No.429


 27日から公開された映画「ホテル・ムンバイ」をレイトショーで観ました。実話に基づいた内容で、ホテル関係者は必見という評判です。わたしもホテルを経営していますので、鑑賞を心待ちにしていました。もう腰が抜けるほど感動しました。泣けました。今年の「一条賞」の最有力候補です!

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『LION/ライオン~25年目のただいま~』などのデヴ・パテルを主演に迎え、2008年にインドのムンバイで起きたテロ事件を題材にしたドラマ。高級ホテルに監禁された宿泊客を救おうと奔走した従業員たちの姿を映し出す。本作で長編デビューしたアンソニー・マラスが監督を務め、『君の名前で僕を呼んで』などのアーミー・ハマーがアメリカ人旅行者を演じた」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「身重の妻と小さい娘がいるアルジュン(デヴ・パテル)は、インド・ムンバイの五つ星ホテル、タージマハルで、厳しいオベロイ料理長(アヌパム・カー)のもと給仕として働いていた。2008年11月26日、ホテルには生後間もない娘とシッターを同伴したアメリカ人建築家デヴィッド(アーミー・ハマー)や、ロシア人実業家のワシリー(ジェイソン・アイザックス)らが宿泊していた」

 この映画に描かれた「ムンバイ同時多発テロ」は、2008年11月26日夜から11月29日朝にかけて、インドのムンバイで外国人向けのホテルや鉄道駅など複数の場所が、イスラーム過激派と見られる勢力に銃撃、爆破され多数の人質がとられまた殺害されたテロ事件です。Wikipedia「ムンバイ同時多発テロ」の「概要」に、「2008年11月26日夜、インド最大の都市であり商業の中心地でもあるムンバイ(旧名ボンベイ)で、同時多発的に発生した10件のテロ立てこもり事件は、11月29日朝、陸軍部隊がすべての立てこもり拠点を制圧して終結した。 少なくとも172人ないし174人(うち34人は外国人)が死亡、負傷者は239人にのぼることが確認されている」とあります。

 警察の発表によると、逮捕したテロリストのうち1人が、自分たち実行犯はパキスタンに本拠を置くイスラーム主義組織ラシュカレトイバに所属していると供述したとのことでした。このことはインド・パキスタン両国の関係に深刻な影響をもたらす可能性があり、パキスタン政府はテロリスト集団への支援を否定し、「テロリストには宗教など全く関係ない」との考えを明らかにしました。インディアン・ムジャーヒディーンのテロリスト集団は2008年9月にも、ムンバイの市内複数箇所で爆破事件を起こすと犯行予告を出していました。ムンバイ同時多発テロの後、インドとパキスタンの緊張関係は一層悪化し、 インド外務省は、12月1日にパキスタン高等弁務官を呼び、パキスタンの土壌から生まれたテロをパキスタンが抑え込めなかったことについて公式に抗議しています。

 ムンバイ同時多発テロは、フランスでも「パレス・ダウン」(2015年)というサスペンス映画が作られています。父の転勤でインドにやって来た18歳の少女ルイーズは、新居が決まるまでの間、「タージマハル・ホテル」に両親と一緒に滞在することになります。しかし両親の外出中にホテルがテロリストの襲撃を受けて占拠され、ルイーズはひとり客室に取り残されてしまいます。外の世界との唯一のつながりである携帯電話で父親と連絡を取りながら、ルイーズは生き延びるべく奮闘するのでした。主人公ルイーズ役に「ニンフォマニアック」のステイシー・マーティン。共演に「あの夏の子供たち」のルイ=ド・ドゥ・ランクザン、「ハングリー・ハーツ」のアルバ・ロルバケル。

 映画「ホテル・ムンバイ」には、2通りの「神」が登場します。「アラー」と「お客様」です。イスラム教徒にとって「アラー」とは「神」と同義語です。「お客様は神様です」とは三波春夫の有名なセリフですが、映画の中のタージマハル・ホテルの総支配人は従業員たちに同じセリフを吐きます。イスラム原理主義のテロリストたちは「アラー・アクバル」(アラーは偉大なり)、「インシャラ―」(すべてはアラーの思いの通りに)を口にしてホテルの宿泊客たちを処刑しようとしますが、ホテルの従業員たちは自らの生命を賭してそれを防ごうとします。

 また、この映画には2つの「楽園」がテーマになっています。1つめは、テロリストたちが死後に向かうイスラムの天国です。イスラムにおける天国は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされます。イスラム教の聖典『コーラン(クルアーン)』ではイスラムにおける天国の様子が具体的に綴られています。『コーラン』出来事章10節から24節には、「(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園の中に(住む)。昔からの者が多数で、後世の者は僅かである。(かれらは錦の織物を)敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である」と書かれています。
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世界の聖典・経典』(光文社知恵の森文庫)



 さらに、『コーラン』出来事章56章27節から40節には、「右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。(かれらは)刺のないスィドラの木、累々と実るタルフ木(の中に住み)、長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。愛しい、同じ年配の者。(これらは)右手の仲間のためである。昔の者が大勢いるが、後世の者も多い」とあります。ちなみに、「先頭のもの」とは最良のムスリム(イスラム教徒)、「右手の者」とは一般のムスリムのことです。このような『コーラン』における天国での物質的快楽の描写がジハード(聖戦)を推し進める原動力となっており、テロのモチベーションになっているという指摘もあります。実際、イスラム過激派組織が自爆テロの人員を募集する際にこのような天国の描写を用いている場合は少なくありません。『コーラン』の内容については、拙著『世界の聖典・経典』(光文社知恵の森文庫)を参考にされて下さい。
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リゾートの思想』(河出書房新社)



 もう1つの「楽園」とは、タージマハル・ホテルのような高級ホテルです。拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)で詳しく述べたように、もともとホテルとはこの世の楽園であり、天国の雛型と言えます。われわれの脳の中には、「理想土(リゾート)」イメージがインプットされているというのが、わたしの考えです。人類は古来から憧れの場所のイメージを抱いてきました。理想郷と呼ばれるものが、それです。天国とか楽園といった理想郷は、人類が古今東西にわたって憧れ続けた幸福の空間そのものであり、それを地上に再現することが高級ホテルの目指すところではないでしょうか。映画では、タージマハル・ホテルに足を踏み入れた瞬間、テロリストたちは呆然として、「まるで楽園だな」と言ったのが印象的でした。

 タージマハル・ホテルは、インドの近代工業の父でタタ・グループの創始者でもあるジャムセットジ・タタによって作られました。タタは、ムンバイ(旧ボンベイ)の当時最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに入ろうとしたところ、白人専用であることを理由に宿泊を断られ、これに怒ってもっと豪華なホテルをインド人の手で築こうとしたといいます。インド人建築家により西洋の新古典主義建築とインドの伝統の様式を混合した姿で設計されました。1903年12月16日にタージマハル・ホテルは開業し、以来ムンバイ第一のホテルとなりました。インドを訪問する世界の政治家・王侯貴族・有名人らがこのホテルの客となっています。

 ムンバイ同時多発テロでは、火災がタージマハル・ホテルの1階で発生し、2階部分からもうもうたる煙が立ち上りました。タージマハル・ホテルの建物への損害はすさまじく、屋根部分のドームを含むパレス棟の一部は破壊されたと伝えられました。ニュー・デリーから駆け付けた軍治安部隊(NSG)によるホテル鎮圧作戦は完了し、その際に実行犯3人が死亡したとされています。タージマハル・ホテルの制圧が完了し同時テロ事件が本当に終結したのは、11月29日朝のことでした。多くの犠牲者が出ましたが、そのほとんどは、ホテルの従業員でした。ホテルを舞台にした映画はこれまでに数多く作られてきましたが、ここまでホテルマンのミッションを見事に描いた作品を他に知りません。

 アヌパム・カーが演じたオベロイ料理長のリーダーシップも素晴らしく、まるで戦時の戦艦の艦長のようでした。しかし、艦長ならば乗組員とともに敵を攻撃するのが使命ですが、オベロイ料理長の場合はお客様と従業員の生命を守るという二重の使命を帯びていたのです。ムンバイ同時多発テロでは、ホテルの他にもレストラン、駅などで虐殺が行われました。テロというのはホテルのみならず、結婚式場でも葬祭会館でもレストランでも百貨店でもショッピングセンターでも、どこでも起こりえます。空港や銀行などは常にテロ対策をしているのでしょうが、あらゆるサービス業におけるテロへのリスク・マネジメントして、この映画は最高の教材になるのではないでしょうか。そういえば、日本では「TOKYO2020」でのテロ対策が進んでいます。五輪の開催時に東京でテロでも発生すれば、日本は一気に信用を失います。先日の組閣では、わたしの高校の後輩である武田良太衆院議員が国家公安委員長に就任しました。大いに期待しています。

 一条真也の映画館「LION/ライオン~25年目のただいま~」で紹介した映画で主演したデヴ・パテルは、オベロイ料理長の下で働く給仕の役でしたが、じつに輝いていました。彼が頭にターバンを巻いていたことから、テロリストと混同して不安になったイギリス人女性がいたのですが、彼は自分はシーク教徒であり、信仰と一族の誇りから幼少の頃より外出時には必ずターバンを巻いていること、しかしながらお客様を不安にさせるのなら外しても構わないことを述べます。彼の誠意に心を打たれたその女性は「いいえ、外さなくていいです」と言うのですが、この場面は泣けました。自身の信仰と信念と顧客へのホスピタリティとをすべて犠牲にしなかった対応に非常に感動しました。事件当時のスタッフたちの大半は、現在もタージマハル・ホテルで働いているそうです。それを知って、わたしはタージマハル・ホテルを訪れて宿泊したくなりました。ホテル業のみならず、冠婚葬祭業や飲食業など、すべてのホスピタリティ・ビジネスに携わる方々に「ホテル・ムンバイ」を観ていただきたいです。
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ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)



 それにしても、「ホテル・ムンバイ」は、宗教、それもイスラム過激派の怖ろしさを思い知らされる映画でした。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)にも書きましたが、21世紀は、9・11米国同時多発テロから幕を開いたと言えます。あの事件はイスラム教徒によるものとされていますが、この新しい世紀が宗教の存在を抜きには語れないことを思い知った人も多いでしょう。その後の世界各地での戦争や紛争やテロの背後にも必ず宗教の存在があり、宗教に対する関心は日に日に増す一方です。しかし、日本人のなかには宗教を知らない人が実に多いことも事実です。正月には神社に行き、七五三なども神社にお参りする。クリスマスを盛大に祝い、結婚式は教会であげる。そして、葬儀では仏教のお世話になる。ある意味で宗教的に「いいかげん」というか「おおらか」なところが、代表的な日本人の宗教感覚だと言えるかもしれません。
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100文字でわかる世界の宗教』(ベスト新書)



 列島を震撼させたあの「オウム真理教事件」などは例外中の例外として、日本人は一般に「無宗教」だと言われます。自らが信じる神のためには戦争をも辞さないユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった「一神教」の人々には燃えるような宗教心が宿っていますが、日本人の心の底に横たわっているのはむしろゆるやかな宗教心ではないでしょうか。そして、そんな日本人たちは言います。「宗教が違ったって、同じ人間じゃないか。どうして宗教のために人間同士が争わなければならないのか」と。たしかに、その通りです。人間は人間です。しかし、人類という生物としての種は同じでも、つまりハードとしての肉体は同じでも、ソフトとしての精神が違っていれば、果たして同じ人間だと言い切れるでしょうか。
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100文字でわかる世界の宗教』(ワニ文庫)



 人間にとって何よりも大事なのはソフトとしての精神であり、その精神にもっとも影響を与えるものこそが宗教なのです。はっきり言って、宗教が違えば、まったく違う人間になるのです。もちろん平和は大切であり、この世界から戦争を根絶しなければならないと私も痛切に思います。でも、そのためにも、いや、そのためにこそ宗教に対する理解というものが必要なのです。宗教を知らずして、真の国際人には絶対になれません。わたしは『100文字でわかる世界の宗教』(ベスト新書)、『100文字でわかる世界の宗教』(ワニ文庫)を監修しましたが、世界中の宗教について「これ以上は無理」というところまで、徹底的にわかりやすく解説しました。いわば「世界一わかりやすい宗教の本」を目指したのです。

 じつは、わたしは10月2日からイスラム教国に行きます。
 全互連の海外視察研修でマレーシアのクアラルンプールを訪れるのですが、同国はイスラム教が国教であり、マレー系を中心に広く信仰されています。中国系は仏教、インド系はヒンドゥー教徒が多いです。また、イギリス植民地時代の影響でキリスト教徒もいます。東アジアの非イスラム教国に住むムスリム(イスラム教徒)は、一般にマレーシアの見解に従うことが多いそうです。マレーシアを代表するイスラム教の宗教建築であるプトラ・モスクも訪問する予定です。「ホテル・ムンバイ」を観た後だと、ちょっと海外に行くのが怖い部分もありますが、何事もないことを願っています。

 最後に、最近わたしはカラオケで中島みゆきの「地上の星」を歌ったのですが、改めて歌詞の内容に感動しました。そして、「ホテル・ムンバイ」を観終わったとき、タージマハル・ホテルのホテルマンたちのような人々こそが「地上の星」と呼ばれるべきであると心の底から思いました。