No.549


 クリスマスの夕方、シネプレックス小倉で前日のクリスマス・イブに公開されたアニメ映画「劇場版 呪術廻戦 0」を観ました。社会現象にまでなった『鬼滅の刃』以上のブームになるのではないかと噂されている大人気漫画『呪術廻戦』の劇場版です。あまり鑑賞前に予習はしていなかったのですが、とても面白かったです!

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「芥見下々のコミックを原作にしたアニメの1年前が舞台の『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』を映画化。幼なじみを事故で亡くした高校生・乙骨憂太が幼なじみの呪いに苦しみ、最強の呪術師のもとで呪いを学ぼうとする。主人公の乙骨のボイスキャストは声優の緒方恵美が担当。制作をMAPPAが手掛ける」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「幼いころ、結婚の約束をした祈本里香が交通事故で亡くなる瞬間を見た乙骨憂太は、彼女の呪いに苦しめられていた。ある日、憂太の前に東京都立呪術高等専門学校の教師で、最強の呪術士の五条悟が現れる。里香の呪いが原因で周囲の人を傷つけていた憂太は、呪術高専に転入し、里香の呪いを解こうとする」

 じつは、一条真也の映画館「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」で紹介したドキュメンタリー映画を観たとき、今年の映画鑑賞は打ち止めにしようと思っていました。しかし、「『呪術廻戦 0』の初動は『鬼滅』を超えるか チケットの売れ行きと作品性の違いから占う」というネット記事を読んだとき、「これだけは早く観なければ!」と思いました。同作は公開前からのプロモーションの熱も凄まじく、原作が同じ『週刊少年ジャンプ』(集英社刊)にて連載されていたこと、ダークファンタジーという似たジャンル性という意味で一条真也の映画館「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介したアニメ映画と比べる意見も少なくありません。特に、ブログ「劇場版『鬼滅の刃』が空前の快挙!」で紹介したように、「無限列車編」が日本歴代興行収入第1位を記録したこともあって、「0」の興収結果が早くも注目されているというのです。これは凄いことになってきましたね!

 ちなみに、「無限列車編」を観た直後から、わたしは『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を一気に書き上げました。「『劇場版 呪術廻戦 0』公開、興収『100億円突破確実』 緒方恵美は仕上がりに『ホッとした』」という時事通信社配信のネットニュースによれば、ともに配給元である東宝は、「劇場版 呪術廻戦 0」の興行収入について「100億円突破が確実」としているというではありませんか! あの日本のアニメ映画史上に燦然と輝く大傑作である「無限列車編」を超える可能性がある作品とあらば、師走も押し迫った超クソ忙しい時期ではありますが、万難を排して観なければ!
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劇場で貰った小冊子



 劇場の入口で、ジャンプコミックス仕立ての『呪術廻戦0.5東京都呪術高等専門学校』と題された80ページの小冊子を貰いました。芥見下々氏が直々に描いた絵とともに、この映画の主要キャラクターが紹介されています。主人公の東京都呪術高等専門学校1年である乙骨憂太(おっこつゆうた)は「里香による呪いが原因で、人を避けてふさぎ込んでいた。高専入学後、仲間との出会いによって生きることに前向きになっていく。心優しいが、仲間を傷つけた相手には容赦ない」、過呪怨霊の祈本里香(おりもとりか)は「幼い頃、乙骨と結婚の約束を交わすが、その後交通事故で死亡。怨霊となり乙骨を傷つける存在を害し、結果彼を孤立させてしまうことになった」とあります。

 また、乙骨と同じく東京都呪術高等専門学校1年の禪院真希(ぜんいんまき)は「呪術師名家の生まれだが、呪力が一般人ほどしかなくおちこぼれと揶揄される。だが、身体能力は高く、呪具での戦闘が得意。実力をつけ禪院家を見返すべく日々鍛錬を重ねる」、同じく同校1年の狗巻棘(いぬまきとげ)は「放つ言葉に呪力が宿る呪言師。意図せず相手を呪わないよう、普段の語彙はおにぎりの具のみ。感情が読みづらいが、乙骨を気遣ったりかばったりと、仲間想い」、同じく同校1年のパンダは「容姿はただのパンダ。だが、人語を話し、挙動も人間らしい。面倒見がよく、同級生間の人間関係をカバーすることもしばしば。つまり、ただのパンダじゃない」と書かれています。

 さらに、同校1年担任の五条悟(ごじょうさとる)は「ふさぎ込む乙骨を呪術高専へ導いた教師。軽薄で教師らしく見えないが、次代を担っていく生徒達の成長を、何より大切にしている。夏油(げとう)とは、旧知の仲」、呪詛師の夏油傑(げとうすぐる)は「非術師を嫌悪し、呪術師だけの世界を作ろうとした呪詛師。里香の力を得るために、百鬼夜行を画策した。乙骨と五条の手によって、夏油の計画は幕を下ろす」、呪詛師のミゲルは「母国の術師が数十年かけ編みこんだ縄を使う。百鬼夜行の時、乙骨と夏油の闘いの邪魔をさせないよう、五条と対戦。五条を足止めした実力は相当なものだ」とあります。

 アニメで描かれた物語の1年前が舞台の前日譚である本作は、アニメ版の主人公である虎杖悠仁以前の主人公ともいえる乙骨憂太が、彼自身にかかった「呪い」を解くために呪術高専に入学。そこでアニメ版にも登場した禪院真希、狗巻棘、パンダらの同級生となり、教師・五条悟に導かれながら成長していく物語です。冒頭のシーンに登場する乙骨を観て、「あっ、エヴァの碇シンジだ!」とすぐ気づきました。だって、暗い表情でうつむき、「逃げちゃダメだ」と独り言を繰り返しているのですから。もともと原作者の芥見氏は、巨大ロボットを描きたがっていたとか。もちろんエヴァの大ファンなのでしょうが、自分の作品が映画化され、主人公の声を碇シンジの声優である緒方恵美が担当すると決まったときは嬉しかったでしょうね!

「劇場版 呪術廻戦 0」を観て連想した作品は「新世紀エヴァンゲリオン」だけではありません。最も有名なファンタジー映画のシリーズも連想しました。「ハリー・ポッター」シリーズです。少年たちが呪術師になるために学ぶ呪術高専という教育機関は、明らかに「ハリー・ポッター」のホグワーツ魔法魔術学校の影響を受けています。ホグワーツは、ゴドリック・グリフィンドール ヘルガ・ハッフルパフ ロウェナ・レイブンクロー サラザール・スリザリンの4人の魔法使いと魔女たちによって993年頃に創設されたとされています。わたしは、J・K・ローリングが書いた『ハリー・ポッター』シリーズが歴史的ベストセラーになった最大の要因としてホグワーツの存在があると思います。魔女や魔法使いになるために教育を受けなければならないという設定には説得力がありますね。

「ハリー・ポッター」シリーズが現れるまで、ファンタジー文学に登場する人物はふつうの人間と魔女・魔法使いとに二分されていました。作者のローリングは、ふつうの人間でもいくばくかの才能があり、良い教育を受けることができれば、魔女や魔法使いになれるという設定を考案しました。まるで、スポーツ選手や芸術家になるのと同じように。これこそ、ファンタジー文学にとって大きな躍進でした。しっかりした教育を受けていない、あるいは訓練を怠った魔女・魔法使いは、ただの人間にすぎないのです。映画ではエマ・ワトソンが演じたハーマイオニー・グレンジャーは非魔法族としての「マグル」の出身でした。非魔法族とは魔力を持たない両親の間に生まれ、自身も魔術を使えない人間のことです。魔法族から蔑まれることもあり、これは「劇場版 呪術廻戦 0」に登場する東京都呪術高等専門学校1年の禪院真希の設定に酷似しています。そう、彼女は日本のハーマイオニーなのです!

 わたしは、ちょうど1年前にブログ「アニメ版 呪術廻戦」を観ました。原作は、「週刊少年ジャンプ」2018年14号から連載されている芥見下々によるシリーズ累計発行部数1500万部を突破した漫画『呪術廻戦』です。人間の負の感情から生まれる化け物・呪霊を呪術を使って祓う呪術師の闘いを描いた、ダークファンタジー・バトル漫画として高い人気を集めています。

 TVアニメ版は2020年10月2日より毎週金曜日深夜1時25分からMBS/TBS系全国28局ネット「スーパーアニメイズム」枠にて放送されています。1年前の時点で放送済であった第1話~第13話をNetflixで観ました。13話を一気に鑑賞し、わたしは「これは、大正時代の物語である『鬼滅の刃』の現代版だ!」と思いました。 だって、「特級呪霊」など、まさに「上弦の鬼」そのものではないですか!

 ブログ「アニメ版『鬼滅の刃』」で紹介した作品は、アニメーション制作「Ufotable」が手掛けた素晴らしい名作でした。このたび観たアニメ版「呪術廻戦」もアニメーション制作「MAPPA」が非常に高水準の作品に仕上げています。躍動感溢れる戦闘シーンの作画、その実力と性格とビジュアルなどあらゆる魅力から男女問わず人々を虜にする最強の呪術師「五条悟」の人気などから、現在放送中のアニメの中では一番の人気を誇っています。

 虎杖悠仁(いたどりゆうじ)、伏黒恵(ふしぐろめぐみ)、釘崎野薔薇(くぎさきのばら)の都立呪術高専1年生トリオも、それぞれ個性的ですが、利他の心を持つ悠仁は『鬼滅の刃』の竈門炭治郎に、クールな伏黒は冨岡義勇に似ているように思います。男勝りな野薔薇だけは胡蝶しのぶ、甘露寺蜜璃という鬼滅の2大ヒロインには似ていませんけれど。それにしても、今の漫画やアニメの登場人物は名前が難しいですね。読者の小学生や中学生は、さぞ難しい漢字をたくさん学んだことでしょう。もしかして、「週刊少年ジャンプ」は日本漢字協会の回し者?(笑)

 わたしは、主人公の悠仁に感情移入してしまいました。なぜなら、彼は高校生でありながら、「死」と「葬」についての確固とした思想を持っているからです。彼の祖父を契機として、彼は「正しい死」について考えます。高齢で旅立った祖父は「正しい死」を迎えたが、呪いによって若者が殺されるケースなどは「正しくない死」であるというのです。彼は祖父の「人を助けろ」という遺言を心の糧として、大勢の人間を助け、正しい死に導くことを目指します。わたしには「死は最大の平等である」という持論がありますが、死に方は平等だとは思っていません。具体的には、自死、孤独死、無縁死と、どうも最近の日本では死に方が不平等になってきていると思います。
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唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)



 それらの不平等な死に方をなくすために、わが社が実践しているものこそ、「グリーフケア」や「隣人祭り」なのです。ですから、悠仁の「正しい死」という言葉はわたしの心に刺さりました。また、拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)で、わたしは「問われるべきは『死』ではなく『葬』である!」と訴えましたが、悠仁は葬送儀礼の重要性をよく理解しています。少年院での呪いで亡くなった被害者の遺体を母親の元に必死で返してやろうとします。呪霊との戦いを前にして「遺体は置いていけ」という伏黒に対し、悠仁は真剣に「顔はそんなに傷んでいない。遺体もなしで、死にましたじゃ、母親として納得できないだろ」と言います。その姿は、鬼に斬られた人々はもちろん、斬った鬼さえも供養する炭治郎のそれと重なりました。

 その他にも、「鬼滅の刃」と同じように、「呪術廻戦」には名言がたくさん登場します。例えば、伏黒の「不平等な現実のみが平等に与えられている」とか「因果応報は全自動ではない。悪人は法の下で初めて裁かれる。呪術師はそんな報いの歯車の1つだ」とか「少しでも多くの善人が平等を享受できるように、俺は不平等に人を助ける」などのセリフ。また、不登校の息子・純平に対して「学校なんて小さな水槽に過ぎないんだよ。海だって、他の水槽だってある」という吉野凪の発言も大変な名言だと思いました。本当に、最近の漫画やアニメは人生の役に立ちますね!
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ヤフー・ニュースより



 1年前の時点でアニメの13話までが放送済でしたので、1日でじゅうぶん追いかけることができました。「鬼滅の刃」の全26話の半分なので、その意味では楽でしたね。「呪術廻戦」がすごい人気ということは知っていましたが、年末で忙しいこともあってスルーしようかと思ったのですが、ヤフー・ニュースで「『鬼滅超え』が期待される『呪術廻戦』。その凄まじい人気の理由」という記事(「現代ビジネス」配信)を見つけ、「これは鬼滅現象の一環としてもフォローしなければいけないな」と思いました。また、「社会現象にまでなったものはスルーしてはいけない」という教訓を「鬼滅の刃」で学んだばかりだったこともありました。コミックは品薄で入手できないので、まずはアニメを観ましたが、これはわが最大の専門テーマである「儀式」をエンターテインメントにした作品であると気づきました。「鬼滅の刃」のメインテーマが「グリーフケア」なら、「呪術廻戦」のそれは儀式でした!

「呪術廻戦」という物語のメインテーマは「呪い」ですが、これは儀式とも大いに関係があります。映画の中で、「呪い」はモノに付着しやすいという禪院真希の発言がありましたが、「なるほど」と思いました。そういえば、「呪いのダイヤ」や「呪われた刀」のように目に見えない「呪い」は目に見える宝石や刀剣などに付着しやすいのかもしれません。や「呪い」というものは不安定なものであり、それが呪具という「かたち」に収まって安定するのでしょう。不安定といえば、人間の「こころ」も同じです。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは、先に「かたち」があって、後から「こころ」が入るということ。これが逆ではダメです。「かたち」があるから、「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じですね。
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人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)



 人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつか?
人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)にも書いたように、それは、子供が生まれたとき、子供が成長するとき、子供が大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。そして、その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった「かたち」としての一連の人生儀礼があります。初宮祝、七五三などは神社で行われます。そこで神主があげる祝詞は誕生や成長を祝う言葉であり、「これからも無事に成長しますように」という祈りの言葉です。結婚式でも神前結婚式やチャペル婚式の場合は、「二人が末永く幸せでありますように」と祝いと祈りの言葉が宗教者によって述べられます。こういう「祝い」の反対が「呪い」にほかなりません。

『鬼滅超え』が期待される『呪術廻戦』。その凄まじい人気の理由」には、「『週刊少年ジャンプ』で連載中の漫画『呪術廻戦』の人気が凄まじい。本作は、高校生の虎杖悠仁が"呪いの王"の魂を身に宿してしまったことをきっかけに、呪いとそれを祓う呪術師との戦いに巻き込まれていくダークファンタジーだ。今年の10月2日にアニメ化がスタートしてから、毎週放送されるたびにTwitterでは関連ワードがトレンド入りし、Netflixのランキングでも連日のように1位を獲得」と書かれています。

 続けて、「コミックのシリーズ累計発行部数は1500万部(デジタル版含む)に達している。ここ最近、大手書店でも入手困難が続いており、ネットでは高値で転売される事態も起こっているという。『呪術廻戦』はアニメ放送開始のタイミングに限って言えば、累計発行部数が『鬼滅の刃』を超えている。『鬼滅の刃』はアニメの放送が開始した2019年の4月時点でシリーズ累計発行部数が350万部程度だったが、『呪術廻戦』はアニメ放送開始の10月時点で850万部。実に倍以上だったのだ」と書かれています。ここに書かれているのは2020年の数字であり、それから1年が経過しているわけですから、もっと部数を増やしていることは言うまでもありません。

「鬼滅超え」の人気が期待される「呪術廻戦」は、なぜこれほどの人気を得ているのか? YouTubeで『呪術廻戦』と『約束のネバーランド』に関する考察チャンネルを運営するクロさんによると、『呪術廻戦』の魅力は、大きく分けて2つあるそうです。クロさんは、「まず、ジャンプの過去作へのオマージュが詰まっているんです。例えば、絵のタッチや主人公のキャラ設定は『BLEACH』に似ており、男性の師匠に男2人・女1人の弟子がいるのは『NARUTO』と同じ。呪術の技の複雑さも『HUNTER×HUNTER』に通じるものがあります」と述べます。

 だから、これらの作品が好きな20代後半から40代の男性たちを中心に刺さっているんというのです。過去作から影響を受けていることは、作者の芥見氏自身も公言しているそうで、クロさんは「28歳の彼が、これまでのジャンプ作品の要素を現代的に昇華させているのが『呪術廻戦』だと言えます」と述べています。ちなみに、現在50代後半のわたしは、『BLEACH』も『NARUTO』も『HUNTER×HUNTER』も読んでいません。

 もう1つの魅力は「難解さ」であるといいます。クロさんは、「『呪術廻戦』に登場する"技"は仏教や神話、物理学的な法則からインスピレーションを得たものなど、『鬼滅の刃』のものもよりずっと複雑です。伏線も多いので、アニメや本誌で気になったところを知りたくてコミックを読み込む、という人も少なくありません。解説・考察のしがいがあることから、YouTubeの解説動画も他の作品より多い印象です」と述べています。クロさんの発言を受けて、記事には、「ふつう、難解であれば読者は離れていくと思うが、その難解さゆえに解説・考察の動画やサイトが多数つくられ、それによってまたファンが増えていく現象も起きているという」と書かれています。ただ、作品の魅力だけではここまでコミックの売上は伸びなかっただろうとクロさんは考察し、「鬼滅ブームによって、ふだんアニメを見ない、漫画を読まない層にもアニメの視聴やコミック購入の習慣が根づいたことが大きいと思います」とも述べています。

「鬼滅の刃」にせよ、「呪術廻戦」にせよ、神話や宗教をモチーフとし、儀式やグリーフケアをテーマとした作品が最高のエンターテインメントとして広く支持されている事実には深い感慨をおぼえます。なぜなら、儀式もグリーフケアもわが人生のメインテーマだからです。クロさんは『呪術廻戦』に『BLEACH』、『NARUTO』、『HUNTER×HUNTER』の影響を指摘しますが、それらの作品を読んでいないわたしには、やはり『鬼滅の刃』との共通性を感じてしまいます。それは絵のタッチとかキャラ設定などを超えた、もっと深いところにある世界観においてです。『鬼滅の刃』に登場した「鬼」は、『呪術廻戦』では「呪い」として表現されています。そう、両作品における「鬼」と「呪い」は同義語と言ってもいいでしょう。なにしろ、「劇場版 呪術廻戦 0」に登場する「呪い」たちが総結集する禍々しいテロは「百鬼(!)夜行」と呼ばれるのですから。

 そもそも、「鬼」とは何でしょうか?
 雷神、酒呑童子、茨木童子、節分の鬼、ナマハゲなどが思い浮かびますが、古くは『日本書紀』や『風土記』にも鬼は登場しました。鬼は古くから日本人の「こころ」に棲みついているのです。一条真也の読書館『鬼と日本人』で紹介した本で、民俗学者の小松和彦氏は「鬼とはなにか」というテーマを取り上げ、「なによりもまず怖ろしいものの象徴」として、「鬼は長い歴史をもっている。鬼という語は、早くも古代の『日本書紀』や『風土記』などに登場し、中世、近世と生き続け、さらには現代人の生活のなかにもしきりに登場してくる。ということは、長い歴史をくぐり抜けて来る過程で、その言葉の意味や姿かたちも変化し多様化した、ということを想定しなければならない。じっさい、その歴史を眺め渡してみると、姿かたちもかなり変化している。鎌倉時代の鬼の画像をみると、角がない鬼もいれば、牛や馬のかたちをした鬼もいるし、見ただけではとうてい鬼と判定できない異形の鬼もいることがわかる。それがだんだんと画一化され、江戸時代になってようやく、角をもち虎の皮のふんどしをつけた姿が、鬼の典型となったのであった。しかしながら、怪力・無慈悲・残虐という属性はほとんど変化していない。鬼は、なによりもまず怖ろしいものの象徴なのである」と述べています。

 では、「呪い」とは何でしょうか?
 一条真也の映画館『呪いと日本人』で紹介した本で、小松氏は「人には多かれ少なかれ、誰かを恨んだり、妬んだり、はたまた呪いたくなる心性がある。『あいつがいなくなれば(死ねば)、自分の成績の順位(会社の地位)が上がる』と思ったり、人の足を引っ張ってでも出世しようとする同僚や、ことあるごとにいじめる同級生に対して『不幸になればいい』などと思ったりすることは、現代の複雑な人間関係にあってはさして珍しいことではないだろう。これは、『怨念』と呼んでもいいものである。この本では、こうした人間の心性を『呪い心』と呼ぶことにする」と述べています。さらに、小松氏は「呪い」にはもうひとつの側面があるとし、「こうした『呪い心』に導かれて、誰かに危害を加えるために、実際に呪文を唱えたり、道具を使ったりなどといいった神秘的な方法に訴えかけることだ。これを『呪いのパフォーマンス』と呼ぶことことにしよう。つまり、『呪い』は、『呪い心』と『呪いのパフォーマンス』とがセットになってできているのである」と述べます。
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儀式論』(弘文堂)



 わたしは『儀式論』(弘文堂)で、さまざまな角度から儀式や儀礼について見ていきましたが、「呪い」の問題もその中に入ります。『呪いと日本人』の1章「蘇る『呪い』の世界」では、犬神と祈祷師の戦いを紹介した後で、小松氏は「儀礼=治療によって災厄が除かれることもあれば、失敗することもある。『神秘的なもの』がもつパワーに、祈祷師の『法』(呪法)が負けてしまうからだ。これを『法負けする』という。『法負け』した場合、病人の病いはさらに悪化し、死に至るだけではなく、祈祷師さえも災厄をこうむることもある。そこでさらに強力な法を用いて、そうした事態を克服しようとする。したがって、祈祷は病人が治るまで何日も何カ月も続くことになる」と述べます。それにしても、「鬼」といい「呪い」といい、わたしが愛読してきた小松和彦氏の一連の著作が、漫画やアニメの解読の一助となる時代が来るとはまったく想定外でした。いい時代ですね!

 呪いは、人間の負の感情から生まれます。負の感情とは、憎悪や恐怖や後悔などです。アニメ「呪術廻戦」には、「いじめ」などの現代的な問題も取り上げられていますが、現代社会には「ネットによる誹謗中傷」や「自粛警察」などの新たな呪いが日々生まれています。これらのアップデートされた「呪い」を祓うためにも、アップデートされた「祈祷」という儀式が求められると思います。ともあれ、社会現象にまでなった「鬼滅の刃」ブームを下地に、アニメと原作の相乗効果で、「呪術廻戦」は多くのファンを獲得していると言えそうです。

 それにしても、『BLEACH』、『NARUTO』、『HUNTER×HUNTER』、『鬼滅の刃』、『新世紀エヴァンゲリオン』、さらには『ハリー・ポッター』の要素まで含んでいるとは、『呪術廻戦』おそるべし! まさに、物語の梁山泊ではないですか! これならヒットして当然かもしれませんね。ということで、今年は本作で映画鑑賞は打ち止めといたします。コロナ2年目の今年は、映画館で77本の作品を観ました。これから、30日正午の発表する「一条賞(映画篇)」の選考に入ります!