No.482
10日、新しいわが社のシネアドのチェックを兼ねて、小倉のシネコンで日本映画「星の子」と「望み」を観ました。ともに「家族を信じる」がメインテーマでしたが、「星の子」は「親を信じ切れるか」ということが切に問われていました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『こちらあみ子』『あひる』などで知られ、『むらさきのスカートの女』で第161回芥川賞を受賞した今村夏子の小説を原作にしたヒューマンドラマ。怪しげな宗教を信じる両親のもとで育った少女が、思春期を迎えると同時に自分が身を置いてきた世界に疑問を抱く。メガホンを取るのは『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』『タロウのバカ』などの大森立嗣。『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』などの芦田愛菜が、ヒロインのちひろを演じている」
ヤフー映画の「あらすじ」は、こう書かれています。
「父(永瀬正敏)と母(原田知世)から惜しみない愛情を注がれて育ってきた、中学3年生のちひろ(芦田愛菜)。両親は病弱だった幼少期の彼女の体を海路(高良健吾)と昇子(黒木華)が幹部を務める怪しげな宗教が治してくれたと信じて、深く信仰するようになっていた。ある日、ちひろは新任の教師・南(岡田将生)に心を奪われてしまう。思いを募らせる中、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を南に目撃された上に、その心をさらに揺さぶる事件が起きる」
ちひろの両親は、怪しげな新興宗教にハマっています。「怪しげな」というのは、わたしの見方、また世間一般の見方であって、その宗教を信じている人からすれば、怪しくも何ともありません。ただただ、有難いだけです。その宗教にハマったきっかけは、ちひろの赤ちゃん時代の皮膚病を教団から買った霊水が治してくれたことです。貧困・病気・人間関係の諍いという「貧・病・争」が人々が新興宗教にハマる三大要素であることは有名ですが、単なる水に高いカネを払うのは霊感商法と思われても仕方ありません。
『儀式論』(弘文堂)
しかし、「鰯の頭も信心から」ではありませんが、「単なる水も信じれば病を治す」ことは事実としてあります。いわゆる「プラセボ効果」です。東京大学医学部付属病院 循環器内科 助教を経て、現在、軽井沢病院総合診療科医長を務める稲葉俊郎氏が拙著『儀式論』(弘文堂)を読んだ感想を書かれたブログ記事「一条真也『儀式論』」には、「医療でもプラセボ効果というものがある。それは、本当の薬ではない偽薬であっても、薬を飲んでいる、と思うだけで身体にいい効果を及ぼす事を言う。このプラセボ効果の重要な点は、やはり『薬を飲む』という行為や動作に意味があるのではないかと言うことだ。それはある種の儀式に近いものだろう。そうした身体的儀式を行うだけで、体には全体性を取り戻す力としての自然治癒力が高められて発動される。頭や観念だけで思うよりも、実際に何か身体を使った象徴的行為として動作を行うことが重要ではないかと思う」と書かれています。
「プラセボ効果」は「プラシーヴォ効果」とも呼ばれます。一条真也の読書館『ザ・ライト―エクソシストの真実―』で紹介したマット・バグリオの著書には、「治癒をもたらす儀式が有益なのは、プラシーヴォ(偽薬)効果のせいもあるのかもしれない。イギリスのプリマス大学の心理学者マイケル・E・ハイランド博士は偽薬効果の広範な研究を行ってきた。が、プラシーヴォ効果による治療のことを、博士はむしろ"儀式的治療"と呼びたいと言う。『プラシーヴォという言葉が、わたしは好きではないんですね。1つには、"偽"と呼ぶ以上、われわれは真の病因を知っていることを示唆するでしょう。そして2つには、この病気のメカニズムのこともわれわれが知っていることを暗示するからです。本当は知らないのにね』」(高見浩訳)と書かれています。ただ、ちひろの場合は本人が赤ちゃんだったので、本人は水を信じることはできませんから、プラセボ効果(プラシーヴォ効果)の理論は通用しません。おそらく、ひどいアトピー性皮膚炎に苦しむ彼女のために両親が行ってきたさまざまなこと(食事療法とか、ダニ除去とか、衣類の改善とか)の効果が出た時期と水を試してみた時期のタイミングが合ったのでしょう。ちなみに、詐欺が成功するのもタイミングが合ったときです。
ちひろの家族が信仰している宗教は、人間のことを「星の子」と呼びます。わたしたち人間は大宇宙によって生かされており、星々の力によって動かされているというのです。これは、わざわざ教団から言われるまでのことはなく、人間が「星の子」であることは当たり前です。人類の生命が宇宙から来たという仮説は、今や多くの科学者が支持しています。DNAの二重螺旋構造を提唱してノーベル賞受賞者となった分子生物学者のフランシス・クリックが「生命の起源と自然」を発表し、生命が宇宙からやってきた可能性を認めました。その後、イギリスの天文学者フレッド・ホイルと、星間物質を専門とするスリランカ出身の天文学者チャンドラ・ウィックラマシンジは「パンスペルミア説」を提唱しました。生命は宇宙に広く多く存在しており、地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものであるという説です。
『ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫)
拙著『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)や『唯葬論』(サンガ文庫)の「宇宙論」にも書きましたが、ホイルとウィックラマシンジは、生命の種子が彗星によってもたらされたと主張しました。その後、クリックはさらに、高度に進化した宇宙生物が生命の種子を地球に送り込んだとする「意図的パンスペルミア説」を提唱しました。 地球が誕生する以前の知的生命体が、意図的に"種まき"をしたというSFそのもののような仮説です。「パンスペルミア説」が正しいにせよ、SFのような「意図的パンスペルミア説」が正しいにせよ、わたしたち人間の肉体をつくっている物質の材料は、すべて星のかけらからできています。これは間違いありません。
『唯葬論』(サンガ文庫)
その材料の供給源は地球だけではありません。はるかかなた昔のビッグバンからはじまるこの宇宙で、数え切れないほどの星々が誕生と死を繰り返してきました。その星々の小さな破片が地球に到達し、空気や水や食べ物を通じてわたしたちの肉体に入り込み、わたしたちは「いのち」を営んでいるのです。わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、「星の子」なのです。人間も動植物も、すべて星のかけらからできています。そのように人間が「星の子」であることは当たり前なのに、ことさら「宇宙によって生かされており、星々の力によって動かされている」などと言挙げする教団は、単なる霊感商法団体と思われても仕方ありません。
わたしは、オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉が「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句だったことを思い出しました。死の事実を露骨に突き付けることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、言挙げする必要などありません。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということ。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。映画「星の子」に登場する教団にも、オウム真理教と同じ違和感をおぼえました。教団側の人間を演じる高良健吾と黒木華は「それらしく」て、非常に良かったです。
それにしても、主演の芦田愛菜の成長ぶりには目を見張ります。9月3日に東京都内で行われた映画の完成報告イベントでは、映画のテーマである「信じる」について、彼女は「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」と高校生とは思えない回答を披露しました。続けて、「揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」と言葉の中に潜む人の心理を指摘したのです。この答えにメガホンをとった大森立嗣監督は「難しいよ!」と感嘆し、父親役の永瀬正敏も「これ以上の答えはないですよ!」と絶賛しました。
芦田愛菜の言葉に対する感覚には、わたしも脱帽しました。「天才子役」と言われ続けた彼女ですが、幼い頃から身近に本がある環境で育ち、物心ついた頃から本に触れていたといいます。彼女ににとって、読書はもはや日常の一部だそうです。歯を磨きながら本を読んでいたら内容に夢中になってしまい、20分も磨き続けていたということもあったとか。小学生の時は年間180冊の本をリアルに読んでいたそうで、自らを「活字中毒」と語るほどでした。小学校低学年で年間300冊、多いときで月50冊も読んでいたそうで、中学生になってからも年間180冊、高校生になった現在も年間100冊以上読む「本好き」だそうです。『まなの本棚』(小学館)という自著もあります。
さて、大の本好きで知的な芦田愛菜ちゃんですが、その可愛さは子役時代よりもパワーアップしたような気がします。そして、彼女が持っている透明感はハンパではありません。わたしは、「いつか、こんな透明感を持った少女を見たような気がする・・・」と思いながら「星の子」を観ていたのですが、それが映画で母親役を演じた原田知世であることに気づきました。
そうです、筒井康隆原作で大林宣彦監督作品の角川映画「時をかける少女」(1983年)で主人公の芳山和子を演じた原田知世の雰囲気に、今の芦田愛菜はそっくりではありませんか!
そのことに気づいてから「星の子」を観ると、原田知世と芦田愛菜は顔の作りまで似ており、特に鼻の形なんてまったく同じではありませんか!(映画のポスターを見て下さい!) この二人を母娘役にした大森監督はきっと気づいていたことと思いますが、ぜひ、芦田愛菜主演で「時をかける少女」のリメイク版を製作していただきたいものです。それにしても、原田知世は52歳だそうですが、若いですね。変わらぬ美貌に永瀬正敏が「びっくりするぐらい美しい」と映画の完成報告イベントで言っていました。最後に、夜の山奥で流れ星を見つめる親子三人の表情は名演技でした!