No.620


 8月4日、ヒューマントラストシネマ有楽町で一条真也の映画館「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」で紹介したフランスを映画を観た後、シネスイッチ銀座に移動して日本映画「島守の塔」を観ました。沖縄の人々の深いグリーフに接し、魂を揺さぶられました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第2次世界大戦末期、住民を巻き込む壮絶な地上戦が行われた『沖縄戦』を描くドラマ。戦況が悪化する中、沖縄県民の命を守ろうと奔走する知事と警察部長、そして沖縄戦に翻弄された人々の葛藤を映し出す。『地雷を踏んだらサヨウナラ』などの五十嵐匠がメガホンを取り、同監督作『二宮金次郎』などの柏田道夫が共同で脚本を担当。知事を『BOX 袴田事件 命とは』などの萩原聖人、警察部長を『夕方のおともだち』などの村上淳が演じるほか、吉岡里帆、池間夏海、香川京子らが共演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「第2次世界大戦末期の1945年。沖縄が戦場となる危機が迫る中、知事として本土から赴任した島田叡(萩原聖人)は、自分が来る以前から県民の疎開に尽力していた沖縄県警察部長の荒井退造(村上淳)と共に県民の安全確保を目指す。4月、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し日本軍との間で激しい戦闘が行われ、住民を巻き込む凄惨な地上戦へと突入。島田は住民を追い詰める軍の指令に苦悩しながらも、荒井と共に県民の命を守るために奔走する」

 ブログ「沖縄『慰霊の日』」にも書いたように、今から77年前の1945年4月1日、アメリカ軍は、ついに沖縄本島への上陸作戦を開始。日本で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられ、住民の死者は9万4000人に上りました。沖縄県民の4人に1人の命が失われたのです。けっして忘れてはならない悲劇です。その沖縄戦の悲劇を描いた「島守の塔」を観て、わたしは涙が止まりませんでした。また、無残に命を落としていく非戦闘民、すなわち沖縄県民の姿が目に焼き付きました。一条真也の映画館「セルビアン・フィルム」で紹介したホラー映画は「史上最悪のトラウマ映画」と呼ばれているようですが、わたしの場合は、フィクションならば、いくら描写が残酷でも絶対にトラウマにはなりません。しかし、実話を基にしたノンフィクションの残酷描写はトラウマになります。

「島守の塔」の主人公である島田叡は、1901年兵庫県神戸市生まれ。1922年に東京帝国大学法学部へ入学。東大卒業後、1925年に内務省に入省。主に警察畑を歩み、1945年1月、沖縄への米軍上陸が必至とみられている状況の中、辞令を受け、県知事として着任しました。沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力。戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「命どぅ宝、生きぬけ」と伝え、逃しました。最期は荒井警察部長とともに壕に留まり、後に摩文仁の森にて消息を断ちました。今日まで、その遺体は発見されていません。享年43歳。

 島田叡と運命を共にした荒井退造は、1900年栃木県宇都宮市生まれ。明治大学夜間部を卒業、同年内務省に入省。1943年、沖縄県警察部長に就任。沖縄が戦場となる危機が迫る中、戦況を楽観視していたため疎開政策に消極的だった当時の知事に代わり、県民の疎開・保護に尽力。島田叡が沖縄県知事着任後は二人三脚で奔走し、1945年3月までに県民7万3000人の県外疎開に成功。米軍上陸により県外疎開が不可能となった状況でも島田知事と共に延べ20万人の命を救いました。最期は島田知事と摩文仁の森へ向かった後、消息を断ちました。今日まで、その遺体は発見されていません。享年44歳。

 映画「島守の塔」は、荒井退造の故郷である栃木県で撮影されました。映画は新型コロナの影響で撮影が1年8カ月延期されるなど苦難を経て制作されましたが、奇しくも沖縄の本土復帰50年の年に公開となりました。東京で開催された映画の特別試写会で、五十嵐監督は「内務官僚の2人が苦悩をしながら沖縄の人たちを助けたことを知るにつれ、今だから、ウクライナの戦争もあるが撮影する意義があると考えた。(荒井退造は)地味ではあるが魅力的な方」と語っています。また、荒井退造役の村上淳は、「映画界や世界に一石を投じる作品になった。先人たちが平和というタスキを渡し続けている。見ていただく観客の方々にタスキを渡せたら」と語り、島田叡役の萩原聖人は「(島田叡知事は)発する言葉に二言がない。とにかく『人間』を見てほしい。昔の話ではなくこれからを考える人たちに見てほしい」と語りました。

 この映画の俳優陣の中では、沖縄県出身で軍国主義に染まった県職員の比嘉凛役を演じた吉岡里帆の演技が素晴らしかったです。鬼気迫る表情で「生きて虜囚の辱めを受けず!」と叫び、「神国日本は必ず勝つ!」「最後は神風が吹く!」と絶叫する姿には圧倒的な迫力がありました。正直、吉岡里帆というグラドル出身の女優を見直しました。特別試写会で、彼女は「心が押しつぶされるような思いに何度も何度もなった。伝えようとエネルギーを放出しないと伝わらない。想像以上にエネルギーを込めないとと思った」と語っています。しかし、彼女の熱演を心から称賛した上で、比嘉凛役を吉岡里帆にしたのはミスキャストだと思います。京都出身の「京女」である彼女に、沖縄の女性は似合わないからです。それは比嘉凛の妹をはじめ、沖縄の女学生を演じた女優たちにも言えます。どうして、戦時中の沖縄の女学生たちが色白の八頭身の美女ばかりなのか? こういうリアリティを無視したキャスティングには大きな違和感をおぼえます。

 女学生たちはガマ(洞窟)の中で従軍看護婦を務め、多くの兵士の最期を看取りました。その姿は、ひめゆり部隊を彷彿とさせます。女学生の1人が、亡くなった兵士たちの亡骸の上に、ひめゆりの花を1輪捧げるシーンがあります。それは7万年前のネアンデルタール人が死者に花を捧げたという姿を連想させました。それを見た別の女学生が、「この人たちは花を供えてもらえて幸せだ。わたしらが死んだら、誰も花を供えてくれない」と言います。また、ガマの中に投げ入れられた手榴弾で絶命するとき、「こんな所で死んだら、わたしがここで死んだことがわからなくなる。わたしのお墓参りもできなくなってしまう」と言い放った女学生の言葉が心に刺さりました。何よりも死者への想い、先祖の供養を大切にする沖縄の「唯葬論」的世界観や死生観を垣間見ることができ、感動しました。

 沖縄は今、新型コロナウイルス感染拡大の第7波により、医療崩壊の危機が叫ばれています。わたしは、医療逼迫により沖縄の病床数が足りなければ、観光客やゴルフ客などの県外からの感染者は入院させるべきではないと思います。そもそも、こういう非常事態の中で、行動制限がないのをいいことに沖縄を訪れる来訪者には怒りさえ感じます。かりゆしを着たぐらいで沖縄を愛しているフリをしても無駄で、そんなパフォーマンスだけでは沖縄県民の目を誤魔化せません。沖縄を本気で愛しているのなら、服装だけでなく行動で示す必要があります。

 現在、新型コロナ対策で苦境にある玉城デニー知事は、命がけで沖縄県民の命を守ろうとした島田叡知事を見習っていただきたいです。先の戦争で米軍が真っ先に沖縄に上陸してきたように、台湾有事の際には中国軍が沖縄に上陸する可能性も大です。デニー知事は、中国軍の前に、まずはコロナから沖縄県民を守らなければなりません。そのためにも、観光やゴルフを目的とした県外からのレジャー客の来訪禁止を掲げてもいいぐらいです。逆に沖縄に遊びに来る連中には、「もしコロナ感染で重症化しても、入院できないという覚悟で来い!」と言いたいです。映画「島守の塔」には、エイサーやカチャーシーの場面もありましたが、豊かな精神文化が根付く守礼之島をこれ以上「悲しみの島」にしてはなりません。映画のラストで沖縄の海上に浮かんだ太陽の光(SUNRAY)が胸に染みました。