No.405


 14日の夜、TOHOシネマズ日比谷で映画「ラ・ヨローナ~泣く女~」のレイトショーを観ました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。「『インシディアス』シリーズなどのジェームズ・ワンが製作に携り、中南米に伝わる怪談を映画化したホラー。その泣き声が聞こえると必ず子供たちがさらわれるという存在に狙われた母親の奮闘が描かれる。テレビシリーズやショートフィルムを手掛けてきたマイケル・チャベス監督がメガホンを取り、『グリーンブック』などのリンダ・カーデリーニが母親を演じる。共演は、マデリーン・マックグロウ、ローマン・クリストウ、レイモンド・クルツ、パトリシア・ヴェラスケスら」

 ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「1970年代のロサンゼルスで、ソーシャルワーカーのアンナ(リンダ・カーデリーニ)に、子供たちに危険が迫っているので助けてほしいとある女性が訴える。だがアンナは、その訴えに真剣に耳を貸さなかった。一人親のアンナには、エイプリル(マデリーン・マックグロウ)とクリス(ローマン・クリストウ)という二人の子供がいた」

 ラ・ヨローナは愛する子どもを川で溺れ死にさせてしまい、その悲しみから自分も川で自ら命を絶った母親の幽霊です。幽霊の中でもタチの悪い悪霊なのでしょうか、彼女を退治するために元神父のエクソシストが登場します。しかし、わたしは悪霊というよりは、日本でいえば「産女(うぶめ)」のような悲しい妖怪であるように感じました。

「産女」は「姑獲鳥」も呼ばれますが、妊婦の妖怪です。死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「産女」になるという概念は古くから存在しました。日本の多くの地方では、子供が産まれないまま妊婦が産褥で死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられています。胎児を取り出せない場合には、人形を添えて棺に入れる地方もあります。この悲しい「産女」の伝説が中南米の「ラ・ヨローナ」の伝説に重なりました。

「産女」も「ラ・ヨローナ」も愛するわが子を求める女の幽霊です。映画「ラ・ヨローナ」では、悪霊からわが子を守るシングル・マザーが登場しますが、その奮闘ぶりを見て、「母は強し」と思わざるをえません。今月12日は「母の日」でしたが、出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人です。その母親の強さが、この映画でも描かれていました。

「ラ・ヨローナ」は水の幽霊でもあります。水と幽霊は相性が良いようで、わたしは雨が激しく降ると、自然と死者のことを考えてしまいます。それから、孔子のことを考えます。よく知られているように、孔子は儒教という宗教を開きました。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。

雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。ということで、わたしが「幽霊」に強い関心を持つのも「人の道」につながっているのかもしれません。そう、「霊を求めて」は「礼を求めて」に通じるのです。そんなことをホラー映画としては怖さがイマイチな「ラ・ヨローナ」を観ながら考えました。ちょうど今日、加地伸行氏の新著『大人のための儒教塾』(中公新書ラクレ)を読了したばかりだからかもしれません。