No.528
5月28日から公開の日露共同制作映画「ハチとパルマの物語」を観ました。ずっと観たかった作品ですが、コロナ禍による公開延期を乗り越えて、ようやく「コロナシネマワールド小倉」(!)で鑑賞することができました。わたしは、「これは、グリーフケアの映画だ!」と思いました。わが思い出の愛犬たちが脳裏に浮かび、泣きました。
ヤフー映画の「解説」には、「旧ソ連時代、空港に実在した犬の実話を基に、モスクワと秋田を背景に描くヒューマンドラマ。空港に取り残された犬と母親を亡くした少年が出会い、友情を育んでいく。オーディションで選ばれたレオニド・バーソフが主人公を演じ、アレクサンドル・ドモガロフ・Jrが監督と脚本を手掛け、『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』などのアレクサンドル・ドモガロフと親子で共に本作に参加。日本からは渡辺裕之や藤田朋子、壇蜜や高松潤らが出演している」と書かれています。
ヤフー映画の「あらすじ」は、「1970年代のモスクワの国際空港。飼い主と一緒にプラハに行くはずだった犬のパルマは、書類不備のため飛行機に乗れなかった。飼い主によってやむを得ず滑走路に放たれ、やがて空港に住み着くようになったパルマは、以来2年間ずっと飼い主の帰りを待ち続ける。ある日、母親を亡くしてパイロットの父親に預けられた9歳の少年コーリャ(レオニド・バーソフ)が、パルマのいる空港にやって来る」となっています。
この映画、なんと言っても、パルマの動きが躍動感を生み出しています。飛行機の乗客から置き去りにされた犬が空港の滑走路を走り回るなど、まことに荒唐無稽な話のように思えます。しかし、これが実話というのだから驚きます。映画の前半で、飼い主を乗せた飛行機とパルマが滑走路の上で向かい合ったり、助走する飛行機を全速力で追いかけたり、飛び立った飛行機を寂しそうに見送るシーンなど、「一体どうやって撮影したの?」と思ってしまいました。ラストシーンでは飼い主と再会して「めでたし、めでたし」とはならず、観客は大きなストレスを抱えますが、最後にはストレスが一気に発散される展開となっています。まるで、フジテレビ系列のドラマ型バラエティ番組「痛快TVスカッとジャパン」を観ているようでした。
「ハチとパルマの物語」の「ハチ」とは、日本の忠犬ハチ公のことです。今も渋谷に銅像がある忠犬ハチ公の感動実話は、1987年の日本映画「ハチ公物語」となりました。昭和初期、雪深い農家で生まれた秋田犬の子犬が、東京・渋谷の大学教授・上野(仲代達矢)にもらわれ、ハチと名づけられました。ハチは上野によくなつき、朝晩渋谷駅で送迎するのが日課となっていきます。しかし、ある日突然上野は死んでしまうのでした。映画監督でもある新藤兼人の原作を本人自ら脚本化した感動物語です。渋谷の街を開発した東急グループが製作し、同グループの広告代理店である東急エージェンシーが企画から広告まで広く関わりました。わたしは、学生時代の就職活動の時期にこの映画を観て非常に感動し、1988年に東急エージェンシーに入社した思い出があります。
2009年には、忠犬ハチ公の物語の舞台を日本からアメリカに移した「HACHI 約束の犬」が公開されました。製作は、「ハチ公物語」と同じ松竹です。監督は、「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウス・ルール」のラッセ・ハルストレム。舞台は、アメリカの郊外にあるベッドリッジ駅。寒い冬の夜に、迷い犬になった秋田犬の子犬を保護したパーカー・ウィルソン教授(リチャード・ギア)は、妻ケイト(ジョーン・アレン)の反対を押し切って子犬を飼うことになりました。首輪のタグに刻まれていた漢字から、ハチと名づけられた子犬は、パーカーの愛情を受けてすくすくと成長していきます。ハチは毎日夕方5時に駅前でパーカーの帰りを待ちますが、ある日、パーカーは大学の講義中に倒れ、帰らぬ人になるのでした。
「ハチとパルマの物語」の舞台は、ほとんどが旧ソ連のモスクワ空港です。パルマは空港の滑走路を走り回り、荷物の受けとり場やレストランなどの空港内の施設に迷い込んで、空港利用者は大混乱します。その意味で、この映画は空港映画だと言えます。空港を舞台にした映画といえば、「ターミナル」(2004年)を思い出します。クーデターによって祖国が消滅してしまったヨーロッパのクラコウジア人、ビクター・ナボルスキーは、アメリカの空港にて足止めを余儀なくされます。その足止めの期間は数か月にも及ぶのでした。スティーヴン・スピルバーグ監督が「空港から出られなくなった男」にスポットをあてて描いた感動のヒューマン・ドラマですが、主演のトム・ハンクスとキャサリン・ゼタ=ジョーンズという大スターの演技が、空港という限られた空間での人間関係に深みを加えました。実際に建設された空港内のセットには実際にテナントも入り、本物そっくりの精巧な出来でした。
タイトルには「ハチとパルマ」と入っていますが、映画「ハチとパルマの物語」はシェパード犬・パルマの物語です。パルマは「ロシアの忠犬」と呼ばれた有名な犬です。飼い主に置き去りにされたパルマの哀しそうな目、コーリャ少年を愛おしそうに見つめるパルマの優しい目がスクリーンに映ると、わたしは過去に飼っていた3匹の愛犬を思い出しました。1匹目は、小学校低学年のときに自宅に迷い込んできた雑種犬でした。犬がずっと飼いたかったわたしは嬉しくてたまりませんでしたが、1週間ぐらい経ってから本物の飼い主が引き取りにきて、涙の別れをしました。映画でもパルマとコーリャは引き離されそうになりますが、わたしは少年時代の悲しみを思い出して涙しました。2匹目は小学校高学年から高校生まで買っていたコリー犬で「ハッピー」という名でした。3匹目は2人の娘たちのために飼ったイングリッシュ・コッカースパニエル犬で「ハリー」という名でした。ハッピーとハリーとは死別しましたが、わたしは彼らのことを思い出すと今でも涙が出てきます。本当に、とても大切な家族でした。
今はなき愛犬ハリーと
特に、2010年に死別したハリーは、まだ小屋を残していることもあり、忘れられません。娘たちは、ハリーとともに成長し、たくさんの思い出を作りました。わたしたち家族は、ハリーを心から惜しみ、感謝の念とともに送り出してあげました。ハリーを失ってからの喪失感は、思った以上にこたえました。わたしにとって、どれだけ大切な存在であったかを思い知らされました。人類にとって最初の友は犬だったそうです。「GOD」を逆にすると「DOG」になりますが、犬とは神から遣わされた人間の友なのかもしれません。特に縄文時代などの狩猟社会において犬は人間にとって最高のパートナーで、人間と犬が一緒に埋葬された例もあるようです。わたしは、庭にハリーのお墓を作ってあげました。ハリーが大好きだった庭の大好きな場所に穴を掘って、骨を埋めてあげました。
わたしには『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)というグリーフケアに関する著書がありますが、わたし自身はあまり愛する人を亡くした経験がありません。父方、母方の両祖父母ぐらいでしょうか。幸い、わたしの両親はまだ健在ですし、恋人を亡くしたとか、親友を亡くしたなどの経験もありません。わたしにとって、これまでの人生で最も悲しかった別れはハリーとの別れかもしれません。ハリーは、経営者としても作家としてのわたしの一番しんどかった時期を支えてくれました。どんなに辛いことや嫌なことがあっても、ハリーとフリスビーをすると全部忘れることができました。映画の中で、フィギュアスケートのザギトワ選手が愛犬マサルのことを「試合の後、マサルはいつもわたしを癒してくれます」というセリフがありますが、本当にザギトワ選手にとってマサルはかけがえのない存在であると思います。
この映画を観て、「これは、グリーフケアの映画だ!」と思ったと書きました。この映画には、さまざまな悲しみが溢れています。飼い主に置き去りにされたパルマの悲しみ。かつて父親に捨てられ、最愛の母親を亡くしたコーリャの悲しみ。妻を亡くし、引き取った息子コーリャが心を開いてくれないラザレフの悲しみ。いろんな悲しみが交錯して、観客の心を癒してくれます。最近、どんな映画を観てもグリーフケアの映画でることに気づきます。恋愛映画、SF、ホラー、ミステリー、アニメに至るまで、どんな映画にも死者の存在があり、死別の悲嘆の中にある登場人物があり、その悲嘆がケアされる場面が出てきます。この現象は映画だけでなく、小説やマンガを読んだときにも起こります。すべてはグリーフケアの物語なのです。この不思議な現象の理由としては3つの可能性が考えられます。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、小説にしろ、マンガにしろ、映画にしろ、物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした作品が増えているということ。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしています。
『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知った「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生は、「何を見ても『グリーフケア』に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも『グリーフケア』の『要素』があるのだとおもいます。そのようなスペクトラムが。アリストテレスは『詩学』第6章で『悲劇』を『悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある』と規定していますが、この『カタルシス』機能は『グリーフケア』の機能でもあるとおもいます。しかし、アリストテレスが言う『悲劇』だけでなく、『喜劇』も『音楽』もみな、『カタルシス』効果を持っていますので、すべてが『グリーフケア』となり得るということだと考えます」というメールを送って下さいました。グリーフケアといえば、拙著『愛する人を亡くした人へ』を原案とするグリーフケア映画「愛する人へ」の製作が決定したのですが、そのエグゼクティブプロデューサーおよびプロデューサーの2人は本作と同じ方々です。
左から益田氏、ザギトワ選手、志賀氏
「ハチとパルマの物語」のエグゼクティブプロデューサーは志賀司氏、プロデューサーは益田祐美子氏です。志賀氏は冠婚葬祭互助会の仲間である(株)セレモニーの社長さんで、益田氏とは一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の社会貢献基金の委員を一緒に努めており、お二人とも親しくさせていただいています。その御縁もあって、わが社サンレーでは、ささやかながら「ハチとパルマの物語」の協賛をさせていただきました。さらに日本初のグリーフケアをメインテーマにした映画といっても過言ではない「愛する人へ」の製作にあたって、志賀エグゼクティブプロデューサー、益田プロデューサー、そして小生が原案者ということで、3人で(ロシアにちなんで)トロイカ方式で力を合わせることになりました。
セレモニーの志賀社長と
じつは一昨日、東京で志賀氏と会食しました。緊急事態宣言下の禁酒令でアルコールが飲めないので、わたしはノンアルコールビール、志賀氏はウーロン茶で中華料理を食べたのですが、「ハチとパルマの物語」の公開を祝いました。この映画は日露合同製作ですが、これほど日本とロシアの心の架け橋になる映画もないと思います。志賀氏は本業の冠婚葬祭業だけでなく、映画を中心としたエンターテインメント・ビジネスやサッカーを中心としたスポーツ・ビジネスも幅広く手掛けられる快男児です。その彼の奥様がロシア人女性なのです。思えば、かつて日本とロシアは戦争をしました。そう、日露戦争です。それから100年以上が経過して、志賀夫妻は国際結婚をされました。
仲睦まじい志賀夫妻(うらやましい!)
「結婚は最高の平和である」とは、わたしの口癖であり、わが社の信条でもあります。ロシアの文豪トルストイの名作『戦争と平和』の影響で、「戦争」と「平和」がそれぞれ反対語であると思っている人がほとんどでしょう。でも、「平和」という語を『広辞苑』などの辞書で引くと、意味は「戦争がなくて世が安穏であること」となっています。平和とは、戦争がない状態、つまり非戦状態のことなのです。しかし、戦争というのは状態である前に、何よりもインパクトのある出来事です。単なる非戦状態である「平和」を「戦争」ほど強烈な出来事の反対概念に持ってくるのは、どうも弱い感じがします。また、「結婚」の反対は「離婚」と思われていますが、これも離婚というのは単に法的な夫婦関係が解消されただけのことです。「結婚」は戦争同様、非常にインパクトのある出来事です。戦争も結婚も共通しているのは、別にしなければしなくてもよいのに、好き好んでわざわざ行なう点です。だから、戦争も結婚も「出来事」であり、「事件」なわけです。
『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)
拙著『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)にも書きましたが、結婚には、異なるものと結びつく途方もなく巨大な力が働いているのです。それは、陰と陽を司る「宇宙の力」と呼ぶべきものです。同様に、戦争が起こるときにも、異なるものを破壊しようとする宇宙の力が働いています。つまり、「結婚」とは友好の王であり、「戦争」とは敵対の王なのです。人と人とがいがみ合う、それが発展すれば喧嘩になり、それぞれ仲間を集めて抗争となり、さらには9・11同時多発テロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまいます。逆に、まったくの赤の他人同士であるのもかかわらず、人と人とが認め合い、愛し合い、ともに人生を歩んでいくことを誓い合う結婚とは究極の平和であると言えないでしょうか。結婚は最高に平和な「出来事」であり、「戦争」に対して唯一の反対概念になるのです。会食時に、わたしが「志賀夫妻は日露平和のシンボルですよ」と言うと、志賀氏は「ありがとうございます」と言って、嬉しそうに笑いました。
さて、そのようにわたしがエグゼクティブプロデューサーの志賀氏と親しく、わが社が協賛もしているのだから「ハチとパルマの物語」をベタ褒めするかというと、そうはいきません。わたしにも映画レビュアーとしての矜持があり、「ダメなものはダメ」とはっきり言います。この映画、全篇のほとんどを占めるロシアのパートは良かったのですが、日本のパートに少し難がありました。正直に書くと、映画の冒頭の秋田県大館市の「秋田犬の里」オープニングセレモニーの場面に問題がありました。俳優でもない素人(政治家)が出てきてスピーチをするのですが、この演技が大仰で幻滅しました。せっかくの素晴らしい映画のオープニングを素人の臭い演技で始まったことが残念です。彼のスピーチの後には、清楚な壇蜜(わたしは彼女のファンです!)、可愛いアナスタシアちゃん(本当に天使のようでした)が登場して救われた思いになりましたが、やはり商業映画に素人を出演させてはなりませんね。
じつは、わたしは映画に出演したことがあります。北九州市出身の三村順一監督の「君は一人ぼっちじゃない」という映画です。撮影はわが社の「松柏園」の大広間で撮影が行われ、わたしは、「ハチとパルマの物語」にも出演されている渡辺裕之さん演じる地元財界の大物経営者である佐久間社長(!)が開いた宴席の主賓の役でした。鶴田真由さん演じる芸者の駒子が佐久間社長の昔の女でした。駒子の舞いを楽しんだ後、拍手をして終わりのはずでしたが、なんと急遽、わたしにセリフが入りました。昔の女の思い出に浸っている佐久間社長に気をきかせて、「佐久間さん、今日はどうもありがとう。先にカラオケに行ってるよ!」と言って退席するというものです。しかしながら、単なるエキストラ出演だと思っていたわたしは、急にセリフを与えられて、ちょっと慌てました。それでも、1度だけ撮り直しをしましたが、ぶっつけ本番で何とか演じ切りました。その後、「君は一人ぼっちじゃない」の完成披露試写会がわが社の小倉紫雲閣で行われましたが、舞台挨拶では、わたしは鶴田真由さんに花束をお渡ししました。
わが初出演作の完成披露試写会の舞台挨拶で
それから3年の月日が経ち、わたしはまた映画に出演することになりました。これまた北九州市出身の雑賀俊朗監督の「レッド・シューズ」というボクシング映画にけっこう重要な役で出るのですが、もちろんセリフもあります。主演は誰でも知っている有名女優さんですし、わたしのような58歳のオッサンが一緒だと「美女と野獣」みたいになるのではないかと思って憂鬱です。6月18日にわたしの出番の撮影があるのですが、「ハチとパルマの物語」の冒頭でド素人の演技を見て、「商業映画に素人を出演させてはいけない」ということを改めて痛感しました。それで、監督にお願いして、わたしはチョイ役でセリフも一言ぐらいにしていただきたいと考えています。それはともかく、「愛する人へ」の完成が今から楽しみでなりません。できれば、壇蜜サンにも出演していただきたい!