27日に公開されたばかりのSF映画「ブレードランナー 2049」を鑑賞しました。久しぶりに映画館で映画を観る時間が作れました。公開されるずっと前から楽しみにしていた作品です。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「SF映画の金字塔『ブレードランナー』の続編。前作から30年後の2049年を舞台に、違法レプリカント(人造人間)処分の任務に就く主人公が巨大な陰謀に巻き込まれる様子を活写する。新旧のブレードランナーを『ラ・ラ・ランド』などのライアン・ゴズリングと、前作から続投のハリソン・フォードが熱演。『メッセージ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ監督がメガホンを取り、前作の監督を務めたリドリー・スコットが製作総指揮に名を連ねている」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「2022年にアメリカ西海岸で大規模な停電が起きたのをきっかけに世界は食物供給が混乱するなど危機的状況を迎える。2025年、科学者ウォレス(ジャレッド・レトー)が遺伝子組み換え食品を開発し、人類の危機を救う。そして、元捜査官デッカード(ハリソン・フォード)が突然行方をくらませて以来30年の月日が流れた2049年には、レプリカント(人造人間)の寿命に制限がなくなっていた」

 前作「ブレードランナー」はSF映画史上に残る大傑作で、カルト的な人気を誇ります。リドリー・スコット監督がメガホンを取り、1982年に公開されました。1993年にアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されています。

 原作は、フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(原題:Do androids dream of electric sheep?)です。原作者のディックは製作会社に映画化権を売った後、製作には関与していません。ディックは脚本第一稿に難色を示しましたが、改稿に基づく未完成フィルムの一部を見て満足し、製作者に期待の手紙を送ったといいます。「ブレードランナー」は「トータル・リコール」や「マイノリティ・リポート」に先立つ、ディック原作の初映画化作品でしたが、ディックは公開を待たず1982年3月に急逝しています。

 Wikipedia「ブレードランナー」の「ストーリー」には、こう書かれています。 「2019年、環境破壊により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ大都市での生活を強いられていた。宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発されたレプリカントと呼ばれる人造人間が、過酷な奴隷労働に従事していた。しかし、レプリカントには製造から数年経つと感情が芽生え、主人たる人間に反旗を翻すような事件が多発する。レプリカントを開発したタイレル社によって安全装置として4年の寿命が与えられたが、後を絶たず人間社会に紛れ込もうとするレプリカントを『解任』する任務を負うのが、専任捜査官ブレードランナーであった」

 続けて、以下のように書かれています。
「タイレル社が開発した最新レプリカント『ネクサス6型』の一団が人間を殺害し脱走、シャトルを奪い、密かに地球に帰還した。タイレル社に押し入って身分を書き換えブレードランナーを殺害して潜伏したレプリカント男女4名(バッティ、リオン、ゾーラ、プリス)を見つけ出すため、ブレードランナーを退職していたリック・デッカードが呼び戻される。デッカードは情報を得るためレプリカントの開発者であるタイレル博士と面会し、彼の秘書レイチェルもまたレプリカントであることを見抜く。人間としての自己認識が揺さぶられ、戸惑うレイチェルにデッカードは惹かれていく」

 さらに、以下のように書かれています。
「デッカードは脱走グループが残していった証拠物から足跡をたどり、歓楽街の踊り子に扮していたゾーラを発見し、追跡の末に射殺する。その直後リオンに襲われるが、駆けつけたレイチェルが射殺した事でデッカードは命拾いする。デッカードはレイチェルを自宅へ招き、未経験の感情に脅える彼女を熱く抱擁する。一方レプリカントグループのリーダーロイ・バッティは眼球技師を脅して掴んだ情報をもとに、プリスを通じてタイレル社の技師J・F・セバスチャンに近づき、さらに彼を仲介役にして、本社ビル最上階に住むタイレル博士と対面する。バッティは地球潜入の目的、彼らレプリカントの短い寿命を伸ばすよう依頼するが、博士は技術的に不可能であり、限られた命を全うしろと告げる。バッティは博士の眼を潰し、セバスチャンをも殺して姿を消す」

 そして、以下のように書かれています。
「タイレル博士とセバスチャン殺害の報を聞いたデッカードはセバスチャンの高層アパートへ踏み込み、部屋に潜んでいたプリスを格闘の末に射殺。そこへ戻ってきたバッティと、最後の対決に臨む。優れた戦闘能力を持つバッティに追い立てられ、デッカードはアパートの屋上へ逃れ、隣のビルへ飛び移ろうとして転落寸前となる。しかし寿命の到来を悟ったバッティはデッカードを救い上げ、穏やかな笑みを浮かべながら命果てる。デッカードはレプリカントとして同じ運命が待つレイチェルを連れ、逃避行へと旅立つ」

「ブレードランナー」は、ビジュアルに圧倒的なインパクトがありました。特に、LAの夜景を彩る3Dホログラム広告の強烈な印象が忘れられません。これらは、「ビジュアル・フューチャリスト」シド・ミードの美術デザインです。
 風景には日本語が多く描かれていますが、リドリー・スコットは来日した際に訪れた新宿歌舞伎町の様子をヒントにしたとか。これによって、日本では熱狂的な「ブレードランナー」ファンがたくさん誕生しました。また、これらのシーンへのオマージュ・議論も多く生まれました。 ヴァンゲリス作曲のシンセサイザー音楽も素晴らしく、「ブレードランナー」的世界観の確立に貢献しました。

 さて、「ブレードランナー 2049」は前作から30年後の世界を描いています。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、新作を撮るにあたって、その30年の間に起こった出来事をたどる3本の短編映画を依頼しました。まずは、2022年に起きた大停電を描く短編アニメーション「ブレードランナー ブラックアウト2022」です。「カウボーイビバップ」「アニマトリックス」「サムライチャンプルー」などを手がけ、日本のみならず海外でも高い評価を得続ける渡辺信一郎監督が製作しました。

 次に、「2036:ネクサス・ドーン」。リドリー・スコットの息子であるルーク・スコットが監督を務めました。デッカードが恋人の女性レプリカントのレイチェルと共に姿を消してから17年後となる2036年の世界を描いています。そこでは、レプリカントの新たな創造主となる科学者ウォレス(ジャレッド・レト)が、巨大な陰謀を目論んでいました。

 そして、「ブレードランナー 2049」の舞台である2049年の前年となる2048年の世界を描いた「ブレードランナー 2048:ノーウェア・トゥ・ラン」。監督は前作に引き続き、ルーク・スコットが務めました。
 2022年=大停電(ブラックアウト)、2036年=新型レプリカントの存在が明らかとなったことに続き、空白の30年間を繋ぐ最後のエピソードが明らかにされます。ロサンゼルス市警は"ブレードランナー"組織を強化し、違法な旧型レプリカントの処分を徹底していました。旧型の違法レプリカントであるサッパー(デイヴ・バウティスタ)は軍から逃げ出し、この街にたどり着いて静かな暮らしを送っていました。

 そして「ブレードランナー 2049」の冒頭では、サッパーのもとにブレードランナーであるKが姿を現します。しかし、このK自身が新型レプリカントなのでした。あることから、Kの心に「自分がじつはレプリカントではなく、本物の人間なのではないか」という疑念が生まれます。それは、彼にとって「奇跡」であり、「希望」そのものでした。そこでポイントになるのがKの少年時代の記憶が「本物」か「模造」かという問題でした。このテーマは、「トータル・リコール」の原作であるフィリップ・K・ディックの「追憶売ります」という短編小説の世界に通じます。


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  『永遠の知的生活』(実業之日本社)


「記憶こそが人生そのもの」と喝破したのは、日本を代表する英語学者であった故・渡部昇一先生です。渡部先生とわたしの対談本『永遠の知的生活』(実業之日本社)で、先生は「記憶とは何なのだろうとよくよく考えると、その人のアイデンティティそのものであるという結論に至ります」と述べ、さらに「記憶こそが、自分自身というものであり、今の自分の行動を規定しているもっとも大きな要因だと気付いてハッとします」と語っておられます。


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  『思い出ノート』(現代書林)


 わたしは、「記憶」よりも「思い出」という言葉をよく使います。 エンディングノート・ブームの中で、わたしは『思い出ノート』(現代書林)というものを作りました。おかげさまで好評のようで、版を重ねています。
思い出ノート』では、第1章を「あなたのことを教えてください」と題して、基本的な個人情報(故人情報)を記せるようになっています。たとえば、氏名・生年月日・血液型・出身地・本籍・父親の名前・母親の名前といったものです。また、「私の思い出の日々」として、幼かった頃、学生時代、仕事に就いてからの懐かしい思い出など、過ぎ去った過去の日々について記します。たとえば「誕生」の項では、生まれた場所、健康状態(身長・体重など)、名前の由来や愛称などについて。「幼い頃・小学校時代」の項では、好きだった先生や友達、仲の良い友人、得意科目と不得意科目などについて。「高校時代」の項では、学業成績、クラブ活動、好きだった人、印象に残ったこと・人などについて書きます。

 また、「今までで一番楽しかったこと」ベスト5、「今までで一番、悲しかったこと、つらかったこと」ベスト5、「子どもの頃の夢・あこがれていた職業・してみたかったこと」、「今までで最も思い出に残っている旅」、「これからしたいこと」、そして「やり残したこと」ベスト10といった項目も特徴的です。そして、「生きてきた記録」では、大正10年(1921年)から現在に至るまでの自分史を一年毎に記入してゆきます。参考として、当時の主な出来事、内閣、ベストセラー、流行歌などが掲載されています。こういったアイテムをフックとして、当時のことを思い出していただくわけです。
「HISTORY(歴史)」とは、もともと「HIS(彼の)STORY(物語)」という意味だそうですが、すべての人には、その生涯において紡いできた物語があり、歴史があります。そして、それらは「思い出」と呼ばれます。

 さらに『思い出ノート』は、記入される方が自分を思い出すために、自分自身で書くノートです。それは、遺された人たちへのメッセージなのですが、わたしは渡部先生から「暗記」についてお話しを伺っているうちに、こういうアイデアを思いつきました。つまり、痴呆症などで自分の人生や家族を忘れてしまったならば、自ら書いた『思い出ノート』を何度も読み返して、その内容を暗記してみればどうでしょうか。おそらく、人生のさまざまな出来事や家族の姿を思い出すきっかけとなるのではないでしょうか。渡部先生は「それは面白いアイデアですね。それにしても、こういうノートがあること、初めて知りました」と語っておられました。

 さて、「ブレードランナー 2049」を観終わって、わたしは「これぞSF映画!」と思いました。わたしにとってのSF映画とは、単なるエンターテインメントというよりも、物事の本質を考える見方を与えてくれる「哲学映画」としての要素が強いと言えます。わたしがSF映画を観て考えるテーマには、「人間とは何か」というものがあるのですが、これは「人間そのもの」を扱った映画というよりも、「人間以上」あるいは「人間以下」の異形の存在を扱った映画のほうが、より「人間」の本質を浮き彫りにできるような気がします。
 人造人間である「レプリカント」の哀しみを描く「ブレードランナー 2049」は、まさに「人間とは何か」について考えさせてくれました。


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  『唯葬論―なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)


「ブレードランナー 2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はインタビュー取材において、「レプリカントは、自分が望まれていない、捨て去られた存在だと感じている。彼らは、強い実存主義的問題を抱えている。それは、僕たち自身を反映しているんだよ」と語っています。
唯葬論』(三五館)の「人間論」の冒頭で、わたしは、画家のポール・ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という作品を紹介しました。ゴーギャンは、最愛の娘の死を手紙で知らされ、自身の最高傑作になるということを確信しつつ、この大作を仕上げたといいます。長いタイトルは、わたしたち人間にとっての究極の問いを見事に表現しています。それは「人間とは何か」という問いです。

 人間とは何でしょうか。ヒトと人間は違います。ヒトは生物学上の種にすぎませんが、人間は社会的存在です。ある意味で、ヒトはその生涯を終え、葬儀で多くの他人に弔われることによって初めて人間となるのかもしれません。葬儀とは、人間の存在理由に関わる重大な行為なのです。
「人類の歴史は墓場からはじまった」という説があります。7万年も前、旧人に属するネアンデルタール人たちは、近親者の遺体を特定の場所に葬り、ときには、そこに花を捧げていました。死者を特定の場所に葬るという行為は、その死を何らかの意味で記念することにほかなりません。しかもそれは本質的に「個人の死」に関わります。ネアンデルタール人が最初に死者に花を手向けた瞬間、「死そのものの意味」と「個人」という人類にとって最重要な二つの価値が生み出されたのです。

 ネアンデルタール人たちに何が起きたのでしょうか?
 アーサー・C・クラークが原作を書き、スタンリー・キューブリックが映画化したSFの名作『2001年宇宙の旅』に出てくるヒトザルたちは、モノリスという石碑に遭遇して、進化のステージに立ちました。ネアンデルタール人たちの前にもモノリスのようなものが現れたのでしょうか。何が起こったにせよ、そうした行動を彼らに実現させた想念こそ、原初の宗教を誕生に導いた原動力でした。このことを別の言葉で表現するなら、人類は埋葬という行為によって文化を生み、人間性を発見したのです。

 人間を定義する考え方として「ホモ・サピエンス」(賢いヒト)、「ホモ・ファーベル」(工作するヒト)、「ホモ・ディメンス」(狂ったヒト)などが有名です。オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」(遊ぶヒト)、ルーマニアの宗教学者ミルチア・エリアーデは「ホモ・レリギオースス」(宗教的ヒト)を提唱しました。同様の言葉に「ホモ・サケル」(聖なるヒト)というものもあります。それぞれの定義は、確かに人間の持つ一面を正確にとらえていると思われますが、その本質を考えるならば、人間とは「ホモ・フューネラル」(弔う人間)であると、わたしは考えます。ネアンデルタール人が最初の埋葬をした瞬間、ヒトが人間になったとさえ思っているくらいです。

 最後に『唯葬論』のことですが、版元の三五館が倒産し、わたしは「この本が埋もれてしまうのか」と絶望していました。ところが、「ブレードランナー 2049」を鑑賞した直後に吉報が入りました。なんと、サンガから文庫化されることが決定したのです。宗教哲学者の鎌田東二先生のお力添えによるものですが、本当に嬉しく、鎌田先生には心から感謝しています。このことによって、「ブレードランナー 2049」は忘れられない映画となりました。