No.579
16日23時36分頃、福島県沖で震度6強の地震発生。ちょうどホテルでシャワーを浴びていたのですが、高層階ということもあってかなり揺れ続けました。津波注意報も出ており、犠牲者が出ないことを願っています。この日、業界の会議や出版の打ち合わせを済ませてから、ヒューマントラストシネマ有楽町でイギリス・カナダ合作のSF映画「ポゼッサー」を観ました。監督のブランドン・クローネンバーグが、父親のデヴィッド・クローネンバーグゆずりの気持ち悪い映像全開で、気が変になるようなSFサスペンスの物語を描きました。なお、「ポゼッサー」とは「所有者」「宿主」という意味です。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「他人の脳に入り込み、人格を乗っ取ることによって殺人を行う遠隔殺人システムを描くSF。腕利きの暗殺者と、彼女に人格を乗っ取られた男性が死闘を繰り広げる。監督と脚本を手掛けるのは『アンチヴァイラル』などのブランドン・クローネンバーグ。『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』などのアンドレア・ライズボロー、『ピアッシング』などのクリストファー・アボット、『ミセス・パーカー/ジャズエイジの華』などのジェニファー・ジェイソン・リーらが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、「殺人を請け負う企業に勤めるベテラン暗殺者のタシャ(アンドレア・ライズボロー)は、特殊なデバイスを用いてターゲットに近い人間の意識に入り込む。 そしてじわじわと人格を乗っ取り、ターゲットを殺害させた後は、乗っ取った相手を自殺に追い込んで離脱する。全てのミッションは手際よく行われていたが、ある日を境に彼女の中で何かが狂い始める」です。
一条真也の映画館「スターフィッシュ」で紹介した映画を観た後、ネットでレビューを読みました。すると、「最近、劇場で鑑賞したのは『スターフィッシュ』と『ポゼッサー』の2作だが、どちらも観る者を選ぶという意味で共通している」という感想を見つけ、「ポゼッサー」も観たくなりました。両作品ともSFノワールに位置付けられています。しかし、「スターフィッシュ」の方は主演女優であるヴァージニア・ガードナーの美しさもあって映像詩のように楽しむことができましたが、「ポゼッサー」の方はけっして美しい映画ではありません。とにかく、殺人シーンが残虐でグロテスクです。「さすがにR18!」と思わせるグロい描写のオンパレードなのですが、ほぼ満員だった劇場には若い女性の1人客も多かったのには驚きました。彼女たちは何を求めて、この映画を観に来たのでしょうか?
「ポゼッサー」の残虐シーン、観ていてかなり不快なのですが、わたしはルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」(1929年)を思い出しました。同作は、シュルレアリスムの傑作と評される実験的ショート・フィルムです。当時アナキズムに心酔していたブニュエルによる「映画の機能を否定した映画」で、大筋で男性と女性の情のもつれを描くものの明快なストーリーはありません。しかし、冒頭の女性が剃刀で眼球を真二つにされるシーンが非常に衝撃的です。他にも、切断され路上に転がった右腕を杖でつつく青年、手のひらに群がる蟻などの脈略のないものの衝撃的な謎めいたイメージ映像は「ポゼッサー」に通じるものがあります。「アンダルシアの犬」はブニュエルとシュルレアリスム絵画の巨匠サルバトール・ダリのコラボによるイメージ群ですが、観客はそれらのイメージから新しい表現世界を感じ取ったのでした。
「ポゼッサー」は、他人の意識の中に入り込む物語です。わたしは、ターセム・シン監督のSF映画「ザ・セル」(2000年)も連想しました。絶頂期のジェニファー・ロペス演じるサイコセラピストが、連続殺人犯の「内的な世界」へ入り込み、事件の解決に挑むSFサイコサスペンスです。シカゴ郊外にあるキャンベル研究所。若き心理学者キャサリン(ジェニファー・ロペス)は人間の潜在意識や夢の中に入り込む技術を研究していました。ある時、逮捕された異常連続殺人犯カール・スターガーの脳に入り、彼が拉致した女性の監禁場所を探り出して欲しいとFBIからの依頼を受けることになります。彼女は危険人物の潜在意識に入り、前代未聞の危険な冒険に挑むのでした。
また、クリストファー・ノーラン監督がオリジナル脚本で挑んだ「インセプション」(2010年)も連想しました。「ポゼッサー」のタシャが他人の脳内に入り込むのは個人的な趣味からではなく、殺人を請け負う企業に勤めているからです。つまり、彼女は仕事として他人の意識を操っているわけですが、「インセプション」も企業スパイが他人の潜在意識に入り込む物語です。主人公コブ(レオナルド・ディカプリオ)は人が夢を見ている最中に、その潜在意識の奥深くにもぐり込んで相手のアイデアを盗むことのできる優秀な人材でした。彼は、企業スパイの世界でトップの腕前を誇っていましたが、やがて国際指名手配犯となってしまいます。ある日、コブの元に"インセプション"と呼ばれるほぼ不可能に近い仕事が舞い込みます。
「ポゼッサー」は、ブランドン・クローネンバーグ監督の父であるデヴィッド・クローネンバーグの監督作品といってもわからないほど、デヴィッド・クローネンバーグ的です。SFホラー映画の巨匠である父は多くの気持ちの悪い映画を作ってきましたが、中でも「イグジステンズ」(1999年)が「ポゼッサー」に通じる世界を描いています。1999年度ベルリン国際映画祭にて芸術貢献賞を受賞した作品です。脊髄にバイオポートという穴を開け、生体ケーブルを挿しこみゲームポッド(ゲーム機本体で突然変異した両生類の有精卵からできている)と人体を直接つないでプレイするヴァーチャルリアリティーゲームが人々の娯楽となっている世界が舞台です。ある教会でアンテナ社が開発した新作ゲーム「イグジステンズ」の発表イベントが行われていました。ゲームが始まった直後、遅れてやって来た青年の隠し持っていた奇妙な銃で、責任者の男とゲーム中の主人公アレグラが撃たれてしまいます。ゲームの開発者や販売会社は、現実主義者(リアリスト)から敵視されているのでした。
このように過去のさまざまな映画が次々に連想される「ポゼッサー」ですが、主人公の女性暗殺者タシャが他者の意識に入り込み、支配して、他者の姿で暗殺を決行します。宿主であるタシャに操られた者は自殺をすれば自分の意識へと戻ることができるという仕組みになっています。最後に新しい仕事が入ったタシャは、いつものように他者の意識に潜り込みますが、なぜかその人間の意識と自分の意識が混在してしまって、元の自分に戻れなくなってしまいます。映画の冒頭で、少女時代のタシャが蝶の標本を手に取って「これは私のもの。殺して標本にしたの」と言いますが、彼女が操作して殺した死体は蝶のような形の血溜まりの中に倒れているのが不気味でした。
「蝶の標本」を作るような昆虫採集では、獲物をピンで刺しますが、成長したタシャもターゲットとした人物を蝶のように刺し殺していきます。映画の冒頭シーンからして、頭皮に電極の針が突き刺さる超クロースアップのイメージ映像です。とにかく、タシャは「刺す」ことにこだわります。拳銃を持っていてもそれを使わず、刃物や火かき棒を凶器として選びます。幼少期に標本の赤い蝶にピンを突き刺してきた彼女は、成長しても、その行為を反復し続けているのです。最後に、彼女の意識が他者の意識と混在したのも、彼女が憑依した男性が女性と性交をしたことで、「刺す」側と「刺される」側との間で決定的な混乱が発生したからでした。暗殺者が男の身体から脱出するには、銃で撃たれることではなく、蝶のように刺し貫かれることが必要だったのでしょう。難解な映画ではありましたが、ときどきスタイリッシュな映像も入っていましたね。それにしても、観客に若い女性が多かったのは何故?