No.392


 中間の「ユナイテッドシネマなかま」で上映されている日本映画「洗骨」を観ました。この映画、話題となったわりには上映館が極端に少なくて苦労しましたが、九州での最終上映日の最終上映にギリギリ間に合いました。「この映画、俺が観なければ、誰が観る!」という強い想いで、ついに鑑賞いたしました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「お笑いコンビ『ガレッジセール』のゴリこと照屋年之監督が手掛けたコメディードラマ。土葬または風葬した遺体の骨を洗い再度埋葬する風習『洗骨』を通じ、バラバラだった家族が再生していく。妻の死を受け入れられない父親を監督としても活動している奥田瑛二、息子を『Breath Less ブレス・レス』などの筒井道隆、娘を河瀬直美監督作『光』などの水崎綾女が演じるほか、筒井真理子、お笑いコンビ『ハイキングウォーキング』の鈴木Q太郎らが共演」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、こうです。
「新城家の長男・剛(筒井道隆)が、4年前に他界した母・恵美子(筒井真理子)の『洗骨』のため故郷の粟国島に戻る。実家に住む父・信綱(奥田瑛二)は母の死後、酒に溺れており生活は荒んでいた。そこへ名古屋で美容師をしている長女・優子(水崎綾女)も帰ってくるが、妊娠している姿に一同言葉をなくす」

 この映画、予想以上に素晴らしい作品でした。
 しっかり感動しました。たくさん泣きました。
 吉本興業には小説家の又吉直樹(ピース)、絵本作家の西野亮廣(キングコング)など多才な芸人が多いですが、映画監督としての照屋年之ことゴリ(ガレッジセール)も彼らに負けない才能の持ち主だと思いました。少なくとも、吉本の先輩芸人である松本人志などよりはずっと映画監督としてのセンスがあります。

 俳優陣の演技も素晴らしかったです。
 まず、妻に先立たれた父親役を演じた奥田瑛二が良かった。沖縄は男性よりも女性のほうが強い地域として知られますが、「頼りない男」そして「情けない父親」を見事に演じました。今や「安藤サクラの父」として有名な俳優・奥田瑛二といえば、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した「海と毒薬」(86年)や日本アカデミー主演男優賞を受賞した「千利休・本覚坊遺文」などが思い浮かびますが、それらの映画よりも、わたしはTBSのTVドラマ「男女7人夏物語」(86年)で女たらしの軟派男を演じた演技が好きでした。なんだか、あの軟派男と「洗骨」の情けない父親の姿がちょっと重なりましたね。

 TVドラマといえば、長男役の筒井道隆も、あの有名なフジテレビの「あすなろ白書」(93年)の名演技を思い出しました。なにしろ、あのときは主演男優としてキムタクを圧倒する存在感を示した彼ですが、はかなげで繊細なキャラクターを今回も見事に演じました。
 長女役の水崎綾女も良かった。じつは、わたしは伊藤裕子という女優さんが好きだったのですが、彼女の若い頃に似ていると思います。演技力もなかなかで、最後の出産シーンの演技は日本映画史に残るのではと思えるほどの迫力でした。
 そして、父親の姉役を演じた大島蓉子が最高に素晴らしかった。「沖縄の強い女」をこれ以上なく表現していました。こんな女性が親戚に1人いたら心強いでしょうね。

「洗骨」は家族をテーマにした映画ですが、葬送儀礼を扱うことによって、かつての小津安二郎の映画のような深みを出すことに成功していました。わたしは、小津安二郎の映画が昔から大好きで、ほぼ全作品を観ています。黒澤明と並んで「日本映画最大の巨匠」であった彼の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。その意味で、「洗骨」には小津映画の香りがしました。

 それにしても、よくぞ「洗骨」などという題材を選んだものです。そのセンスには感嘆するばかりです。照屋監督は沖縄出身ですが、まさか「洗骨」とは!
 わたしは沖縄でも冠婚葬祭業を営んでいますが、洗骨はもはや廃れつつある風習で、沖縄においても一般的ではありません。Wikipedia「洗骨」には、「一度土葬あるいは風葬などを行った後に、死者の骨を海水や酒などで洗い、再度埋葬する葬制である」として、その「概要」が以下のように書かれています。「東南アジアや、日本では沖縄県や鹿児島県奄美群島に、かかる風習が存在するとされる。沖縄諸島では『シンクチ(洗骨)』といい、奄美群島では『カイソウ(改葬)』と称する。かつての沖縄などでは、よく見られる葬制であった。琉球王国の王室は、戦前まで洗骨を経て納骨されていたことが、記録に残っている。沖縄における洗骨の意味は、洗骨されないうちは死者は穢れていて、神仏の前に出られないという信仰があるからとされる」
 続けて、以下のように書かれています。
「洗骨という儀式において、実際に骨を洗うという行為は親族の女性、特に長男の嫁がすべきものとされた。しかし衛生的に問題があるうえ、肉親の遺体を洗うという過酷な風習であるがゆえに、沖縄県の女性解放運動の一環として火葬場での火葬が推奨され、また保健所の指導により、沖縄本島では戦後消滅したとされる。それでも一部の離島ではまだ現存しており、年配の人の中にはこうした形での葬儀を望む人も多いといわれる」

 続けて、以下のように書かれています。
「NHK鹿児島放送局は、与論島で行われたある家族の洗骨儀式の模様を密着取材し、2010年(平成22年)6月25日に『九州沖縄スペシャル』で放送した。この番組は洗骨儀式そのものが今日ほとんど見られなくなっていることに加え、NHKによると洗骨儀式は身内以外には決して公開されないだけに、貴重な記録映像となっている.番組によると、与論島で洗骨儀式が始まったのは明治に入ってからで、それまでは共同墓における風葬があたり前とされた。しかし明治に入り、鹿児島県が風葬を禁じ、死体遺棄罪に問うとしたことから、止むなく始められたのが、いったん土葬を経た後の洗骨という形式であったという。番組は、洗骨そのものに限らず、そこに至るまでの様々な過程と関わる家族の思いについても記録した。また、風葬による祖先の骨が多数みられる崖下墓の映像もあった」

 さらに、Wikipedia「洗骨」には、「世界のなかの洗骨とその理由」として、以下のように書かれています。
「洗骨の文化はアジアのみならず、全世界にみられる。北米先住民にもみられるし、アフリカにもインド洋諸島、東南アジア、オセアニアにも広く分布している。渡邊欣雄によると、その根拠は死者を一時埋葬しただけでは、死霊のままで、これは子孫に役に立たないどころか病や死をもたらす危険な存在であるが、洗骨をして第2の葬儀をすることにより、子孫に幸福と豊穣をもたらす祖霊となると考えるからである」
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唯葬論』(サンガ文庫)


 洗骨は「第二の葬儀」などと呼ばれます。
 拙著『唯葬論』(サンガ文庫)にも書きましたが、葬儀というのは、遺体の処理にともなう儀礼です。「ともなう儀礼」というのは、遺体の処理法だけをいうのではないからです。遺体の処理法は、一般に葬法と呼ばれています。葬法とは、文字どおり遺体を葬る方法のことです。人間は呼吸を停止した瞬間から遺体となり、たちまち悪臭を放ちながら腐敗していきます。旧石器時代においてすら、すでに遺体に対して何らかの措置がなされた形跡が見られることからいっても、遺体の処理は人類の発生とともに、残された生者にとって不可欠の処理としてはじまったのでしょう。

 葬法には、その行為からすれば、遺体を棄てる(死体遺棄)、曝す(風葬、林葬、樹上葬、台上葬)、破壊する(火葬、鳥葬)、しまう(土葬)、保存する(ミイラ葬)などの方法があり、また遺体の処理される条件からいって乾燥葬(火葬、風葬、ミイラ葬、樹上葬、台上葬、墓室葬)と湿葬(水葬、土葬)などとも分類されます。洗骨は風葬にともなう風習です。今日のわが国では、土葬、火葬、風葬(墓室葬)の3つが行われていますが、やはり火葬が主流です。
 人類学者のマリノフスキーなどが指摘したように、生者が死者に抱く感情には、腐敗していく遺体に対する恐怖や嫌悪感と死者への愛惜の念という、相反する2つの感情が併存しています。この相反する2つの感情が、さまざまな葬法を生みだしてきたのでしょう。

 葬法は死の儀礼の出発点です。葬儀は遺体の処理にはじまりますが、遺体との訣別とともに死者と新たな関係を樹立する儀礼ともなっています。葬儀においては、遺体を処理すれば、すべてが終わるというものではありません。特に日本のように霊魂信仰の根強い国では、葬儀の中に霊魂の処理を含むのは当然のことです。名著『通過儀礼』を書いた民族学者のファン・ヘネップは、葬儀が死者を生者の世界から分離し、新しい世界に再生させるための通過儀礼であることを指摘しています。死者の霊魂を、どのような手段で新しい世界に送り込むのか、死者の霊魂をどのように受けとめ、どんな態度で臨むか。すなわち、葬儀とは霊魂のコントロール技術なのです。
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愛する人を亡くした人へ』(現代書林)


 映画「洗骨」で描かれる死者儀礼はとてもリアルであり、きわめて興味深かったです。そして、死後4年の時間を経て行う洗骨とは、死者のための「儀式」というよりも遺された生者のための「グリーフケア」であると感じました。拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書いたように、配偶者を亡くした悲しみが癒えるのに5年はかかると言われています。また、配偶者との死別は「うつ」の最大原因ともされています。「洗骨」で奥田瑛二が演じた父親も最愛の妻に先立たれ、精神的にボロボロになっていました。憔悴しきって日々の生活も送れないほどで、あのままでは彼は自ら命を絶った可能性もあったと思います。

 かつては「長寿県」として知られた沖縄県ですが、現在はそうではありません。相変わらず沖縄の女性は長寿ですが、男性の自死が増加しているとされています。その最大の原因は配偶者との死別によって「うつ」状態になった男性たちの「自死」だといいます。彼らは妻を失った喪失感と孤独感からアルコール度数の強い泡盛を飲み続け、アルコール依存症となり、それが「うつ」「自死」につながる負の連鎖に陥るのです。そのあたりも、「洗骨」にはよく描かれていました。

 洗骨とは、葬儀の後にもう一度、死者を弔う儀式です。愛する人を亡くしたとき、遺された者は何度でも弔いたいと思うのではないでしょうか。それは、死者を忘れたくない、身近に感じたいという気持ちの表れでもあります。
 わたしが四大「葬」イノベーションと考えている海洋葬樹木葬宇宙葬月面葬なども、その背景には「もう一度、死者を弔いたい」という心情があるように思います。
 三回忌や七回忌などの年忌法要というのも、死者を何度も思い出し、何度も弔うという側面があります。

 そして、ネタバレを覚悟で書くと、映画「洗骨」の最後には出産シーンが登場します。これが素晴らしかった。わたしは、「命」を繋ぐのは葬儀と出産であると思いました。葬儀は先祖供養にも通じます。
 わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。
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ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)


 拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書きましたが、沖縄には「ファーカンダ」という方言があります。「孫」と「祖父母」をセットでとらえる呼称です。これは、親子、兄弟という密接な人間関係を表わすものと同様、子どもとお年寄りの密接度の重要性を唱えているものと考えられます。超高齢化社会に向けて、増え続けるお年寄りたち。逆に減り続け、街から姿が消えつつある子どもたち。その両者を「ファーカンダ」という言葉がつなげている。「ファーカンダ」は、「ファー(葉)」と「カンダ(蔓)」の合成語とされますが、それは、葉と蔓との関係のように、切っても切れない生命の連続性を示しています。それは生命にとって一連の出来事であり事態なのです。

 沖縄の儀式を描いた映画といえば、一条真也の映画館「久高オデッセイ」で紹介した作品が思い起こされます。製作者は「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生で、株式会社サンレーが協賛、わたしも協力者に名を連ねています。わたしは「久高オデッセイ」三部作を観て、まず、「これはサンレーのための映画だ!」と思いました。サンレー沖縄は、沖縄が本土復帰した翌年である1973年(昭和48年)に誕生しました。北九州を本拠地として各地で冠婚葬祭互助会を展開してきたサンレーですが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。サンレーの社名には3つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接に関わっています。
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「守礼之社」をめざすサンレー沖縄


 まず、サンレーとは「SUN‐RAY(太陽の光)」です。沖縄は太陽の島。太陽信仰というのは月信仰とともに世界共通で普遍性がありますが、沖縄にはきわめてユニークな太陽洞窟信仰というものがあります。「東から出づる太陽は、やがて西に傾き沈む。そして久高島にある太陽専用の洞窟(ガマ)を通って、翌朝、再び東に再生する。その繰り返しである」という神話があるのです。おそらく、久高島が首里から見て東の方角にあるため、太陽が生まれる島、つまり神の島とされたのでしょう。そして久高島から昇った太陽は、ニライカナイという海の彼方にある死後の理想郷に沈むといいます。紫雲閣とは魂の港としてのソウル・ポートであり、ここから故人の魂はニライカナイへ旅立っていくのです。
 次に、サンレーとは「産霊(むすび)」です。生命をよみがえらせるという意味です。産霊といえば何といっても祭りですが、沖縄は祭りの島といわれるほど祭りが多い。特に村落単位で行なわれる伝統的な祭りが多く、本土では神社が舞台ですが、沖縄ではウタキ、神アシャギ、殿(トゥン)といった独特の祭場で行なわれます。司会者はノロやツカサなど女性が多いのですが、八重山のアカマタ・クロマタや中部のシヌグなど男性中心の祭りもあります。また、本土のように「みこし」を担ぐ習慣はなく、歌や踊りといった芸能が非常に発達しています。

 産霊といえば、生命そのものの誕生も意味しますが、沖縄は出生率が日本一です。15歳以下の年少人口率も日本一で、まともな人口構造は日本で沖縄だけと言っても過言ではありません。「久高オデッセイ第三部 風章」でも、久高島に新しい生命が誕生していましたね。わが社の結婚式場「マリエール・オークパイン那覇」での結婚式を見ると、花嫁さんの多くはお腹が大きいです。つまり、「できちゃった結婚」がとても多いわけですが、これは素晴らしいことだと思います。セックスしても子どもは作らないヤマトンチューはバッド! 子どもを作って責任取って結婚式まできちんとするウチナンチューはグッドです。これぞ、人の道!

 そして、サンレーとは「讃礼」(礼を讃えること)です。言うまでもなく、沖縄は守礼之邦。礼においても最も大事なことは、親の葬儀であり、先祖供養です。沖縄人ほど、先祖を大切にする人たちはいません。
 1月には16日(ジュールクニチー)、3月には清明祭(シーミーサイ)。ともに墓参りの祭りですが、最大の墓地地帯である那覇の識名の祭りも壮観ですし、糸満の幸地腹門中墓は沖縄最大の清明祭が行われます。
 沖縄の人は、先祖の墓の前で宴会を開きます。先祖と一緒にご飯を食べ、そこは先祖と子孫が交流する空間となります。本当に素晴らしいことです! 子どもの頃から墓で遊ぶことは、家族意識・共同体意識を育て、縦につながる行事です。これは今の日本人に最も欠けていることで、ぜひ本土でもやるべきだと確信します。
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守礼門にて「天下布礼」の旗を掲げる!


 このように、沖縄はまさにサンレーの理想そのものです。わたしはサンレーが沖縄で45年以上も冠婚葬祭業を続けてこられたことを心の底から誇りに思います。そして、沖縄には本土の人間が忘れた「人の道」があり、それこそ日本人の原点であると確信します。今こそ、本土は「沖縄復帰」すべきではないでしょうか。映画「洗骨」を観て、そんなことを考えました。

 最後に、映画「洗骨」のエンドロールでは沖縄の心を歌い上げた名曲「童神」が流れました。沖縄を代表する歌手である古謝美佐子(この映画にも売店の女主人役で出演しています)の代表曲として知られます。なんでも、日本の権威的学者や音響研究者の研究発表により、彼女の声は、人を癒したり健康を促進する「高周波」と「ゆらぎ」を同時に持つ希有の存在である、ということが証明されたそうです。作家の五木寛之氏も「いま最も凄い歌手」と絶賛しているとか。この歌のメッセージは、映画「洗骨」のテーマともピッタリでした。そういえば、この日一緒に映画鑑賞したサンレーの黒木執行役員が、以前、那覇のカラオケ店で「童神」を哀愁たっぷりに歌っていたことを思い出しました。 改元まで、あと56日です。