No.619


 8月4日、打合せの後にヒューマントラストシネマ有楽町でフランス映画「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」を観ました。ラストに予想を超えるどんでん返しが待っていて、感動しました。これが実話とは驚きです。連日のゲリラ豪雨に銀座で遭遇しましたが、天気よりもずっと人生の方が不条理ですね! まさに、「人生は不条理」ということを見事に描いたヒューマンドラマでした。

 ヤフー映画の「解説」には、「スウェーデンの俳優ヤン・ジョンソンの実体験を基に描くヒューマンドラマ。刑務所で演技指導をする役者と囚人たちによる芝居が評判になり、やがてパリのオデオン座からのオファーが届く。監督と脚本を手掛けるのは『アルゴンヌ戦の落としもの』などのエマニュエル・クールコル。『クイーンズ・オブ・フィールド』などのカド・メラッド、『レディ・チャタレー』などのマリナ・ハンズをはじめ、ピエール・ロタン、ソフィアン・カメスらが出演する」と書かれています。

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「役者のエチエンヌ(カド・メラッド)は、囚人たちの演技のワークショップの講師として招かれる。彼は演目をサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』に決め、さまざまな背景を持つ囚人たちと向き合いながら芝居に打ち込んでいく。やがてエチエンヌの芝居への情熱は囚人たちをはじめ、刑務官らの心も動かし、塀の外での公演が実現する」です。

 鑑賞前は、刑務所で演技指導をする俳優が囚人たちを信じた結果、舞台は大成功して感動のフィナーレを迎える......そんな展開を予想していましたが、ところがどっこい。現実は、そんなに甘くありませんでした。甘くないがゆえに、役者として崖っぷちに立っていたエチエンヌが一世一代の晴れ舞台に立ち、予想外の拍手と歓声を受けるというサプライズが待っています。「事実は 小説よりも奇なり」と言いますが、この演劇界の奇跡ともいえる事実に目をつけて映画化したエマニュエル・クールコル監督はさすがですね。クールコル監督は、「単純にいい物語だったから、映画化したかった」と語っています。

 この映画は日本の演劇人たちにも強いインパクトを与えたようで、串田和美(俳優・演出家・舞台美術家)氏は「この映画の題材は、かつて世界中の演劇界で話題になった実際の事件だ。僕もそのことに刺激を受け、かつて緒形拳さんらと全国ツアーをした『ゴドーを待ちながら』は網走の刑務所でも上演した。この映画はさらに刺激的だ!」と述べ、鴻上尚史(作家・演出家)氏は「『ゴドーを待ちながら』という戯曲は、本当にやっかいで、それを六カ月で服役囚が劇場で上演するというだけで大冒険なのに、次々とすさまじいことが起こり、これが実話だって言うんですから、まったくもう、言葉を失います。ガツーンとやられました」と述べます。

 串田氏が実際に演出し、鴻上氏が「本当にやっかい」と表現した「ゴドーを待ちながら」は、アイルランドの劇作家サミュエル・ベケットによる戯曲です。1940年代の終わりにベケットの第2言語であるフランス語で書かれました。初出版は1952年で、その翌年パリで初演。不条理演劇の代表作として演劇史にその名を残し、多くの劇作家たちに強い影響を与えています。Wikipedia「ゴドーを待ちながら」の「評価」には、「ストーリーは特に展開せず、自己の存在意義を失いつつある現代人の姿とその孤独感を斬新なスタイルで描いている。当初は悪評によって迎え入れられたが、少しずつ話題を呼び人気を集めるようになった。同作品は不条理劇の傑作と目されるようになり、初演の約5年後には、20言語以上に翻訳され、現在も世界各地で公演され続けている」と書かれています。

 「ゴドーを待ちながら」は2幕劇で、木が1本立つ田舎の一本道が舞台です。Wikipedia「ゴドーを待ちながら」の「あらすじ」には、「第1幕ではウラディミールとエストラゴンという2人の浮浪者が、ゴドーという人物を待ち続けている。2人はゴドーに会ったことはなく、たわいもないゲームをしたり、滑稽で実りのない会話を交わし続ける。そこにポッツォと従者・ラッキーがやってくる。ラッキーは首にロープを付けられており、市場に売りに行く途中だとポッツォは言う。ラッキーはポッツォの命ずるまま踊ったりするが、『考えろ!』と命令されて突然、哲学的な演説を始める。ポッツォとラッキーが去った後、使者の少年がやってきて、今日は来ないが明日は来る、というゴドーの伝言を告げる。第2幕においてもウラディミールとエストラゴンがゴドーを待っている。1幕と同様に、ポッツォとラッキーが来るが、ポッツォは盲目になっており、ラッキーは何もしゃべらない。2人が去った後に使者の少年がやってくる。ウラディミールとエストラゴンは自殺を試みるが失敗し、幕になる」とあります。

「ゴドーを待ちながら」の舞台では、木一本だけの背景は空虚感を表現しているとされます。似たような展開が2度繰り返されることで、永遠の繰り返しが暗示されます。ウラディミールとエストラゴンが待ち続けるゴドー(Godot)の名は英語の神(God)を意味するという説もありますが、ゴドーが実際に何者であるかは劇中で明言されません。解釈はそれぞれの観客に委ねられています。しかし、その「ゴドーを待ちながら」の見事な解釈がパリのオデオン座で実現されました。その映画化がまさに「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」なのです。

 原作者のベケット自身が述べたように、演劇史に残る不条理劇は現実の世界に再現されたのです。わたしは、「人生は不条理であるがゆえに、面白い!」と思いました。また、最後まで過酷な状況から逃げずに運命に立ち向かったエチエンヌの雄姿を見て、泣けて仕方がありませんでした。多くの観客と同じく、エチエンヌが演出した「ゴドーを待ちながら」に出演した囚人たちの"その後"が気になります。彼らは、果たして自由になれたのでしょうか?