No.0320


 北陸の記録的大雪により、福井で1500台の車が立ち往生しました。大変心配しましたが、ようやく立ち往生も解消したようですね。本当に良かった。
 ウェザーマップによれば、今日10日(土)から明日11日(日)にかけては、低気圧が日本の南の海上を進むため、全国的に雨が降るそうです。積雪の多い地域では融雪や雪崩に十分な注意が必要となります。その後、日本付近は13日(火)頃にかけて強い冬型の気圧配置となり、北日本から西日本の日本海側を中心に再び大雪となるおそれがあるとか。そんな中、SF映画「ジオストーム」をレイトショーで観ました。天気を支配する物語です。

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。

「天候をコントロールする気象宇宙ステーションが暴走するさまを描いたディザスターアクション。未曾有の災害が同時多発的に起きる地球壊滅災害"ジオストーム"の発生を防ぐために奔走する主人公を、『300<スリーハンドレッド>』などのジェラルド・バトラーが熱演する。その弟に『ハイネケン誘拐の代償』などのジム・スタージェスがふんするほか、エド・ハリス、アンディ・ガルシアらが共演。『インデペンデンス・デイ』シリーズなど携わったディーン・デヴリンが監督を務めた」

 ヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。

「天候を意のままにできる宇宙ステーションが開発された近未来、地球は未曾有の自然災害に襲われることがなくなる。ところが運用開始から2年後、宇宙ステーションがウイルス感染して暴走し各地で異常気象を引き起こしてしまう。巨大災害が同時多発的に起きる地球壊滅災害"ジオストーム"の発生を防ぐため、宇宙ステーションの開発者ジェイク(ジェラルド・バトラー)と彼の弟マックス(ジム・スタージェス)が立ち上がる」

 「ジオストーム」は4Dや3D上映もされていますが、わたしが観たシネコンでは2D上映のみでした。冒頭の国際政治の場面がけっこうかったるく、睡眠不足だったこともあって寝てしまいました。しかし、アフガニスタンや香港で異常気象が発生するあたりから面白くなり、あとはジェットコースターのように最後までハラハラしながら楽しめました。パニックSF映画としては、なかなか完成度が高いのではないかと思いました。

 興味深かったのは、インドのムンバイ、東京、ドバイ、そしてアメリカのオーランドと世界各地で異常気象が発生するのですが、それぞれヒンドゥー教、神道および仏教、イスラム教、キリスト教といったふうに、あらゆる宗教を信仰する人々がなすすべもなく自然災害の犠牲になってゆくところでした。ヒンドゥーの神々や八百万の神々、アッラーやゴッド・・・・・・多神教・一神教に関わらず、気象宇宙ステーション「ダッチボーイ」の前には人間たちが信じる神は無力でした。

 まさに「ダッチボーイ」そのものが神なのだと言えますが、このたびの北陸の大雪や東日本大震災などを前にすると、「いくら科学が進んでも、人間は自然をコントロールすることはできないのか」と考えてしまいます。そう、この映画では人間が科学の力で自然をコントロールすることに成功するのです。しかし、邪悪な人間の悪知恵で「ダッチボーイ」がウィルスに感染し、多くの人類が死ぬのでした。

 日本に住んでいると、自然の脅威を嫌というほど思い知らされます。
 よく、「自然を守ろう」とか「地球にやさしく」などと言います。
 しかし、それがいかに傲慢な発想であるかがわかります。
 やさしくするどころか、自然の気まぐれで人間は生きていられるのです。生殺与奪権は人間にではなく、自然の側にあるということです。実際、地震や津波や台風で、多くの死者が出ています。

 自然を畏れる気持ちが日本固有の宗教である「神道」を生む原動力となりました。神道とは何でしょうか。日本を代表する宗教哲学者にして神道ソングライターであり、また神主でもある鎌田東二氏は、著書『神道とは何か』(PHP新書)で次のように述べています。

「さし昇ってくる朝日に手を合わす。森の主の住む大きな楠にも手を合わす。台風にも火山の噴火にも大地震にも、自然が与える偉大な力を感じとって手を合わす心。 どれだけ科学技術が発達したとしても、火山の噴火や地震が起こるのをなくすことはできない。それは地球という、この自然の営みのリズムそのものの発動だからである。その地球の律動の現れに対する深い畏怖の念を、神道も、またあらゆるネイティブな文化も持っている。インディアンはそれをグレート・スピリット、自然の大霊といい、神道ではそれを八百万の神々という」

 「カミ」という名称の語源については、「上」「隠身」「輝霊」「鏡」「火水」「噛み」など古来より諸説があるものの、定説はありません。でも、江戸時代の国学者である本居宣長は大著『古事記伝』で、「世の尋(つね)ならず、すぐれたる徳(こと)のありて、畏(かしこ)きもの」と「カミ」を定義しました。つまり現代の若者風に言えば、「ちょー、すごい!」「すげー、かっこいい!」「めっちゃ、きれい!」「ちょー、ありがたい」「ありえねーくらい、こわい」などの形容詞や副詞で表現される物事への総称が神なのだと鎌田氏は述べます。

 「ジオストーム」を観て、わたしは一神教と多神教の違いについても考えました。おそらく自然に対する考え方が、欧米人と日本人では相反していることが重要な点であると思います。欧米人は厳しい環境に囲まれているので、自然を対立するもの、征服する対象と見ますが、日本人は自然を生きる恵みを与えてくれるものとして見ました。そして、自然に感謝し、畏敬の念を抱き、これと調和して暮らしてきました。そのため宗教にしても、彼らは排他的で独裁的な征服の思想を持つキリスト教のような一神教になります。対する日本は、自然に逆らわず自然の中に神を見て畏敬の念を抱き、自然と一体になろうとする寛容な思想の神ながらの道=神道になります。

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   『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)


 拙著『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)にも書きましたが、自然に対して西洋では高い姿勢、傲慢な態度で立ち向かうのに、日本では低い姿勢、謙虚な態度で受け入れる。彼らは、たとえば石を見ればすぐ彫刻したり、規格統一して並べたりして人間の偉大さを誇ります。日本では、石を河原から拾ってきたままの姿で庭に置き、重く安定した姿の石庭を楽しみます。また、彼らは水を見れば引力に逆らって噴水を上げたがりますが、日本庭園では、水は上から下へと泉水や滝を造って、自然のあるがままの姿を楽しみます。日本庭園は大自然を縮小してそのまま移したものですが、西洋では人工的な直線や円を描いて幾何学的な庭園を造る。このように日本が「自然に従う文化」なら、西洋は「自然に逆らう文化」と呼べるかもしれません。パレスチナやアラビアの苛酷な自然風土の中では、自然に対決し、自然を征服しようとする唯一絶対神を必要として一神教を生む。これに対して自然の温和な日本では、自然順応、調和、共生の多神教が生まれる。一神教が排他独善の不寛容な神、妬みの神になるのに対して、多神教は誰をも受け容れる、きわめて寛容な慈愛の神々となるのです。 

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   『法則の法則』(三五館)


 ところで、自然には「法則」があるのでしょうか。拙著『法則の法則』(三五館)で、わたしは科学こそは最大の「法則追求システム」であり、科学者たちは「法則ハンター」であったと述べました。その科学とは、キリスト教という一神教の帰結であったことは現在では常識となっています。同じ一神教でも、興味深いことにイスラム教においては科学というものは発達しませんでした。中世においては、ヨーロッパはまさに暗黒時代で、文明のあらゆる面においてイスラム世界のほうが進歩していました。ところが、近代になって科学を発達させたキリスト教ヨーロッパに大きく遅れをとったことは歴史の事実です。その理由は何でしょうか。

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   『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)


 まず、一神教とは唯一絶対神を信仰するという点を確認しましょう。わたしは『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)という本を書きましたが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は三大一神教とされます。でも、その三つの宗教は、実は同じ神を信仰する三姉妹のような存在なのです。「ヤハウェ」と「ゴッド」と「アッラー」は同じ唯一絶対神をさすのです。一般に、この宇宙は唯一絶対神が支配しているはずだから、その支配の「法則」を知りたいというところから近代科学が出発したとされています。ニュートンの「万有引力の法則」に代表されるように、近代科学とは、世界を統一した原理でとらえるという考え方です。そして、その考え方は一神教的な物の見方でなければ成立しないのです。

 するとなぜ、キリスト教と同じ一神教であるイスラム教においては近代科学が成立しなかったのか。それは、キリスト教世界とイスラム教世界の成立の仕方の違いに理由がありました。ずばり、キリスト教世界は自ら好んで唯一絶対神を受け入れたわけではありませんでしたが、イスラム世界は自らの意志で受け入れたという大きな違いがあったのです。
 ムハンマドが砂漠で開いた宗教に基づくイスラム教世界は、別に誰かから押しつけられたわけでもなく、最初からアッラーを信仰しました。何ごとも「インシャッラー(すべてはアッラーの思し召し)」と唱えればよい世界であり、雨が降るのも、夜空に月が出るのも、リンゴが木から落ちるのも、すべてはアッラーの思し召しなのです。ですから、イスラム教徒は「法則」という概念に無関心です。
 というわけで、天候パニック映画である「ジオストーム」を観ながら、わたしは宗教と法則について考えたのでありました。