No.612


 丸の内TOEIで日本映画「破戒」を観ました。想像していた通りに重い内容でしたが、「人間尊重」とか「尊厳」ということについて考えさせられました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「かつて木下恵介監督や市川崑監督により映画化されたこともある島崎藤村の長編小説を、『全員死刑』などの間宮祥太朗主演で映画化。被差別部落出身という自らの出自を隠して生きる小学校教師の葛藤を描く。監督を『発熱天使』などの前田和男、脚本を『孤高のメス』などの加藤正人と『銀のエンゼル』などの木田紀生が担当。共演には『記憶の技法』などの石井杏奈、『ポンチョに夜明けの風はらませて』などの矢本悠馬のほか、高橋和也、竹中直人、石橋蓮司、眞島秀和らが名を連ねる」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「被差別部落出身の瀬川丑松(間宮祥太朗)は、自らの出自を隠し通すよう亡き父から強く戒められており、地元から離れた場所にある小学校の教員職に就く。教師としては生徒に慕われながらも、出自を隠すため誰にも心を許せないことに苦しみ、一方で下宿先の士族出身の女性・志保(石井杏奈)に恋心を寄せていた。やがて、彼の出自について周囲が疑念を抱き始める中、丑松は被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎(眞島秀和)に心酔していく」

 この映画、ネットでの評価が非常に高いのですが、そのわりに上映館が少ないです。やはり差別をテーマにしているので重いですが、主演の間宮祥太朗がアイドル的というか、容姿端麗で爽やかな印象ですが、ちょっとこの重い映画にそぐわないのではないかと思いました。差別の描き方も、冒頭で被差別部落出身の金持ち(石橋蓮司)が正体がばれて宿から叩き出される場面こそ酷いものでしたが、全体的にソフトです。「明治時代の部落差別はあんな優しいもんじゃないだろう」と思った人は多いはずです。最後に教師である丑松が生徒たちの前で出自を告白し懺悔する場面も違和感がありますが、生徒たちが「そんなことは関係ない。先生は先生だ」と丑松を慕い、最後は「二十四の瞳」や「3年B組金八先生」みたいになったのも「現実はそんなに甘くないだろう」と思ってしまいます。

 士族出身の女性・志保を演じた石井杏奈は良かったです。E-GIRLSで踊っていた頃は派手なイメージがありましたが、着物姿で髪を結うと一気に地味な印象になりますね。本物の明治の女性のようで、良かったです。明治の女性といえば、東京から来た尋常小学校の教員が蓮華寺で女性たちから「東京の話を聴かせて下さい」とせがまれるシーンがあります。彼は「東京では、さまざまな新しい流れが起こっていますが、中でも、女性の社会進出が特筆すべきことです。これから、日本の女性は参政権も得て、男性に負けずにどんどん社会で活躍していくことでしょう」と述べます。しかし、それから100年以上経過しても、日本のジェンダー・ギャップは解決しておらず、先進国中で最下位という不名誉な現状となっています。もちろん部落差別や人種差別は言語道断ですが、まだまだ日本では女性差別が残っているように思います。いくら環境問題だけを改善しても、ジェンダー・ギャップを解決しなければ、「SDGs」は果たされないと知る必要があります。

 わたしが生まれ育った北九州市は同和教育が盛んな土地で、公立だった小学校でも私立だった中学校でも部落差別についての教育を受けました。『破戒』の原作は中学時代に読みましたが、あまりストーリーを記憶していません。ドストエフスキーの『罪と罰』に構成が似ていると刊行当時から言われていたそうですが、わたしはドストエフスキーは好きでしたが、『破戒』と『罪と罰』が似ているとはあまり思いませんでしたね。日本近代文学の研究者で学習院大学名誉教授の十川信介は、ユダヤ人問題を扱ったジョージ・エリオットの『ダニエル・デロンダ』との関連を示唆しています。確かに、物語の冒頭で金持ちの被差別部落出身が宿を追い出される場面などはユダヤ人問題を連想させます。黒人差別などと違って、外見からはわからないユダヤ人差別は部落差別に通じるのかもしれません。

 それにしても、部落差別が厳然として残っていた時代に『破戒』を書いた島崎藤村の勇気は驚くべきものです。文豪として名高い藤村は、1872年(明治5年)に生まれ、1943年(昭和18年)に亡くなりました。本名は島崎春樹。出身地は、信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)です。『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となりました。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父である島崎正樹をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがあります。

 自費出版された『破戒』は、1913年、高額(当時の2000円)で新潮社が買い取り出版しました。その内容を夏目漱石が絶賛したといいます。次に出版されたのは、ちょうど100年前の1922年で、『藤村全集』第3巻(藤村全集刊行会)に収録されました。藤村は巻末に「可精しく訂正」したとしていますが、実際には多少の語句の入れ替えを行ったのみでした。1929年には、『現代長編小説全集』第6巻(新潮社)の「島崎藤村篇」で「破戒」が収録されました。ここでは、藤村はこの作品を「過去の物語」としました。これは当時、全国水平社が部落解放運動を展開し、差別的な言動を廃絶しようとする動きがあったことを意識したようです。これも一部の組織から圧せられて、やがて絶版になったといいます。

 水平社は後に言論の圧迫を批判し、『破戒』に対しても「進歩的啓発の効果」があげられるとして評価しています。そして1938年に、「『破戒』の再版の支持」を採択しました。こうして翌年『定本藤村文庫』第10篇に「破戒」が収録されましたが、藤村はその際に一部差別語などを言い換えたり、削除しています。これを部落解放全国委員会が、呼び方を変えても差別は変わらないとして批判しました。1953年、『現代日本文学全集』第8巻(筑摩書房)の「島崎藤村集」に、初版を底本にした「破戒」が収録されました。委員会は、筑摩書房の部落問題に悩む人々への配慮のなさを指摘し、声明文を発表。1954年に刊行された新潮文庫版『破戒』も、1971年の第59刷から初版本を底本に変更しています。ちなみに、このたび映画化された「破戒」は水平社創立100周年記念作品となっています。

 島崎藤村の名作「破戒」が映画化されたのは今回が3回目で、これまでに1948年に木下恵介監督、1962年に市川崑監督がメガホンを取っています。いずれも日本映画史を代表する監督で、映画も高い評価を得ました。前2作に比べると、今回の「破戒」は明るいというか、軽い印象もありますが、ネットでこれだけの高評価を得ているということは、格差社会の閉塞感の中でこの映画を求めている人が多いのでしょう。

 今回の映画「破戒」のラストシーン近くで、丑松が生徒たちに「どんなに辛い境遇であっても勉強すれば、道は開ける。あきらめずに勉強だけはやりなさい」と訴えるシーンには感動しました。確かに、運命を拓くには学ぶしかないのは真実でしょう。ただ、兄が戦死した男子生徒が泣いているときに「歯を喰い縛って耐えろ!」と言うシーンには違和感をおぼえました。もちろん軍国主義で「男は強くなければ」という時代背景もあったでしょうが、グリーフケア的には悲しいときは我慢せずに泣くことが大切ですね。