No.355


 シネスイッチ銀座で映画「子どもが教えてくれたこと」を観ました。

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。「病気を患いながらも懸命に生きる子供たちの姿を捉えたドキュメンタリー。5人にフォーカスし、小さな体で治療を続けながら、毎日を前向きに過ごす様子を映し出す。監督は、娘の病と死をつづり世界各国で出版された『濡れた砂の上の小さな足跡』の原作者で、ジャーナリストのアンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンが務める」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「肺高血圧症を患う9歳のアンブルちゃん、神経芽腫を患う5歳のカミーユ君をはじめ、8歳のテュデュアル君、7歳のイマド君、8歳のシャルル君は病気を患いながらも、家族との時間や友達とのひと時を明るく、一生懸命に生きている。病のつらさにくじけそうになっても、旺盛な好奇心で新たな楽しみを見つけていた」


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「シネスイッチ銀座」で観ました


 この映画、わたしは、ただ呆然と観ました。この映画に登場する子どもたちは、みな、難病を抱えています。肺を病んでいるために背中にポンプを背負った少女、全身皮膚がボロボロになって剥げかかっている少年、化学治療のせいで両目の色が違う少年、腎臓の移植手術を待つ少年......すべて過酷な運命の下にある子どもたちなのに、なぜ、みんな明るい映画を見せてくれるのでしょうか?

 わたしは最初、撮影のカメラのせいではないかと思いました。というのも、じつはブログ「映画出演」で紹介したように、昨日わたし自身が映画に出演するという体験を得たこともあり、カメラの前に立つという非日常体験の効果を想像したのです。今でもカメラを向けられただけでVサインをする子どもがいるように、カメラには人をポジティブな行動に走らせる魔力があります。ましてや、映画の撮影であると本人たちに告げていたとしたら、カメラの前の子どもたちは少しでも元気な姿を見せようとするのではないでしょうか?

 わたしは、難病に苦しみながらも前向きに生きる子どもたちの姿を見て、畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。生きることは大変なことです。そして、生きることは学校生活によく似ているように思います。学校というのは、いつか卒業します。小学校の卒業式も、高校の卒業式も、よく憶えています。わたしはよく、「葬儀は人生の卒業式」と言います。なぜなら、人生そのものの卒業式だからです。

 人生の正体は学校のようなものだと、これまでにも多くの人々によって言われてきました。『ダギーへの手紙』E・キューブラー・ロス著、アグネス・チャン訳(佼成出版社)で紹介されている脳腫瘍の9歳の男の子に宛てられた手紙には、次のように書かれています。

人生は学校みたいなもの。
いろいろなことを まなべるの。
たとえば、まわりの人たちと
うまくやっていくこと。
自分の気持ちを 理解すること。
自分に、そして 人に 正直でいること。
そして、人に 愛を あたえたり
人から 愛を もらったりすること。
そして、こうしたテストに
ぜんぶ合格したら
(ほんとの学校みたいだね)
私たちは 卒業できるのです。
(『ダギーへの手紙』より)

 なぜ、子どもたちは、こんなにも過酷な世界に生まれてくるのでしょうか。わたしは、一条真也の映画館「かみさまとのやくそく」で紹介した映画を思い出しました。この映画の原作は、産婦人科医である池川明氏の一連の著作です。池川氏は1954年東京都生まれ。帝京大学医学部大学院卒。医学博士。上尾中央総合病院産婦人科部長を経て、1989年に池川クリニックを開設しました。池上氏は、「胎内記憶」「誕生記憶」についての研究を進める産婦人科医として知られています。

 池川氏には『おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと』『ママのおなかをえらんできたよ。』『雲の上でママのおなかを見ていたときのこと。』(以上、リヨン社)、『子どもは親を選んで生まれてくる』(日本教分社)『おなかの中から始める子育て』(サンマーク出版)など多くの著書があります。神奈川県横浜市で産婦人科のクリニックを開業するかたわら、胎内記憶研究の第一人者として全国を講演して回っています。胎内記憶を持つ子どもたちに、生まれてきた理由について訪ねると、「人の役に立つため」と全員が答えるといいます。池川氏は「自分が生まれて、お母さんが幸せ、これが子どもたちにとっての幸せなんです」と述べます。

「かみさまとのやくそく」オフィシャルサイトの「作品解説」には、こう書かれています。
「胎内記憶と子育ての実践、インナーチャイルドをテーマにしたドキュメンタリー映画です。胎内記憶とは お母さんのお腹の中にいたときの記憶や、その前の記憶のこと。2~4才の子どもたちが話すと言われています。インナーチャイルドとは、あなたの内なる子ども。心の深奥部に潜み、幼児期の体験によって傷つけられたり抑圧されたりしている、真の自己のことです。
 この映画には 音楽もナレーションもありません 。しかし、胎内記憶の聞き取り調査や子育ての実践、内なる子どもへの自己肯定ワークの過程を、カメラは丁寧に見つめます。研究者、教育者、たいわ士(胎児や赤ちゃんの通訳)が、子ども達と真剣に向き合う姿を先入観なく、ありのままに観てほしい。そして観客ひとりひとりが身近な子どもたちとのつながり方を考える時間を共有してほしい、そんな思いで作られた映画です。胎内記憶やインナーチャイルドのこと、 知らない方も、知っている方も、 ありのままの映像から、 ご自分の大切な 何かを感じていただけると思います」

「かみさまとのやくそく」を観たとき、わたしは、メーテルリンクの『青い鳥』に出てくる「未来の国」を思い浮かべました。チルチルとミチルが最後に訪れる国ですが、ここでは、これから将来生まれてくる子どもたちが出番を待っています。彼らは、人間が長生きするための妙薬を33種類も発明するとか、誰も知らない光を発見するとか、羽がなくても鳥のように飛べる機械を発見するとか、とにかく人類のために何か役立ちたいという大きな志を抱いています。

「未来の国」では、運命の支配者である「時」のおじいさんも登場します。
「時」のおじいさんもは、「子どもたちの生まれる時は運命によって決まっており、それを変えることはできない」と言います。また、「人間は地上に生まれるとき、たとえ発明などではなく、罪でも病気でもよいから何か1つは土産を持っていかなければならない」と言うのです。これは人間の使命というものについて考えさせてくれます。

 そして、「未来の国」の子どもたちは、将来の自分たちの両親についてよく知っていました。赤ちゃんは生まれる前に、お母さんと約束して、今度の人生ではどういった使命を果たすのかを心に決めているというのです。でも、彼らが地球に到着した時点で、宇宙はその記憶を消してします。ごくたまに、記憶が残っている子どもが存在する。そのような考えが『青い鳥』に描かれていますが、これは「かみさまとのやくそく」の内容に通じます。

 神秘学や心霊主義にも詳しかったメーテルリンクは、そのような思想をどこかで学んだのかもしれません。さらには、「幸福」のシンボルである青い鳥とは、ずばり結婚相手のことを暗示しているという見方もできます。じつは有名な『青い鳥』には後日談ともいうべき続編が存在します。1987年に発表された『いいなずけ』という作品で、日本では『チルチルの青春』というタイトルで中村麻美氏による翻案(あすなろ書房)が出ています。

 青い鳥をさがす旅に出てから7年後、チルチルは16歳になりました。ある晩のこと、なつかしい妖婆があらわれ、チルチルが幸福な結婚をするために、その相手を見つけてあげようといいます。候補者は、チルチルの6人のガールフレンドです。「森」をはじめ、「先祖の国」とか「子孫の国」とか、さまざまな場所を訪れた末に、チルチルが見つけた結婚相手は意外な人物でした。その相手は6人のガールフレンドではなく、なんと7年前にチルチルが青い鳥をあげた病気の女の子だったのです。美しい娘に成長した彼女は、あれ以来、ずっとチルチルのことを想い続けていたのです。

 面白いのは、彼女を選んだのが「子孫の国」にいたチルチルの未来の子どもたちだったことです。彼らは、未来の自分たちの母親に抱きついたのでした。ここにも、子どもは親を選んで生まれてくるという思想が見られます。いずれにしても、幸せの青い鳥と同じく、理想の結婚相手は遠くではなく近くにいるのだというメッセージは、とてもわかりやすいといえます。あまり高望みをしていてはダメだということですね。なお、今の自分は本当の自分ではないと信じて、いつまでも定職につかずに夢を追い続けて転職を繰り返す人のことを「青い鳥症候群」というそうです。これらのことは、『涙は世界で一番小さな海』(三五館)でも紹介しました。


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涙は世界で一番小さな海』(三五館)


それから、「かみさまとのやくそく」で紹介されている、「赤ちゃんが自分の意志でお母さんを選んでいる。人は自分で自分の人生を決めている」という考えは非常にしっくりきます。というのも、わたしはこの世の人生とは学校のようなものだと考えているからです。学校とは、学びの場です。わたしたちは、学ぶために、わざわざ生まれてきたのです。

 人生とは、自分で自分に与えた問題集ではないでしょうか。そこでは、人間関係のトラブル、貧困、病気、障害、そして死などの、さまざまな「思い通りにならないこと」つまり、さまざまな「試練」を組み合わせて自ら問題集を作成する。そして、それを解くことこそが人生の目的なのです。いわば、自分で目標管理シートを書くようなものですね。

 その「人生という問題集」の中で、人間として最も大切なことは何でしょうか。それは、魂を成長させることです。さまざまな試練を通じ、学びを積んで魂を成長させるために、人間はこの宇宙の中に存在しているのです。
 わたしたちは、なぜ生まれてくるのか。それは、生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのです。その機会、つまり「貧」や「病」や「争」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう。

 わたしたちが学ぶのは、魂の成長のためであると言いました。魂の成長といっても、さまざまなステージがあり、それによって難易度が異なります。はっきり言って、何の不自由もない平穏無事な生涯を送ることは小学校レベルの問題集ではないでしょうか。わたしは、そう思います。

 一方、「見えない、聞こえない、話せない」の三重苦で知られるヘレン・ケラーや、両手・両足を失った中村久子のような方の人生とは、大学院レベルの最も難しい問題集なのです。この2人は、超難解な問題集を途中で投げ出し、学校から逃げ出しませんでした。つまり、自殺などせずに、これらの難問を見事に解いて、「この世」という学校を堂々と卒業していったのです。まさに、重い障害を抱えながらも人生を生ききった方々は、人類を代表して卒業証書を授与される資格のある偉人だと、わたしは心から思います。

 さて、現実の世界で学校を卒業する際に最も多く使われる言葉、それはやはり「さようなら」でしょう。卒業とは、別れです。卒業の別れはセンチメンタルで悲しくはあるけれど、決して不幸な出来事ではありません。卒業してゆく者にとって、その先には新しい世界や経験や仲間が待っているのであり、卒業とは旅立ちでもあるのです。だから、「さようなら」の次に卒業式で使われる言葉は「おめでとう」なのです。

 それは、死という人生の卒業もまったく同じことです。たしかに死は悲しいものです。不幸な出来事ではありませんが、悲しい出来事ではあります。誰だって、親や配偶者や子どもや恋人が死んだら、悲しいはずです。わたしだって、とても悲しいです。しかし、その悲しさとは、実は死そのものの悲しさではなく、愛する者と別れる寂しさからくる悲しさなのです。ですから、別れの寂しさを死そのものの悲しさと混同してはなりません。

 死とは、人生という名の学校を卒業して次の世界に進むプロセスにほかならないことを知ることが大切だと思います。そして、卒業すべき時が訪れるまでは、毎日を精一杯に生きることが大切ではないでしょうか。
 この映画に登場する子どもたちが教えてくれたこと...それは、

友だちを探して、遊ぶこと。
面白いことを見つけて、笑うこと。
生きられるだけ、生きること!

久々にシネスイッチ銀座で映画鑑賞しましたが、上映前の予告編にいろいろと興味深い映画は紹介されました。まずは、「顔たち、ところどころ」という映画です。「ヌーヴェル・バーグの祖母」とも呼ばれる女性映画監督の先駆であり、2015年にはカンヌ国際映画祭で史上6人目となるパルム・ドール名誉賞を受賞したアニエス・ヴァルダと「Inside Out」で知られるフランス人アーティストJRの2人がフランスの田舎を旅しながら、村々に住む市井の人々と接し作品を一緒に作り残していくロード・ムービースタイルのハートウォーミングなドキュメンタリーです。

 また、茶道教室を舞台にした映画「日日是好日」も、「茶道あるある」満載で、じつに興味深いです。エッセイスト・森下典子が、約25年に渡って通い続けた茶道教室の日々を綴った大人気エッセイ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫刊)を日本映画界屈指の実力派キャスト・スタッフで映画化した作品です。茶道の先生役は樹木希林、生徒役は黒木華、多部未華子というのですから、面白いに決まっています!
 千利休などを描く「時代劇」としての茶道はしばしば映画やドラマになっていますが、「Let it Tea.史上初。お茶の映画できました。」という惹句どおり、茶道教室を舞台にした現代映画は史上初だとか......。
 いやあ、これは、ぜひとも観なければなりませんね!