No.360


 シネスイッチ銀座で英豪米加合作のロマンティック・コメディ映画「輝ける人生」を観ました。

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。

「『ヴェラ・ドレイク』などのイメルダ・スタウントンらが出演したヒューマンドラマ。専業主婦の主人公が、ダンス教室に通い始めたのを機に、自分らしい生き方を見つける。監督は『リチャード三世』などのリチャード・ロンクレイン。『ターナー、光に愛を求めて』などのティモシー・スポール、『マリーゴールド・ホテル』シリーズなどのセリア・イムリーらが共演する。1950年代から現在までのダンスナンバーが作品を彩る」


 また、ヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。


「専業主婦のサンドラ(イメルダ・スタウントン)は、イギリスのサリー州にある屋敷に暮らし、州の警察本部長の夫マイク(ジョン・セッションズ)は爵位を授与されるなど、幸せの絶頂にいた。だが、夫と親友の浮気現場を目撃し家を飛び出して、ロンドンの団地で生活している姉のビフ(セリア・イムリー)のもとに駆け込む。自分の部屋で酒ばかり飲んでいるサンドラを心配したビフは、彼女をダンス教室に連れていく」


 この映画、なかなかユニークな作品でした。 とにかく老人がたくさん登場し、いろんなことをするのです。たとえば、老人が浮気する。老人が嫉妬する。老人が家を出る。老人が荒れる。老人が離婚する。老人が踊る。老人が恋する。老人が恥じらう。老人が笑う。老人が泣く。老人が歌う。老人が食べる。老人が飲む。老人が病む。老人が死ぬ。老人が旅する。老人が走る。老人が叫ぶ。そして、老人が船に飛び乗る......。
 主人公の娘や孫を除いては、ほとんど老人しか出てこない、てんこ盛りの老人映画でした。正直、胸焼けするほどに。もちろん、老人が主人公の映画というのはたくさんありますが、この「輝ける人生」のように超アクティブな老人映画というのは初めて観ましたね。


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「サンデー毎日」2017年11月12日号


 でも、老人たちがダンスという趣味を得るのは素敵だと思いました。ダンスに限らず、高齢になって趣味を見つけることは「生きがい」につながります。
 一条真也新ハートフルブログ「老いてこそ文化に親しむ」にも書きましたが、人は老いるほど豊かになるというのが、わたしの持論です。わが社はセレモニーホールのコミュニティセンター化を図っています。これから必要なのは、「葬儀をする施設」ではなく、「葬儀もできる施設」だと考えているのです。そこで、キーワードとなるのが「文化」です。


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老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)


 一般に、高齢者には豊かな時間があります。時間にはいろいろな使い方がありますが、「楽しみ」の量と質において、文化に勝るものはないでしょう。さまざまな文化にふれ、創作したり感動したりすれば、老後としての「グランドライフ」が輝いてくるはずです。文化には訓練だけでなく、人生経験が必要とされます。また、文化には高齢者にふさわしい文化というものがあるように思います。わたしは、それを「グランドカルチャー」と呼んでいます。2003年に上梓した拙著『老福論~人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)で初めて提唱した言葉です。

 長年の経験を積んでものごとに熟達していることを「老熟」といい、経験を積んで大成することを「老成」といいます。「老」には深い意味があるのです。わたしは「大いなる老いの」という意味で「グランド」と名づけています。これは、グランドファーザーやグランドマザーの「グランド」でもあります。この「老熟」や「老成」が何よりも物を言う文化が「グランドカルチャー」です。グランドカルチャーは、将棋よりも囲碁、生花よりも盆栽、短歌よりも俳句、歌舞伎よりも能とあげていけば、そのニュアンスは伝わるでしょう。

「輝ける人生」で主人公たちが取り組むダンスは若者向けです。激しすぎて心臓にも負担がかかります。これは、グランドカルチャーではありません。この映画は「老い」を肯定しているというよりも「老い」を否定するアンチエイジングの物語ではないかと思いました。
「輝ける人生」を観て、わたしは、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩を思い出しました。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う」で始まるこの有名な詩は、多くの高齢者たち、とくに高齢の経営者たちに人気があります。肉体に対する精神の優位をうたい上げ、ものごとをポジティブにとらえるという点では、わたしも大いに共感しています。

 しかし、ウルマンの詩には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がその根底にうかがえます。ウルマンの「青春」は「老い」そのものを肯定するものではないのです。
 おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生という大きなフレームのなかでとらえる必要があります。

 文化の話に戻ります。もちろん、どんな文化でも老若男女が楽しめる包容力をもっていますが、特に高齢者と相性のよい文化、すなわちグランドカルチャーというものがあります。わが社では高齢者向けの文化教室「グランドカルチャー教室」を運営しています。グランドカルチャーは高齢者の心を豊かにし、潤いを与えてくれます。それは老いを得ていくこと、つまり「得る老い」を「潤い」とします。超高齢社会を迎えた今こそ、高齢者は文化に親しもうではありませんか。その生き方が、「後期高齢」を「光輝好齢」に変えてくれるはずです。


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人生の修め方』(日本経済新聞出版社)

 いま、無縁社会を克服しようと、わが社では地縁、血縁以外の新たな「縁」の再生・再構築に取り組んでいます。たとえば、好きなものを求めて集まる趣味仲間の「好縁」などに注目しています。実際、最近の葬儀で会葬者が集まるのは、俳句や囲碁やカラオケやダンスなど趣味が縁の仲間たちというケースが非常に多いです。同じ趣味を持った仲間たちが、同じ趣味に打ち込んだ思い出の会場(セレモニーホール=コミュニティセンター)から見送ってくれれば、こんなに贅沢で心ゆたかなことはありません。

 まさに、「輝ける人生」の修め方ではないでしょうか。