No.586
4月10日の日曜日、日本映画「とんび」をシネプレックス小倉で最も小さな10番シアターで観ました。拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とするグリーフケア映画のプロデューサーである益田祐美子氏からムビチケを頂戴していた作品です。「とんび」そのものもグリーフケア映画の要素が強く、大いに泣ける感動作でした。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ドラマ化もされた重松清の小説を『明日の食卓』などの瀬々敬久が監督を務め、映画化。妻を失った夫と、彼に男手一つで育ててもらった息子の固い絆を描く。『護られなかった者たちへ』でも瀬々監督と組んだ『のみとり侍』などの阿部寛、『東京リベンジャーズ』などの北村匠海、『オケ老人!』などの杏のほか、安田顕、大島優子、麻生久美子、薬師丸ひろ子らが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、「昭和37年。瀬戸内海に面した備後市で運送業に就くヤス(阿部寛)は、妻・美佐子(麻生久美子)の妊娠に喜ぶ。幼いころに両親と離別したヤスにとって息子・アキラの誕生にこの上ない喜びを感じるが、美佐子が事故死してしまう。姉貴分のたえ子(薬師丸ひろ子)や幼なじみの照雲(安田顕)、和尚の海雲(麿赤兒)などに支えられながら、アキラを育てるヤス。ある日、誰もが口を閉ざしていた母の死の真相を知りたがる息子に、ヤスはあるうそをついてしまう」です。
映画「とんび」の原作は、重松清の同名小説です。わたしは重松氏と同じ昭和38年(1963年)生まれですが、学年は1つ下で、早稲田大学の後輩になります。わたしは重松氏の小説の大ファンで、ほとんどの作品を読んでいます。岡山県生まれの重松氏は、出版社勤務を経て執筆活動に入りました。1991年、『ビフォア・ラン』でデビュー。99年、『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞、『ビタミンF』で直木賞、『十字架』で吉川英治文学賞を受賞。『とんび』も多くの読者に愛された作品の1つで、「わが子の幸せだけをひたむきに願い続けた不器用な父親の姿を通して、いつの世も変わることのない不滅の情を描いています。
小説『とんび』はこれまでに2回ドラマ化されています。1回目は2012年のNHK版で、ヤスを堤真一、アキラを池松壮亮、美佐子を西田尚美、たえ子を小泉今日子が演じました。2回目は2013年のTBS版で、ヤスを内田聖陽、アキラを佐藤健、美佐子を常盤貴子、たえ子を麻生祐未が演じました。今回は初の映画化ですが、正直言って、1人だけキャストに違和感がありました。ヤス役の阿部寛です。身長189センチの彼は大き過ぎるのです。ちなみに、堤真一は179センチ、内田聖陽は177センチですので、189センチというのはやはり大き過ぎます。息子のアキラを演じた北村拓海が177センチなので、親父の方が12センチも大きいのはちょっと。あと、粗暴なヤスを演じるには、阿部寛では上品過ぎました。どうしても高身長の男性にしたければ、吉川晃司にすれば良かったと思います。彼は広島出身なので、備後の方言も大丈夫ですし、粗暴なキャラも似合いますから。
阿部寛その人は素晴らしい俳優であると思います。重松清がわたしと同い年なら、阿部寛は1歳下になります。高身長かつイケメンの彼の役者としての彼の真骨頂は、じつは「トリック劇場版」シリーズの大学教授・上田次郎とか、「テルマエ・ロマエ」シリーズのローマ人のルシウス・モデストゥスとか、コメディタッチの役にあると思います。そんな彼を「とんび」の主役であるヤス役に選んだのは、同じく重松作品を映画化した「青い鳥」(2008年)で彼が主役の中学の非常勤講師・村内先生を熱演したことにあるように思います。村内先生は、国語の先生なのに言葉がつっかえてうまく話せません。でも彼には、授業よりももっと大事な仕事がありました。いじめの加害者になってしまった生徒、父親の自殺に苦しむ生徒、気持ちを伝えられずに抱え込む生徒、家庭を知らずに育った生徒ったちの心にそっと寄り添い、本当に大切なことは何かを教えることです。そんな物語を映画化した「青い鳥」は、村内先生がさまざまな悲嘆に寄り添うグリーフケア映画でした。
「青い鳥」と同じ重松作品の映画化である「とんび」も、事故で妻を失ったヤスと母を失ったアキラが悲嘆から立ち直るグリーフケア映画の要素があります。でも、幼い息子を抱えたヤスはいつまでも悲しみに浸っているわけにはいきません。麿赤兒演じる和尚の海雲から冬の夜の海に連れて行かれ、ヤスが抱いているアキラの毛布を剥がされます。寒がるアキラに向かって、海雲は「父が抱いてくれているから前は暖かいだろう。でも、背中は寒いだろう」と言います。本来は母親が温めるはずの背中ですが、アキラには母がいないので温めてくれる人がいません。海雲は、その背中に手を当て、息子の照雲(安田顕)にも手を当てさせ、「これからは母親の代わりに、わしらがお前を温めてやる」と言うのでした。そして、ヤスに対しては「お前は海になれ。雪が降ったら地上には積もるが、海の上に降っても消えるだけだ。お前はアキラの心に悲しみが降っても消してしまう海になれ」と言います。この言葉を聴いてヤスは号泣しますが、観客も号泣必至の名シーンでした。
この名セリフからもわかるように、海雲和尚は素晴らしいグリーフケア・カウンセラーです。しかし、もともと寺の住職という宗教者にとってグリーフケアは主な仕事の1つでした。そして、寺院は宗教施設であると同時に、地域の人々のコミュニティホールでした。その機能がどんどん失われているので、「寺院消滅」などといった事態が起き、仏教者もグリーフケアの専門家ではなくなりつつあります。わが社の紫雲閣は一般には「セレモニーホール」と見られていますが、わたしは「コミュニティホール」への進化を図っています。つまり、「葬儀をする施設」から「葬儀もできる施設」への進化です。当然ながら、そこはグリーフケアの場所となります。寺院と並んで地域のコミュニティの舞台であったのが神社です。神社も寺院も、地縁や血縁を強くする文化的装置でした。神社で行われる祭礼も地縁を強化しますが、「とんび」には祭礼でヤス・アキラの父子が神輿を担ぐという象徴的なシーンが登場します。
葬儀といえば、ラスト近くでヤスが亡くなったとき、田辺桃子演じるヤスの孫娘、アキラの娘が「葬儀屋さんを呼ばないとね」と言うシーンがあるのですが、ガッカリしました。なぜなら、原作者の重松清氏は葬祭業をリスペクトされており、彼は自作で「葬儀屋」という単語は絶対に使わず、常に「葬儀社の方」という表現を使っているからです。また、海雲和尚が「これからは母親の代わりに、わしらがお前を温めてやる」と言ったように、アキラは隣人たちの愛情をたっぷりと注がれながら育っていきました。拙著『隣人の時代』(三五館)で、わたしは「血縁がない場合は地縁の出番である」と書きましたが、まさにその通りに、家族を亡くした者を隣人たちが支える姿が「とんび」には描かれています。特に、安田顕演じる照雲と大島優子演じるその妻が良かったです。大島優子は元AKB48を代表するトップアイドルだったとは思えないほど普通のオバちゃんをの役でしたが、「ああ、彼女もいい女優になったなあ」と思いました。この夫婦に子どもはいないのですが、アキラを自分の子のように愛情を持って接しており、観ていて心が温かくなりました。
隣人たちの愛情をたくさん受けて育ったアキラですが、中学時代の野球部で後輩たちの尻をバットで叩くというシゴキの場面をヤスに目撃されてしまいます。アキラに対して「抵抗のできない相手に暴力をふるうのはイジメじゃないか」と問い詰めるヤスですが、アキラは「野球部の伝統だよ」と答えます。「そんな悪い伝統、お前たちの代で止めればいい」と言うヤスですが、アキラは「ぼくだって、同じようにされてきたんだ。今ここでやめたら損するよ」と言い返します。その言葉を聴いて、ヤスは生まれて初めてアキラを殴るのでした。もちろん体罰はいいことではありませんが、子どもが人の道を外れそうになったときは叩いてでも正してやるのが親の務めです。ブログ「ウィル・スミス問題に思う」などに書いたように、第94回アカデミー賞の授賞式でクリス・ロックをビンタしたウィル・スミスには大人の分別がありませんでしたが、親が必死で子を諭す場合は許されるのではないでしょうか。あと、幼稚園児だった頃のアキラが亡き母が写った大切な写真を破った友達を叩いたのも当然のことだと思います。
ヤスが男手ひとつで育てたアキラは、隣人たちの愛情に支えられて、すくすくと育っていきます。アキラは東京の早稲田大学を志望します。息子との別れが寂しいヤスは、「お前、東京に行きたいんか?」とアキラに冷たく当たります。しかし、照雲たちのサポートもあって、アキラは見事に志望校に合格します。そのとき、アキラが家を出ていったために栄養失調になって寝込んでいたヤスはすくっと起き上がって近くの神社へ行って、お礼参りをします。「ああ、ヤスも息子の合格を願っていたんだ」ということがわかるシーンですが、その直後、ヤスは「早稲田大学、合格バンザ~イ!」と万歳をし、照雲ら近所の人々も一緒に万歳します。このシーンを観て、わたしは「自分が早稲田に受かったときも両親がすごく喜んでくれたなあ」ということを思い出し、涙腺が緩みました。何の不自由もなく育ててくれて、東京の大学に進学させてくれた両親に対して、今更ながら感謝の念が湧いてきました。アキラは大学卒業後、出版社に入社し、その後は直木賞作家になりました。これは原作者である重松清氏の人生と同じですね。
最後に、ヤスとアキラの周囲の隣人たちの中で、薬師丸ひろ子が演じた小料理屋の女将・たえ子が良かったです。彼女は若い頃に農家に嫁ぎましたが、産んだ子どもが女の子だったために大変いじめられます。女の子を産んだことを非難されるなど、2人の娘を持つわたしからすれば怒りしか感じませんが、昭和の時代の田舎の農家ではそういうこともあったのでしょう。あまりの風当たりの強さに彼女は幼い娘を置いて逃げ出してしまいます。その娘が成人して結婚することになり、一目、実の母に会いたいと申し出てくるのですが、辛い思い出しかない過去と決別したいたえ子は断ります。その娘はヤスを頼り、ヤスはたえ子の小料理屋に連れていって母娘を再会させます。そのときのやり取りがもう号泣もので、わたしは涙の海に溺れ、ハンカチが台風のときみたいにビショビショになりました。映画的には脇役のサイドストーリーに泣かされたわけですが、結婚や死、つまり冠婚葬祭にまつわるエピソードには感動が多いことを再確認した次第です。