No.475


 27日は、社外監査役を務める互助会保証株式会社の株主総会が新橋の航空会館で開かれました。その後は取締役会と監査役会にも出席。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて懇親会は中止でしたので、そのまま銀座に出て、「出版寅さん」こと内海準二さんと合流。打合せをした後、一緒に角川シネマ有楽町で映画「真夏の夜のジャズ」を観ました。アメリカ最大級の夏フェスで伝説のミュージシャンたちが魅せる奇跡の音楽ドキュメンタリーです。1959年のベネチア国際映画祭で招待上映。翌60年に劇場公開された作品ですが、今回は4Kでのリバイバル上映です。

 

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「音楽を扱ったドキュメンタリーの中でも、映像的には最高水準にある第5回ニューポートJAZZフェスティバルを追ったドキュメンタリー作品で、幾度のリバイバル上映に耐え、新たなジャズファンを開拓している秀作。アニタ・オディの粋で軽快なスキャット、ダイナ・ワシントンのコクのある"オール・オブ・ミー"、そして最後のマヘリア・ジャクソンのゴスペルが白眉」

 

 この映画は、1958年に開催された第5回「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」を記録したドキュメンタリー映画です。コロナ禍のいま、全国の映画館は新作を上映せず、旧作をリバイバル上映する劇場が多いです。たいていはジブリの大ヒット・アニメ映画などの確実に集客が見込める映画が多いのですが、この角川シネマの「真夏の夜のジャズ」は異色でした。なにしろ、60年も前の映画です。しかし、わずか80分ちょっとのこの映画を観て、わたしは非常に感動しました。現在、世界中が新型コロナウイルスによって大変な状況にあるわけですが、映画に出てくる60年前の人々が「良い音楽を聴いて、良い映画を観て、心ゆたかになりなさい」、「コロナ禍でも、人生を楽しみなさい」、ひいては「人類よ、コロナなんかに負けるな!」と、飛沫をバンバン飛ばしながら言っているような気がして、なんだか泣けてきました。

 

 この映画の素晴らしさを説明するために、映画公式HPの「作品情報」を参考にしたいと思いますが、まずは、「伝説のミュージシャンが続々登場!!」「圧巻のパフォーマンスをたっぷり堪能」として、第5回「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に主演した伝説のアーティストたちが紹介されています。最初は、ルイ・アームストロングで、「愛称サッチモ。『ポップ』『ジャズの父』とも呼ばれる、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャン。スキャットの第一人者としても有名。代表曲のひとつ『この素晴らしき世界』(67)は映画『グットモーニング、ベトナム』(87)、様々なCMやミュージシャンにもカバーされた名曲」と紹介されています。

 

 次に、セロニアス・モンク。「ジャズ界有数の作曲家として、本作の中で演奏される『ブルー・モンク』や『ラウンド・ミッドナイト』など多くの名曲を生み、モダン・ジャズ・ミュージシャンに多大な影響を与えた。長く不遇の時代を過ごしたが50年代以降に大ブレイク、即興演奏による独自のスタイルが有名で、熱狂的なファンが多いカリスマ」と紹介されています。

 

 続いて、チャック・ベリー。「『ロック界の伝説』『ロックンロールの創造者』と敬われる伝説のミュージシャン。ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズなど多くのミュージシャンが彼の曲をカバーした。本作で演奏された『スウィート・リトル・シックスティーン』もザ・ビーチ・ボーイズが『サーフィンUSA』としてカバーした名曲」と紹介されています。彼がステージに登場したとたん、若者たちがノリノリで踊っていたのが印象的でした。ジャズ・フェスティバルの中にあっても「これがロックだ!」的なパフォーマンスがカッコ良かったです。印象としては、日本のスーパースターである矢沢永吉みたいでした。そういえば、永ちゃんの「トラベリン・バス」などは完全にチャック・ベリーの世界観ですね。

 

 続いて、アニタ・オデイ。「チャーミングなルックスと圧倒的なリズム感の良さ、魅力的な独特のハスキー・ヴォイスでスターとなったシンガー。一般的なビブラートはほとんど使用しないなど独特の歌唱方法も特徴のひとつ。本作でのパフォーマンスは彼女の評価を決定づけた絶頂期のステージとして有名」と紹介されています。たしかに彼女のパフォーマンスは完璧でした。とにかく歌っている姿が魅力的です。ビブラートを使用しない歌唱法という点では、日本では園まり、ちあきなおみなどを連想しましたね。

 

 その他、スケールの大きな力強い歌唱で「ブルースの女王」と呼ばれた大スターのダイナ・ワシントン、「世界最高のゴスペル・シンガー」と呼ばれ、本作では圧倒的な迫力でトリを飾ったマヘリア・ジャクソンなど、伝説のミュージシャンたちが次々と登場します。ダイナ・ワシントンの「オール・オブ・ミー」も最高に素晴らしかったし、マヘリア・ジャクソンのゴスペルは聴いているうちに泣けて仕方なかったです。彼女の歌う「主の祈り」が、新型コロナウイルスに苦しむ全人類への救済の祈りに聴こえたからです。

 

 ちょうど、この日、女子テニスの大坂なおみ選手が、ニューヨークで開催中のウエスタン・アンド・サザン・オープンで27日に予定されていた準決勝を棄権すると明らかにしました。大坂選手はツイッターで黒人男性銃撃への抗議に同調する声明を出しています。大リーグ、NBA、MLBなどもボイコットを表明し、いわゆる「ブラック・ライヴズ・マター運動」が加速していますね。

 

 この映画でサッチモ(ルイ・アームストロング)が白人の司会者とにこやかに語り合い、白人歌手とデュエットし、ダイナ・ワシントンも白人と一緒に木琴を叩き、最後のマヘリア・ジャクソンのゴスペルで白人たちが感動の涙を流している姿を見ると、今でもアメリカに黒人差別が存在することが信じられない思いです。1950年代後半から、アメリカの黒人の基本的人権を要求する「公民権運動」が活発となり、1964年には「公民権法」も成立しているのに、それから半世紀も経過して「何をやっているんだ!」と言いたくなります。

 

 さて、映画の紹介に戻りたいと思います。この映画は「映画的にも高評価」として、公式HPの「作品情報」には、「本作は1958年7月3日から7月6日まで開催された『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』を中心に撮影が行われ、それを1日の夏の夜の出来事としてわずか83分の作品にまとめられました。翌1959年ヴェネチア国際映画祭で招待上映されるや、その大胆な撮影手法や映像の美しさが関係者に衝撃を与えました。音楽と直接関係のないイメージを作品の随所に使用、観客にフォーカスしたシーン(映画全体の半分ほど)やアメリカズカップのヨットシーンなど、まるでビデオクリップのような映像は50年代のアメリカ文化を鮮烈に伝える、単なる音楽ドキュメンタリーにはとどまらない魅力に溢れています」

 

 また、「今回上映される4K版は国立フィルム保存委員会が修復をサポートのもと、監督の夫人であるシャナ・スターンと共に制作されました。また、本作は国立フィルム保存委員会により、1999年アメリカ国立フィルム登録簿に登録されています」と紹介されています。アメリカ国立フィルム登録簿とは、文化的・歴史的・芸術的に極めて高い価値を持つ作品が選出されるもので、これまでに「國民の創生」(1915)、「ベン・ハー」(25)、「街の灯」(31)、「市民ケーン」(41)、「カサブランカ」(42)、「ローマの休日」(53)、「サウンド・オブ・ミュージック」(65)、「2001年宇宙の旅」(68)、「エクソシスト」(73)、「未知との遭遇」(77)、「地獄の黙示録」(79)、「ブレードランナー」(82)、「タイタニック」(97)などジャンルを問わず、歴史に残る選ばれた名作が登録されています。ちなみに、最近、くだんの「ブラック・ライヴズ・マター運動」の影響で黒人差別の表現が指摘され、米動画サービス「HBOマックス」が配信を停止した「風と共に去りぬ」(39)も登録されています。一条真也の新ハートフル・ブログ「『風と共に去りぬ』再鑑賞」でも書いたように、わたしは同作を映画史上最高の名作だと思います。時代背景などを説明することは必要かもしれませんが。

 

 さらに、映画「真夏の夜のジャズ」のバート・スターン監督は著名な写真家です。1929年、アメリカ・ニューヨーク州ブルックリン出身なのですが、。撮影時は弱冠28歳でした。一流企業の広告や有名雑誌の特集など広い分野で活躍する当時ニューヨークで最も人気のある写真家として活躍していました。スタンリー・キューブリック監督の映画「ロリータ」(62)のポスターやオードリー・ヘプバーン、ブリジット・バルドー、マドンナのほか、 死去6週間前のマリリン・モンローを撮影した写真集「The Last Sitting」で大きな話題を呼び、大御所写真家として多くの作品を残しました。「作品情報」には、「撮影当時新進気鋭の写真家で、映画は未知の分野だったバート・スターンに白羽の矢を立てたのが、ニューポート・ジャズ・フェスティバルの発起人であるロリラードの夫人・エレインでした。熱狂的なジャズファンであったスターン監督はこれを快諾した、と言われています。本作は新進気鋭の写真家らしい、どこを切り取っても美しい写真のような場面が大きな見どころのひとつです」と紹介されています。

 

 この映画は、演奏シーンだけでなく、それを楽しむ観客たちの姿が大きくクローズアップされているのも大きな特徴です。服装だけでなく、帽子やサングラスもオシャレなのですが、1958年というのが信じられません。「どこまで豊かなんだ、アメリカ!」と言いたくなりますね。本作の舞台となったアメリカのニューポート市もオシャレです。「作品情報」には、「トラディショナルなボストンの街があるマサチューセッツ州の隣、ロードアイランド州に位置する港町。19世紀に入り夏の避暑地や保養地として栄え、街の風光明媚な海岸に豪邸が建ち並んでいます。国際ヨットレースのアメリカズカップも開催されており、本作でもその模様がカメラに収められています。また、全米オープンゴルフや全米アマチュアゴルフ、テニスの全米シングルス選手権(現:全米オープンテニス)の第1回大会が開かれたのもここニューポート市です。セレブの多いこの地域では従来クラシックコンサートが行われていましたが、ルイスの妻・エレインがジャズファンだった為、彼女の提案によりジャズ・フェスが行われることになったと言われています」と紹介されています。たしかに、映画に写っている観客は白人が多く、裕福そうな感じですね。

 

 さて、この映画を観て、わたしはジャズの魅力を再認識しました。Wikipedia「ジャズの歴史」によれば、ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国南部の都市を中心に派生した音楽ジャンルです。 西洋楽器を用いた高度なヨーロッパ音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と民俗音楽とが融合して生まれました。演奏の中にブルー・ノート、シンコペーション、スウィング、コールアンドレスポンス(掛け合い演奏)、インプロヴィゼーション(即興演奏)、ポリリズム(複合リズム)などの要素を組み込んでいることが、大きな特徴とされています。その表現形式は変奏的で自由なものでした。

 

 ジャズの歴史を振り返ると、初期からポール・ホワイトマンやビックス・バイダーベックらの白人ミュージシャンも深く関わり、黒人音楽であると同時に人種混合音楽でもありました。演奏技法なども急速に発展し、20世紀後半には世界の多くの国々でジャズが演奏されるようになり、後のポピュラー音楽に多大な影響を及ぼしました。つまり、ジャズという音楽ジャンルは黒人と白人が平和的コラボレーションを展開して発展させてきたジャンルであり、その意味でも、黒人銃撃に抗議した大坂なおみのボイコットのニュースを知った当日に、この映画を観たことに運命的なものを感じました。黒人と白人が協力して作り上げてきたジャズの意は平和的なエートスがあり、聴く人を幸せにする力があるように思います。1958年のニューポートの観客たちも幸福そうな笑顔を浮かべ、2020年の東京・有楽町で映画鑑賞したわたしも幸せな気分になりました。

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心ゆたかな社会』(現代書林)



 この映画を観てつくづく思ったのは、ジャズもそうですが、「音楽」というものを発明した人類の偉大さです。拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)の「哲学・芸術・宗教の時代」にも書きましたが、人類が最初に発明した芸術とは、おそらく音楽であったとされています。人類がこの地球上に誕生してから現在に至るまで、人間が追い求めてきたものは「私とはいったい何者か」という自己の存在確認と意味の追求だったということができます。そして、それは近代文明の発達とともに「私の幸福とはいったい何か」という自己の存在の目的を追求することに少しずつ変わっていったのです。有史以前の音楽には、豊かな意味性があったといいます。自分たちの集落の音楽と他の集落の音楽を区別して、戦闘のときにそれを自分たちの戦意を鼓舞するために使いました。あるいは、誕生の祝いの歌、死者を弔う歌というふうに、目的に合わせて音楽に意味を持たせていたのでしょう。

 

 人類最古の楽器が何だったのかということを調べていくと、それは人間の身体だったのではないかという説に行き着きます。なにしろ、身近に音を出すモノといえば、自分の身体が一番手っ取り早いです。手を叩くだけで十分リズムは出せます。音の高さは変わりませんが、音の強弱は十分つきます。これだけでもう立派な楽器です。実際、この「楽器」は、現在でもハンドクラップ(まさに手拍子である)として、フラメンコなどの民族音楽、ラテン音楽、そしてヒップホップ音楽などを中心に世界中の音楽のなかで日常的に使われています。そして、人間の身体のなかで手の次に使えるのは骨です。人間の身体はたくさんの堅い骨から出来ています。この堅い物質が最古の楽器として音楽に利用されたことは想像に難くありません。自分の手で胸を叩きながら、足を踏みならしながら、リズムを作り、歌を歌う。おそらく、こうしたことが人類にとっての音楽の発生の起源なのだと思われます。

 

 そして、人類が最初に楽器を作ろうとした動機は、自然の音のコピー模倣だったのではないでしょうか。赤ん坊が言葉を覚えるために周りの音をすべて模倣しようとするのと同様に、古代人たちが、波の音を、風の音を、小鳥たちの声を、その意味をさぐるために、あらゆる道具を使ってそれらを模倣しようとしたはずです。彼らは、自然界に聞こえてくるさまざまな音の「複雑さ」に何らかの「意味」を見出していたのではないでしょうか。だからこそ、その「音」を作り出そうと、楽器を作りはじめたのだと思います。楽器が自然界の音の模倣のために作られたとすれば、そうした楽器を使って作る音楽とは、まさしく、自然との同化、自然への畏敬、そして目に見えぬ神や霊への恐れだったに違いありません。そして、その楽器が現在のような西洋音楽のルールのなかで高度に洗練された楽器へと変化しはじめたのは、まさしく人間が「文明」というものを作り出した時期からなのです。

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死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)



「音楽」は人類の大発明でしたが、「映画」も大発明です。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)のテーマは「映画で死を乗り越える」というものですが、わたしは映画という文化が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。

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唯葬論』(サンガ文庫)



 そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしには『唯葬論』(サンガ文庫)という著書がありますが、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘップバーンやグレース・ケリーにだって、三船敏郎や高倉健や菅原文太にだって会えるのです。「真夏の夜のジャズ」は60年前の映画です。スクリーンには赤ちゃんや幼児も登場していますが、その子たちだって現在は60代になっているはず。出演者も観客も、ほとんどはこの世の人ではありません。そう、この映画には多くの死者たちが生前の姿を残しているのです。

 

 スクリーンの中の死者たちは素晴らしいジャズの演奏に感動し、歓喜し、躍動しています。一瞬の「生」を輝かせるものが「音楽」なら、それを記録するものが「映画」です。「真夏の夜のジャズ」こそは、「音楽」と「映画」という人類が生んだ二大発明の幸福な結婚式のような作品であると思います。そして、「音楽」も「映画」も、その究極の目的とは、人間を「心ゆたか」にすること、すなわち幸福にすることにほかなりません。現在、人類は新型コロナウイルスに翻弄されています。音楽コンサートは開催されず、映画館も来場者が少ないです。この映画に出てくるようなジャズのフェスティバルを開催することなど、とうてい夢物語になってしまいました。しかし、それでも人類は、わたしたちは生まれてきたからには生を謳歌し、心ゆたかになる権利があります。

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コロナ禍でも人生を楽しまねば!



 コロナ禍にあって、わたしは「どうすれば、人々をハートフルにできるのか」ということを、60年前の人々から問われたような気がしました。2020年の真夏の夜に、東京の有楽町で「真夏の夜のジャズ」を観たことを、わたしはけっして忘れないでしょう。

 それは本当に何もイベントがなかったこの夏で、わたしにとって唯一の「祭」でした。この映画から、わたしは「コロナ禍でも、人生を楽しめ!」というメッセージを受け取りました。明日から、また生きるぞ!