No.529


 5月30日の日曜日、映画「アオラレ」をシネプレックス小倉で観ました。ロックダウン後、世界中でまさかのNO.1ヒットとなった作品です。あおり運転の恐怖を描いたスリラー映画ですが、登場人物が常軌を逸して人間離れしたモンスター化しているので、もはやホラー映画と呼んでもいいでしょう。吸血鬼よりもゾンビよりも怖いのは、いかれた人間です。この映画、単なる「あおり運転」を描いた作品かと思いきや、意外にも「礼儀」がメインテーマでした。

 ヤフー映画の「解説」には、「運転中のささいなトラブルが思いも寄らぬ事態へと発展するサスペンススリラー。信号で言い合いになった見知らぬ男から、執拗に追跡されるシングルマザーの恐怖を描く。あおり運転をエスカレートさせる謎の男をオスカー俳優ラッセル・クロウが演じ、『スロウ・ウェスト』などのカレン・ピストリアス、『チャイルド・プレイ』などのガブリエル・ベイトマンのほか、ジミ・シンプソン、オースティン・マッケンジーらが出演。『幸せがおカネで買えるワケ』などのデリック・ボルテがメガホンを取った」と書かれています。

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「寝坊した美容師のレイチェル(カレン・ピストリアス)は、息子のカイル(ガブリエル・ベイトマン)を学校へ送りながら職場に向かう途中、大渋滞に巻き込まれてしまう。いら立つ彼女は、信号が青になっても発進しない前の車にクラクションを鳴らして追い越すと、ドライバーの男(ラッセル・クロウ)は後をつけてきて謝罪を要求する。彼女がそれを拒否し、息子を学校に送り届けガソリンスタンドに寄ると、先ほどの男に尾行されていることに気付く。やがて、レイチェルは男の狂信的な行動に追い詰められていく」となっています。

「アオラレ」はラッセル・クロウ演じるスーパークレイジー野郎(注:スーパークレイジー君とは関係ありません)によるあおり運転から始まって、次第にかれの狂気の行動がエスカレートしていく恐怖が描かれていますが、スティーヴン・スピルバーグ監督のデビュー作である「激突!」(1971年)のアップデート版という印象でした。「激突!」は、知人のもとへと向かうべくハイウェイを急ぐ平凡なセールスマンが追い越した1台のタンクローリーが怪物と化す物語です。タンクローリーによるセールスマンの追跡劇は、じつに90分におよびます。冒頭、タンクローリーの排気ガスを不快に感じた主人公がタンクローリーを追い抜き、そして追い抜き返す小競り合いをきっかけに追走劇が始まることになります。

「激突!」では、徹底して意思疎通が不可能な存在とのバトルに焦点が絞られますが、「アオラレ」では追う側と追われる側との間に意思疎通があります。というのも、スーパークレイジー野郎が主人公レイチェルのスマホを奪い、代わりにガラケーをレイチェルの車に置いていったからです。スマホを奪ったスーパークレイジー野郎は、奪ったスマホを使って、レイチェルの自宅を知り、家族関係を知り、徹底的に追い詰めていきます。さらに、彼女の銀行口座から預金を他の口座に振り込むことさえできるとうのは恐怖です。あおり運転も怖いですが、スマホを奪われて相手に個人情報が筒抜けになることの恐怖もよく描かれていました。その意味では、一条真也の映画館「スマホを落としただけなのに」「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」で紹介した日本映画にも通じる作品でした。

 あおり運転とは、後方から車間距離を詰めて威嚇したり、前に割り込んで急ブレーキを踏んだりするなどの悪質かつ危険な行為です。日本では法律による明確な規定はありませんでしたが、2020年6月30日施行の改正道路交通法及び施行令により、あおり運転の対象となる違反行為が明確化され、それに対する罰則が創設されました。ネットには「あおられた時はどうすべきか?」を示す記事などがたくさんありますが、YouTubeの「煽られた時の正しい対処法」というのが最高です。概要欄には「この対処法は万国共通であり、様々なシーンで活用可能な非常に汎用性の高いお手本動画となっております」などと書かれていますが、デヴィッド・リンチ監督の「ロスト・ハイウェイ」(1997年)』の名シーン(?)が引用されています。映画の中盤、マフィアのボスがあおり運転に加えて薬指を立てられたことにブチ切れて、車から引きずりおろした運転手を「交通ルールの本を買え!」と脅す、なんともシュールな展開が繰り広げられるのです。

 それにしても、「アオラレ」でのラッセル・クロウの怪演には度肝を抜かれます。彼は1964年、ニュージーランド出身。映画撮影の仕出し屋だった両親に付いて、幼い頃より映画撮影現場に出入りしました。やがて家族でオーストラリアに移住し、子役としてキャリアを開始。その後、「クイック&デッド」(95)でハリウッドに進出。「L.A.コンフィデンシャル」(97)で注目を浴び、「インサイダー」(99)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、翌年「グラディエーター」で同賞を受賞。続く「ビューティフル・マインド」(01)でも同賞にノミネートされた他、ゴールデングローブ賞の最優秀主演男優賞を受賞しています。以降は「シンデレラマン」(05)、「アメリカン・ギャングスター」(07)、「ロビン・フッド」(10)などに主演し、「レ・ミゼラブル」(12)などの大作にも出演しています。

 ラッセル・クロウの数多くの出演作の中でも、わたしが特に好きなのは、彼がオスカーに輝いた「グラディエーター」です。「ブレードランナー」の巨匠リドリー・スコットが、古代ローマを舞台に復讐に燃える剣闘士の壮絶な闘いを描き、第73回アカデミー賞で作品賞・主演男優賞など5部門に輝いた歴史スペクタクルです。古代ローマの皇帝アウレリウスは、信頼を寄せる将軍マキシマスに次期皇帝の座を譲ろうと考えていた。それを知った野心家の王子コモドゥスは父を殺して玉座を奪い、マキシマスに死刑を宣告。マキシマスは故郷へ逃れるが、コモドゥスの手下に妻子を殺されてしまいます。絶望の中、奴隷に身を落としたマキシマスはやがて剣闘士として名を上げ、闘技場で死闘を繰り返しながらコモドゥスへの復讐の機会を狙うのでした。主人公マキシマスをクロウ、宿敵コモドゥスをホアキン・フェニックスがそれぞれ演じました。

「グラディエーター」におけるクロウは惚れ惚れするような引き締まった筋肉美だったのですが、「アオラレ」ではアンコ型の力士のような姿に変貌しています。「ワールド・オブ・ライズ」(08)のときのようなスーパー増量を行ったのかと思いましたが、じつは肉体スーツを着込んで役作りをしたそうです。その巨漢が演じるスーパークレイジー野郎はど迫力で、映画評論家の尾崎一男氏は「映画。com」で、「本作の恐怖を倍化させるのは、キャリアのプラスになるとも思えぬ、ラッセル・クロウのやりたい放題な怪演だ。2000年製作の『グラディエーター』で悲劇の剣闘士を体現し、栄えあるオスカーを受賞。後年『レ・ミゼラブル』(12)では主演のヒュー・ジャックマンを差し置き、じつにいい湯加減で熱唱。以前とは何だか性質の異なる役者になってしまった」と書いています。わたしも、尾崎氏の意見にまったく同感です!

 ところで、「アオラレ」のオープニングクレジットでは、多くの人々が過大なストレスに晒されている「ストレスフル社会」が描かれます。離婚、失業、渋滞・・・・・・人生にはさまざまなストレスが付き物ですが、主人公のレイチェル(カレン・ピストリアス)はすべてを一度に経験することになります。前の車が青信号なのに発信せず、イライラが極限に達したレイチェルは乱暴にクラクションを鳴らし、前の車を追い越します。そこから悲劇が始まるわけですが、すべてはレイチェルが前夜に目覚ましをかけるのを忘れて朝寝坊したことに起因しています。そして乱暴にクラクションを鳴らし、そのことに対して相手から謝罪を求められても従わなかった・・・・・・確かに相手もスーパークレイジーですが、彼女にも問題はあったと言えるでしょう。ある程度は「自業自得」なのです。
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図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)



「アオラレ」では、レイチェルのイライラに端を発し、それがスーパークレイジー野郎の怒りに火をつけて大惨事になったわけです。わたしも気が短くて怒りっぽい人間なので、「怒り」の対処法についてはいつも考えています。仏教では、怒りを完全に否定しています。ブッダは、「たとえば、恐ろしい泥棒たちが来て、何も悪いことをしていない自分を捕まえて、面白がってノコギリで切ろうとするとしよう。そのときでさえ、わずかでも怒ってはいけない。わずかでも怒ったら、あなた方はわが教えを実践する人間ではない。だから、仏弟子になりたければ、絶対に怒らないという覚悟を持って生きてほしい」と言ったそうです。なぜなら、怒りは人間にとって猛毒だからです。その猛毒をコントロールすることが心の平安の道であることをブッダは告げたかったのでしょう。ブッダは、「怒るのはいけない。怒りは毒である。殺される瞬間でさえ、もし怒ったら、心は穢れ、今まで得た徳はぜんぶ無効になってしまって、地獄に行くことになる」とさえ言っています。つまり、怒ったら、自分が損をするのです。
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『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)



レイチェルにも問題があると言いましたが、彼女が夫と離婚し、経営していた美容院を失い、渋滞の中でスーパークレイジー野郎の怒りに火をつけたことはすべて繋がっています。つまり、彼女はセルフィッシュな側面が強く、他人と良い関係を築くことが苦手なのです。原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。自分を守るために、弓や刀剣などの武器を携帯していたのですが、突然、見知らぬ人に会ったとき、相手が自分に敵意がないとわかれば、武器を持たないときは右手を高く上げたり、武器を捨てて両手をさし上げたりしてこちらも敵意のないことを示しました。相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。このような行為が礼儀作法の起源でした。身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化し、発展して、今日の礼法やマナーとして確立されてきたのです。

 ストレスフル社会を描いた「アオラレ」のオープニングクレジットでは、他人に対して暴言を吐いたり、中指を突き立てるなどの人々の「無作法」が多くのトラブルを引き起こしている場面が流れました。一条真也の読書館『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』で紹介した本によれば、礼節(=Civility)という言葉の由来は、都市(=City)と社会(=Society)という言葉にあります。著者のP・M・フォルニは、「礼節という言葉の背景には、都市生活が人を啓蒙する、という認識があるのです。都市は人が知を拓き、社会を築く力を伸ばしていく場所なのです。人は都市に育てられながら、都市のために貢献することを学んでいきます」と述べます。そして、礼節とは「よい市民になること」「よき隣人であること」を指しているといいます。礼節ある生き方を選ぶということは、他者や社会のために正しい行動を選ぶということです。他者のために正しく行動すると、その副産物として人生が豊かにふくらむのです。
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「ヤフーニュース」より



 それにしても、「アオラレ」に出てくるスーパークレイジー野郎のような人物はアメリカだけではなく、日本にもたくさんいます。ただでさえネット社会はストレスフルなのに、加えてコロナ禍です。コロナによる人との交流の制限、失業などでさらに心を病む人は増え続けるでしょう。スーパークレイジー野郎のように他人に危害を加えるだけでなく、自らの命を絶つ人も増えるはずです。そんな中、厚生労働省は、今年度から「心のサポーター(ここサポ)」の養成を開始します。これは、うつ病などの精神疾患や心の不調に悩む人を支える存在で、精神疾患への偏見や差別を解消し、地域で安心して暮らせる社会の実現につなげる狙いです。わが社では、死別の悲嘆に寄り添う「グリーフケア士」とともに「ここサポ」の養成に力を入れる予定です。いよいよ、心のケアの時代が来ました!