No.627


 9月9日公開のスリラー&アクション映画「ビースト」をシネプレックス小倉で観ました。ネットの評価には「期待せずに観たら大満足!」的なものが多いですが、わたしもまったく同感。パニック映画の王道にプラスして、グリーフケア映画の要素もあり、興味深く観ることができました。

 

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「アフリカの広大なサバンナを舞台に、人間を憎む凶暴なライオンに遭遇した一家を描くサバイバルアクション。娘たちと旅行を楽しんでいた男が、現地の住民から魔獣と恐れられるライオンと死闘を繰り広げる。監督は『エベレスト3D 』などのバルタザール・コルマウクル、脚本は『ランペイジ 巨獣大乱闘』などのライアン・イングルが担当。『マンデラ 自由への長い道』などのイドリス・エルバ、『第9地区』などのシャールト・コプリーのほか、イヤナ・ハリー、リア・ジェフリーズらが出演する」

 

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「医師のネイト・ダニエルズ(イドリス・エルバ)は娘二人と共に、亡き妻と初めて出会った南アフリカを旅行する。現地で狩猟禁止保護区を管理する旧友の生物学者・マーティンと再会した彼は、広大なサバンナでのドライブを楽しむ。そんなとき、密猟者の魔の手から生き延びたことで人間への憎悪を募らせた、魔獣と呼ばれる凶暴なライオンが出現し、ネイトは娘たちを守るため命懸けの闘いに身を投じる」となっています。

 

 この映画には1組の家族が登場します。父ネイトは医師としてアメリカで活躍していましたが、妻のアマーレを不仲のまま癌で亡くし、後悔の念に囚われていました。彼には2人の娘がいました。写真家を目指す姉のメラは、母の死の際に不在だった父を許しませんでした。妹のノラは、母の死後にギクシャクしている家族を何とかしたいと思い、13歳ながらもセラピストになりたいと考えていました。

 

 映画「ビースト」では、この父娘が凶暴なライオンの登場によって信頼関係を回復し、絆を結び直していくさまが描かれた映画なのですが、じつは、もう1つのグリーフがありました。凶暴なライオンは、密猟者によって群の仲間を皆殺しにされて孤立してしまった存在でした。映画「ビースト」では、家族を失って悪魔になってしまった雄ライオンと、残った家族を必死に守ろうとする父との、雄同士の「悲しみの戦い」が描かれているのです。ライオンと人間によるグリーフvsグリーフ!

 

 わたしは、かつて娘たちをサファリパークに連れて行ってライオンを見せたことがあります。ライオンバスに乗って餌をやったり、ライオンの赤ちゃんを見たこともありましたね。わたしは、1965年のイギリス映画「野生のエルザ」が好きでした。ジョイ・アダムソン原作のノンフィクションをもとにした動物映画です。ケニアの動物保護官であるアダムソン夫妻は、人食いとして射殺されたライオンの子供をエルザと名づけて育てることにしました。エルザは夫妻に良くなついていましたが、やがて2人は一時的にケニアを去ることになります。夫妻は、エルザを動物園に入れず、野生に戻すことを決心するのでした。映画「ビースト」の冒頭にはライオンと人間が心を通わすシーンもあって、わたしは「野生のエルザ」を思い出しました。

 

 映画「ビースト」を観た者は、誰でも密猟者に対して激しい怒りを感じることでしょう。そして、「ビースト」つまり真の獣とは、密猟者の殺戮によって群から孤立したライオンではなく、金のために違法な密猟を繰り返す奴らであることを知るでしょう。それにしても、映画の終盤部分で、ネイトがライオンと肉弾戦を繰り広げる部分は感心できませんでした。あまりにもリアリティがないからです。かつて、極真空手の創始者である大山倍達は牛と闘い、彼の弟子だった黒人空手家のウィリー・ウィリアスは(サーカスの)熊と闘いましたが、人間がライオンと闘うことはできません。獅子の一撃で、人間は確実に死にます。ライオンと人間の死闘を描くならば、ネイトの職業は医師ではなく格闘家にして、俳優もイドリス・エルバではなく、ドウェィン・ジョンソンあたりにすべきだったでしょう。

 

 しかし、ここ最近、人間がエイリアンとかゾンビとか悪霊に襲われるSF映画やホラー映画ばかり観ていたので、猛獣に襲われる物語というのは新鮮でした。パニック映画の古典である「JAWS/ジョーズ」(1975年)を思い出しましたね。ピーター・ベンチリーのベストセラー小説を若きスピルバーグが映画化したメガヒット・ムービーです。平和な海水浴場に突如出現した巨大な人喰い鮫が登場するスリラー映画です。観光地としての利益を求める市当局によって対応が遅れ犠牲者の数は増すばかりとなりますが、遂に警察署長ブロディと漁師クイント、海洋学者フーパーの3人の男たちが鮫退治に乗り出します。海で最強なのは鮫、陸で最強なのはライオン......パニック映画としての映画「ビースト」は「陸のジョーズ」といった印象で、けっこうハラハラドキドキしました。

 

 「ビースト」では、ジープの車内という狭い空間でライオンの襲撃から娘たちを必死で守るネイトの姿が感動的でした。父親と母親という違いはありますが、襲撃者からわが子を死守するドラマということで、デヴィッド・フィンチャー監督の映画「パニック・ルーム」(2002年)を連想しました。4階建ての高級タウンハウスには、ある隠された部屋が存在しました。コンクリートの厚い壁。他とは完全に独立した電話回線と換気装置。そして、家中を映し出すモニターと完璧なまでの防犯システム。その部屋が作られた目的は、たったひとつ、決して誰も侵入させないこと。離婚して娘と2人だけで新しい家に移り住んだメグ(ジョディ・フォスター)でしたが、突然3人の残忍な強盗が押し入ってきます。メグは、咄嗟に娘を抱えて "パニック・ルーム"と呼ばれる秘密の隠れ部屋に身を潜めて、恐るべき侵入者たちと闘うのでした。

 

 最後に、映画「ビースト」の上映時間は93分でしたが、これはベストでした。この物語で、これ以上長いと確実にダレます。元東大総長で映画評論の第一人者である蓮實重彦氏は、最新刊『見るレッスン~映画史特別講義~』(光文社新書)の中で、「90分ですべては描ける」として、映画というものは、ほぼ90分で撮れるはずだと訴えています。蓮實氏は、「90分ぐらいに収まっている作品の中に優れたものが多い。これはなぜなのかというのを突き詰めなければなりません。現在では、どういうわけか2時間20分が平均になっています。そうすると、140分もの間、観客を惹きつけておくだけの価値が彼らの演出にあるかといえば、とてもそうは考えられない」と述べています。この考えには、ある程度、同感です。90分ぐらいだと、ちょっとした空き時間に鑑賞することも可能ですが、まさにこの日、わたしは用事と用事の間の空白の時間を使って映画「ビースト」を鑑賞。期待していなかったぶん満足度が高かったのも含め、得した気分になりました。