No.0325


 2月24日、この日に全国公開された「空海ーKU-KAIー美しき王妃の謎」を観ました。ネットでは公開前から低評価でしたが、監督が中国映画の巨匠チェン・カイコーであること、それから空海が主人公であることから、わたしはかなり楽しみにしていました。しかし、この映画のテーマは「空海」よりも、サブタイトルである「美しき王妃の謎」のほうがメインでした。もっと、空海の活躍や魅力を描いてほしかったですね。

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。

「空海を主人公にした夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を実写化した歴史ドラマ。7世紀の中国を舞台に、遣唐使として同国を訪れた若き日の空海が不可解な権力者連続死亡事件の真相を追う。メガホンを取るのは、『さらば、わが愛/覇王別姫』などの名匠チェン・カイコー。『ヒミズ』などの染谷将太が空海を、『黄金時代』などのホアン・シュアンが彼と一緒に事件に挑む詩人・白楽天を演じる。日中の俳優陣の顔合わせに加え、湖北省襄陽市に建てられた唐の都のセットにも注目」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「7世紀、唐の時代の中国。若き日の空海(染谷将太)は、遣唐使として日本から唐へ向かう。密教の全てを会得しようという決意に燃える中、ひょんなことから詩人の白楽天(ホアン・シュアン)と出会う。交流を重ねていく一方、権力者が連続して命を落とす不可解な事件が唐の都で起きていた。その真相に迫ろうとする空海と白楽天だが、二人の前に歴史が生み出した巨大な謎が立ちはだかる」

 わたしは「シネプレックス小倉」でこの映画を観ました。10館からなるシネコンですが、最も大きなスクリーン1で上映されました。その大きな映画館が満席に近い状態になったので驚きました。見ると、高齢者の方が多く、若い観客はほとんどいませんでした。最初は「どこかの宗教団体がチケットを大量購入して信者に配ったのか」と思いましたが、空海が創始したのは真言宗ですから、新興宗教と違って、そんなことはしないでしょう。テレビCMを多く流している影響で入場者が増えたのかもしれませんが、やはり空海その人への関心が強いのかもしれません。空海は大変な人気者なのです。
 それにしても、映画館に慣れていない感じの人が多く、作品が上映された後も会話をやめないので閉口しました。わたしのすぐ後ろの席の中年女性の二人組もずっと喋っていて、うるさくてセリフが聞き取れませんでした。わたしが振り返って「すみません、静かにしていただけますか」と言うと、ようやく静かになりました。やれやれ。

 この映画を観た正直な感想は、「なんだ、猫の映画か」でした。
 主人公は空海ではなく、なんと1匹の猫だったのです!
 中国語の原題が「妖猫伝説」といって、要するに化け猫の話です。その化け猫を日本からやってきた沙門空海が退治するわけですが、夢枕獏の原作そのものがそのテーマであったにしろ、ちょっと「弘法大師に失礼では?」と思ってしまいましたね。だって、わが家の宗派は真言宗ですから...。それでも、楊貴妃や玄宗皇帝や李白らが登場する「極楽の宴」という夢のような大宴会の場面は幻想的で素晴らしかったです。


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   『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)


 2015年、わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓しました。同年は高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーでした。高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した、大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われました。同書は、こうした動きにあわせた空海の言葉の超訳本です。


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   弘法大師・空海生誕の地


 空海は、讃岐(香川県)に生まれました。佐伯氏という一族の生まれで、幼名は「真魚(まお)」といいました。幼い頃から非常に利発だったといいます。14歳のときに、すでに儒教と道教を学んでいましたが、それらに失望した空海はやがて仏教に惹かれ、仏教は他の二つの教えよりも深い本質的な要素を含んでいると主張しました。後に『三教指帰』を著し、仏教の優位性を訴えました。頭脳明晰であった空海は朝廷の役人を育成する大学に入学しましたが、学問による出世を捨てて大学から姿を消してしまいます。私渡僧となった空海は、寺社などで仏典研究を行うよりも、山岳修行者として厳しい修行の道を選びます。彼は高野山や大峯山などの、なるべく人が近づけないような山奥に入り、過酷な生活を送りました。

 ある日、空海は1人の山岳修行者から『虚空蔵求聞持法』という密教の秘法があることを教わります。山岳修行者によれば、この秘法を身につければ、一度見聞きしたものを忘れることなく完璧に記憶に留めておける力が得られるといいます。空海はその秘法を身につけるため、虚空蔵菩薩の真言を毎日1万回唱え続けました。空海は室戸岬の「御厨人窟」という洞窟に座り込んで真言を唱える日々を送っていましたが、あるとき、夜明け頃に虚空蔵菩薩の化身でもある明けの明星(金星)が空に現われました。その明星はさらに輝きを増すと、真言を唱えている空海の口の中へ飛び込んできました。ここで空海は虚空蔵求聞持法を体得したとされます。当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけでした。ここから「空海」と名乗ったと伝わっています。それにしてもスケールの大きさを感じさせる素晴らしい名前ですね。

 その後もさらに修行によってマジカル・パワーを高めた空海は、密教をより深く学ぶためにも中国に渡りたいと考えます。そして、後の804年に、空海と双璧をなす密教僧であった最澄たちとともに遣唐使の一団として中国に派遣されました。そこで空海は、真言の大家である恵果阿闍梨に出会います。恵果は初対面にもかかわらず、空海がこれまでどれだけ過酷な修行を積んできたのかを即座に見抜きました。恵果は空海に対して、「あなたに教えることは何もないので、すぐに密教の奥義を伝えましょう」と述べ、数カ月かけて『大日系』『金剛頂系』の密教の奥義を授けました。
 さらに空海は、密教世界の最高位を示す阿闍梨の位を灌頂(正当な継承者とするための儀式)し、「遍照金剛」の号を授かりました。これは、これにより、空海は密教における最高の奥義を体得したことを意味します。それだけ恵果にとって、空海とは逸材だったのです。今でも中国の真言宗の寺院には空海の像が祀られているといいます。


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   青龍寺の前で合掌


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   空海のレリーフの前で


 わたしは、2014年末に、かつて唐の都「長安」と呼ばれた西安にある青龍寺を参拝しました。空海ゆかりの寺院です。
 Wikipedia「青龍寺」の「歴史」には、以下のように書かれています。

「創建は、隋の開皇2年(582年)であり、当初は霊感寺と呼ばれた。初唐の武徳4年(621年)に一度、廃寺となったが、龍朔2年(662年)に再建され、観音寺と改められた。青龍寺と改称されたのは、景雲2年(711年)のことである」


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   恵果と空海


 また、以下のようにも書かれています。

「唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれた。空海は恵果に学び、天台宗の円仁や円珍らも恵果の法系に連なる法全に就いて密教を学んだ。会昌5年(845年)、会昌の廃仏によって再び廃毀された。しかし、大中6年(852年)には、いったん復興を果たし、護国寺と改められている。ただ、唐末五代の動乱によって、都の長安は急速に寂びれてしまった。そのため、以後三たび姿を消すこととなった」


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   空海記念碑の前で


 Wikipedia「青龍寺」の「復興」には、「1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめた。青龍寺は復興され、そこには、日本からの寄贈で、空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた」と書かれています。そう、この場所は四国遍路の「0番札所」なのです。日本宗教史上最大の超天才である空海の跡を辿る者にとっての「永遠の0」です!


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   『般若心経 自由訳』(現代書林)


 青龍寺を訪れた直前、わたしは『般若心経』の自由訳を完成させましたが、じつは空海の『般若心経秘鍵』における彼の解釈をベースとしました。「空即是色 色即是空」で有名な『般若心経』が日本に伝えられたのは8世紀、奈良時代のことです。遣唐使に同行した僧が持ち帰ったといいます。以来、1200年以上の歳月が流れ、日本における最も有名な経典となりました。特に、遣唐使に参加した弘法大師空海は、その真の意味を理解しました。空海は、「空」を「海」、「色」を「波」にたとえて説いた『般若心経秘鍵』を著したのです。ですので、「0番札所」である青龍寺の空海記念碑に向かって、わたしは自由訳の完成を報告しました。その後、2017年7月に『般若心経 自由訳』(現代書林)が刊行されました。

 中国に渡ってから約3年後の806年、空海は帰国しました。帰国後の彼は、中国で習得した数々の奥義を用いて多くの民衆を救ったとされています。奈良の東大寺の僧侶を務めた空海は、その後、816年に高野山に真言宗の本山である金剛峯寺を建立しました。日本における真言宗の宗祖となった空海ですが、彼の宗派は大きな成功を収めます。高野山には多数の僧侶が常駐し、建物も1500を数えるほどでした。

 空海は、京都の御所の敷地内に真言院を創設した後、空海は自分の寿命が来たことを悟ります。「即身成仏」の思想を追い求めていた空海は、最後の奇跡を体現させるために、長い五穀断ちをして瞑想をした後、入定(高僧が死ぬこと)しました。 その直前に弟子たちには「五十六億七千万年の後、弥勒菩薩と共に下生し、すべての仏弟子を救う」と告げていたといいます。真言宗では千年以上経った今でも、空海は高野山奥の院の石室で生きているとされ、毎日食事が進上され続けています。姿の見えなくなった空海が、今なお瞑想を続けているとされているのです。


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   『超訳 空海の言葉』を持って高野山・金剛峯寺の正門に立つ


 神秘と謎の光に包まれ、加持祈祷で有名な稀代の魔術師でもあった空海は、死後「弘法大師」の称号を受けました。さらに「日本最大の宗教的天才」であった空海は、『三教指帰』『十住心論』『秘蔵宝鑰』『般若心経秘鍵』『文鏡秘府論』、空海本人の詩文や書簡、上表文などを集めた『性霊集』など、多くの著書を残しています。その傑出した文才には、ただただ驚くばかりです。


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   「毎日新聞」2015年5月29日朝刊


 さて、「空海ーKU-KAIー美しき王妃の謎」は、予想していたような宗教映画ではなく、その正体はファンタジー映画でした。さらに言えば、魔法ファンタジーといった印象でした。ブログ「空海とハリー・ポッター」で紹介したように、「毎日新聞」2015年5月29日朝刊に掲載されたコラムで、わたしは、空海もハリー・ポッターも偉大なる魔術師であると述べました。空海が平安日本のハリーなら、ハリーは現代イギリスの空海なのかもしれません。両者の背景には、伝説やファンタジーといった豊かな物語世界があります。

「空海ーKU-KAIー美しき王妃の謎」のメガホンを取ったチェン・カイコーの頭の中には、絶対に「ハリー・ポッター」のイメージがあったと思います。それくらい、「空海ーKU-KAIー美しき王妃の謎」の空海は魔法使いそのものでした。「魔法」とは正確にいうと「魔術」のこと。西洋の神秘学などによれば、魔術は人間の意識、つまり心のエネルギーを活用して、現実の世界に変化を及ぼすものとされています。ならば、冠婚葬祭などのセレモニーも魔法になりうるわけで、わたしは多くの方々を幸せにする「白魔術師」になりたいと思いました。


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   日本一の弘法大師像をバックに


 神秘と謎の光に包まれ、加持祈祷で有名な稀代の魔術師でもあった空海は、死後「弘法大師」の称号を受けました。「弘法大師伝説」の言葉通り、空海ほど伝説に彩られた人物はいません。空海は「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な超天才でした。その超天才の生涯を描く映画としては不満ですが、魔法ファンタジー映画としてはけっこう楽しめました。一条真也の映画館「君の名は。」で紹介した大ヒットアニメ映画と同じく、主題歌をRADWIMPSが歌っています。