子どもたちは何らかの自然的要因により死亡したのであり、笛吹き男は死神であったという説。死神はしばしば笛吹き男のようなまだら模様の衣装を身にまとった姿で描かれるというのです。
 また、子どもたちは何らかの巡礼行為か軍事行動、あるいは新規の少年十字軍運動の一環として街から去り、二度と両親の元へ戻らなかったとする説。たしかに、少年十字軍運動はこの事件のやや過去である1212年に起こっています。そして最も広く支持されている説は、子どもたちは東ヨーロッパの植民地で彼ら自身の村を創建するために、自らの意思で両親とハーメルン市を見捨て去ったとする説だそうです。

 子どもの行方不明事件は日本では「神隠し」などと呼ばれます。
 昔は、「人さらいに子どもが誘拐されて、サーカスに売られる」といった風評がありました。「こどもつかい」にもサーカスが主要な舞台として登場しますが、もともとサーカスには底知ぬ怖さがあります。 1989年に上梓した拙著『遊びの神話』(東急エージェンシー)の「サーカス」で、わたしは日本最初のサーカスを紹介しました。1864年(元治元年)、リズリーというアメリカ人のサーカスが横浜居留地に来て、曲馬などを見せて大きな話題となりました。この年、新撰組が池田屋を襲撃し、禁門の変に続いて第一次長州征伐が行われました。ここから3年後の大政奉還に向けて時代のスピードは加速度を増します。つまり、日本最初のサーカスは江戸時代を終わらせに来たわけです。


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遊びの神話』(東急エージェンシー)


 また『遊びの神話』では、世界最大のサーカスである「リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム&ベイリー・サーカス」が初の海外遠征として1988年に日本にやって来たことを紹介しました。1988年とは昭和63年で、9月25日まで旧汐留駅跡に7000人収容の世界最大のテントを張った同サーカスは巨大な祝祭を繰り広げました。そして閉幕直前の9月19日の午前10時前、昭和天皇が吐血され、111日間にわたるご闘病が始まりました。つまり、リングリング・サーカスは昭和を終わらせに来たわけです。わたしは、『遊びの神話』に「サーカスになぜかしら死の匂いはつきまとうのは、サーカスとは死神の仮りの姿だからかもしれない」と書いています。


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『サーカス研究』蘆原英了著(新宿書房)


 シャンソンやバレエの評論家として活躍した蘆原英了はサーカスにも並々ならぬ関心を抱き、サーカスに関する著作をいくつか残していますが、その中の『サーカス研究』(新宿書房)には次のように書かれています。

「サーカスというものは、たいへんに古いものでございますけれども、日本ではいつもいわれますように、我々の子供時代、夕方などに遅くなると、人さらいにさらわれてしまう、サーカスに売られてしまうというようなことがいわれていたんですね。そうしますと、サーカスに出ている人はみんな、夜帰らなかったり親不孝したりして、さらわれrたんじゃないかって思いますね。そしてお酢を飲まされる。お酢を飲めば骨が柔らかくなるので、それでお酢を飲ませるんだと。そうだというふうに、私も思いこんでおりました。なんともうら悲しくて、なんともいえない、哀しい気持にさせられていたんです」

 また続けて、蘆原英了は次のようにも述べています。

「あの、ジンタというのが、またそうなんですね。 『天然の美』という音楽もそうですね。なんともいえない、遣る瀬ない。あの遣る瀬ない気持が好きな人はサーカスにまいりますけれども、そうでない人はあまりに辛くて、いかれないこともあります」

 ちなみに、わたしは「天然の美」という曲が大好きです。
 あの遣る瀬ないロマンティシズムがたまりませんね。
 昭和のサーカスを哀愁たっぷりに描いた映画に「二十世紀少年読本」(2002年)があります。「夢のように眠りたい」の林海象監督、昭和中期の日本を舞台に、サーカスを故郷とする人たちの運命をファンタジックに描いた人間ドラマです。主演は三上博史で、モノクロームの映像がノスタルジックで幻想的でした。

 「こどもつかい」も、なつかしい昭和のサーカスを描いていました。 さらに「こどもつかい」の世界観には、「赤い鳥」とか「コドモノクニ」といった大正時代の児童雑誌の雰囲気さえ漂っているように感じました。それらの雑誌で活躍した童話作家の1人に小川未明がいます。
 「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」などと呼ばれましたが、代表作の「赤い蝋燭と人魚」や「金の輪」をはじめ、未明の童話にはつねに死の香りが漂っていました。未明は怪談的な作品も多く書いていますが、その幻想性と耽美性は「こどもつかい」にも通じているように思います。

 さて、「こどもつかい」には、痛ましい児童虐待の場面が登場します。
 ブログ「子どもとは何か」で、わたしは、2010年7月に大阪市西区で幼い姉弟が自宅に置き去りにされて死亡した事件について言及しました。23歳の母親は死体遺棄容疑で逮捕されましたが、現場マンション前には、事件の直後、連日100人以上の人が訪れました。
 「朝日新聞」2010年8月5日夕刊には、花束をはじめ、ジュース、お菓子、おにぎり、おもちゃ、絵本、子ども服、手紙などが献花台に置かれている様子が書かれています。飲み物にはストローが挿され、お菓子の箱やふたは開けられていたそうです。幼い子がすぐに飲み、食べれるようにとの思いからでしょう。また、手紙には「気付かずにごめんなさい」などと書かれていたとか。


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「朝日新聞」2010年8月5日夕刊より


 わたしは、この記事を読んで、もちろん亡くなった幼い姉弟の悲惨な死を悼む方々の心に感銘を受けたのですが、それと同時にマンション住人の方々が気の毒だなとも思いました。はっきり言って、今回の事件で、マンションの住人たちは大きな心の傷を負ったはずです。特に、子どもたちの泣き声などを耳にしていた人のトラウマは計り知れません。
 その中には、警察や行政にちゃんと通報した人もいたのです。
 でも、残念ながら、このたびの悲劇を防ぐことはできませんでした。


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隣人の時代』(三五館)


 その人たちが、マンション前の献花台を見たら、どう思うでしょうか。
 いつまでも消えない悪夢に、自らの心を責めるのではないでしょうか。
 拙著『隣人の時代』(三五館)にも書いたのですが、わたしは、このマンションがすべきことは献花台の設置よりも「隣人祭り」の開催ではないかと思いました。この機会に、マンションの住人が一堂に集まって、亡くなった幼い姉弟へ黙祷を捧げるとともに、同じ屋根の下に暮らす人々がきちんと顔合わせをしたほうがいいと思いました。そして、このマンションだけでなく、日本中のマンションやアパートや団地で、「隣人祭り」を開催するというムーブメントが起こればいいと思います。


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ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)


 この事件で、わたしは「子どもとは何か」と考えざるを得ませんでした。そして、この事件の直前に脱稿した『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)の内容を思い浮かべました。同書で、わたしは「日本人にとって、子どもとは何か」について考えました。一般に、日本人は世界的に見ても子どもを大切にする民族だとされてきました。そして、子どもを大切にする心は先祖を大切にする心とつながっていました。

 日本民俗学の父である柳田國男は名著『先祖の話』で、輪廻転生の思想が入ってくる以前の日本にも生まれ変わりの思想があったと説いています。
 そして、柳田は、その特色を3つあげています。
 第1に、日本の生まれ変わりは仏教が説くような六道輪廻ではなく、あくまで人間から人間への生まれ変わりであること。第2に、魂が若返るためにこの世に生まれ変わって働くという、魂を若くする思想があること。第3に、生まれ変わる場合は、必ず同じ氏族か血筋の子孫に生まれ変わること。
 柳田は「祖父が孫に生まれてくるということが通則であった時代もあった」と述べ、そういった時代の名残として、家の主人の通称を一代おきに同じにする風習があることも指摘しています。

 柳田國男の先祖論について、宗教哲学者の鎌田東二氏は著書『翁童論』(新曜社)で次のように述べています。

「この柳田のいう『祖父が孫に生まれてくる』という思想は、いいかえると、子どもこそが先祖であるという考え方にほかならない。『七歳までは神の内』という日本人の子ども観は、童こそが翁を魂の面影として宿しているという、日本人の人間観や死生観を表わしているのではなかろうか。柳田國男は、日本人の子どもを大切にするという感覚の根底には、遠い先祖の霊が子どもの中に立ち返って宿っているという考え方があったのではないかと推測しているが、注目すべき見解であろう。」

 子どもとは先祖である。いや、子どもこそが先祖である!

 この驚くべき発想をかつての日本人は常識として持っていたという事実そのものが驚きです。しかし、本当は驚くことなど何もないのかもしれません。
 自分自身が死んだことを想像してみたとき、生まれ変わることができるなら、そして新しい人生を自分で選ぶことができるなら、見ず知らずの赤の他人を親として選ぶよりも、愛すべきわが子孫の子として再生したいと思う。これは当たり前の人情というものではないでしょうか。子どもを大切にするということは、先祖を大切にするということです。
 そして、先祖とは何か。それは、未来の自分です。
 つまり、先祖供養とは自分供養であり、子孫供養でもあるのです。
 この、いわば「魂のエコロジー」を失ってしまったことに、現代の日本社会の不幸があるように思えてなりません。


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はじめての論語』(三冬社、2017年7月7日刊行予定)


 最後になりますが、子どもは良い方向に導いてあげなければなりません。
 その意味でも、小中学校などの教師の役割は非常に大きいわけですが、江戸時代の子どもたちは寺子屋で『論語』を素読するという教育を受けていました。そこで、子どもは江戸時代最大のベストセラー『南総里見八犬伝』にも登場する「仁義礼智忠信孝悌」という「人の道」を学んだのです。わたしは、無縁社会に生きる日本人に孔子の教えを思い出してもらうために、7月7日に『はじめての論語』(三冬社)を上梓します。江戸時代の子どもたちが寺子屋で使った教本のアップデート版をイメージして同書を作りました。
 わたし自身も「平成の寺子屋」こと天道館で、子どもたちに『論語』の授業をしたいと思っています。わたしは、『論語』によって子どもたちを良き方向に導く"こどもつかい"になりたい!