No.548


 TOHOシネマズシャンテで映画「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」を観ました。絵画をめぐる迫真のドキュメンタリーでしたが、アート界の闇を描いていて、興味深かったです。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品とされる絵画『サルバトール・ムンディ』の謎に迫るミステリー・ノンフィクション。『男性版モナ・リザ』といわれる一枚の絵画が一般家庭で見つかり、オークションで約510億円という高額で落札された過程と騒動、そしてアート界の闇を映し出す。アントワーヌ・ヴィトキーヌが監督を手掛け、オークション関係者が出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「2017年、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画『サルバトール・ムンディ』が、およそ510億円で落札される。もともとこの絵画はニューヨークの美術商が、ある競売会社のカタログに掲載されていたものを13万円で購入したものだった。美術商はその絵をロンドンのナショナル・ギャラリーに持ち込み、専門家の鑑定によりダ・ヴィンチの作品というお墨付きを得る」

 Wikipedia「サルバトール・ムンディ」の「概要」には、「1500年ごろフランスのルイ12世のために描かれたとみられる。後に、イギリスのチャールズ1世の手に渡ったが、1763年以降行方不明となる。1958年にオークションに出品されたが、複製とされてわずか45ポンドで落札された。2005年に美術商が1万ドル足らずで入手した後、修復の結果ダ・ヴィンチの真筆と証明される。2011年にはロンドンのナショナル・ギャラリーで展示された。2013年にサザビーズのオークションでスイス人美術商に8000万ドル(約90億円)で落札された後、ロシア人富豪ドミトリー・リボロフレフが1億2750万ドル(約140億円)で買い取った(この買い取り額について、後にリボロフレフは詐欺として美術商を訴えている)」と書かれています。

 また、「2017年11月15日にクリスティーズのオークションにかけられ、手数料を含めて4億5031万2500ドル(当時のレートで約508億円)で落札された。この額は、2015年に落札されたパブロ・ピカソの『アルジェの女たち バージョン0』の1億7940万ドル(約200億円)を抜き、これまでの美術品の落札価格として史上最高額となった。落札後の所有者は不明とされていたが、サウジアラビアの王太子ムハンマド・ビン・サルマーンが所有する高級ヨットの中にかかっていたことが2021年に報道されている」とも書かれています。今年になってサウジのムハンマド王太子のヨット内で確認されたとは、ずいぶん生々しい話ですね。
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ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教



 サウジアラビアはイスラム教の国。その王太子の「ムハンマド」という名は、イスラム教の開祖と同じです。そんな人物が「サルバトーレ・ムンディ」を購入したという事実が非常に興味深かったです。なぜなら、「サルバトーレ・ムンディ」とは、キリスト教の開祖であるイエス・キリストの肖像画であり、キリスト教とイスラム教はともに世界宗教として、世界中のさまざまな場所で対立しているからです。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)で書いたように、もともとルーツを同じくする三姉妹宗教としてのユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった一神教は世界に戦争を引き起こす「戦争エンジン」となっているのが現状です。しかし、それを「平和エンジン」に改造することは不可能ではないと、わたしは思います。その鍵が、「サルバトーレ・ムンディ」のような芸術作品である可能性は高いのではないでしょうか。

 これまで中東で繰り広げられてきた戦争には、「文明の衝突」というよりは「宗教の衝突」であり、正確には「一神教同士の衝突」という側面があります。もちろん、20世紀以降は石油をめぐっての「経済の衝突」としての側面も強くなっています。映画「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」では、イエス・キリストの肖像画としての「サルバトーレ・ムンディ」の購入者候補がバチカンであったり、中国であったりという可能性を示していて、非常に興味深かったです。要するに、「サルバトーレ・ムンディ」とは「救世主」であり、「世界の王」です。その絵を手に入れることは世界を手に入れることと等しいのかもしれません。

「サルバトーレ・ムンディ」は世界一有名な絵だそうです。それを描いたとされるレオナルド・ダ・ヴィンチも世界一有名な画家です。しかし、そこに描かれている人物はダ・ヴィンチなど比較にならない超有名人です。そう、世界一の有名人と言っても過言ではないイエス・キリストその人です。世界最大の信徒数を誇るキリスト教の開祖であり、西洋の文化そのものの礎となった最高・最大のスーパースターです。彼を描いた絵となると、当然ながら宗教的色彩を帯びていきますが、この映画は宗教の本質を描いていると言えます。絵が本物であるかどうか、それでも信じるかどうか、これらの問題は、失われたアーク、ロンギヌスの槍、天皇家に伝わる三種の神器、ブッダの遺骨としての仏舎利、そして、トリノの聖骸布......古今東西のさまざまな宗教的オブジェにも通じることです。

 ダ・ヴィンチといえば、世界的にベストセラーとなった一条真也の読書館『レオナルド・ダ・ヴィンチ』で紹介したウォルター・アイザックソンの名著があります。その上巻の序章「絵も描けます」の冒頭を、「科学と芸術をつなげる」として、著者は以下のように書きだしています。
「レオナルド・ダ・ヴィンチはミラノ公に宛てて、自分を売り込む手紙を書いている。30歳になったころの話だ。すでにフィレンツェで画家としてそれなりの成功を収めてはいたものの、与えられた仕事をやり遂げることが不得手で、新天地を求めていた。手紙のはじめの10段落では、橋梁、水路、大砲、戦車、さらには公共建築物の設計といった技術者としての力量を誇示している。画家でもあると述べたのはようやく11段落目の終わりになってからだ。『どんな絵でも描いてみせます』」(土方奈美訳)

 続けて、アイザックソンは「たしかに、そのとおりであった。のちに『最後の晩餐』と『モナリザ』という絵画史に残る2つの傑作を描くことになるのだから。ただ本人の意識のうえでは、科学者、技術者としての自負も同じように強かった。レオナルドは嬉々として、そしてとり憑かれたように、解剖、化石、鳥類、心臓、飛行装置、光学、植物学、地質学、水の流れや兵器といった分野で独創的な研究に打ち込んだ。こうして『ルネサンス的教養人』の代表格となり、また『自然界のありとあらゆる現象』には規則性があり、1つの調和した世界を織りなしていると信じる人々の教祖となった。芸術と科学を結びつける能力は、円と正方形の中で両手両足を広げて完全な調和を体現する男性像『ウィトルウィウス的人体図』に端的に示されている。芸術と科学を結びつけたからこそ、彼は史上最も独創的な天才となったのだ」(土方奈美訳)と述べています。男性版モナ・リザとしてのイエス・キリストの肖像画は、ダ・ヴィンチの二大代表作である「最後の晩餐」と「モナ・リザ」の両方の要素を持っていました。

 映画には、絵画詐欺の被害者の1人としてレオナルド・ディカプリオも登場します。アイザックソンの著書の「あとがき」によれば、本書はハリウッドの大物スターであるディカプリオ主演で映画化されることが決まっています。そもそもディカプリオがレオナルドと命名されたのは、母親が妊娠中にフィレンツェのウフィツィ美術館でダ・ヴィンチの絵を鑑賞していたときに、赤ん坊がお腹を蹴ったからだといいます。自らの名前の由来となった人物を演じるわけですから、さぞ気合いが入ることでしょうね。

 この映画を観て、美術品業界の闇というか、怖さを思い知りました。わたしの同業者の互助会経営者の中には、高額な絵画をコレクションしたり、オークションに参加したりする人もいますが、わたしにはなかなか縁がありません。そんな知識もカネも度胸もなし、といったところです。それでも、この映画にはニューヨーク、ロンドン、パリの風景が登場して、コロナ終息後には海外の主要都市に行きたくてたまらないわたしの眼を楽しませてくれました。