No.358
TOHOシネマズ日比谷で超話題の日本映画「カメラを止めるな!」をついに観ました。 夏休み映画には観たいものがなかったので、じつに久々の(20日ぶり!)映画鑑賞です。いやあ、ムチャクチャ面白かったです!
ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。
「監督・俳優養成の専門学校「ENBUゼミナール」のシネマプロジェクト第7弾となる異色ゾンビムービー。オムニバス『4/猫 -ねこぶんのよん-』の一作を担当した上田慎一郎が監督と脚本と編集を務めた。ゾンビ映画を撮っていたクルーが本物のゾンビに襲われる様子を、およそ37分に及ぶワンカットのサバイバルシーンを盛り込んで活写する。出演者は、オーディションで選ばれた無名の俳優たち」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「人里離れた山の中で、自主映画の撮影クルーがゾンビ映画の撮影を行っている。リアリティーを求める監督の要求はエスカレートし、なかなかOKの声はかからず、テイク数は42を数えていた。その時、彼らは本物のゾンビの襲撃を受け、大興奮した監督がカメラを回し続ける一方、撮影クルーは次々とゾンビ化していき......」
この映画は2017年11月に先行公開されました。その後、国内及び海外の映画賞を数々受賞し、2018年6月に日本国内で凱旋上映を行いました。キャッチフレーズは「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」「無名の新人監督と俳優達が創ったウルトラ娯楽作」で、海外タイトルは「ONE CUT OF THE DEAD」。公開当初は製作元のENBUゼミナールが配給を行い、渋谷ユーロスペースなどの一部のミニシアターのみの上映でしたが、SNS上の口コミで評判が広がり、7月25日にアスミック・エースとの共同配給になることが発表されました。
この8月以降、順次100館以上での上映拡大が行われており、24日からはシネプレックス小倉でも上映されます。本当はもっと早い時期に渋谷ユーロスペースで鑑賞したかったのですが、広末涼子のデビュー曲「MajiでKoiする5秒前」の歌詞のように「渋谷はちょっと苦手~♪」なわたしですので、躊躇していました。しかし、ようやくTOHOシネマズ日比谷(宝塚劇場の地下にあるお気に入りの映画館です)で観ることができて大満足です。
「カメラを止めるな!」は、監督・上田慎一郎にとっては初の劇場長編作品です。37分ワンカットのシーンは本当のトラブルと脚本としてのトラブルを混在させているそうですが、映画の開始早々にそのシーンが登場して、ちょっと驚きました。「え、もう出てくるの?」といった感じです。しかし、これが「ダメだ、こりゃ!」といった感じのドタバタ・シーンなのです。とにかく間が悪く、不自然な演技が多過ぎます。わたしは37分のワンカット・シーンを観ているうちにイライラして、そのうちに寝てしまいました。寝不足だったのと、映像がつまらなかったからです。
アルフレッド・ヒッチコック監督の名作「ロープ」をはじめ、これまでにもワンカットで撮影された映画は多いですが、どれも流れるようにドラマが展開されていきました。1948年に製作された「ロープ」は、パトリック・ハミルトンの舞台劇の映画化です。1924年に実際に起きた少年の誘拐殺人事件である「レオポルドとローブ事件」を元にしています。 ヒッチコック監督はこの映画の全編をワンシーンで繋げ、また映画の中と実際の時間が同時に進むという実験的な試みで、映画界を仰天させました。ただし当時の撮影用のフィルムは10~15分が限界なので、実際には背中や蓋を大写しにするワンカットを入れることで全体がつながっているように演出したそうです。
「ロープ」のワンカット撮影が100点だとしたら、「カメラを止めるな!」のギクシャクしたワンカット撮影は10点といったところでしょう。しかし、映画評論家の町山智浩氏も言っているように、間の悪さやタイミングのズレや演技の下手さがすべて仕掛けだったのです。見事な伏線の回収ぶりはまさに三谷幸喜のようでいて、三谷幸喜以上に成功しています。
町山氏は「三谷を真似してみたら、三谷を超えてしまった」作品であると評していますが、言い得て妙ですね。ネタバレになるので仕掛けについては詳しく書けませんが......。
町山氏だけでなく、ラッパーにしてラジオDJ、そして映画評論もするライムスターの歌丸氏も「週刊映画時評」で「カメラを止めるな!」について、「作り手の映画への愛と情熱があふれる大傑作。今年ベスト級」「映画って面白いと再認識」「劇場全体が笑いであふれる最高に幸せな映画体験ができた」「伏線をきちんと回収していく脚本も見事だが、それだけにとどまらず映画的な面白さも満載」と大絶賛していました。
本来はゾンビ映画なのでホラーのはずなのですが、実質はコメディ映画になっています。映画スタッフの奮闘ぶりに感動したり、登場人物の人生ドラマに感情移入したりもするので、ハートフル・コメディ映画といったところでしょうか。それにしても映画撮影そのものを撮影し、さらにその様子も撮影しているので、メタ・フィクション、メタメタ・フィクションの構図になっており、まるで「夢から覚めたと思ったら夢で、さらには、それもまた夢だった」みたいな感じです。これはもう現実が何重にも入れ子のようになっているわけで、その意味では「現実とは何か」を問う哲学映画と言えるかもしれません。
もともと、ゾンビの存在そのものは哲学的なテーマとなりえます。「人間とは何か」や「死とは何か」などの問いを内包しているからです。
一条真也の読書館『ゾンビ論』で紹介した、ゾンビ映画の歴史を辿りながら、その魅力を多角的に論じた本があります。この本には数々のゾンビ映画の名作が紹介されていますが、「カメラを止めるな!」がゾンビ映画の歴史を変えたように思います。それぐらいのインパクトでした。
ゾンビ映画の歴史に燦然と輝くジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」がクランク・インしたのは1967年6月でした。同作品について、ゾンビ映画に詳しい特殊書店タコシェ店長の伊東美和氏は『ゾンビ論』で以下のように述べています。「本作を好意的に取り上げた『ニューズウィーク』は、モダン・ゾンビの恐さが一種のパラノイアを生み出すことにあると分析している。ゾンビは巨大モンスターなどではなく、害悪をもたらす存在となった平均的な市民である。劇中のテレビ・ニュースがもっともらしく伝えるのは、この敵がどこにでもおり、我々を常に狙っているということ。もはや安全な場所など存在せず、自分以外の誰もが突然襲いかかってくる可能性があるのだ」
続けて、伊東氏は以下のように述べています。
「ロメロも同じような見方をしている。自分の発明で誇れるものがあるとすれば、それは隣人がモンスターになるというアイデアだという。モダン・ゾンビは外宇宙から飛来するのでもなく、ハイチからはるばる海を越えて上陸するわけでもない。自分たちの隣人、あるいは友人や家族がそうなるのだ。ロメロがフェイバリットに挙げる『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56年)にも通じる恐怖だが、ゾンビには密かに人間と入れ替わるような知恵も能力もない。彼らはゆらゆらと獲物に近づき、いきなり噛みつくのだ」
ゾンビ映画には、もう1つの金字塔的作品があります。同じくジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」(78年)です。この映画について、伊東氏は「人が人を貪り食う!」として以下のように述べます。「ある日突然、死者が蘇りはじめ、生者に襲いかかってその生肉を貪り食う......。今でこそゾンビ映画のカニバリズムは当たり前のものになったが、この頃は違う。いくら蘇った死体だとはいえ、人が人を食うという描写は、サメやライオンが同じことをするよりもずっと衝撃的だった。一般的な感覚からすれば、間違いなくゲテモノの部類である。配給を手掛けた日本ヘラルド映画は、『グレートハンティング』を大ヒットさせた経験もあり、当然のことながら『ゾンビ』を『残酷映画』として売り出した」
この「ゾンビ」の原題は「ドーン・オブ・ザ・デッド」といいます。
外国語タイトルを「ワンカット・オブ・ザ・デッド」とした「カメラを止めるな!」は、ジョージ・A・ロメロ監督の2大名作「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」「ドーン・オブ・ザ・デッド」へのオマージュ的作品なのでしょうか。しかし、ロメロ作品ではとにかく怖かったゾンビが、「カメラを止めるな!」ではどこまでもユーモラスに見えてしまいます。というか、仕掛けを知ってしまった後では、ゾンビのメイクを見ただけで笑いたくなってきますね。
この映画、脚本も緻密に練られていますが、とにかくアイデアに脱帽です。低予算で最大のインパクトを持つホラー映画といえば、「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」(99年)を思い出しますが、「カメラを止めるな!」はそれ以来の衝撃でした。「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」がそうであったように、今後、「カメラを止めるな!」にも追随作品が続々と出現する気がします。いや、それにしても面白い映画を見せてもらいました。