No.354
公開されて間もないSF大作映画「ジュラシック・ワールド/炎の王国」を観ました。一条真也の映画館「ジュラシック・ワールド」で紹介した映画の続編で、「ジュラシック」シリーズとしては5作目となります。いや、予想以上に面白かったです。この映画、予告編に内容が正しく反映されていません。というか、肝心なところが隠されているので、本編を観た観客は大いに驚きます。
ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。「恐竜が放たれたテーマパークが舞台のアドベンチャー『ジュラシック・ワールド』の続編。火山噴火が迫る島から恐竜を救い出そうとする者たちの冒険を活写する。監督は『インポッシブル』などのJ・A・バヨナ。前作にも出演した『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズなどのクリス・プラット、『レディ・イン・ザ・ウォーター』などのブライス・ダラス・ハワードをはじめ、『インデペンデンス・デイ』などのジェフ・ゴールドブラムらが出演する」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。「ハイブリッド恐竜インドミナス・レックスとT-REXの激しいバトルで崩壊した『ジュラシック・ワールド』があるイスラ・ヌブラル島の火山に、噴火の予兆が見られた。恐竜たちを見殺しにするのか、彼らを救うべきか。テーマパークの運営責任者だったクレア(ブライス・ダラス・ハワード)と恐竜行動学の専門家であるオーウェン(クリス・プラット)は、悩みながらも恐竜救出を決意し島へ向かうが、火山が噴火してしまい......」
シリーズ第1作となる「ジュラシック・パーク」(1993年)からもう25年も経過したとは驚きですが、同作のインパクトは非常に大きかったです。原作は、作家マイケル・クライトンが1990年に出版したSF小説で、バイオテクノロジーを駆使して蘇らせた恐竜たちによる惨劇を描くパニック・サスペンスです。基本的にはエンターテイメント作品ですが、原作・映画を通して、その背景には「生命倫理や生命の進化・歴史」「テクノロジーの進歩と過信」に対する哲学的テーマが存在するとされています。
シリーズ第4弾の「ジュラシック・ワールド」では、イスラ・ヌブラル島で起こった「ジュラシック・パーク」の惨劇から22年後、世界的な恐竜のテーマパークである「ジュラシック・ワールド」が華々しくオープンします。しかし、恐竜の飼育員オーウェン(クリス・プラット)の警告にもかかわらず、パークの責任者であるクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させます。知能が高く凶暴なインドミナスが脱走してしまい、多くの犠牲者を出すという物語です。
そして第5弾の「ジュラシック・ワールド/炎の王国」ですが、予告編だけ観ると、物語はイスラ・ヌブラル島での火山の噴火に終始するかのように思えますが、その後、一波乱も二波乱もあり、映画が進むにしたがってどんどん面白くなるという理想的な展開でした。登場する恐竜たちも、みなリアルで、かつ魅力的。特に島に取り残されたブロントザウルスが悲しそうに咆哮する場面には胸を打たれました。
前作「ジュラシック・ワールド」にも恐竜を使って金儲けを企む人間が登場しましたが、今回の「ジュラシック・ワールド/炎の王国」にはもっと悪い奴らが出てきます。なんと、恐竜を世界中の金持ちにオークションで密売するのです。結局は悪い奴らの目論み通りにはいかないわけですが、これは資本主義への鋭い風刺になっていると思いました。
そのオークション会場となったロッグウッド邸での恐竜たちの大暴れは痛快そのものです。これは「キングコング」などの怪獣映画などにも言えることですが、怪獣や恐竜は大自然の中にいるより、搬送される船の檻の中とか、建物の中などにいたほうが巨大さが際立ち、その存在感も大きくなりますね。動物園でも、建物の中にいるゾウやキリンなどを見たとき、その巨大さに怯んだりしますね。
恐竜たちは「自然」そのもののシンボルです。でも、その恐竜たちはオリジナル生物ではなく、クローン生物なわけですが......。ネタバレを恐れずに書くと、「ジュラシック・ワールド/炎の王国」にはクローン恐竜どころか、クローン人間が登場します。それを知ったとき、わたしはこの映画では、問題は恐竜でなく人間なのだと思いました。また、この映画のテーマは恐竜や人間を含んだ「生命」そのものであり、「生命とは何か」を観客に問う作品なのだと思い知りました。
『ハートフル・ソサエティ』(三五館)
『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「神化するサイエンス」に書きましたが、21世紀の人類は確実に生物学というサイエンスによって多大な影響を受けるはずです。生物学でいうと、20世紀は「遺伝子の時代」でした。1900年、20世紀の直前に「メンデルの法則」が再発見され、遺伝に何か因子が働いていることが広く認められました。
1953年、世紀の真ん中に、遺伝を担っているDNA(デオキシリボ核酸)という物質が「二重らせん」構造をしていることを、ワトソンとクリックの2人の天才分子生物学者が発見しました。DNAを基本にして、すべての生き物を仲間として考えられるようになったのです。
そして、21世紀は「ゲノムの時代」です。DNAが集まって形成するゲノム(全遺伝子情報)で生命を考える時代になりました。DNAはあらゆる生き物が共通に持っていながら、生き物ごとに持っているゲノムは違っていて、それぞれの生き物の性質を決めています。ヒトゲノムはヒトの生命の設計図であり、23対の染色体DNAの上に30億の塩基という化学の文字で記されている。そこには数万種類の遺伝子があり、それぞれの遺伝子から特徴的なタンパク質が創りだされ、そのタンパク質の相互作用によって生理作用が営まれます。2003年4月、ヒトゲノムの解読が遂に完了しました。ヒトゲノムの解読と、そこから派生したテクノロジーは、人間そのものに対する私たちの認識を一変させることになるでしょう。
クローン人間をつくるといった究極の遺伝子テクノロジーを前にしたとき、わたしたちの倫理感は大きく揺れます。
すでに1996年、イギリスにおいて世界初の体細胞クローン羊「ドリー」が誕生し、2000年には日本の茨城県で体細胞クローンブタ「ゼナ」が生まれ、世界中に強い衝撃を与えました。いずれにしろ今世紀では、クローン技術をはじめとした遺伝子テクノロジーが情報技術を含む他のテクノロジーすべてを圧倒して発展するでしょう。これほど大きな影響力を持つテクノロジーが開発されたのは、核分裂技術の登場以来であると言えます。核エネルギーは、人類に自らを滅ぼす力を与えました。対して遺伝子テクノロジーは、死から生をつくり出す力、かけ離れた種類の生物同士を交配する力、成熟した細胞を原初の細胞に若返らせる力を人類に与えます。遠からず、わたしたちは人類の進化そのものをコントロールするのでしょうか。
人間の持っている好奇心が科学をつくる。これを英語では「キュリオシティー・ドリヴン」といいますが、この十全性あるいは完全性を私たちは信じて、人間の好奇心が科学をつくってきて、それは完全な理解に向かっているというひとつの大きなパラダイムを持っていました。しかし、今日ではそれはどうも修正しなければならないようです。キュリオシティーともうひとつは「倫理」という人間のエシックス、この2つが兼ね備えられなければ、矛盾だらけの富しか生まれず、さまざまな破綻を生じたり環境問題を引き起こしたりします。まさに、「ジュラシック」シリーズの根本にあるのは、「キュリオシティー・ドリヴン」の危険性であると言えるでしょう。恐竜たちは人間の好奇心の犠牲になったのです。
いま、わたしたちに必要とされるのは、エシックスのソシオロジー、倫理の社会学なのかもしれません。人間には欲望というものがありますが、これは大脳皮質といういちばん最近獲得した脳の機能なので、まだ自分ではコントロールできません。ですから、科学者が自然のベールをどんどん剥いでいって新しい情報を得てくると、それを自分のために使おうとするのです。その欲望をコントロールできないだけに、とんでもない方向に向かう可能性があります。このあたりが「ジュラシック・ワールド/炎の王国」には見事に描かれていました。ネタバレになるので詳しいことは書きませんが、「ジュラシック・ワールド」の真の意味が明らかになるラストシーンは感動的でした。