No.356


 ブログ「友引映画館」で紹介したイベントが、わが小倉紫雲閣の大ホールで行われた21日の夜、小倉紫雲閣の近くにあるシネプレックス小倉でアニメ映画「未来のミライ」を観ました。ちょうど小倉に帰省していた長女と一緒に観たのですが、彼女が細田守監督のファンだというのです。

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。

「『サマーウォーズ』『バケモノの子』などの細田守が監督を務めたアニメーション。小さな妹への両親の愛情に戸惑う男の子と、未来からやってきた妹との不思議な体験をつづる。企画・制作は、細田監督らが設立したアニメーションスタジオ『スタジオ地図』が担当し、細田監督作に携わってきたスタッフが集結している。声の出演は、上白石萌歌、黒木華、星野源、役所広司ら」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。「小さい木が立つ庭のある家に住む、4歳で甘えん坊のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に対する両親の様子に困惑していた。ある日、くんちゃんはセーラー服姿の女の子と出会う。彼女は、未来からやってきた自分の妹で......」

 公開初日のレビューがあまり芳しくなかったので嫌な予感はしたのですが、はっきり言って、「未来のミライ」は面白くありませんでした。細田監督のファンである長女は「面白かった」と言っていましたが、わたしのハートにはヒットしませんでしたね。「子育てあるある」のネタに非日常のファンタジーが盛られたような作品でしたが、どうにもストーリーの豊かさというものが感じられません。山下達郎の音楽は、夏らしくて良かったです。「ああ、そういえば、学生時代の夏は、いつも達郎ばかり聴いていたなあ」と思いました。
 あと、声優陣、特に男性たちの顔ぶれには驚きましたね。「パパ」役の星野源をはじめ、「じいじ」の役は役所広治、それから「ひいじいじ」の役はなんと福山雅治じゃありませんか。これは豪華すぎる!

「古い」とか「封建的」とか言われるのを覚悟で書きます。わたしは、乳飲み児を家に残して仕事に出る母親、イクメンかなにか知らないが、女房を外に働きに出して家で主夫をやる父親に強い違和感を抱きました。特に母親は出張にまで行く必要があるのかと思ってしまいます。
 この映画のテーマとして、「お兄ちゃんの自覚」があるのでしょうか。
 小さくて偉大な一歩を刻む4歳児の大冒険というわけですが、「映画com.」で、映画評論家の杉本穂高氏は次のように述べています。「細田守監督は一貫して自らの家庭体験を描く人だ。結婚してたくさんの親戚ができたら『サマーウォーズ』を作り、子どもが生まれ、子育てする母親を目の当たりにしたら『おおかみこどもの雨と雪』を発表し、男の子が生まれたから『バケモノの子』を作った。今回も例に漏れず細田監督自身の家族体験が発想の元となっている。今回細田監督が描くのは、4歳の長男がお兄ちゃんだと自覚する瞬間だ。立ちはだかる壁は、狼と人間の種の違いや異世界のバケモノでもなく、自らの嫉妬心である。今まで両親の愛を一身に受けていた4歳の子どもが、ある日突然やってきた赤ん坊に親の愛を奪われてしまう」

 細田監督は、娘が生まれ、4歳の息子に妹ができた時、彼が親の愛を奪われ泣き叫ぶ姿を見て、「愛を失う人とはこういうものか」と感じたそうです。細田監督が描く「自らの家庭体験」とやらが、わたしにはまったくピンときません。私小説にも程度があるというか、もっと想像力を働かせて豊かな物語を紡ぐことはできないのでしょうか。これまでの細田監督の作品である「時をかける少女」(2006年)、サマーウォーズ(2009年)、「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)、「バケモノの子」(2015年)にはもっと物語の豊かさがあったように思います。まあ、「未来のミライ」で未来から現在へやってくるミライちゃんは「時をかける少女」そのものではありますが......。

 細田監督の最新作である「未来のミライ」には、4歳の子どもにとって初めて訪れた人生の試練が描かれています。両親の愛情を妹が独占していると思い込んだ主人公くんちゃんは、「ミライちゃん、好きくない!」と言います。この幼稚性(当たり前ではありますが)が延々と繰り返されるのが、わたしには大きなストレスでした。わたしの長女は次女と7歳離れているのですが、「妹が生まれたときは嬉しいばかりで、一度も嫉妬なんかしたことはなかった」と言っていました。わたしも6歳下の弟がいるのですが、やはり生まれたときは嬉しいだけで、くんちゃんのような感情を持った記憶はありませんね。これはやはり、くんちゃんに問題があるというより、母親が働きに出るのが早過ぎるのだと思います。当然のことながら、父親と母親は違います。「ママがいいの!」「パパじゃダメなの!」というくんちゃんの言葉は自然な感情から出たものであり、罪はありません。


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   『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)


「未来のミライ」にも印象に残った場面はありました。
 まずは、雛人形が登場したところです。生まれたばかりの娘ミライちゃんのために、両親は雛人形を求めるのですが、桃の節句を過ぎても片付けようとしません。それを憂いた未来のミライちゃんが、「このままでは嫁に行くのが遅れてしまう」と焦り、現代にやってきて悪戦苦闘しながら雛人形を片付けるのでした。女の子の成長を願う雛祭りは年中行事です。拙著『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)に書いたように、世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があります。年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。なぜなら、それは日本人の「こころ」の備忘録であり、「たましい」の養分だからです。平成最後の夏に公開された話題のアニメ映画に雛人形が登場して、わたしはちょっと感動しました。


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   『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)


 それから、くんちゃんの母親や父親の若い頃の姿と出会う場面もありましたが、何よりも神風特攻隊の生き残りである曾祖父(ひいじいじ)とくんちゃんが出会うシーンが良かったです。曾祖父が曾祖母にプロポーズするシーンにも心を打たれましたが、この映画、主人公のくんちゃんが未来だけでなく、過去にも行きます。過去で会う人々は、くんちゃんの先祖です。拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書いたように、わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。この映画は、そのことをよく表現していたと思います。まあ本当は、一条真也の映画館「リメンバー・ミー」で紹介したアニメ映画のように物語に深みがあれば、もっと良かったのですけれど......。

  それでも、「未来のミライ」のくんちゃんは縦横無尽に時間を超えます。妹のミライちゃんも自由に時を駆けめぐります。この「時間を超える」というのは映画というメディアそのものの本質であると思います。
 拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書きましたが、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。


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   『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)


 それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。「未来のミライ」のくんちゃんも、今は亡き曾祖父に会い、心を通わせるのでした。


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   『法則の法則』(三五館)


 最後に「未来のミライ」というタイトルに関して、一言。
 わたしは、『法則の法則』(三五館)という本を2008年7月8日に上梓しましたが、じつは同書には2冊の続篇のプランがありました。1冊は『歴史の歴史』というタイトルで、人類史におけるこれまでの「歴史」という概念を俯瞰する内容の本でした。そして、もう1冊がなんと『未来の未来』というタイトルの本だったのです。これは、SF小説を中心に「未来」観の流れを振り返り、さらには未来における「未来」の姿を予想するという内容でした。
法則の法則』『歴史の歴史』『未来の未来』を三部作として書き上がる構想はそのままになっていますが、まだ諦めたわけではありません。いつの日か、倒産した三五館とは違う版元から上梓したいと考えています。