No.476
日本映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を鑑賞。ブログ「映像の魔術師、死す!」で紹介しましたが、今年4月10日に逝去した大林宣彦監督の遺作です。新型コロナウイルスの感染拡大のために公開が延期され、ずっと待ち望んできましたが、ようやく観ることができました。上映時間が3時間以上の大作で、大林監督の映画への想いが強く伝わってきました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「尾道三部作などで知られる大林宣彦監督作。戦争の歴史を、さまざまな映画表現で描く。大林監督作『その日のまえに』に出演した厚木拓郎、『ボクの、おじさん THE CROSSING』などの細山田隆人のほか、細田善彦、成海璃子、常盤貴子、小林稔侍、南原清隆、片岡鶴太郎、柄本時生、稲垣吾郎、浅野忠信らが共演している」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「広島県尾道の海辺にある映画館・瀬戸内キネマが閉館を迎え、その最終日に日本の戦争映画大特集と題したオールナイト興行が行われる。3人の若者が映画を観ていると劇場に稲妻が走り、閃光が彼らを包むと同時にスクリーンの世界に押し込んでしまう。戊辰戦争、日中戦争、沖縄戦、原爆投下前夜の広島と上映作品の劇中で描かれる戦争をめぐる中で、三人は桜隊という移動劇団の面々と出会い、史実では原爆の犠牲になってしまう劇団員たちを救おうと手を尽くす」
3時間以上あるこの映画を、わたしは最初、「冗長な作品だな」と思いました。しかも、冒頭の高橋幸宏の登場する宇宙船のシーンを観て、「大林宣彦の一番悪いところが見事に出てるな」と落胆しました。アクの強さを通り越して、独りよがりの印象しか持てなかったのです。もともと、わたしが最初に大林監督の作品を観たのは「HOUSE ハウス」(1977年)でした。当時のわたしは中学2年生でしたが、正直、この作品を好きになれませんでした。その色使いがあまりにも大胆すぎて「毒々しい」と感じたからです。その後に観た「ねらわれた学園」(1981年)も相変わらずの毒々しさに加えて過剰な演出に嫌悪感さえ抱きました。
あるとき、映画館で上映前に流れたCMで、大林監督と恭子夫人が一緒に登場して、「大林宣彦と大林恭子は夫婦恋人です」というものがあったのですが、それを観たわたしは、「なんだ、この夫婦、気持ち悪いな」と思いました。ナルシストのようでもありましたし、今なら「お花畑」といったイメージを大林監督に抱いた思い出があります。11歳の長女を「HOUSE ハウス」の原案者にするぐらいですから、常識を超えた家族愛の持ち主だったのでしょう。思い返せば、大林宣彦の映画を観るたびに、いつもイライラしている自分がいました。その毒々しい映像も、過剰な演出に多大なストレスを感じました。
また、大林監督は新人女優を発掘する名人だと言われたようですが、「転校生」の小林聡美と「さびしんぼう」の富田靖子あたりはまだしも、「ねらわれた学園」の薬師丸ひろ子にしろ、「時をかける少女」の原田知世にしろ、彼女たちのキャラクターが映画のヒロインに合っているとは到底思えませんでした。このたびの「海辺の映画館-キネマの玉手箱」では、大林宣彦監督が見初めた"令和の尾道ヒロイン"新人女優・吉田玲が話題になっていますが、最初に彼女がスクリーンに登場したとき、「うーん」と思ってしまいました。失礼ながら、吉田玲ちゃんは美人ではないし、まったく華がないと感じたのです。
ところが、その吉田玲演じる少女が映画が進むにつれて次第に魅力的に見えてきたので驚きました。これも「映像の魔術師」の仕業かもしれませんが、ネタバレに注意しながら書きますが、生者だと思っていた登場人物がじつは死者だったので、意表を衝かれました。冗漫な反戦映画だとばっかり思っていたこの作品の正体は、優しい幽霊としての「優霊」が出てくるジェントル・ゴースト・ストーリーだったのです。そういえば、大林監督の「ふたり」「あした」「異人たちとの夏」といった名作群はいずれもジェントル・ゴースト・ストーリーであったことに気づきました。
さらには、「さびしんぼう」のように、2人の登場人物が年齢を隔てた同一人物であるというサプライズもありました。まさに「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は大林映画の集大成のような作品でしたが、出演している俳優陣の豪華さは類を見ません。ブログ「笹野高史講演会」で紹介した「日本一の名脇役」である笹野高史さんなどは人間の醜さの権化のような日本兵から優しい車掌さんまで何役もこなしておられます。主演の3人組の青年を演じた厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦も良かったです。彼らは大林宣彦の遺作に出演したという経験をバネにして、これからも活躍してほしいものです。
さて、「海辺の映画館--キネマの玉手箱」を観て、わたしは映画の本質というものを改めて思い起こしました。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書いたように、写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのです。「海辺の映画館―キネマの玉手箱」では、高橋幸宏が「映画こそタイムマシンなのです!」と高らかに言い放ちますが、実際その通りです。そして、目の前にタイムマシンがあるなら、「昭和20年8月6日の広島に行って、原爆から人々を救いたい!」と思うのは、わたしたち日本人の最大の願いの1つではないでしょうか。まさに、そのために映画というタイムマシンが使われるというストレートなストーリーに猛烈に感動したわたしは、涙が止まりませんでした。
『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)
そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしには『唯葬論』(三五館)という著書があるのですが、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。「海辺の映画館―キネマの玉手箱」では、西郷隆盛や坂本龍馬、会津の白虎隊や娘子隊、そして移動劇団の桜隊の人々といった死者たちへの想いが感じられました。さらに、この映画には中原中也の詩がたくさん登場します。彼はすでに亡くなった詩人ですので、その言葉はすべて故人の遺言ととらえることができます。これまでの大林映画には作家・福永武彦へのオマージュ的要素が強かったですが、今回は中原中也という死者への想いを強く感じました。
何よりも、この映画には、一貫して大林監督の平和への願いが込められています。一条真也の映画館「母と暮せば」で紹介した映画は、名匠・山田洋次監督が、原爆で亡くなった家族が優霊となって舞い戻る姿を描いた人間ドラマでしたが、ラスト近くで母と息子が映画の話をする場面が出てきます。ともに映画好きの親子の会話を楽しんだ後で、息子は「アメリカちゅう国はおかしな国やねぇ。あんな素晴らしい映画も作れば、原爆も作る・・・」と言いますが、この言葉はアメリカのみならず、文明社会そのものへの警鐘でもありました。この言葉を、「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を観て思い出しました。「海辺の映画館―キネマの玉手箱」でも、「恋人を選ぶ心で、平和を手繰りなさい」という言葉に出合いました。観客の人生を変えるような名言だと思います。
人間は、映画も作れば戦争もする。映画で過去の戦争の歴史を消すことはできないけれど、未来の戦争をなくすことはできるかもしれない・・・・・・大林監督の想いはその一点に集約されると思いました。そして、この映画には、なんと坂東妻三郎主演の映画「無法松の一生」が日本映画史を代表する名作として、また反戦映画の最高傑作として登場します。実際に丸山定夫が率いた桜隊が「無法松の一生」を上演していた史実が再現され、劇中劇として、細田善彦が富島松五郎、常盤貴子が吉岡夫人を演じます。もちろん桜隊の悲劇を描く上で登場したのでしょうが、「無法松の一生」という作品に対する大林監督のリスペクトが感じられて、小倉生まれで玄海育ちであるわたしの胸は熱くなりました。
この映画には小津安二郎や山中貞雄といった名監督も登場しますが、日本映画最高の巨匠といえば、やはり黒澤明の名が浮かびます。その黒澤監督は「もし何百年も生きられるのなら、俺の映画で戦争をなくしてみせる。でも、そんなに生きられない」と語っていたそうです。その黒澤監督から大林監督は「君は若い。俺の続きをやって、平和な世の中を作ってね」と託されたとか。まさに、「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は大林宜彦テイストで黒澤監督との約束を果たした作品だと思いました。この「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は、まさに大林監督が亡くなった4月10日が公開日でした。このあたりに「映像の魔術師」らしさを感じるのですが、新藤兼人監督の遺作である「一枚のハガキ」などもそうですが、このような強い想いを込めた大作を最後に遺せるなんて、なんと幸福な人生でしょうか!
大林監督の想いが込められた「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は、残念ながら新型コロナウイルスの影響で公開が延期されました。でも、7月31日からついに公開され、小倉のシネコンでも上映されるようになったので、8月末になってようやく鑑賞することができました。この映画は記憶の貯蔵庫、すなわち「墓」のようなものですから、大林監督の御霊はこのフィルムの中で眠っていると思います。映画は死者のためにある、そして生者のためにあることを再確認しました。それにしても、先の戦争から75年目、それも「死者を想う月」である8月の最後に、巨匠入魂の反戦映画を観ることができて感無量です。最後に、大林宣彦監督の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。