No.540


 11月15日と17日が業界の会議が行われる日で、16日はその間でした。この日、朝から出版関係の打ち合わせなどをしました。また、打合せの合間を縫って、TOHOシネマズ日比谷でSF映画「カオス・ウォーキング」を観ました。つまらなくはないけど、面白いとも言い難い、なんともビミョーな作品でした。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「男性は考えや思いが"ノイズ"としてさらけ出され、女性は死に絶える星を舞台とした、パトリック・ネスの小説を原作にしたSFアドベンチャー。不思議な星で生まれ育った青年が地球からやってきた女性と出会い、彼女を守ろうと逃避行を繰り広げる。出演は『スパイダーマン』シリーズのトム・ホランドや、『スター・ウォーズ』シリーズのデイジー・リドリー、マッツ・ミケルセン、デミアン・ビチルら。監督を『ボーン・アイデンティティー』などのダグ・リーマンが務める」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「汚染した地球を発った人類がたどり着いた新天地"ニュー・ワールド"は、男性は考えや思いが"ノイズ"として現れ、女性は死に絶える不思議な星だった。その星で生まれ育ったトッド(トム・ホランド)は一度も女性を見たことがなかったが、あるとき地球から来た宇宙船が墜落し、生存者のヴァイオラ(デイジー・リドリー)と出会う。トッドはヴァイオラを捕らえようとする者から彼女を守ろうと決断する」です。

 惑星もののSFといっても、一条真也の映画館「DUNE/デュ―ン 砂の惑星」で紹介したSF映画史に残る大傑作とは雲泥の差、月とスッポンでしたが、「カオス・ウォーキング」は駄作と切り捨てがたい不思議な魅力を持っています。紅一点(この表現って古い?)のヴァイオラは可愛かったです。ずっと汚い恰好をしていて、顔も汚れたままなのに可愛いのですから、お化粧してドレスアップしたらどれほど美しいのか想像もつきません。そのヴァイオラを見て、「女の子って可愛いなあ」と考え続けるトッド(トム・ホランド)がいじらしかったです。下心が「ノイズ」としてそのまま音声化されるのですから、かなり恥ずかしいことです。この映画を観る前に「これぞ童貞映画」みたいなレビューを目にしました。それで、「どんなものかな?」と思っていたのですが、「なるほどね」と納得!

 その理由はわかりませんが、映画の舞台となっている惑星では、男が思考したことはそのまま「ノイズ」として声になります。つまり、この星の男たちはポーカーフェイスができないわけですが、わたしは最近読んだ本の内容を思い出しました。『Humankind 希望の歴史』ルトガー・ブレグマン著、野中香方子訳(文藝春秋)という本です。著者は、「暗い人間観」を裏付ける定説の真偽を確かめるべく世界中を飛び回り、関係者に話を聞き、エビデンスを集めたところ意外な結果に辿り着きます。「なぜ人類は生き残れたのか」ということを探求していますが、その中で「ヒトは感情を隠せないサル」というくだりが興味深かったです。人間の目には他の霊長類と違い、黒目だけでなく白目もあります。ゆえに、何を見ているかが第三者から一目瞭然です。また、人間には眉毛があり、これが嬉しいときや悲しいときに動きます。つまり、人間とは「ポーカーフェイスができないサル」なのです。

 また、「カオス・ウォーキング」には、1人の聖職者が登場しますが、彼は自分自身の「ノイズ」を神の声と誤解して多くの人間を殺めてしまいます。このくだりでは、一条真也の読書館『神々の沈黙』で紹介したアメリカの心理学者ジュリアン・ジェインズの大著の内容を思い出しました。「意識の誕生と文明の興亡」のサブタイトルがついています。動物行動学から出発し人間の意識の探求に踏み込んだジェインズは、楔形文字の粘土板や碑文・彫刻、ギリシャ叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』、旧約聖書などの分析から、とてつもなく壮大な「意識の誕生」仮説を樹ち立てました。すなわち、人類の意識は今からわずか3000年前に芽生えたもの、意識誕生以前の人間は右脳に囁かれる神々の声に従う〈二分心〉〈Bicameral Mind〉の持ち主で、彼らこそが世界各地の古代文明を創造したというのです。すなわち、古代の人々は内なる声を神々の声と誤解したわけです。

 この映画、宇宙を舞台にしたSFといっても、地球上のどこかの場所での逃走&追走劇にしか見えず、正直言ってSFという感じはあまりしませんでした。それこそ、ヴァイオラを演じたデイジー・リドリーが出演した「スター・ウォーズ」シリーズや「DUNE/デュ―ン 砂の惑星」のような惑星の非日常的な光景が描かれていません。唯一、SFらしいのは「ノイズ」が映像として立ち上がってゆくところと、過去に墜落した巨大な宇宙船の残骸のシーンです。ただ、トッドが愛犬を失ったシーンは考えさせられました。彼が愛犬の死を忘れようとすればするほど、今はもういない愛犬が立体画像となって目の前に浮かんでくるのです。これはかなり辛い体験だと思います。この星では、愛する人を亡くした人は、その面影に苦しめられ、悲嘆が倍増されるわけです。

「カオス・ウォーキング」のヒロインであるヴァイオラは宇宙から落ちてきた女の子です。わたしは、『竹取物語』を連想しました。竹取の翁によって光り輝く竹の中から見出され、翁夫婦に育てられた少女かぐや姫を巡る奇譚です。『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあるように、日本最古の物語といわれます。9世紀後半から10世紀前半頃に成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の1つです。

『竹取物語』は、現代では『かぐや姫』というタイトルで、絵本・アニメ・映画など様々な形において受容されています。映画版では、1987年に公開された市川崑監督の作品が記憶に残っています。沢口靖子が演じるかぐや姫を月から飛来した巨大な宇宙船が迎えに来るシーンは圧巻で、「カオス・ウォーキング」のラストでヴァイオラを巨大な母船が迎えに来るシーンと重なりました。そう、ヴァイオラはトッドにとっての「かぐや姫」だったのです!