No.547


 12月17日から公開された映画「世界で一番美しい少年」を観ました。一条真也の映画館「マトリックス レザレクションズ」で紹介した同日公開の映画は3度も寝落ちするという無様な鑑賞となりましたが、この作品はまったく飽きずに、もちろん一睡もせずに興味深く観ることができました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』で、主人公を魅了する少年を演じたビョルン・アンドレセンを題材に描くドキュメンタリー。15歳でセンセーションを起こした少年の栄光と挫折、再生への道のりを映し出す。クリスティーナ・リンドストロムとクリスティアン・ペトリが監督を務め、『ベルサイユのばら』などの漫画家池田理代子らが出演。ヴィスコンティ監督との出会いをはじめ、オーディション風景や映画撮影の舞台裏などをアンドレセンが語る」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「当時15歳だったビョルン・アンドレセンは、1971年にルキノ・ヴィスコンティ監督が手掛けた映画『ベニスに死す』に出演する。映画の公開と同時に脚光を浴びた彼は「世界で一番美しい少年」と賞賛され、作品の日本公開時には来日も果たす。それからおよそ50年の月日が流れ、『ミッドサマー』の老人ダン役として再びスクリーンに登場したアンドレセンの変貌ぶりが話題になる」

 このドキュメンタリー映画の主人公であるビョルン・ヨーハン・アンドレセンは、1955年1月26日生まれ、現在66歳です。ストックホルム出身のスウェーデンの俳優、歌手です。デンマークで育った彼の母親は、ヨーロッパを転々としながら過ごすボヘミアンであったといいます。美貌の持ち主で、ディオールのモデルになったこともありました。パリの芸術家のコミュニティに入り浸っていましたが、生まれる前に死亡したとされる実の父親は不明です。ビョルンが10歳の時、夫に捨てられ不安定になっていた母が自殺し、祖母に育てられました。映画で日本の音楽プロデューサーである酒井政利が「ビョルンには光だけでなく影がある。立体的なアイドルだった」と語っていましたが、彼の影はその生い立ちにあったのです。その彼の悲嘆に満ちた人生を振り返る「世界で一番美しい少年」はグリーフ映画の側面を持っています。

 ビョルンはストックホルムの音楽学校でクラシックを学んだが、好みはビートルズなどのロックでした。友人達と13歳の頃からバンドを組み、あちこちで演奏していたといいます。美容師であった祖母の勧めで子役としての活動を始め、1969年にストックホルム郊外で撮影された青春映画「純愛日記」(1970年)に端役で出演したのがスクリーンデビューでした。1970年、イタリアを代表する名監督であるルキノ・ヴィスコンティが「ベニスに死す」の映画化の為ために、主人公の作曲家を虜にする少年タジオ役を求めてヨーロッパ中を探していました。当時、友人とバンドを組んで歌っていたビョルンがヴィスコンティの目に止まり、数多くの候補者の中から選ばれました。この「ベニスに死す」のロンドンでのプレミア上映会で、ヴィスコンティはビョルンのことを「世界で一番美しい少年(The Most Beautiful Boy in the World)」と呼んだのでした。

 「ベニスの死す」の主人公である老作曲家は、静養のために訪れたベニスで出会ったポーランド貴族の美少年タージオに理想の美を見い出します。以来、彼は浜に続く回廊をタージオを求めて彷徨います。ある日、ベニスの街中で消毒が始まります。誰も真実を語らない中、疫病が流行していることをようやく聞きつけますが、それでも彼はベニスを去りません。白粉と口紅、白髪染めを施して若作りをし、死臭漂うベニスを彼はタージオの姿を追い求め歩き続けます。ついに彼は倒れ込み、ひとり力なく笑い声を上げます。翌日、疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、波光がきらめく中、彼方を指差すタージオの姿を見つめながら彼は死んでゆきます。「美」と「死」が不可分の関係にあることを見事に描いた映画史上に燦然と輝く大傑作でした。そして、スクリーンに映し出されるビョルンの美しさはただごとではなく、世界中の映画ファンが息を呑むこととなりました。

 1971年に公開された映画「ベニスに死す」は、ノーベル賞作家トーマス・マンの同名小説の映画化です。ヴィスコンティにとっては「地獄に堕ちた勇者ども」(1969年)、「ルートヴィヒ」(1972年)と並ぶ「ドイツ三部作」の第2作です。主人公の老作曲家のモデルとなったグスタフ・マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」が主題曲に使われ、マーラー人気復興の契機となりました。あまりにも美しい少年タージオを演じたビョルンはこのとき15歳。じつは、監督であるヴィスコンティをはじめ、映画の撮影スタッフのほとんど全員がゲイであったといいます。ビョルンを自分だけのものにしようとしたヴィスコンティは、彼らにビョルンとの接触を禁じます。しかし、ビョルンが多くのゲイたちの性的欲求の的になったことは事実であり、15歳の少年にどれほどのストレスと恐怖を与えたかを想像してしまいます。

 ヴィスコンティは「ベニスに死す」の撮影から1年経って16歳になったビョルンをこきおろしました。そして、自分の所属するパリのゲイ・コミュニティに連れて行きます。その後、祖母と結託したエージェントは、ヴィスコンティから見放されたビョルンを日本に連れて行って明治製菓「エクセル」のCM撮影やレコード発売などを行いました。連日のハードスケジュールをこなすため、薬物を飲ませることもしていたといいます。日本でのキャリアを構築することは祖母の強い勧めでした。来日の際には熱狂的な歓迎を受け、追っかけの少女に髪を切られたとか。

 1983年に結婚したビョルンは、劇団を運営しつつ、ストックホルムで暮らしました。その後、娘(ロビン)が生まれますが、結婚前に生まれた長男を亡くし、一旦別れました。長男の死因は乳幼児突然死症候群でしたが、ビョルンは「親としての愛情が足りなかったことが原因」と自分を責め、彼は深いグリーフを抱えて生きることになります。その後、復縁して現在は妻と娘と音楽教師としてストックホルムで暮らしています。2021年のサンダンス映画祭でビョルンの人生を描いた本作「世界で一番美しい少年」が発表されましたが、この中でビョルンはヴィスコンティ監督や祖母、大人たちに性的搾取されてきたことを告発しています。

 ビョルンは母国スウェーデン帰国後にバンド活動や脇役俳優をしていましたが、2003年にタージオ役の写真を肖像権を持つビョルン本人に無断で本の表紙に使われたことが原因で、性的搾取のトラウマからデンマークに逃亡。2016年に「The Lost One」で主演、ホームレスの男性役を演じました。時を同じくしてドキュメンタリーの監督から連絡を受けましたが、人間不信に陥っていたため、撮影を承諾する判断に3年を要したといいます。一条真也の映画館「ミッドサマー」で紹介した2019年公開のアメリカ・スウェーデン合作のホラー映画にも出演しています。

 わたしはヴィスコンティの映画が好きで、全作品を観ています。イタリアの貴族出身の彼の映画には独特の美意識が横溢していますが、「世界で一番美しい少年」では、ゲイとしての彼の生映像を観ることができて非常に興味深かったです。美少年ハンターとしてのヴィスコンティの姿から、わたしはジャニー喜多川を連想しました。彼ほど多くの「美しい少年」を見つけ出し、世に出し、スターにしてきた人物は古今東西いないのではないでしょうか? 彼が社長を務めたジャニーズ事務所からは多くの「美しい少年」が芸能界デビューしています。しかし、「美しい少年」はそのまま「美しい青年」、そして「美しい老人」になれるわけではありません。

 そのジャニー喜多川がジャニーズ事務所の「最高傑作」と表現した、その名も「少年隊」というグループがありました。全盛期は「美しい少年」だったメンバーたちも加齢により、容姿が変化してしまいました。もっとも、東山紀之だけは節制して、ルックスをキープしていますけどね。ゲイといえば、映画評論家の淀川長治さんも忘れられません。じつは、初めて告白しますが、わたしがプランナーをやっていた若い頃、エピック・ソニーのカセットブックの収録現場で淀川さんにお会いしたことがあります。初めてお会いした淀川さんはわたしの顔を見て、「あなた、綺麗な顔をしているわね。俳優さん?」とおっしゃったのです。あのときは驚きましたが、今では良い思い出です。ちなみに、若い頃は、サウナに入っていると、知らないオッサンから「飲みに行かんか?」とか誘われたことも何度かありましたね。もちろん、行きませんでしたけど。(笑)

 それにしても、「ベニスに死す」に出演した15歳のビョルンは美し過ぎます。ヴィスコンティは彼の「金髪、完璧な横顔、海のような灰色の目」を絶賛し、「世界で一番美しい少年」と最大級の賛辞を送ったのでした。映画「世界で一番美しい少年」には、日本の少女漫画家である池田理代子も登場し、老いたビョルンと対面します。彼女の代表作である『ベルサイユのバラ』の主人公オスカルのモデルがまさにビョルンその人であったことを本人が告白しています。他にも、竹宮恵子や萩尾望都など、多くの少女漫画家たちの作品の登場人物にはビョルンの面影があります。

 ビョルン・ヨーハン・アンドレセンこそは、日本人にとってのパーフェクトな美少年であり、「美」のアイコンそのものだったと言えるでしょう。そして、天上的ともいえる彼の美には「悲」が隠されていました。そう、「悲しみ」は「美しさ」に通じることを、この映画は教えてくれます。海のような彼の灰色の瞳に涙が溢れるシーンが何度かありましたが、わたしは「涙は世界で一番小さな海」というアンデルセンの名言を思い出さずにはいられませんでした。そして、長髪に髭だらけで痩せこけた彼の現在の風貌は、多くの人々の罪と悲しみを一身に背負ったイエス・キリストを連想させました。まだ66歳であるビョルンの今後の人生が幸多いものであることを願っています。