No.539


 シネスイッチ銀座で映画「ベル・エポックでもう一度」を鑑賞。2019年の作品なのですが、幸福の本質について考えさせられるハートフルなヒューマンドラマでした。

 ヤフー映画の「解説」には、「大切な思い出を再現するサービスを通じ、忘れられなかった出来事を再体験した男性をめぐる人間ドラマ。メガホンを取ったのは『恋のときめき乱気流』などに出演してきたニコラ・ブドス。『画家と庭師とカンパーニュ』などのダニエル・オートゥイユが主人公、彼の妻を『星降る夜のリストランテ』などのファニー・アルダンが演じ、『セザンヌと過ごした時間』などのギヨーム・カネ、『ザ・ゲーム ~赤裸々な宴~』などのドリヤ・ティリエらが共演する。フランスのセザール賞で脚本賞など3部門を受賞した」と書かれています。

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「元売れっ子イラストレーターのヴィクトル(ダニエル・オートゥイユ)は社会の変化になじめず仕事を失い、妻のマリアンヌ(ファニー・アルダン)にも見放されてしまう。そんな彼を励まそうとした息子は、戻りたい過去を映画セットで再現する『タイムトラベルサービス』をプレゼント。希望の日時を申し込んだヴィクトルは思い出のカフェで運命の女性と『再会』し、夢のようなひとときを過ごす。輝かしい日々の再体験に感動した彼はサービスを延長すべく、妻に内緒で唯一の財産である別荘を売り払ってしまう」となっています。

 ベル・エポックとは、「よい時代」という意味です。この映画は、主人公が「ベル・エポック」という名の思い出のカフェで最愛の妻との出会いを追体験する物語です。観終わった感想は、「じつにフランスらしい映画らしい作品」ということでした。それは、この映画がフランスを代表する映画賞であるセザール賞を3部門受賞したことからもわかります。まったく新しいビジネスであるタイムトラベルサービスとうものが登場するのですが、冒頭からそのシーンが展開されます。けっこうエグいシーンなのですが、それはリアルなのか演技なのかが判然としません。そのまま30分ぐらいは説明不足もあって理解しづらく、わたしは眠たくなってしまいました。

 夫婦喧嘩のシーンは、かなりリアルです。実際に夫婦関係がうまくいっていない観客は身につまされるのではないでしょうか。それぐらい、どこの夫婦にも起こるようなディスコミュニケーションが描かれています。夫のヴィクトルですが、以前は新聞の風刺画描きで稼いでいたのですが、現在はその仕事もなく、妻のマリアンヌから愛想を尽かされます。あろうことか、マリアンヌはヴィクトルの友人と不倫までするのでした。2人には息子が1人いますが、彼はアニメ系のビジネスで成功し、両親の不仲を危惧しています。60代半ばから後半ではないかと思えるマリアンヌと愛人のセックスシーンも出てきますが、フランス人だからまだ観れるものの日本人だとかなり辛いなと思いました。これは別に人種差別ではありませんよ!

 結婚して何十年も経てば、当初の愛情も冷めるもの。でも、ヴィクトルは妻への愛が残っていることを感じたのか、高い費用を払って彼女との初めての出会いを再現するタイムトラベルサービスを依頼します。そのタイムトラベルサービスを演出する監督のアントワーヌ(ギョーム・カネ)と主演女優のマルゴ(ドリア・ティリエ)との恋人関係もサイドストーリー的に描かれ、物語に彩りを添えていました。マルゴ役のティリエは長身で非常に魅力的でした。大麻パーティでバラの雨を浴びながら踊るシーンなどは、本当に綺麗でしたね。台詞も端々まで気が利いており、女性を口説くときなどに使えそうな感じでした。流れる音楽もセンスが良かったです。

 わたしは、これまで何度も映画というメディアの本質は「時間を超える」ことであり、それゆえに無数のタイムトラベル映画が作られてきたと述べてきました。この映画もタイムトラベル映画です。しかし、それは現実に時間を逆行して過去へ遡ったり、未来へ飛んだりするSF的な時間旅行ではなく、顧客が希望する時代を役者たちが演じるフィクションとしての時間旅行です。この映画は、監督が役者へ細かい指示を出し、できるだけ忠実に当時の状況を再現しようとします。ヴィクトルが「今の大統領は誰だっけ?」「今の大蔵大臣は誰?」などと不意に役者に質問するのですが、バックヤードでは裏方のスタッフが「当時の大統領・大蔵大臣は誰だ?」などとググって無線で役者のイヤホンに連絡したりします。そのあたりにドタバタのスラップスティック・コメディが生まれていくのですが、ちょっと三谷幸喜の映画を観ているみたいな感覚でした。脚本はよく練られており、設定や構成は面白かったです。

 こんなオーダーメイドの時間旅行を創造するのは途方もない手間と時間がかかって現実に難しいのではないかと思いますが、基本的に「記憶」や「思い出」をソフトとするメモリアル・サービスであり、わたしの本業である冠婚葬祭業との相性は良いのではないかと感じました。どの時代に返りたいかというのは、もちろん人それぞれでしょうが、わたしだったら1988年に戻りたいと思いました。大学最後の1年間で処女作『ハートフルに遊ぶ』を書いた年で、今もわたしの人生に大きな影響を与えている重要関係人との出会いもあった年です。時代的にもバブルの最盛期で、非常に活気がありました。そう、「ベル・エポック」とは、その人にとって最も輝いていた時代なのです。

 人生を輝かせるものは、けっして社会の景気とか自身の経済力だけであはりません。人生を輝かせるものは情熱です。そして、さまざまな情熱の中でも最もエネルギーの大きいものは恋愛感情ではないでしょうか。タイムトラベルサービスで再現されたベル・エポックで、ヴィクトルは若き日の妻を演じた女優のマルゴに恋をします。そこからヴィクトルの「今」が輝き出し、彼の恋愛感情によって放たれた光が、いったんは夫に愛想を尽かした妻の心も動かします。すると、マリアンヌは添い寝する愛人のイビキが嫌になってくるのですが、この場面は一条真也の映画館「ライトハウス」で紹介したホラー映画を連想しました。前日に観た映画です。人間、愛する相手のイビキなら我慢できるどころか愛しく感じるものですが、そうでない相手のイビキとはストレス発生源としての騒音と化すのです。

 それにしても、マリアンヌを演じたファニー・アルダンが72歳というのには驚きましたね。かの大岡越前守が、母親に「女はいつまで性欲があるのですか」と訊ねたところ、母親は黙って火鉢の灰をかき回したという話は有名ですが、そんな「女は灰になっても女」を地で行くような女の色気をプンプン放っています。アルダンは映画監督フランソワ・トリュフォーの人生最後の恋人として知られていますが、フランスのアムールはすごいですね。高齢になっても彼女は本当に美しいです。この美しさに比肩するフランス女優としてはカトリーヌ・ドヌーヴ(77歳)なども思い浮かびますが、わたしは、一条真也の映画館「男と女 人生最良の日々」で紹介したフランス映画に主演したアヌーク・エーメが最高峰だと思います。「ベル・エポックでもう一度」と同じ2019年に作られたこの映画に出演したときの彼女は、なんと87歳でした! もう、すごすぎるぞ、フランスの女たち!

一条真也の映画館『フランス人は「老い」を愛する』で紹介した本には、「高齢期の性愛をタブー視しない」として、フランスの人たちは死ぬまで恋をしたいと考えていることが紹介されています。外務省に入省して外交官として活躍した著者の賀来弓月緒氏は、老人ホーム内外の多くのフランスの高齢者たちと交流しながら、「生きる喜びを感じるのは、『人を愛し、人に愛されている』ことを実感できるときではないでしょうか。そこに、性愛を含めるのはごく自然なことでしょう。友人同士の友情であれ、夫婦愛であれ、配偶者を失ったあとの恋愛であれ、死ぬまで誰かを愛し、誰かに愛されているという心の充実感があれば、高齢期はもっと幸せなものになるに違いありません。フランスの多くの高齢者たちの『性愛に生きる姿勢』を知って、そんな思いを強くしました」と述べています。

 男女問わずにフランスの高齢者たちはみんなオシャレですが、人生の最後まで恋をするからこそ、彼らはオシャレなのかもしれませんね。オシャレといえば、世界で最もオシャレなフランス女性たちを作り続けてきた人物の伝記映画「ココ・シャネル 時代と闘った女」の予告編がこの日のシネスイッチ銀座のスクリーンに流れました。8月23日公開ですが、これもぜひ観たいです!